雨の終わりを知らない
九月になった。
朝晩の風が少しだけ涼しくなった。
それでも雨は少なかった。
相変わらず、朝起きるとカーテンを開ける。
晴れの日が続くたびに、胸の奥が少しずつ静かになっていく。
あの街を思い出さない日は、一日もなかった。
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十一日ぶりに雨が降った。
傘を手に取る。
玄関を出る前に、一度だけ立ち止まった。
雨の日が嬉しい。
その気持ちは変わらない。
でも今日は、それだけではなかった。
「今日も、あの街がありますように。」
そう願っている自分がいた。
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路地を曲がる。
雨の日だけ現れる街は、今日もそこにあった。
ほっと息をつく。
その安心が、以前よりずっと大きくなっていることに気づいた。
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花屋では、女性が鉢植えを店先に並べていた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
いつもの挨拶。
いつもの笑顔。
けれど店先は、以前より静かだった。
花は咲いている。
でも、並ぶ鉢植えは少しずつ減っている。
「寂しくなりましたね。」
思わず口にすると、女性は桔梗に水をやりながら微笑んだ。
「季節が変わると、咲く花も変わりますから。」
それはきっと、本当のことだった。
でも、それだけではないような気がした。
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雨宿りへ向かう。
ベルが鳴る。
珈琲の香りが私を迎えてくれる。
窓際の席へ座る。
店主が湯気の立つカップを置いた。
「ありがとうございます。」
カップを両手で包む。
温かい。
その温もりが、少しだけ心を落ち着かせた。
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「最近、よく空を見るようになりましたね。」
店主がぽつりと言った。
私は驚く。
「分かりますか。」
「ええ。」
店主は穏やかに笑う。
「以前は街を見ていました。」
私は窓の外を見る。
雨が降っている。
それでも私は、雨雲の向こうを見ようとしていたのかもしれない。
次はいつ降るだろう。
また来られるだろうか。
そんなことばかり考えていた。
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店を出ると、雨燕時計店へ向かった。
店内では今日も時計たちが時を刻んでいる。
けれど、止まっている時計が一つ増えていた。
私は何も聞かなかった。
店主も何も言わない。
ただ、時計の音だけが静かに響いている。
しばらくして、店主が口を開いた。
「雨宮さん。」
初めて名前を呼ばれた。
私は少しだけ驚く。
「はい。」
「もし。」
店主は言葉を選ぶように間を置いた。
「もし、次の雨の日が最後だとしたら。」
私は息を止める。
「あなたは何をしますか。」
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答えられなかった。
花屋へ行くだろうか。
雨宿りで珈琲を飲むだろうか。
時計店へ来るだろうか。
少女に会いに行くだろうか。
全部だった。
全部行きたかった。
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「決められません。」
ようやくそう答える。
店主は小さく頷いた。
「それでいいんですよ。」
私は顔を上げる。
「大切な場所ほど、一つには選べませんから。」
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店を出ても、その言葉が頭から離れなかった。
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広場へ向かう。
東屋には今日も少女がいた。
本を閉じて、雨を見ている。
私は隣に立った。
しばらく二人とも何も話さなかった。
屋根を叩く雨音だけが聞こえる。
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「ねえ。」
少女が口を開く。
「この街、好き?」
私は迷わなかった。
「うん。」
少女は少しだけ笑う。
「私も。」
それだけ言うと、また雨を見つめた。
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帰る時間になった。
街をゆっくり歩く。
石畳。
花屋。
喫茶店。
時計店。
広場。
今まで何度も歩いた道なのに、一歩一歩を確かめるように歩いていた。
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夜。
日記を開く。
今日も街へ行けたことを書く。
店主に聞かれたことを書く。
そして最後に、こう書いた。
「もし、次の雨の日が最後だとしたら。」
今日、その言葉を何度も思い返した。
私は答えられなかった。
まだ終わってほしくないと思った。
もっと歩きたい。
もっと話したい。
もっと雨の日を待っていたい。
そんなふうに思える場所ができたことが、少し嬉しかった。
そして、それを失うのが怖いと思う自分がいた。
日記を閉じる。
窓の外では、雨が少しずつ弱くなっていた。
その音に耳を澄ませながら、眠りについた。




