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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第3章/新婚生活はこんなんで
35/63

5.守ってやらなきゃ(☆)


 小さめの水槽はちょうど硬い部分に当たって砕けたんだろう。おそらく二つ分だ。そういえば他のに比べて重量が軽かった。

 水槽はしっかり固定していたはずだけど、さすがにあの揺れには耐えられなかったのか。中にいた二匹のベタは水浸しの床の上で微動だにせず転がってる。


 じゃあ蓮が倒れてる理由は?


 うちにはソファもある。どんなに眠くなったって蓮はこんな冷たい床の上で寝たりなんかしない。

 きっと寝室で仮眠をとっている最中に揺れに気付いて、真っ先にこの水槽を守りに駆け付けたんだ。


 電気もついてない薄暗い部屋の中であたしは彼を抱き起す。手が震えているのが自分でもわかった。


「蓮、どうした。転んだのか? 水槽がぶつかったのか?」


 気を失ってるみたいだけど確かにあったかくて、鼓動も感じられて、あたしの目から涙が滲み出した。


 たぶん頭を打ったんだ。彼の髪を弄った自分の手を確認しても血はついてない。脳震盪とかだとは思うけど、念の為病院に連れていかなきゃと思ってた。そのとき。



「ん……」


「蓮!! 大丈夫か? 無理すんな! 痛いところはねぇか!?」



 大声出さないようにって普段は気を付けてても、今回ばかりは無理があった。

 ぎゅっと抱きすくめ、背中を撫でて、怖かったなと言ってやる。


 だけどあたしはすぐに気付くことが出来なかった。


 蓮が本当に怖がっているものがなんなのか。気付く頃にはもう遅かった。



 視線を横に逸らした彼がひゅっと素早く息を飲む。いっぱいに見開いた目は暗がりの中にも関わらず瞳孔が限界まで収縮しているように見えた。


「お、おい、蓮!?」


 必死にもがき、ついにあたしの手を振りほどいた。成人の男だと実感する強い力。

 そして床を這いつくばって一瞬ぴたりと止まった。


 見つめる先は死んでしまった二匹のベタだった。



 蓮は迷わずガラス片の中に手を伸ばす。動かなくなった二匹を掬い取ろうとする両手が次第に墨汁を塗ったような色に染まっていく。

 血だとわかったときあたしは戦慄した。



「おい! 何やってんだ!! ガラスに触るな! 怪我してんじゃねーか!」


「いや!」


「駄目だ、蓮。もうしょうがねぇ。諦めろ!」


「いやぁぁぁぁッ!!」



 羽交い締めにしてもなおバタバタと激しく抵抗する蓮はもう魚の亡骸しか見えてない。切り裂かれた手の痛みさえわからないのか、泣きながら、嫌、嫌と、そればかりを繰り返す。


「あっ……!」


 彼の爪があたしの腕に食い込んだ。そこからじわりと血が滲む。

 一瞬動きを止めてから、恐る恐る振り向いた彼がやがて小刻みに震え出した。

 今度は傷付いたあたしの腕に縋ってボロボロと涙を零した。



「あ、あ……!」


「どうした、蓮」


「葉月ちゃ、怪我……あ、あぁぁ……っ、ごめ、なさ、ごめ……」



「あたしなら大丈夫だ。小さな傷だ、気にすんな!」



「うあ、あ、あぁぁーーッッ!!」



 蓮はあたしの胸に顔をうずめて泣き叫んだ。

 なんとなくわかった。多分、フラッシュバックしたんだろう。母親に怪我を負わせてしまったときの記憶が。


「大丈夫だ、大丈夫だから」


「う、うぅぅ……っ」


「魚たちも残念だったけど、生き物はいつか死ぬんだ。お前だったらよくわかってんだろ? 必ずしも寿命や病気とは限らねぇ。蓮。あたしは今、こうして生きててくれたお前の怪我の方が心配だ。今から病院に行ってちゃんと診てもらおう」



「ううう、あ、あぁぁ……!」



 もはや言葉にもならない呻き。小枝のように繊細な身体を抱き締めながらあたしは実感した。


 ただでさえ不測の事態に弱い蓮は、こういうときとことん打ちのめされる。あたしはこんな脅威からも守ってやらなきゃならないんだ。一緒に生きるってのはこういうことなんだ。


