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「自分の書いた小説に転生したのに、設定が崩壊してるので“書き換え”ながら生き残ります」―作者なのにヒロインに殺されかけてます―  作者: 百花繚乱


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第十九話「ヒロインは読まれる」

第十七話で境界が薄くなり始めたとき、私はそれをまだ“兆候”として見ていた。現世の単語がこちらへ混ざる。こちらの記述が向こうへ漏れる。危険ではあるが、まだ制御の余地がある――そんな認識だった。けれど第十八話で、真理が青いノートを開き、その中にあるヒロイン設計の断片へ辿り着いたことで、その認識は甘かったのだと思い知らされた。もう現世は、ただこちらから送られた痕跡を受け取るだけの場所ではない。向こうは向こうで読み、理解し、解釈し、その結果としてこちらへ反応を返し始めている。しかもそれは、物や言葉だけではない。存在そのものへ触れ始めていた。


その確信を持って第二閲覧室へ入ったとき、部屋の空気はすでにわずかに変質していた。変質と言っても、目に見えて何かが歪んでいるわけではない。ただ、紙と石と魔力でできた閉じた空間のはずなのに、そこへ別の生活圏の気配が薄く混じっている。乾いた蛍光灯の匂いに似たもの。何度も開閉された自動ドアの残響のようなもの。異世界の書庫にあるはずのない感覚が、ごく薄く、しかし無視できない濃さで漂っている。


室内ではすでに準備が整えられていた。セオドアが中央の机の上へ観測板を三枚並べ、結界板を机の四方と部屋の隅へ配置している。透明な板の表面には何も映っていないのに、近づくとそこへ微かな波紋のような線が走っているのがわかった。記録を映す前から揺らいでいるのだ。ノエルは机の横で紙束を抱えたまま落ち着かずに立っていて、リゼットは壁際に寄りつつも、すぐに前へ出られる姿勢を保っている。その全員に共通していたのは、“今日は何かが起きる”とわかっている顔だった。


私は席につく前に、もう一度だけ部屋全体を見渡した。アリアはいない。昨日の第十八話の終わりでは、彼女もまた現世から“読まれる側”へ足を踏み入れた気配を見せていた。それなのに、今はまだ姿を見せていない。その不在に、説明しづらい種類の緊張があった。来ないこと自体が不自然なのだ。むしろ、どこかでこちらを見ている気さえした。


「始める前に一つ確認しておく」と、セオドアが言った。彼の声はいつも通り抑揚が薄いが、その薄さが今はかえって危機感を強めていた。「第十八話で現世側がヒロイン設計へ触れたことで、観測値が予想以上に跳ねた。単語や場所の断片ではなく、今回は“人物の核”に現世が接続した可能性がある」


「人物の核」と私は繰り返した。


「役割と言い換えてもいい」とセオドアは答える。「お前がこの世界で“作者”として機能しているように、向こうの観測がアリアという存在へ“ヒロイン”として触れた。そうなると接続は情報交換では済まない。人格の輪郭、自己認識、役割の濃度、そういうものが揺さぶられる」


ノエルが紙束を抱えたまま小さく息を呑む。「じゃあ、今起きるかもしれないのは……」


「存在の読解だ」とセオドアが言った。「こちらが向こうを読むだけではなく、向こうがこちらの人物を読み、人物側がそれを感知する段階に入る」


その説明を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。危険だという意味では、これまでと同じだ。でも、その危険の質が違う。戦闘で傷を負うとか、記述が暴走するとか、そういう形の危険ではない。もっと直接的に、自分や他人の“どう在るか”そのものが揺らぐ危険だ。言葉で整理する前に、感情や立ち位置が引っ張られてしまうかもしれない。


「止めるべきだと思う?」と、私はリゼットに聞いた。


彼女は少しだけ目を伏せてから答えた。「本音を言えば、止めたいです。でも、もう止めても何も止まらない段階に入っています。だったら観測しながら進むしかない」


その現実的な答えに、私は小さく頷いた。そうだ。今さら境界を閉じて“なかったこと”にはできない。真理はもう読み始めている。母も弟も、私の残した痕跡に触れ始めている。こちらも、現世の断片が混ざる空気をもう知ってしまった。止まれば安全になるわけではない。ただ、無防備なまま揺らされるだけだ。


