変わらない街、変わりゆく街
朝、窓を叩く雨音で目が覚める。
目を開けた瞬間、私は笑っていた。
急いでカーテンを開ける。
灰色の空。
濡れたアスファルト。
傘を差して歩く人。
その景色が、今日は少しだけ愛おしかった。
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朝食を済ませると、私は傘を持って家を出た。
自然と足が速くなる。
路地へ向かう道も、もう迷わない。
雨の日だけ現れる街は、今日も静かに私を迎えてくれた。
石畳は濡れて光っている。
雨粒が水たまりに小さな輪をつくる。
胸の奥に張っていたものが、ゆっくりほどけていく気がした。
「ただいま。」
思わず、小さな声がこぼれた。
自分でも驚いて、少しだけ照れ笑いをする。
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最初に向かったのは花屋だった。
店先には桔梗が並んでいる。
自然とその花に目が留まった。
「こんにちは。」
女性が微笑む。
「こんにちは。」
私は答える。
「桔梗、咲きましたね。」
そう言うと、女性は少し驚いたように目を丸くした。
「覚えていてくださったんですね。」
私は頷く。
花の名前を覚えるなんて、半年前の私なら考えもしなかった。
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けれど、ふと気づく。
店先が少し寂しい。
花の数が、以前より少ない。
「今日は仕入れが少なかったんですか?」
何気なく尋ねる。
女性は少しだけ考え、それから首を横に振った。
「……いいえ。今年は、あまり咲かなくて。」
そう言って微笑んだ。
けれど、その笑顔はどこか力がなかった。
私はそれ以上聞けなかった。
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雨宿りへ向かう。
扉を開けると、いつものベルが鳴った。
珈琲の香りがふわりと漂う。
その香りを胸いっぱいに吸い込む。
「ああ、この匂いだ。」
心の中で呟く。
今日は窓際の席が空いていた。
ノートを書く男性はいない。
初めてだった。
少しだけ落ち着かない。
店主が珈琲を運んできてくれる。
「いつもの香りですね。」
私が言うと、店主は穏やかに笑った。
「覚えてくださったんですね。」
その一言が、少し嬉しかった。
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窓の外を眺める。
雨は降っている。
それなのに、街が静かすぎる気がした。
以前は気にならなかった静けさ。
今日は、その静けさが広く感じる。
席がいくつか空いているからだろうか。
それとも。
理由を考えたが、答えは見つからなかった。
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店を出て、雨燕時計店へ向かう。
店の扉を開ける。
カチ。
コチ。
いつもの音。
けれど、一つだけ違和感があった。
店の奥に置かれた柱時計が止まっている。
私は思わず近づいた。
「壊れたんですか?」
店主は時計を見つめたまま答えた。
「少し、休んでいるだけですよ。」
私は小さく笑う。
「時計も休むことがあるんですね。」
「ええ。」
店主は穏やかに頷いた。
「長く動くためには、休む時間も必要ですから。」
その言葉は時計に向けたものなのか、それとも私に向けたものなのか、分からなかった。
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帰り道、広場へ向かう。
東屋には少女がいた。
今日も本を抱えている。
「こんにちは。」
少女は頷く。
「こんにちは。」
東屋の屋根を叩く雨音を聞きながら隣に立った。
「今日は誰か来た?」
少女は少し考えてから首を横に振る。
「まだ。」
「そっか。」
沈黙が流れる。
雨を見つめる。
少女がぽつりと言った。
「前はね」
「ん?」
「もっと、雨の音が大きかった気がする。」
耳を澄ませる。
屋根を叩く雨。
石畳に落ちる雨。
十分に聞こえている。
「そうかな。」
そう答えながらも、私はもう一度耳を澄ませた。
どこか物足りない。
そんな気がした。
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帰る時間になった。
街を振り返る。
変わらない石畳。
変わらない街灯。
変わらない雨。
それなのに、何かが少しずつ変わっている。
その正体は、まだ分からなかった。
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夜。
日記を開く。
今日は久しぶりに街へ行けたことを書く。
桔梗のこと。
珈琲の香りのこと。
休んでいる柱時計のこと。
少女の言葉を書く。
そして最後に、こう記した。
「久しぶりに街へ行けた。
変わらない景色に安心した。
けれど、変わらないと思っていた景色の中にも、小さな違いがあった。
花の数。
静けさ。
雨音。
どれも気のせいかもしれない。
でも、気のせいではないような気もする。
雨の日の街は、今日も私を迎えてくれた。
次の雨の日も、また雨の街へ行けますように。」
ノートを閉じる。
窓の外では、まだ雨が静かに降っていた。




