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あたしが大黒柱  作者: 七瀬渚
第3章/新婚生活はこんなんで
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4.無理なんかしてない


 昼メシを食い終わった後は、ホームセンターの中に入ってるペットショップで魚の餌も買ってきた。


 デートはここまで。蓮はあまり引っ張り回すと後でどっと疲れが出ちまう可能性があるからな。名残惜しいくらいのところで潔く切り上げるってのもあたしの心得だったりするんだ。



 帰って餌の整理をしている蓮はリビングのカーペットに正座したまま身体を左右に揺すってる。

 音のない鼻歌って感じだ。機嫌がいいってのはすっげぇ伝わってくるぞ。満足してもらえてあたしも嬉しいよ。


「今日、肉じゃが」


「お、いいな! 作ってくれんのか?」


「ん」


 唐突に呟いた後、蓮は目をキラキラさせながら振り向いた。

 実際コイツが食うのはほとんど“じゃが”だけなんだけど、煮物は腹に優しいだろうしあたしの好きなモンでもあるし大賛成だ。


 作ってもらうっつってもあたしも休みだから手伝うことにした。でも変に途中から手を出すと却ってやりづらいみてぇだから、食器を洗って片付けるとか本当アシスタント的な役割な。

 昨日できなかった分、挽回したいって思いがコイツにもあるだろうしな。


 蓮のヤツ、料理は考えることが多くてあまり早くは出来ないって自分でも言ってるし、確かにスピーディーではないんだけど、作業自体は丁寧なんだよ。手先が器用なだけのことはある。もっと自信持てるようにしてやれねぇかなぁ。


 約一時間半かけて作った肉じゃがと味噌汁といんげんの和え物をおかずにあたしはたらふく食った。マジうめぇ。こりゃ晩酌コース間違いなしだ。


 蓮も昨日よりかは食欲が戻ってる感じがする。あたしはホッと胸を撫で下ろす。



 こうして見てると、先日頭をよぎった日中一時支援も必要ないんじゃねぇかと思えてくる。


 そしてこんなとき、どうしても葉山家のみんなの顔が浮かんでくる。



――うちには勿体ないくらいのお嫁さんだね――


――本当。まさか蓮がこんな素敵な人と縁を持つことが出来るなんて――



 あたしからしてみたら身に余る言葉だ。

 だけど信用して任せてくれたんだ。出来ればあたしも他人に頼らずにやっていきてぇ。あたしたちの力だけで、なんとか。


 うん、やっぱりもうちょい様子見しようとあたしは決めた。

 晩酌のビールを飲んでる間も蓮は穏やかな顔して魚たちと声のない会話を交わしてる。

 上手くいくときばかりじゃねぇ。そんなの何処の家だってそうだ。きっと大丈夫だ。ゆっくり慣れていけば。


(休みもあと一日。また仕事が始まるのかぁ)


 まだ時間はあるってるのに、仕事のことを考えると正直ちょっと気が重い。

 新たなプロジェクト。高まる周囲の期待。希望を持っているはずのことにもストレスはかかるというから人間は難儀だ。未知のことに対してなんでも前向きに考えられればいいんだけど……


 蓮を見てて学んでることじゃねぇか。悩みで頭をいっぱいにすると身動きがとれなくなるって。

 それよりもう一日の休みを満喫する方がよほど有意義だと思って考え事は早々に切り上げた。




 考える時間。


 どれくらい必要なんだろう。



 人によって違う。戦い方も違う。


 何が正解とかは、ない。



 だけどあたしの焦る気持ちは簡単に落ち着くものではなかったらしい。




 また出勤の日になって、あたしは研究に勤しんだ。

 そのとき思いがけないことを言われたんだ。自分では全然気付かなかったようなことを。


「茅ヶ崎さん、最近痩せたんじゃない? そんなんじゃ旦那さん心配するよ〜? してない?」


「え、そうですか? 大丈夫ですよ」


 顔を上げる前からすぐにわかった。このちょっと鼻につく口調。


「結婚したから少しは女性らしくなると思ったんだけどねぇ。まぁ、人の性格ってそんな簡単には変わらないか。ふふ、これじゃまるで君が養ってあげてるみたいだね。そこが茅ヶ崎さんらしいからいいんだけど、ね」


