第1話 仏暁学園生徒会
「あらためて言うわ、あなたわたしの封臣になりなさい!」
僕が訳のわからない素っ頓狂なことを宣っている彼女に、有無を言わさず連れてこられたのは、学園内にある池泉回遊式の広大な中庭に、豊かに水を湛えている池の中島、そこに建っている木造平屋だった。
「あの、そのまえに入学式に出席しなきゃいけないんですけど……」
ベストからシルバー九二五のチェーンで吊るされた懐中時計をブレザーの内ポケットから取り出す。時針は、もうあと十五分もしないうちに入学式が始まってしまう頃合いであると告げていた。
僕は事前に知らされていた入学式の時程表を思い出す。僕の記憶が正しければ、式の十分前には出席確認の点呼がとられるはずだ。もう時間がない。そして、どうやってこんな池のど真ん中から入学式会場にいくのだろう?わかるわけがない。このままだと遅刻してしまう、確実に。いやだよ、入学式そうそう遅刻とか。遅れて良いのは結婚式で「やっぱり君じゃなきゃだめなんだ!」的なあの展開しか許されないだろう。
「で、どうなの?わたしに忠誠を誓うの?」
彼女は、僕の言葉はどこ吹く風といった感じで勝手に話を進め、僕に服従を迫ってくる。それより、学校のパンフレットには生徒は生徒会長に臣下の礼を捧げます、とは一言一句も書かれてはいなかった。ただ自由闊達な校風で生徒の自主性と生徒の創意工夫による主体的な学園生活を尊重し云々としか謳っていなかったぞ。そして、仏暁学園の卒業生である父や母、祖父母は、仏暁学園には平成中頃のライトノベルでよく見るような破天荒で突飛な学園モノの舞台設定や世界観に負けず劣らずなびっくり体制があることなんて僕には語って聞かせなかった。よく言っていたのは、「激動の熱い時代」とか「ヤンキーや不良がいて荒れていた」とかそういった、どこかしらでよく聞くような言葉、またそれらについて回る解りかねる(僕にとっては)抽象的な言葉の数々だった。かといって僕に多くを語っていたわけでないことは付言しておく。僕が何となく漠然と“在りし“過去を掴めているのは、彼らの思い出話やふとしたことで漏らした言葉、世間話……そうした日常生活での語りのなかで拾い集めたそれらの断片や欠片のひとつひとつを、僕なりに繋ぎ合わせて想像したからである。それでもなおいまの仏暁学園のありようは、両親や祖父母の時代から類推できる時の移ろいから甚だしく逸脱しており、僕の想像の斜め上を行っていることは確かであった。これがジェネレーションギャップというやつなのだろうか……。
「待て、どういうことだ?どうして僕があなたに臣従しなきゃならんのだ。ここはいたって普通なキリスト教系の進学校だろ?それより、にゅうが……——」
「もしかして、あなた何も調べずにここに進学したっていうの⁉︎いまどき、学校紹介サイトなりSNSなりで調べればアホほど出てくるというのに……」
僕の言葉にかぶせるようにして彼女は驚きのような、呆れのような少し呆れているようなそんなリアクションを見せた。早い!そして話をちゃんと聞け!あと、僕はつい最近までスマホを与えられていなかったんだ。親の教育方針だ、文句あるか?
そうやって胸中で反抗の言葉を叫びながらも、これはもう色々諦めるしかないかもな、と若干観念しつつあった。彼女はそんな僕をよそに、語って聞かせる。
「この学園では封建的主従関係が全てよ。部活動も委員会活動も何もかも。その論理が学園生活の公的な面を規定しているわ」
「なんじゃそりゃ、鎌倉時代の御恩と奉公のあの論理が罷り通ってるってか。意味がわからん」
「その封建制ではないわ、中世ヨーロッパにおける封建的主従関係のことよ。簡単にいえば、封の授封と家門の庇護の対価に軍役と主君への助言を義務付ける双務的契約関係ね」
「ますますわからん」
そもそも封建制に種類があるとか、日本とヨーロッパで封建制の意味合いが違うとか初耳なんだが。とにかく騎士道物語とかディズニーアニメにありがちな、騎士とお姫様のあのロマンス的な世界と考えれば良いってことなのか?それとも『指輪物語』のような世界観なのか?