「来る」と、ノエルが唐突に言った。


その声に全員の視線が観測板へ集まる。最初に揺れたのは、一番左の板だった。薄い硝子のような表面に、細い線が一本走る。それはひびにも見えたし、誰かが指でなぞった跡にも見えた。次の瞬間、線は文字の輪郭へ変わる。


――やだ


たった二文字なのに、その圧が異様だった。単語そのものは幼くて短い。けれど、その裏に乗っている拒絶の感情が濃い。紙の上へただ書かれた「やだ」ではない。見られたくない、触れられたくない、理解されたくない、そういう複雑な拒絶がぎゅっと押し込まれている。


「……ヒロインだ」


私は思わずそう言っていた。セオドアは否定しない。リゼットは表情を固くし、ノエルは明らかに怖がっていた。やがて文字は消えず、逆に観測板の表面全体へじわりと染みるように広がり始める。部屋の温度が変わったわけではない。それなのに、肌の表面だけが冷たくなる。空気の密度が不自然に高まり、息を吸うたび紙の匂いではない別の何かが混ざる。


「ここで応答はするな」とセオドアが低く言った。「まず観測する」


でも、その忠告を聞いた瞬間、観測板の文字列が崩れ、今度は音ではない“声”が頭の内側に響いた。


**読まないで。**


それは耳から入る声ではなかった。空気の振動を伴わず、でも間違いなく言葉として理解できる。直接、思考の近くへ置かれるような声だ。部屋の誰もがそれを聞いたらしく、ノエルが思わず机に手をつき、リゼットは一歩前へ出る。セオドアだけが逆に静かになり、観測板と私を同時に見ていた。


読まないで。


ただの拒絶だ。けれど、その一言には嫌悪だけではなく、切実さが混ざっている。隠したい。見抜かれたくない。役割として整理されたくない。そういう焦りがあった。第十八話で真理がノートをめくり、ヒロイン設計のメモへ辿り着いたことで、向こうはもうただの“設定”としてではなく、“この子はこういう存在かもしれない”と読み始めた。たぶんそれが嫌なのだ。この世界でヒロインとして濃くなるほど、外側からも“ヒロイン像”を上塗りされてしまう。アリアにとって、それはたぶん耐えがたい。


「ユイさん、下がってください」とリゼットが言った。「今のは接触が深すぎる」


でも、私は動かなかった。怖くないわけじゃない。むしろ逆だ。すごく怖い。ここで一歩間違えたら、アリアそのものへ雑に踏み込むことになる。けれど、同時にわかってしまう。今ここで目を逸らしたら、私はたぶんもう、この子の本音の近くへ来られない。


「無理」と、私は言った。


リゼットが鋭く振り向く。「何がです」


「読まないでって言われたからって、ここで目を逸らすのは、たぶん違う」


「違うとは?」


私は観測板を見たまま答えた。


「これは設定を覗いてるんじゃない。たぶん今、“嫌だ”って言ってる本人に触れてる」


部屋の空気がさらに重くなる。ノエルは震えながらも視線を逸らさない。セオドアは止めない。ただ、記録している。リゼットだけがまだ私を止めるべきかどうか迷っている。その気配が背中越しに伝わってきた。


「アリア」と私は呼んだ。


返事はない。


けれど次の瞬間、部屋の高窓の下に、白い影が立っていた。音もなく現れた銀髪の少女は、普段と同じようでいて、普段とは明らかに違っていた。まず、表情が薄い。いつもの意味深な笑みがない。次に、気配が不安定だ。濃いのに、揺れる。ここに立っているアリアと、観測板の向こうから“読まれているアリア”が重なりきらず、微妙にずれているような感覚があった。