 あたしは密かに憮然とする。


 同じ合成部門の水谷みずたに先輩。

 ふわりと柔らかく立ち上げた斜め分けの前髪に高い背丈。顔立ち自体はなかなか良い方で見た目は王子様っぽい。だけどなんか嫌味っぽい笑い方をするのが特徴だ。


 そしてあたしはもう気付いてる。この人、あたしのことあまり良く思ってねぇんだ。会話の内容がなんとなく男性至上主義みたいな感じがするのも気にいらねぇ。かつて男性社員の領域だったところへガツガツ踏み込んだあたしにネチネチ皮肉を言ったことだってちゃんと覚えてるぞ。


 だけど今回は特に許せねぇ。


 あたしのことだったらいいよ。好きに言え。それこそ人の性格なんて簡単に変わらないんだからあたしもアンタの嫌味はもう諦めてる。

 だけど旦那は関係ねぇだろ。養ってるってなんだ。いい歳してるくせに、憶測だけで軽率なこと言うんじゃねぇよ。



「サンプル持って来ます」


 冷たく一言だけ言ってきびすを返すと、頑張るのも程々にね〜なんて言ってくる。

 あぁ、めんどくせぇ。女らしくってなんだよ。ってか、もう考えるのやめよう。ますますイラついてくっから。


 坂口と姫島も遠巻きにあたしを見ている感じがした。ピリピリとした空気を感じ取ったのかも知れねぇ。


 休憩時間に入った後、二人が真っ先にあたしを誘ってくれたからやっぱり気を使わせたんだなぁって、なんだか申し訳なくなっちまった。




 その日の帰り道。


 まだ週の頭なのにどっと疲れた気分で自宅の最寄駅を出て路地へ入った。

 そこであたしはあることに気付いた。


「やべ、蓮に電話」


 日課にしているはずのことをすっかり忘れてた。もうすぐ家に着くって急に言ったらアイツ慌てちまうかな。メシの準備が上手く進んでないとそうなるんだよな。大丈夫かな……


 あれこれ考えながらスマホを取り出したときだった。




 背筋がゾッとくる不穏な大音量が鳴り響いたのは。



 それはあたしのスマホからだけじゃなかった。


 近所の家のテレビから、だろうか。そこかしこから鳴ってるのがわかった。



「緊急地震速報……」



 画面にデカデカと出ていた。

 震度5弱と。


 そして身構える暇もなく大揺れがきてあたしは鞄で頭を覆った。

 やべぇ、外にいてもはっきりわかるってやっぱり相当でけぇやつだ。



 ガシャーン、と何か壊れた音の後に誰かの悲鳴が続く。アスファルトの地面が僅かに波打って見える。ブロック塀の近くとか危ないところから離れたいのに思うように歩けねぇ……!



 想像以上に長く続いた揺れがやっとおさまった。


 あたしの後ろを歩いていたカップルが話してるのが聞こえて焦燥がつのっていく。



「震度5弱って出てたけど6くらいあったんじゃね!?」


「見て、あのブロック塀、ヒビが入ってる! やだ、怖い……!」





 ヒビ、なんて。最初からあったと思いたい。古い家屋だからたまたまだって思いたい。



(蓮……)



 うちの中までどうにかなってるなんて考えたくない。


 だけど、怖がってる場合じゃねぇ……!





「蓮ッ!!」



 あたしは人目もはばからず叫んで駆け出した。


 家の中の方が物音が響く。きっとアイツの方がもっと怖かったはずだと思った。いや、今でも震えてるかも。


 いや、いや、震えてるだけならまだいい。もしものことがあったりしたら……!



 余震に備えて慎重にならなきゃいけないのはわかってた。だけど止まれなかった。


 マンションのエレベーターは止まってるって予想してたから、階段を一気に駆け上がった。息が激しく乱れた。



 インターホンを鳴らしても返事がなくて、あたしの胸はいよいよ悲鳴を上げそうだった。


 もつれる手つきで鍵を開けた。


 パンプスを放り投げるようにして脱いだばかりのとき、寝室だけ電気がついていることに気付いた。一度はそっちに向かった。だけど蓮の姿は無くて、私は名を呼びながら廊下をおそるおそる歩いた。


 リビングに辿り着いてやっと見つけた。暗がりの中で。



「蓮……」



 嫌な予感なんてことごとく外れてほしいのに、現実は容赦なかった。


 花瓶が壊れてた。雑誌が床に落ちてた。

 だけどそれどころじゃなかった。



「おい、しっかりしろ。蓮、おい蓮!!」



 ちょうどカーペットが途切れてるところ。床の上で壊れた水槽とすぐ側で倒れている彼がいた。


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