第十二話「心の距離」
部屋へ入ると、ヘリアはゆっくりとベッドへ腰を下ろす。
俯いたまま、何も話さない。
ヨルは近くの椅子へ腰を下ろした。
「……少しは落ち着いたか?」
返事はない。
「お腹空いてないか?」
「何か食べる?」
沈黙。
「喉は?」
「何か飲むか?」
「メイドさんに頼めば持ってきてもらえると思うけど。」
ヘリアは微動だにしない。
視線も変わらない。
「……そっか。」
ヨルは苦笑した。
「今日は色々ありすぎたもんな。」
その言葉も届いているのか分からない。
静かな時間だけが流れていく。
やがてヨルは立ち上がり、部屋の明かりを消した。
月明かりだけが部屋を優しく照らす。
「寝ようか。」
ヘリアは静かに横になる。
ヨルも反対側へ横になった。
部屋は静寂に包まれる。
だが。
二人とも眠ることができなかった。
ヨルは天井を見つめ、小さく息を吐く。
「……眠れないよな。」
もちろん返事はない。
それでもヨルは静かに話し始めた。
「俺さ。」
「昔、好きで付き合った人がいたんだ。」
「でも、その人には利用されてただけだった。」
「遊ばれて。」
「最後は『好きじゃなくなっちゃった。』って言われたんだ。」
「理由を聞いても、『もう興味ないから。好きじゃないし言う意味ないでしょ。』って言われたんだ。」
「数日後にはその彼女に新しい彼氏ができてたんだ。」
「その後友達に話したら、『遊ばれてたんじゃない?話を聞いたりメールのやり取りを見た感じだとヨルにおかしいところはないよ。』って言われたんだ。」
「もしかしたら俺が悪いことしちゃったのかもしれない。けど。」
「その時は、本当に人を信じるのが怖くなった。」
「なんで見抜けなかったんだろうって、自分ばかり責めてた。」
ヨルは少しだけ笑う。
「でもさ。」
「全員が悪い人じゃなかった。」
「落ち込んでる時に助けてくれた友達もいた。」
「話を聞いてくれる人もいた。」
「だから今の俺がいる。」
静かな部屋にヨルの声だけが響く。
「ヘリアがどんなことをされたのか、俺には全部は分からない。」
「だから簡単に『大丈夫』なんて言えない。」
「でも。」
「悪い人がいるからって、世界中みんなが悪い人ってわけじゃない。」
「ヘリアの周りにも、きっと大切に思ってくれる人がいる。」
「オセアス様も。」
「ニクスも。」
「俺達も。」
「だから、自分を責めなくていい。」
「もし今は誰も信じられなくても。」
「ゆっくりでいい。」
「少しずつでいいから。」
「また誰かを信じられるようになってくれたら嬉しい。」
ヨルは照れくさそうに笑う。
「俺、こういうの上手く話せないからさ。」
「逆に傷付けてたらごめんな。」
少しだけ間が空く。
「……でも。」
「良い人が見つからなくても大丈夫。」
「俺がいるから。」
静寂。
その言葉の後。
ヘリアはゆっくりと目を開けた。
そして、ゆっくりとヨルの方を向く。
『この人も……。』
『利用されて、傷付いたことがあるんだ。』
『……私と、一緒。』
そんな思いが胸の奥に小さく芽生える。
ヘリアは何も言わない。
ただ。
そっとヨルの方へ身体を寄せる。
服の裾を小さく掴み、そのまま静かに目を閉じた。
その小さな温もりに、ヨルは気付く。
振り向くと、ヘリアは安心したような穏やかな表情で眠り始めていた。
ヨルは小さく微笑む。
「……おやすみ。」
そう呟き、ヨルもゆっくりと目を閉じた。
朝。
窓から柔らかな朝日が差し込み、部屋を優しく照らしていた。
コンコン。
「お兄ちゃんー?」
ソラの元気な声が廊下から聞こえる。
「朝だよー!」
返事はない。
「……まだ寝てるのかな?」
もう一度ノックする。
コンコン。
「お兄ちゃん?」
それでも返事は返ってこない。
「入るよー。」
ソラはゆっくりと扉を開けた。
部屋の中へ入る。
そして。
「……え?」
ソラは目を丸くした。
ベッドではヨルが眠っている。
そのすぐ隣には、ヨルの服をぎゅっと掴みながら眠るヘリアの姿。
しかも。
ヘリアはヨルへぴったりと寄り添うように眠っていた。
「な、ななな……!」
ソラの顔が一気に赤くなる。
「な、何してるのお兄ちゃん!!」
バシン!
