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第十八話 算数

長門、参謀個室。


弦一郎は扉を開けて入り、上着を掛けた。


それから。


机の上に、一通の封筒が置かれているのを見つけた。


歩み寄る。


取り上げる。


公文書ではない。


通知でもない。


招待状だった。


白い封筒。


正式な書式。


毛筆。


端正だが、どこか力のある字。


時刻。


今夜九時。


場所。


東京、新橋。


九年庵。


裏返す。


差出人。


三文字。


永田鉄山。


弦一郎は、その場でしばらく動かなかった。


頭の中に、一つの言葉が浮かぶ。


——一夕会。


永田鉄山。


岡村寧次。


東條英機。


小畑敏四郎。


鈴木貞一。


板垣征四郎。


石原莞爾。


二〇二六年から見れば、それぞれがまったく同じ場所に立っていたわけではない。


同じ戦争で、同じ責任を負ったわけでもない。


それでも。


それらの名前は。


昭和。


陸軍。


満洲。


そして、その後の戦争。


そういう言葉と、嫌でもつながっていた。


弦一郎の背中を、冷たいものが走った。


比喩ではない。


本当に、背骨の下から這い上がってくるような冷たさだった。


招待状を一度裏返す。


もう一度。


永田鉄山。


その名前を見る。


それから机へ置いた。


すぐに扉へ向かう。


山本英輔に話す必要がある。


※  ※  ※


山本英輔の執務室。


扉は閉まっていた。


「長官は?」


伝令が答える。


「外出中です」


「戻りは?」


「分かりません」


弦一郎は廊下に立った。


手には招待状。


閉じた扉を見る。


しばらく黙る。


それから紙を一枚借りた。


住所。


時刻。


差出人。


——永田鉄山。


短く書く。


その紙を、扉の隙間へ差し込んだ。


半分は中。


半分は外。


山本英輔なら、戻れば絶対に気づく。


弦一郎はその紙を一度見た。


それから招待状をもう一度見る。


——行くか。


——行かないか。


考える。


一夕会。


その重さは知っている。


九年庵の扉を開けたら、向こうにいるのは血気盛んな若い将校だけではない。


一九三〇年。


すでに陸軍の中枢で。


人事。


予算。


軍備。


国家総動員。


満蒙。


そういうものを動かそうとしている人間たち。


永田鉄山。


岡村寧次。


そして。


今日。


同じ日。


十一月十四日。


朝。


浜口雄幸。


東京駅。


銃声。


夜。


永田鉄山。


招待状。


偶然。


そう思う方が難しい。


永田鉄山は弦一郎を見ようとしている。


味方になるか。


敵になるか。


使えるか。


使えないか。


それとも。


何者なのか。


その評価の席。


行かなければ、行かなかったこと自体が答えになる。


弦一郎は招待状を折り、ポケットへ入れた。


深く息を吸う。


——行こう。


——何を考えているのか。


——聞いてこよう。


※  ※  ※


一九三〇年十一月十四日。


夜。


新橋。


九年庵。


弦一郎は入口で少し立ち止まった。


軍服を整える。


襟を確認する。


深く息を一度吸う。


そして、扉を開けた。


※  ※  ※


座敷。


新喜楽とは違った。


もっと正式で。


もっと静かだった。


新喜楽で感じる、料亭の柔らかな温かさ。


それがない。


ここは酒を飲むための場所ではない。


芸妓と遊ぶためでもない。


何かを決める。


何かを探る。


そういう人間が座る静けさだった。


畳。


低い卓。


灯りが二つ。


部屋全体を、深く重い暖色へ沈めている。


弦一郎は、部屋にいる人間を見た。


正面。


永田鉄山。


陸軍大佐。


軍務局軍事課長。


四十代半ば。


正座。


背筋は真っ直ぐ。


その座り方は、弦一郎が海軍の上官から感じるものとは少し違った。


海軍。


外。


海。


世界。


そんな方向へ広がる感覚ではない。


全部を内側へ収める。


力も。


言葉も。


考えも。


感情も。


全部、静かな外見の下へ押し込んでいる。


そんな感じだった。


弦一郎は、この顔を写真で見たことがある。


文章でも読んだことがある。


永田鉄山。


第一次世界大戦。


総力戦。


国家総動員。


軍備近代化。


陸軍の頭脳。


そして。


一九三五年。


陸軍省。


軍務局長室。


相沢三郎中佐。


軍刀。


死。