 彼が暴れているときによくわかった。大の大人の暴走を止めるのは本当に大変だって。



挿絵(By みてみん)



 いくら普段物静かだって、コイツの中身は激情の嵐なんだ。




 現状も心配だったからニュースを確認しようと思った。

 帰ってくる途中停電してる様子はなかったから(※大きな地震で停電したときは、復旧したタイミングで火花が発生し火災になることもあるのでブレーカーを落としておいた方が良いと言われています)電気をつけた後ちょっとだけと言ってテレビをつけた。津波の心配はなかった。でもしばらくは余震にも気を付けた方がいいだろう。


 その後すぐにタクシーを呼び、ここから一番近くの総合病院に急患として連れて行った。

 念の為CTスキャンもやってもらったけど出血などはなく、軽い打撲と脳震盪という診断だった。傷だらけになった両手も手当てしてもらった。



 蓮が必死に助けようとしてもかなわなかった二匹の墓は、翌朝二人で一緒に作った。




 あたしんとこの職場には、災害時に現在状況を報告するシステムがある。家屋は無事か、負傷者はいないか、出勤は可能かなどの項目にネットからチェックを入れるんだ。


 心配かけたくはなかったけど負傷者のところはさすがに誤魔化す訳にはいかなくて、あたしは正直に家族が負傷していることを伝えた。

 ベタの亡骸を埋め、出勤の準備をしていたときに川上主任から連絡が入った。


『茅ヶ崎くん、ご主人が怪我をしたんだろう。無理して出勤することはないよ。不安を鎮めるのだって働く上で大事なことだ。今日は休みなさい』


 こう言われたら従うしかなかった。



 あたしだってあんなことがあった後、蓮を置いて行きたくはない。身体は大事に至らなかったけど、強いショックを受けてるのは間違いないだろうし。


 だけどこれ、職場のみんなにも伝わっちまうんだろうなぁって思うと気が重くなった。

 怪我の具合とかまで知られるんだろうか。軽い脳震盪って聞いたらみんなはなんて言うんだろう。


 過保護とか、言われんのかな。


 余計な考えが頭を占める。手に包帯を巻き、力なく項垂れ、ほとんど喋らなくなってしまった蓮をうんと大切にしてやらなきゃいけないときなのに、なんだか心が落ち着かなかった。




 次の日は通常通り仕事に向かった。


 大きな余震は起こってないものの、職場もなんだか緊張感で満ちてる感じがする。


 案の定ってところなんだけど、あたしが出勤したばかりのとき何人かが声をかけてきた。

 その中には水谷先輩もいた。


「旦那さん大変だったねぇ。もう出勤して大丈夫なの? 確かに大きな地震だったけど怪我までするなんてよほどタイミングが悪かったんだねぇ」


「はい。でも軽い打撲と脳震盪だったんで、もう大丈夫ですよ。ありがとうございます」


「えっ、待って。茅ヶ崎さんも腕怪我してるじゃない。何これ、旦那さんを助けようとしたから? 一体どういう状況だったの」


「あっ、いえ。これはまた別件なんで」


 多分、これは本当に心配してくれてる。そうわかってるのに、こんなときまで嫌味に聞こえてしまう自分が嫌になった。蓮が軟弱って言われてるような気がして気持ちが焦っちまうっつーか。



 やっぱ疲れてんのかな、あたし。捻くれた受け止め方したりとか、最近やけにネガティブな気がする。



 蓮の実家とも定期的に連絡を取り合ってる。蓮が怪我したばかりのときは急いでたしすぐに電話には出れなかったけど、もちろんこちらを心配する連絡が来た。

 現状をありのまま伝え、ちゃんと彼を守れなかったことを詫びると、ママさんは二人とも無事で良かったと心から安堵したような声で言ってくれた。


 信頼を取り戻さなきゃ。仕事のプロジェクトも成功させて、生活をもっと楽にするんだ。あたしたち2人と双方の家族の為に。


 そうやって忙しい生活に戻るうちに蓮の通院に付き添える頻度も減っていったんだけど、蓮は一人で大丈夫だと言う。それよりあたしが無理してないか心配だって。


 蓮の潤んだ瞳で見つめられる度に、あたしはなぁにこれしきとばかりに笑った。少しでも安心させたい一心だったんだけど……



 皮肉なもんだな。頭の中は蓮の為にって、そればかりだってのに、すれ違いはもう始まっていたんだ。


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