「……やめてください」


彼女はそう言った。さっき観測板から届いた声よりも、今の方がずっと静かだった。静かで、その分だけ痛い。


「今の、あんた?」と私が聞くと、アリアはすぐには答えなかった。観測板に浮かぶ“やだ”の残滓と、自分の手を見比べるように視線を落とし、それからようやく小さく頷いた。


「半分は」


「半分?」


「向こうに読まれた“ヒロインの核”と、今ここにいるわたしが、少し重なってるんです」


その言い方を、私は第十七話の“役割が混ざる”話と結びつける。そうか。これなのだ。現世がアリアをただのキャラ設定としてではなく、“こういう存在だ”と読み始めたことで、こちらのアリアもその読まれた輪郭へ引っ張られる。ヒロインとして期待される側の彼女が、その期待の言葉を感知し始めている。


「嫌なの?」と私は聞いた。愚問かもしれない。でも聞かずにいられなかった。


アリアは少しだけ笑った。その笑いは、きれいではあったけれど、明らかに無理があった。


「嫌ですよ」


「どうして」


「わからないんですか」


彼女は一歩だけ前へ出た。その動きに合わせるように、観測板の表面にも薄い文字が流れる。見るな。読まないで。嫌い。どれも短く、どれも同じ感情を別の角度から言い換えている。


「読まれるほど、わたしは“ヒロイン”に寄るでしょう」


アリアの声は静かだった。怒鳴らない。泣かない。ただ、冷えた刃みたいにまっすぐこちらへ届く。


「向こうの真理が、ノートの中のメモを見て、“ああ、この子はそういう子なんだ”と理解する。その理解が正しいかどうかは関係ない。読まれた時点で、わたしはその形に引っぱられる。必要とされる役割の方へ、綺麗に、わかりやすく、読者に届くヒロインの方へ」


その言葉を聞きながら、私は第十八話のノートの一文を思い出していた。

**役割として必要とされるだけじゃなく、“その子として見てほしい”が芯かも。**


たぶんまさに、それだ。

アリアはヒロインとして読まれる。必要とされる。だから強くなる。けれど同時に、“ヒロインだから”という理解に吸い込まれそうになる。そのことを、本能的に恐れている。


「……でも」と私は言う。「真理は、そんな雑に読まないと思う」


アリアの目が、ほんの少しだけ揺れた。


「どうしてそう言えるんですか」


「真理、私のこと何年も見てるから。きれいなところだけじゃなくて、ダサいところも、最低なとこも、全部見てる。その上で、読んでる」


「だから?」


「だから、あんたのことも、“ヒロインっぽいからこうだ”って切り取るだけじゃ終わらない」


言いながら、自分でも少し震えているのがわかった。これは慰めじゃない。願いに近い。真理なら雑に読まないでほしい。アリアの嫌がる通りの“便利なヒロイン像”に回収しないでほしい。その願いが、そのまま言葉になっていた。


観測板の文字が一瞬だけ止まる。

やだ。見るな。嫌い。

その流れが、そこでぷつりと切れた。


「……ずるいですね」


アリアが小さく言った。


「何が」


「あなた、そういう言い方をする」


「してる?」


「しています」


彼女はほんの少しだけ視線を逸らし、それから、ほとんど聞こえないくらいの声で続けた。


「そう言われると、“嫌だ”だけではいられなくなる」


その瞬間、観測板の表面の文字が崩れた。命令でも拒絶でもない、細い線の集まりになる。そして最後に、一文字だけ残る。


――み


見る、の“み”か。

それとも、別の何かの始まりか。


私はそこへ一歩近づいた。


「ちゃんと見るよ」


誰に向けて言ったのか、自分でも完全にはわからない。観測板の向こうの、現世に読まれたヒロインへか。目の前に立つアリア本人へか。あるいは両方へか。


「ヒロインだからじゃなくて、今ここにいるアリアとして」


言い終えた瞬間、部屋の空気がふっと軽くなった。観測板の文字は完全に消え、残るのはかすかな熱だけだ。ノエルがその場にへたり込み、リゼットは深く息を吐き、セオドアだけが淡々と記録を続けている。