でも。


今は生きている。


まだ四十代。


目の前に座っている。


永田の傍らには、岡村寧次。


同じく四十代。


何も言わない。


ただ、弦一郎へ一度視線を走らせる。


人を見る目。


人事を扱う人間の目。


評価している。


そして。


もう一人、部屋の中を動いていた。


茶を準備する。


茶碗を並べる。


急須を運ぶ。


弦一郎は、その顔を見た瞬間。


また背中が冷たくなった。


東條英機。


四十代半ば。


後世。


首相。


陸軍大臣。


一九四一年十二月。


その顔が今は、座敷で茶を入れている。


動きは几帳面だった。


手際がいい。


何かを頼まれれば、言われた以上にきちんとやる。


そんな印象。


弦一郎は、そこへ後世の写真を重ねそうになる。


止めた。


——今は一九三〇年だ。


——まだ。


——何も起きていない。


そう自分に言う。


指定された場所へ歩く。


座る。


礼をする。


「海野弦一郎です」


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


永田鉄山は穏やかだった。


礼儀正しい。


「永田です」


一拍。


「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」


※  ※  ※


茶が来る。


東條英機が弦一郎の前へ茶碗を置いた。


弦一郎は軽く頭を下げる。


「ありがとうございます」


東條が向きを変える。


その瞬間。


視線が一度、弦一郎の上で止まった。


ほんの一瞬。


でも。


弦一郎には分かった。


この人は、ただ茶を入れているわけではない。


聞いている。


見ている。


覚えている。


今夜。


誰が何を言う。


どう答える。


全部、頭へ入れている。


弦一郎は、その観察を胸へしまった。


永田鉄山へ向く。


永田は茶碗を手に取り、一口飲んで置いた。


「海野少佐」


穏やかな声。


「ここ数か月——」


一拍。


「ずいぶんと面白いことをなさっているそうですね」


面白い。


その言い方は、褒め言葉ではない。


皮肉でもない。


純粋に。


——興味深い。


そういう意味だった。


「過分なお言葉です」


弦一郎は答えた。


永田が微かに笑う。


「東郷閣下も、あなたをかなり高く評価しておられる」


さらに。


「山本英輔中将も」


弦一郎はうなずいた。


何も言わない。


待つ。


この前置きのあとに何が来るか。


だいたい分かる。


永田鉄山は茶碗を置いた。


弦一郎を見る。


「それで」


一拍。


「海野少佐とは、もう少し深いお付き合いができればと思っているのですが」


——深いお付き合い。


意味は分かる。


仲良く酒を飲もう。


そんな話ではない。


人を集める。


線を作る。


同じ方向へ向かせる。


弦一郎は、永田が最後まで言う前に口を開いた。


「永田大佐」


永田の目が少し動く。


「もし、私を評価してくださっているのであれば」


弦一郎はまっすぐ見る。


「遠回しにせず、はっきり教えてください」


一拍。


「大佐は、陸軍をこれからどこへ向かわせるおつもりですか?」


※  ※  ※


岡村寧次の目が、わずかに動いた。


東條英機も、急須を持ったまま一瞬止まる。


永田鉄山は弦一郎を見る。


しばらく、何も言わない。


そして一言。


「満蒙です」


弦一郎は、その言葉を聞いた。


——やはり。


だが、口に出したのは別の言葉だった。


「それから?」


永田の表情が、ほんの少し変わった。


「それから?」


「はい」


永田鉄山は弦一郎を見る。


そして、ゆっくり話し始めた。


「次の戦争が、先の欧州大戦のような国家総力戦になるなら——」


一拍。


「日本は、今のままでは持ちません」


弦一郎は黙って聞く。


「資源」


「工業力」


「食糧」


「燃料」


「輸送力」


「そして」


「戦争を長期に続けるだけの国力」


永田は一つずつ言う。


「島国で、海外からの輸入に依存したまま、列強と長期戦を戦うことはできない」


茶碗へ一度目を落とす。


「満蒙には資源があります」


「土地があります」


「大陸における戦略的な余地もある」


さらに。


「北支まで含めれば、帝国が総力戦を戦う上で必要になるものの、かなりの部分を大陸で確保できる」


弦一郎は、その説明を聞いた。


荒唐無稽ではない。


むしろ。


だから怖い。


全部、論理でつながる。


第一次世界大戦。


総力戦。