「まぁ、わからなくて良いわ。そういうものだと早く慣れてちょうだい。……あ、それとも実力至上主義の教室がよかったの?」
「おい、それは版権的に挑戦的すぎるだろ」
「じゃあ教室で先生を暗殺しちゃおうかしら?」
「それもダメだろ」
彼女は、僕のそのツッコミに「あなた面白いわね」と笑いながら、部屋の一番奥、陽光が暖かに差し込む窓際近くに置かれた椅子に腰をかける。
「冗談はこれくらいにして、あなたが何も知らずにここに来たということがはっきりとわかったわ」
彼女は打って変わって真剣な面持ちで僕に向き合う。「ちゃんといちから説明するわ」
そうして彼女は、この学園のこと、そして生徒会のことを静かに物語り始めた。
「一九六〇年代ごろだったかしら、世は安保闘争や大学闘争、学園紛争の全盛期でその煽りを受けて我が校も血気盛んな革命に憧れる学生たちを中心に学園改革斗争が起こったの。激烈な運動の結果として学生たちにはホームルーム・クラスルーム編成やカリキュラム編成といった法が定めた純粋な学校教育施策に関わる以外の項目での学園の運営権、つまり学園自治の権利を勝ち得たわ。そして、その学園自治の権利を学園生徒の総意として代執行する唯一の機関として位置付けられたのが、ここの生徒による投票によって公選される代表によって構成されるこの生徒会よ。でも、生徒会が学園生活の全てを運営するのはとてもじゃないけど不可能だし、個人独裁を防ぐという名目もあって時の生徒会長は各部活・同好会、各クラス、格委員会の各々の長に大幅な権限を移譲することにしたの。いわゆるところの集団指導体制ね。はじめは上手くそのシステムは機能したわ、でも時が経つにつれて彼らは半ば自立して各々が各々のままに動くようになってしまったの。その結果生徒会の組織としての機能は完全に失われ、生徒会、生徒会長の位は学園自治と生徒の統合の象徴としてのただのお飾りとなったの。そして大きな力を手に入れた彼らは自立性をさらに強め、いつからか彼らは空間的実体をも持つ勢力圈を持つようになり、その様から彼らは領主貴族になぞられられて『伯』と称されるようになったわ。最初はただそう呼ばれるだけに過ぎなかったのだけれど、段々と実が名に引き寄せられて今や完全に学園の統治体制は中世ヨーロッパとあまり変わらないものとなったわ。その体制になって以来、諸侯たちは鎬を削りあって、でも勢力均衡を保ちながら今日まで至るってわけなのよ。もちろん生徒会長選は存在するけれども、いまは名目上あるだけで実質的には諸侯らによる選挙によって選出されるの。けれどそれすらも今や半ば儀式めいたものになっていて、規模の小さな勢力であるけれども生徒会との関係が深かった文芸部の長、つまり文芸部長が代々生徒会長の職に就くことが慣例となっているわ」
彼女は話し終えると椅子からおもむろに立ち上がり、部屋の隅に置いてあるウォーターサーバーのもとへ行き、紙コップをそばの棚から取り出して水を注ぐ。ウォーターサーバーがゴボゴボという低く濁った唸り声をあげる。
その音は、春のうららかな日差し差し込むこの部屋において、僕がかくあるべきと思う「日常」の中でよく聞く音であって、普段はうるさくはないものの気に障る下品な雑音だと思っていたが、いまこの時に限っては、僕を僕が思う「日常」につなぎとめてくれる唯一のもののように思え、妙な親近感と安心感とを感じる。だがその音も彼女が並々と水を注が終わった時には絶えてしまい、そうやって出された水は彼女によって勢いよく飲み干された。「うんっ、いつもどおりおいしいわ。」彼女は紙コップを少し離れたゴミ箱にむかって放り投げる。コップは見事にゴミ箱に入った。
「どうかしら?これで理解はできたかしら?」
「大筋は、な。だが、どうして文芸部が生徒会に影響力を持っていたんだ?」
「文芸部は他にはない業務用印刷機を所有する部活なの。それで文芸部は生徒会の文書印刷やその頒布に協力することによって生徒会に影響力を与えていたわ。学園の主たる公的な情報伝達システムを掌握していることは大きなアドバンテージだったのよ」
「ちなみに文芸部は僕が思っている通りの文芸部だよな?」
「えぇ、そうよ。あなたが思っている通りの文芸部よ」
どうやら部活「そのもの」は普通のようだ。ぶっ飛んでいるのは部活の「在り方」だけらしい。
「それでなんでまた弱小の部から生徒会長が選ばれるんだ?強いやつが生徒会長になれば手っ取り早いんじゃないか?」
若干彼女の眉間に皺がよったような気がした。彼女のその様子からは、人が開けっぴろげにしていないが心から大切にしているものを見ず知らずの誰かからケチをつけられたときに感じる腹立たしさが窺えた。
「じゃあ聞くわ、諸侯が並び立つこの学園で生徒会長になってなんの旨味があるの?」
語気が少し荒い。やはり僕が文芸部のことを「弱小」と言ったことが気に障ったらしかった。僕がどう答えたらよいものかと言葉を探していると、彼女はもういいわとばかりに話しだす。
「強い誰かが生徒会長に就いたらその権威をもって自分たちの利権が侵されるかもしれない、その強い者がさらに強くなったらこの学園の均衡がみだれてしまう。みんなそれぞれの権益を失いたくないのよ。だから一番弱くて、何か不穏な動きを見せたらいつでも潰せる者が選ばれるようになったってわけ。ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝に据えられた理由と似たようなものよ」
極めて現実的な選択だなと率直に僕は思った。それもそうだ、誰だって他人が自分より優位な位置に立っているのはおもしろくないものだ。
「ごめん、弱小となんか言ってしまって……」
「別にいいのよ、事実なんだし。でも次からはなるべく言わないでちょうだいね」
少し気まずくなった雰囲気のなか僕はふとあることに思い至る。
「ところで、なんであなたは僕を封臣にしたいんだ?」
「あなたを封臣にしたい理由?そんなの単純明快よ」
僕はロマンティックなものを密かに期待していた。だってそうだろう?異性とつながる縁は、いつだって形而上学的なものであって欲しいものだ。彼女はもったいぶるようなそぶりを見せてなかなかその理由を言わない。それがまた僕の心をくすぐった。
そして彼女は見事に僕の期待を鮮やかに粉砕した。
「あなたの生徒手帳を拾ったからよ!」
「へ?」そんな馬鹿なことがあるか!ちゃんと電車から降りた後、ポッケにしまったはずだ!