「いてっ!!」
肩を叩かれ、ヨルは飛び起きた。
「いったぁ……!」
「ソラ!? 何するんだよ!」
「それはこっちのセリフだよ!」
ソラはベッドを指差す。
「何でヘリアさんと一緒に寝てるの!?」
ヨルは一瞬きょとんとする。
「……あ。」
昨夜の出来事を思い出した。
ヘリアを見る。
相変わらずヨルの服を掴んだまま、安心したような寝顔で眠っている。
「いや、これは違うんだ。」
「オセアス様に頼まれて――」
「何が違うの!?」
ソラはぷくっと頬を膨らませる。
その騒ぎで。
ヘリアもゆっくりと目を覚ました。
眠そうに目を擦ることもなく。
ただ静かにヨルを見つめる。
そして。
ヨルの服を掴む手だけは、離さなかった。
「ほらぁ! やっぱり離してくれないじゃん!」
ソラがヨルを指差す。
「だから違うって!」
ヨルは慌てて弁解する。
「昨日オセアス様に頼まれてさ――」
コンコン。
その時、部屋の扉がノックされた。
「ソラ?」
「何かあったの?」
ホシの声だった。
「さっきから大きな声が聞こえるけど……。」
続いてニクスの声も聞こえる。
「失礼します。」
扉が開き、ホシとニクスが部屋へ入ってきた。
そして。
二人はベッドの方を見た瞬間、動きを止める。
「……。」
「……。」
ヨルの隣にはヘリア。
しかもヨルの服を掴んだまま離そうとしない。
「お兄ちゃん……。」
ホシが静かに口を開く。
「なんでヘリア様を襲ったの……。」
「違うから!」
ヨルは即座に否定した。
「襲ってない!」
「昨日オセアス様に頼まれて一緒にいただけだ!」
ホシは首を傾げる。
「……そうなの?」
「本当だって!」
ヨルは昨夜オセアスに呼ばれたこと。
ヘリアが誰にも心を開けないこと。
そして、一緒にいてほしいと頼まれたことを三人へ説明した。
「なるほど……。」
ホシは納得したように頷く。
ソラも「そういうことだったんだ。」と胸を撫で下ろした。
しかし。
ニクスだけはヨルとヘリアを交互に見つめたまま、小さく首を傾げる。
「事情は分かりました。」
「ですが……。」
「どうしてヘリア様はヨルさんにだけ心を開いたのでしょうか。」
「どうして、そんなにくっついて離れないのでしょう?」
ヨルは昨夜、眠れなかったヘリアへ自分の過去や、人を信じることについて話したことを三人へ説明した。
ニクスは少し考え込む。
「……その女性がヨルさんを振った理由は分かりませんが。」
「ヨルさんにも何か原因があった可能性はありますね。」
「ですが、状況は理解しました。」
「お兄ちゃん、そんなことあったの。」
ソラは少し笑いながら言った。
「うるさい。」
「恥ずかしいから今まで言ってなかっただけだよ。」
ヨルは照れ隠しをするように頭を掻く。
コンコン。
再び扉が叩かれた。
「皆様。」
「朝食の準備が整いました。」
「オセアス様がお待ちです。」
メイドの声だった。
「分かりました。」
ヨル達は身支度を整え、部屋を後にした。