資源。


自給。


工業。


動員。


その結論。


——大陸。


永田鉄山は静かに言う。


「日本が列強の間で独立した国家として生き残るためには——」


一拍。


「満蒙を、今までと同じ位置づけのまま放置することはできない」


弦一郎は心の中で、一度だけ言った。


——やっぱり。


そして口を開く。


「大佐」


「いくつか質問してもよろしいですか?」


永田はうなずいた。


「どうぞ」


※  ※  ※


「日本の人口は」


弦一郎は言った。


「六千数百万です」


一拍。


「中国は?」


永田は答えない。


弦一郎自身が続ける。


「四億を超える」


少し間を置く。


数字を部屋へ置く。


「七倍近い」


永田を見る。


「帝国陸軍の兵士一人が、戦場で中国兵を何人倒せば、中国を支配できますか?」


岡村の目が少し動く。


「十人?」


「二十人?」


弦一郎は淡々と続けた。


「仮に、戦闘では勝ち続けたとして」


「その兵士には、一日何発の弾が必要ですか?」


「砲弾は?」


「食糧は?」


「馬は?」


「車両は?」


「鉄道は?」


さらに。


「占領した土地を誰が守りますか?」


「百キロ進めば、補給線も百キロ延びます」


「千キロ進めば、千キロです」


永田鉄山は何も言わない。


弦一郎は続ける。


「日本の鉄鋼生産は、まだ年間二百万トン前後です」


一拍。


「そこから艦艇を作る」


「鉄道を作る」


「砲を作る」


「弾を作る」


「工場も」


「機械も」


「必要です」


「では」


「大陸で何年も戦争を続ける、その鋼材はどこから出しますか?」


岡村寧次は弦一郎を見る。


東條英機も、急須を持ったまま動かない。


「満洲を取った」


弦一郎は言う。


「それで終わりますか?」


永田を見る。


「終わらないなら、次は?」


一拍。


「華北?」


「華中?」


さらに。


「そこまで行けば、英国は?」


「中国に巨大な権益を持っている」


「米国は?」


「中国市場と太平洋に利益を持っている」


「北にはソ連がいる」


一つずつ、言葉を落とす。


「帝国は、その全部と同時に関係を悪化させても戦えますか?」


一拍。


「鉄鋼は?」


「石油は?」


「外貨は?」


「船腹は?」


「食糧は?」


座敷は静かだった。


弦一郎は最後に言った。


「永田大佐」


「これは難しい戦略論ではありません」


少し間を置く。


「算数です」


その言葉が、部屋に落ちた。


弦一郎は姿勢を整える。


正座したまま、永田鉄山を真正面から見る。


「だから——」


一拍。


「お誘いは、お断りします」


深く礼をする。


「以上が、私の答えです」


※  ※  ※


静かだった。


しばらく誰も動かなかった。


それから。


東條英機が傍らから歩いてくる。


弦一郎の茶を足す。


手際がいい。


何も乱れていない。


急須を置き、弦一郎を見る。


「海野少佐」


声は穏やかだった。


礼儀も正しい。


「あなたのおっしゃった数字は、確かに軽視できないと思います」


少し間を置く。


「ですが」


東條は言う。


「帝国の兵士は、数字だけで動くものではありません」


その一言。


そして戻る。


まるで何も言わなかったように、片付けを続ける。


弦一郎はその後ろ姿を見る。


胸の中に、嫌なものが残る。


でも。


自分に言い聞かせる。


——今の一言だけで。


——この人間全部を決めつけるな。


二〇二六年の自分は、東條英機のその後を知っている。


だから。


今の言葉へ、後世のすべてを重ねてしまう。


それは危険だ。


でも同時に、忘れることもできない。


少なくとも。


今夜。


この座敷で。


弦一郎が数字を並べたあと。


東條英機が返したのは——。


——数字だけではない。


その答えだった。


弦一郎は、その事実だけを頭に置く。


そして永田鉄山へ向き直った。


※  ※  ※


永田鉄山は、長い間弦一郎を見ていた。


その沈黙は、問いを考えたことがないからではない。


逆だった。


考えている。


何年も。


ずっと。


総力戦。


資源。


工業。


輸送。


人口。


動員。


全部、永田鉄山の専門だ。


それでも。


弦一郎が今夜やったことは違った。


一つずつ計算を先へ進める。


——それから?


満洲。


——それから?


華北。


——それから?


中国。


——それから?


英国。


米国。


ソ連。


——それから?


