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第4話 シルヴェントの街

 ──シュル。


 外套を脱ぎ、クロークにかける。

 腰の剣を備え付けの机に立てかけ、脱いだ服を椅子の背に無造作に置くと、アルテアは薄着のまま背筋を伸ばした。

 硬くこわばっていた肩が、ようやくほぐれていく。


 彼女は窓の外に目を向ける。

 窓ガラスは曇りと埃に覆われ、外の景色は見えなかった。

 ただ、闇の底に滲む灯りがいくつか、ぼんやりと浮かんでいる。

 それが、街の息づかいをかすかに伝えていた。


 アルテアはベッドに身を沈め、左腕を額にのせる。

 ひんやりとした空気が肌を撫で、心地よい疲労が全身を包み込んだ。

 天井の影をぼんやりと見つめながら、長い呼吸をひとつ吐いた。


 アルテアはミロと出会ったこの日の夜、彼が紹介してくれた貧民街にある安宿『朽ち梁亭』で体を休めた。彼女は宿に一週間分を前払いし、ここを当面の拠点にすることにした。


(——いい出会いだった)


 ミロはこの貧民街にかなり詳しいらしい。案内役がいるだけで、街はぐっと歩きやすくなる。


 アルテアは旅の果てに、このシルヴェントの街へたどり着いた。

 この街を目指していた訳ではない。彼女はある人物の情報を求めて旅をしていた。しらみ潰しのように街から街へと渡り歩いた。一つ、また一つ。この街もその一つだった。




 ◇




 シルヴァーン男爵領の初代領主はレオドリック・シルヴァーン。二百年前に剣豪として名を馳せた騎士で、戦場での功績をもって男爵に叙任された。

 ここシルヴェントはシルヴァーン男爵領の領都であり、この辺りでは比較的大きい街だ。

 内陸に位置し、街道沿いに発展した宿場町である。街の南にはなだらかな山がそびえ、その麓には深い森が広がっている。木材や狩猟の産物は交易品として流通し、行商人や旅商が行き交い、日々賑わいを見せている。


 街の中心にはクロイツ広場があり、昼夜を問わず商人たちの活気に包まれている。広場に面してギルデン街が伸びており、ここには交易商や職人の工房が立ち並ぶ。街道を行き交う旅人や商隊が立ち寄る宿屋や酒場も多く、酒場からは笑い声と楽器の音が響き、通りには香ばしい匂いが満ちていた。


 貴族や騎士階級が暮らすのは、広場から北へ少し離れたヴァリエール区だ。石畳の道が整然と敷かれ、華やかな屋敷が並ぶ一角である。この地区にはシルヴァーン男爵の館もあり、政務が執り行われる。


 街の南側、山と森に近い場所にはグリーヴェルドと呼ばれる地区があり、木こりや狩人が多く暮らしている。ここでは採れたばかりの木材が集積され、薪や板材として商人たちに売られていく。森の恵みを活かした酒場や食堂も多く、旅人たちが静かに憩う場所となっている。


 また、一般市民の多くはブランフォードと呼ばれる地区に居を構えている。ここでは商人や職人の家が軒を連ね、街の暮らしを支える人々が日々の営みを続けている。貴族の暮らすヴァリエール区とは明確に区別されているが、商業地区に近いため比較的穏やかな雰囲気だ。


 一方で、街の外れには貧民が暮らす貧民街スラムダスクロウが広がる。狭く入り組んだ路地は昼でも薄暗く、違法な取引が横行する。闇市や盗賊の根城があるとも噂され、一般の市民は近づこうとしない。アルテアがミロと出会ったのもここだ。


 街道沿いの宿場町として旅人を迎え入れつつも、シルヴェントの街はその内に、光と影、誇りと哀しみを抱えて静かに息づいている。それがシルヴェントである。




 ◇




 朝といっても、貧民街ダスクロウの路地はまだ薄暗い。湿った空気が漂うなか、小さく声が響いた。


「おはよう、アルテア!」


「おはよう、ミロ。いい朝だね。お姉ちゃんの調子はどう?」


 宿から出たアルテアを、ミロが待っていた。昨夜、別れ際に約束していたのだ。


「うん! まだ横になってるけど、顔色は良くなったよ」


「それはよかった」


 ミロの姉——リナリアは、ミロの話によれば一週間ほど前に病で倒れたという。


「昨日の薬、効いたみたい。呼吸も落ち着いて、少しだけどシチューとパンも食べられたんだ」


 ミロは嬉しそうにそう言った。


「今朝は、なんだかちょっと元気そうに見えたんだよね」


 ミロの顔には、ほっとしたような笑みが浮かんでいた。

 アルテアはその顔を見て瞳をわずかに揺らした。




「それで? 今日は何をするの?」


 ミロが顔を覗き込みながら尋ねた。瞳は好奇心にきらめいている。


「うん、腕のいい情報屋、知らないかな?」


「あ、それなら、あのおじさんだ! 付いてきて!」


 ミロはアルテアの手を掴んで引っ張った。


 鳥の鳴き声がひとつ、貧民街の屋根の上を渡っていった。


 街はざわめきを取り戻していく。

 遠くで桶の水が跳ねる音、人の足音、鍋の蓋の触れる音が砂埃を含んだ空気に伝っていく。


 止まっていた時が、ゆっくりと流れ出し、アルテアとミロもその中を歩み出した。


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