命令違反
#日記:地球歴 残存記録 第196日
#場所:独立星系連合 主要拠点惑星 『エレーナ』ガデール共和国首都近郊航空基地
基地に残った曹長の怒鳴り声が、基地の金属製の壁に反響していた。彼の目は、撤退した我々に向けて燃えていた。その視線の奥には、戦友を失った痛みと、それを防げなかった自分への怒りが混ざっているように見えた。
「何故撤退した!?お前らがいればあいつらが死ぬことはなかったんだ!」
確かに、あの時もう少し踏み留まっていれば、陸軍の生き残りも多少は生きいたかもしれない。だが、それは「かもしれない」の領域でしかない。戦場では、確実性が命を分ける。ルークさんがそう教えてくれていた。
俺は隣のルークさんを見た。彼はいつもながら、冷静で、しかし今はその冷静さの中に、明確な嫌悪が浮かんでいる。曹長の感情的な主張が、彼の合理的な神経を逆撫でしているのだ。
俺の視線に気づいたルークさんは、微かに首を振り、一歩前に出た。その歩みは、重く、決然としていた。
「なら何故、撤退指示に従わなかった?部下を大切にされるガルガンティア総司令閣下ならば、大佐の仇討ちをしてくださることぐらい、陸軍所属ならわかっているだろう?そもそも、この部隊の指揮官を正確に答えてみよ。」
ルークさんの声は低く、しかし鋭い。それは、曹長の激情を、冷たい論理の刃で切り分けるような響きだった。
曹長は少し間を置き、「それは、ザビーダ大尉だろう。」と答えた。
その声には、まだ怒りが残っていたが、同時にどこか弱さも感じられた。
「そうだ!」
ルークさんは即座に応じ、しかしその言葉は肯定ではなく、次の問いへの布石だった。
「ザビーダ大尉は、エルシャル大佐の手前、指揮官とされていただけだ。大佐は君らにも伝えたと仰っていたぞ。答えてみろ。誰がこの部隊の指揮官なのかを?」
曹長は沈黙した。その沈黙は長く、周囲の空気をさらに重くした。彼は知っている。しかし、それを認めることは、自分の行動の正当性を失うことになる。
「忘れたのか、言いたくないのか知らんが、『スカイタロン』の指揮官はエドワード二等軍曹だ。」
ルークさんの言葉が、沈黙を破った。
曹長は顔を上げ、「しかし!!」と声を上げたが、その続きはすぐにルークさんによって遮られた。
「しかし…なんだ?」
「彼は経験不足だから、ザビーダ大尉が指揮権持っていると聞いております。」
曹長の言葉は、最後の抵抗のように響いた。ただその顔は諦めにも見えた。
「それで?どうして諸君らがエドワードの命令を無視してよいことになるのか?」
ルークさんの問いは、核心を突いていた。階級や経験は、命令系統を無視する理由にはならない。それが、この部隊――独立星系連合の部隊――の鉄則だった。
ザビーダ大尉はここで介入しようとした。
「ルーク…その辺で。」
しかし、ルークさんはそれを見て、少し悲しそうな、しかし決意に満ちた表情を浮かべた。
「兄貴。悪いが、この件に関しては総司令閣下からも俺とエドワードが正しいとの判断だ。温情はあるだろうが、命令違反は消えん。少なくとも、こいつらには処罰が待っている。」
「処罰!?」
曹長の声は、驚きと怒りが混ざった。彼は、自分たちの行動が『仇討ち』という正義に基づいていると信じていた。その信念が、処罰という言葉によって揺さぶられた。
「仇討ちの何が悪いというのか!?ガルガンティア総司令閣下も仇討ち承諾なさったはずだ!?」
曹長の主張は、最後の望みをかけた叫びだった。 ルークさんは、少し間を置き、深く息を吸った。
「気持ちは理解されていたぞ。『気持ち』はな。どんな理由があったにせよ、君等が命令違反したことに代わりはない。救援作戦で被害は機体の損傷程度だったとはいえ、君等のために被害を被ったことをもっと重く取り給え。」
その言葉は、曹長の激情を、冷たい現実の水で洗い流すようなものだった。仇討ちの感情は理解できる。しかし、戦場では、感情が命令を凌駕することは許されない。それが、部隊全体の生存を脅かすからだ。
重苦しい空気が、基地の司令室に満ちていた。曹長はまだ何か言いたそうだったが、その言葉はもう出てこなかった。彼の顔には、怒りではなく、敗北と自責の念が刻まれていた。
そして、その沈黙を破ったのは、通信機からの緊急音だった。『オペレーション・ロイヤルブラッド』――首都の敵司令部にいたとされるマリーク第二皇子の確保作戦を進めている別働隊からの支援要請が、冷たい電子音として流れ込んだ。
この知らせを聞いたとき、俺は再び、自分がまだ戦場にいることを実感した。議論や感情や処罰の話は、すべてこの戦争の一部だった。そして、次の任務が既に始まっている。俺はルークさんと目を合わせ、微かに頷いた。
曹長との議論はここで終わり。今は、次の戦いに集中する必要があった。
戦場では、過去の議論はすぐに過去になる。そして、次の瞬間が、常に新しい命の選択を要求する。ザビーダ大尉は通信機に向かい、応答の準備を始めた。