「あなた、手帳気づかないうちに落としてたのよ。で、わたしが拾ったわけ。だからあなたの顔も名前も知ってたの」
そんなことがあってたまるか!僕はありとあらゆるポッケをまさぐってみる。どこを探しても僕の生徒手帳はなかった。すると彼女は胸ポケットから手帳を取り出して僕に見せるようにして手帳の表紙を開ける。小さな僕の顔と向き合った。そんなことが、あってしまった……。
「これ拾ったとき運命感じちゃったわ!もちろん根拠はない、でも何か、何かあるのよ!きっと!」
「そんなふわっとしたことに僕は巻き込まれたというのか⁉︎なんてこった……」
僕はため息をついてうなだれる。彼女が肩をトントンとたたいた。すっげームカつく。
「でも、いいじゃない。これも何かの運命なのよ!素敵で素晴らしい、ね。後悔や損はさせないわ!夢を見させてあげる!だってわたしにはそうなるだけの壮大な野望があるから!」
彼女は高らかに宣言する。高揚した声音には部屋によく響き渡り、まだかすかに「日常」と取り繕っていた辺りの雰囲気を一変させていく勢いがあった。
「それは一体全体何なんだ?」
「わたし思うの、王が一国を統べる唯一の存在なら生徒会長は学園を統べてしかるべきただ一人の存在よ。諸侯なんてものいらないわ。それに、文芸部が吹けば飛ぶような弱小部活だと思われたくないの、癪にさわるわ。だから諸侯をあらゆる力をもってして併呑し学園を生徒会のもとにひとつにしたいの」
そう夢語りした彼女は僕を見つめる。彼女の眼は爛々と煌めいていた。彼女は学園世界の統一を生徒会長の我が身が引き受けるべき宿命、自らの使命とさえ考えているようであった。
僕ははじめそれを聞いたとき、荒唐無稽だと素直に思った。だがどうしてだろう?そのような感想と同時に、まるで彼女がそれをなすことを学園が望んでおられるような、そんな直感を抱いてもいた。
いいだろう、やってやろうじゃないか。彼女、襲ユリの覇道に僕も付き合ってやろうじゃないか。どうせ三年しかない高校生活だ、やるなら面白そうなことをやった方が良い。良い渡世の仕方だ、暇なんてなさそうだ。こんな風に思うぐらいこの時の僕は色々と吹っ切れていた。はたから見れば清々しいくらいの開き直り具合だっただろう。
「わかったよ、あなたさまの封臣になりますよ!」
僕の返答を聞くや彼女は満足気に笑う。その笑みに僕は不思議な魅力を感じた。
「それでこそ、わたしの運命の人よ!」
彼女は僕の肩をバシバシと叩く。すごく痛い。でも彼女の喜びようがその痛さからとてもよく伝わってきた。
「これであなたはわたしの騎士!わたしに忠実な臣下!そしてわたしの、同志……」
ここで襲ユリは突然押し黙ってしまった。有頂天な夢うつつから急に現実に引き戻されて残酷な事実を突きつけられたような、驚愕戸惑いの表情を浮かべ、やがて顔面蒼白になる。
「……そうよ、そうだったわ。忘れていたわ。あなたもそうだったわ」
彼女は吐き捨てるように独り言ちると、この上なく残念そうなため息をひと息つく。俯く。
しばらくして襲ユリは顔を上げた。ふたたびを僕を見た。僕たちを見た。僕は背筋が凍った。金縛りにあったように身動き一つできない。襲ユリは睨んでいた。決然とした顔つきだった。
「見てなさい」
襲ユリはそのように呟くと、窓の外の方を向き腕を組む。その先には学園が、昭和レトロの雰囲気を持つ、中央に時計塔が据えられた木造建築物——おそらく国指定重要文化財に登録されているという本館——があった。
「見てなさい……つぎはお前たちとわたしの番よ」
彼女は叫ぶ。大音声ではなかったが、腹に響くドスの利いた声であった。僕はそのとき言いようも得ない恐怖に襲われていて、なぜ彼女はあんなに怒っているのだろう?と見当違いな疑問を抱いていたが、あれは挑戦だったのだと僕がそのように彼女の当時の心理を理解するまでには少しの時間が必要だった。僕には解り得ぬ感情だったのだ。
「まあいいわ。とにかくわたしの生徒会長戴冠式とあなたの叙任式ね。楽しみだわ」