問いが終わらない。


永田は静かに言った。


「海野少佐」


「あなたが今挙げた数字は、私も知っています」


弦一郎は待つ。


「しかし」


永田は続ける。


「帝国が今のままで安全だと思いますか?」


弦一郎は何も言わない。


「我が国には石油がない」


「鉄鉱石も、必要量を国内だけでは賄えない」


「多くの原料を海外に頼っている」


一拍。


「通商路を他国に握られた状態で、国家の生存を他国の善意だけに任せておけますか?」


永田の声は熱くない。


だから余計に重い。


「戦争を望んでいるわけではありません」


「だが」


「戦争になったとき、戦えない国家は、外交でも選択肢を失う」


弦一郎は聞く。


永田は続ける。


「満蒙を重要だと考える理由は、そこです」


「資源」


「縦深」


「自給能力」


「それを持たなければ——」


一拍。


「帝国はいずれ、列強の都合に従うしかなくなる」


弦一郎は、しばらく黙った。


この論理が分からないわけではない。


むしろ。


分かる。


だから怖い。


未来を知っている自分でなければ。


この部屋でこの説明を聞いたら。


——なるほど。


そう思うかもしれない。


弦一郎は口を開く。


「大佐」


「おっしゃることは分かります」


少し間を置く。


「でも」


「そこで、一つ計算が抜けています」


永田の目が動く。


「資源を取るために戦争を始める」


「その戦争で、資源を資源以上に使う」


一拍。


「国力を得るために、国力を食い潰す」


さらに。


「そして最後に残るのが、戦争前より貧しく、弱くなった国なら——」


永田鉄山を見る。


「それは、国を救う方法ではありません」


少し間を置く。


「最大の代価を払って」


「もっと悪い場所へ行くだけです」


座敷は静かだった。


前より重い。


永田鉄山は弦一郎を見る。


怒っているのではない。


否定でもない。


聞きたくない。


でも。


聞かなければならない。


そんな目だった。


長い沈黙。


そして。


「では」


永田が言った。


「もっといい方法があるのですか?」


弦一郎は答えた。


「あります」


即答だった。


「ただし——」


一拍。


「満洲ではありません」


永田が見る。


「どこです?」


弦一郎はしばらく黙った。


そして。


「それは」


「今夜は、お話ししません」


※  ※  ※


ずっと黙っていた岡村寧次が、初めて口を開いた。


「なぜです?」


弦一郎は岡村へ向く。


「大佐たちが今、満洲を答えとして置いているからです」


岡村を見る。


「私の答えは違う」


一拍。


「今ここで私の手の内を全部話しても」


「大佐たちに別の道を選ばせるのではなく」


「その道を潰すための材料に使われるかもしれない」


岡村の目が、ほんの少し動く。


「だから」


弦一郎は言う。


「今は話しません」


岡村寧次は弦一郎をしばらく見る。


それから永田鉄山へ目を戻した。


何も言わない。


東條英機は壁際に立っている。


見ている。


表情は読めない。


永田鉄山は長く弦一郎を見る。


「海野少佐」


静かな声。


「今夜ここで言ったことが、どういう意味を持つか分かっていますか?」


「分かっています」


「では」


「その言葉が、あなたをどこへ連れていくかも分かっているでしょう」


弦一郎は永田鉄山を真正面から見る。


「永田大佐」


一拍。


「大佐がお考えになっている道が、帝国を連れていく場所は」