「今のは……」とノエルが震える声で言う。「対話、ですよね?」


「対話だ」とセオドアが答えた。「設定の読解ではなく、読まれる側の抵抗と、それに対する応答だ。境界はさらに薄くなったが、同時に一つわかった。向こうの観測を全部拒絶するわけではない。理解の仕方によっては、本人が受け入れる余地がある」


「言葉にすると急に研究っぽくて腹立つ」と私は呟いた。


セオドアはまるで気にしない。「研究だからな」


アリアはまだ窓の下に立ったままだった。さっきまでの不安定さは少し引いている。でも、疲れている。表情を見ればわかる。彼女ほど“読まれること”に複雑な影響を受ける存在にとって、今の接触は軽いものではなかったはずだ。


「大丈夫?」と私は聞いた。


「大丈夫じゃないです」と、彼女は驚くほど素直に答えた。


私は少し笑った。「最近正直だね」


「あなたが変なところで真っ直ぐだからでしょう」


「それ褒めてる?」


「半分は」


その返しに、私はほっとした。少なくとも、いつものアリアに戻りかけている。


リゼットが実務に戻すように言う。「今日はここまでです。これ以上続けると、ユイさんだけでなくアリアさん側の負荷も危険です」


「異論ないです」とノエルが即答する。「今の、かなりぎりぎりでした」


セオドアも頷いた。「次からは“人物核接触”を前提に観測式を組み直す必要がある。断片送信だけでなく、相手の受信によって人物側がどう変質するかも記録対象に入れる」


「嫌な記録項目が増えた」と私は言った。


「面白い項目でもある」とセオドアは平然と返す。こういうところは本当に腹が立つ。


部屋を出る前、私はもう一度だけアリアを見た。彼女は窓の外へ視線を向けている。昼でも夕方でもない、中途半端な曇り空が高窓の向こうに広がっていて、その白さが銀髪に溶けていた。ヒロインらしい、美しい絵だと思う。思ってしまう。でも同時に、その美しさにそのまま回収されたくないこの子の気持ちも、少しだけわかるようになってしまった。


第十九話で起きたのは、境界の進行ではなく、

**ヒロインが“読まれること”そのものへ反応した最初の回**だった。


これは大きい。

ただの設定開示でも、ただの接触成功でもない。

アリアが、向こうからの観測に傷つき、怒り、拒み、それでも完全には拒みきれなかった。

そのこと自体が、彼女をさらに魅力的で危うい存在へ押し上げている。


そして私は知ってしまった。


次に書くべきなのは、単語でも場所でもない。

たぶん――**関係そのもの**だ。


真理との関係。

家族との関係。

そして、アリアとの関係。


それがこのまま続けば、いつか向こうもこちらも、言葉の断片ではなく“どう繋がっているか”そのものを読まれるようになる。

怖い。怖いけれど、そこへ行かなければ、もう先の物語は開かない。


第二閲覧室を出たあと、廊下の先をノエルが駆けていき、すぐにリゼットの「走るな」が追いかける。セオドアはすでに次の式のことを考えている顔で紙をめくっていた。私は少し遅れて歩きながら、隣に並んだアリアへ視線を向ける。


「ねえ」


「何ですか」


「真理に読まれるの、そんなに嫌?」


アリアは少しだけ黙って、それから言った。


「嫌ですよ。でも……」


「でも?」


「あなたが、“ちゃんと見る”って言ったので」


そこで言葉が止まる。私は続きを待った。


「少しだけなら、耐えられるかもしれません」


その答えを聞いたとき、胸の奥で何かが静かに揺れた。


第十九話は、きっとここが核だ。


ヒロインは読まれることを嫌う。

でも、誰にどう見られるかによっては、少しだけ耐えられる。

つまり彼女は、“読まれること”そのものを拒絶しているのではない。

**役割だけで見られること**を拒んでいるのだ。


そこまでわかった今、物語は次の段階へ進むしかない。

きっと第二十話では、もう一度、もっと重い問いが来る。

向こうからも、こちらからも。

そしてその問いは、たぶんアリアだけじゃなく、私自身の“誰として読まれるのか”にも向いてくる。


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