蝶仮面
まだ空は蜜柑色だと言うのに、僕の周囲がすっかりと暗くなっているのは、路地裏だからだ。影が重なりあって、既に夜も同然である。
会場となる建物の扉を、そっと押して開く。
室内は、僅かな明かりに照らされ薄暗い様相である。
「……見なぃ顔ですな。初めてのご参加で?」
室内奥の暗がりから出て来たのは、杖を頼りにする、腰の曲がった翁であった。
「はい。初めてです……」
「なるほど。ぁなたも”使徒”を目指したぃと?」
「……目指すというか、少し興味があって見てみようかなと思った感じです。単語だけ”使徒”を知っているのですが、それは一体何なのかなと」
「それを知りに来た、とぃうワケですな」
僕は適当な言い訳を行う。すると、翁はそれを信じたようで、「ひっひ」と笑った。
「なるほどなるほど。分かりました。大丈夫でぅす。安心してください。見れば分かりましょう。丁度今日は”使徒”の生誕が行われますので」
言って、翁は僕に蝶仮面を手渡して来た。
これはなんだろうか?
映像で見た時には、こんなものを着けている人はいなかったのに。
「この仮面はなんですか……?」
「……”使徒”の生誕の時は、参加者はみぃなこの蝶仮面を着けます。……蝶とぃう生き物は、羽化せねばなれませぬ。それを模してぃるのです。芋虫でぁる今の自分からサナギを経て羽化し、そして蝶――つまり”使徒”になるのだと、その心の現れとして着けるのです。”神”に従ぃし使徒にっ!」
なんと言えば良いのか……本当に怪しい団体である。
こんな怪し過ぎるこんな団体が、今のいままで放置に近い扱いを受けていたのは、一体どうしてだろうか?
答えは一つしかない。
参加者の全てを洗脳状態に陥れているというのが、本当だ、ということだ。
そして、大人数を一度にとなってくると、魔術が行使されているのもまず間違いないと見て良さそうである。
気をつけないといけない。
魔術式が分かれば対処が出来るものの、それを確認する前に僕自身が魔術に引っかかってしまったら、手遅れになってしまう可能性もあるのだ。
それは避けたい。
「……こちらです」
翁に案内され、地下への階段を降りて行く。
「……それにしても、初参加で”使徒”生誕を見られるのは、中々に運がよろしぃです」
先ほどから、翁は使徒の”生誕”という言い方をしている。
肩書の授与といったような雰囲気ではない。
謎は深まるけれど……まぁ、この目で見れば分かることである。
ところでこの翁、なんだか、声の抑揚が少しばかり変な喋り方だ。
最初は他国の人物ゆえの訛りかとも思ったけれど、よくよく聞くとそれとも違う。地域ごとの違いはそれなりにあれど、世界の言語は共通ゆえに、ここまで変にはならないのだ。
あえて作っているのか、それとも癖なのか……。
「ひっひ……。早く、蝶仮面もぉ付けなすって下さぃな」
うす気味の悪い翁の笑いを聞きながら、僕は、今しがた渡された蝶仮面を眺める。
すると、妙な違和を感じた。
見た目は何もおかしな所が無さそうに見えるのに、何か嫌な感じがあるのだ。
……まさか。
「……ぉっと、足元にぉ気をつけくださぃ」
「……ご丁寧にどうも」
翁の視線が僕から一旦切れたタイミングで、蝶仮面の裏側を指で引っ掻いて見ると、塗装が剥がれ、その下から彫られた魔術式が出て来た。
色を塗ってこれを隠していたようである。
目視で解析を行って見ると、判断能力を鈍らせる作用がある術式が彫られているのが分かった。いわゆる補助具だ。それも、装着者の魔力を勝手に使用して発動するタイプのものだ。
とんだ小細工だ。と、そんなことを思いながら、僕はひとまず、改変を応用して完全に内部の術式を破壊することにした。
蝶仮面はそれから着けた。
ちなみに、僕がわざわざ術式を改変応用で破壊したのにはワケがある。
彫られた術式と言うのは、どの魔術もそうだけれど、削った程度では効果がすぐに失われることはないからである。
彫った時に、同時に術式経路が沁み込む形でも刻まれているのが、補助具という存在であった。
これを破壊するには、通常、特殊な手順か道具が必要とされている――と、確か教科書に書いてあったかな。
ともあれ、効果を失わせるには、術式の効果そのものを破壊する他に無いのである。
「ひひっ、ぉ似合ぃですよ……? それを着けると、みぃな、少し最初くらっと来るんですよ。しかし大丈夫です。すぐ慣れまぁすから」
「そうですか。言われてみるとそうかも知れませんね」
術式は破壊しているので、僕には魔術は掛かっていない。
でも、幾らかは掛かったようには見せないと不審がられてしまう。
僕は少し大げさに立ち眩みを演出する。
すると、翁は嬉しそうに笑った。
「……ひひっ」
「うぅ……」
意外と僕って演技派かも知れない。
教頭「魔術式の改変や破壊が自由自在……? 君は学校に通う必要があるのか……?」