「私が今いる場所より——」


「ずっと危険です」


部屋が、また静かになった。


永田はしばらく弦一郎を見る。


そして。


「海野少佐」


「今日は、もう結構です」


弦一郎は立つ。


礼をする。


「失礼します」


入口へ向かう。


「海野少佐」


止まる。


振り返らない。


後ろから永田鉄山の声がした。


低い。


それまでより、ずっと低い。


誰かに言うというより。


自分自身へ言うような声。


「……あなたが」


一拍。


「正しければ、いいのですが」


弦一郎は、そこに立った。


振り返らない。


何も言わない。


それから扉を開け、出ていった。


※  ※  ※


座敷。


扉が閉まる。


しばらく誰も話さない。


東條英機が壁際から歩いてくる。


弦一郎が使った茶碗を片づける。


動きは相変わらず手際がいい。


それから永田鉄山を見る。


「永田大佐」


一拍。


「人をつけますか?」


永田は答えない。


しばらく黙る。


そして。


「いらん」


それだけ。


東條はうなずき、茶碗を片づける。


それ以上、何も言わない。


岡村寧次は傍らに座ったまま、永田鉄山を見る。


永田は下を向いている。


誰も話さない。


座敷には、さっきの言葉だけが残っていた。


——あなたが正しければいい。


まだ着地していない。


重い言葉。


※  ※  ※


新橋。


夜。


灯り。


人。


声。


車。


警笛。


十一月の風は少し冷たい。


弦一郎は九年庵の入口を出た。


夜気を肺へ入れる。


冷たい。


でも。


今度は外から来る冷たさ。


さっきまで背骨の下から這い上がっていた冷たさより、ずっとましだった。


弦一郎は歩く。


頭の中に、永田鉄山の声が浮かぶ。


——あなたが正しければいい。


岡村寧次の目。


東條英機。


——帝国の兵士は、数字だけで動くものではありません。


急須。


茶碗。


静かな座敷。


全部が浮かぶ。


今夜、自分が言ったことの危険さは分かっている。


一夕会。


その中心へ真正面から。


満洲は違う。


そう言った。


誘いを断った。


さらに。


お前たちの計算は間違っている。


そう言った。


でも。


最後。


永田鉄山。


——あなたが正しければいい。


あれは降伏ではない。


説得されたわけでもない。


考えを変えたわけでもない。


ただ。


小さな亀裂。


これまで完全に閉じていた論理へ、一本の細い線が入った。


——それから?


その問いが残った。


本当に小さな亀裂。


でも。


そこにある。


弦一郎は歩く。


それから。


東條英機の言葉を思い出した。


——帝国の兵士は、数字だけで動くものではありません。


その亀裂が、少し閉じる。


弦一郎は思う。


この時代。


永田鉄山一人ではない。


岡村寧次がいる。


東條英機がいる。


石原莞爾。


板垣征四郎。


橋本欣五郎。


大川周明。


みんな同じではない。


思想も。


目的も。


方法も違う。


でも。


いくつもの線が、同じ時代を走っている。


一人を説得したら終わる。


そんな簡単な話ではない。


弦一郎は軍服の襟を立てた。


前へ歩く。


新橋の夜は。


まだ長かった。


※  ※  ※


——第十八話 了——

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