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第8話 三本目の鍵



「その手袋を外していただけますか」


 宝石商の息子の右手が、わずかに強張った。


「なぜだ」


「縫い目に黒い汚れがついています」


「ただの汚れだろう」


「宝石箱の鍵穴に残っていた油と、よく似ています」


 息子は手袋を外そうとしなかった。


「私を犯人扱いするつもりか」


「確認したいだけです」


「学生の遊びに付き合う気はない」


 その言葉に、背後にいた証明官が前へ出た。


「これは学院の授業ではない。正式な現場実習だ」


 低い声だった。


「事件に関係する可能性があるものは確認する。手袋を外しなさい」


 息子の顔に、初めてはっきりとした苛立ちが浮かんだ。


 けれど、父親も警備兵も見ている。


 拒み続けることはできなかった。


「……くだらない」


 息子は右手の手袋を外し、机へ放り投げた。


 私は白い布を受け取り、手袋の縫い目を軽く拭った。


 青黒い汚れが、布へ移る。


 証明官が宝石箱の鍵穴から採取した油と並べた。


 色も。


 粘りも。


 わずかに混じる金属の匂いも、よく似ている。


「同じ油か」


 宝石商が尋ねる。


「断定はできません」


 私は答えた。


「似た油は、ほかの錠前にも使われています」


「ほら見ろ」


 息子が鼻で笑う。


「そんなものが何の証拠になる」


「この屋敷のほかの錠前にも、同じ油を使っていますか」


「使っている」


 宝石商が頷いた。


「書斎や倉庫の鍵にも、同じ黒油を差している」


 これだけでは、息子が宝石箱へ触れた証拠にはならない。


 別の扉を開けた時についた可能性もある。


 私は手袋を裏返した。


 汚れがついているのは、親指と人差し指の間だけだった。


 細いものを挟む時に触れる場所。


「普段、鍵はどちらの手で持ちますか」


「右だ」


「今日、どの鍵を使いましたか」


「自室の鍵だ」


「その鍵を見せてください」


 息子は腰から鍵を取り出した。


 私は受け取らず、証明官に確認してもらう。


 鍵は乾いていた。


 黒い油はついていない。


「書斎や倉庫の鍵は?」


「今日は触れていない」


「では、この油はどこでついたのですか」


 息子の口元がわずかに引きつった。


「覚えていない」


「宝石箱へ触れたのでは?」


「触れていない」


「以前、母親の形見を確認したと言いました」


「箱が開いている時に見ただけだ」


「鍵を使ったことは?」


「ない」


 私は宝石箱へ戻った。


 外側の金具を白い布で拭う。


 何もつかない。


 油が残っているのは、鍵穴の奥だけだった。


「宝石箱の外側を触っても、手袋に油はつきません」


 息子を見る。


「油がつくのは、鍵を穴へ差し込み、回した時です」


「別の錠前だと言っただろう!」


「どの錠前ですか」


「覚えていない!」


 息子の声が大きくなった。


 先ほどまで父親をなだめていた、冷静な後継者の姿は消えている。


「証拠は、その使用人の部屋から見つかったんだ!」


 息子は若い使用人を指さした。


「鍵も、布も、靴もだ! なぜ私を調べる!」


 若い使用人の肩が震えた。


 私は息子の前へ立つ。


「その証拠が、すべて作られた可能性があるからです」


「私が作ったと言うのか」


「まだ、そうは言っていません」


「同じことだ!」


「では、確認すれば終わります」


 息子の目を見る。


「あなたの部屋を調べさせてください」


「断る」


 返事が早すぎた。


 宝石商が息子を振り返る。


「なぜ断る」


「私の部屋だ。盗難と関係ない」


「使用人の部屋は調べさせたではありませんか」


 私が言うと、息子は黙った。


「彼女には拒否する権利も与えなかったのに、自分の部屋だけは拒むのですか」


「立場が違う!」


「何が違うの?」


「私はこの家の後継者だ!」


 その言葉に、宝石商の表情が変わった。


「だから、疑われないと?」


 息子は答えなかった。


 証明官が宝石商へ向き直る。


「当主として、捜索への同意をいただけますか」


 宝石商は迷っていた。


 息子と、泣いている使用人を交互に見る。


「父上」


 息子が低い声で呼ぶ。


「私を信じてください」


 宝石商は目を閉じた。


 長い沈黙のあと、ゆっくりと口を開く。


「調べてくれ」


「父上!」


「何もないなら、すぐに終わる」


          ◇


 息子の部屋は、屋敷の二階にあった。


 整えられた寝台。


 磨かれた机。


 本棚には、商売や宝石についての本が並んでいる。


 見える範囲に、首飾りはなかった。


 警備兵と証明官が、机の引き出しを一つずつ確認する。


 息子は扉の前に立ち、苛立った様子で腕を組んでいた。


「無駄だ」


 誰も答えなかった。


 一番下の引き出しには、書類と封筒が入っていた。


 その下から、小さな木箱が見つかる。


 鍵は掛かっていない。


 証明官が蓋を開いた。


 中にあったのは、青灰色の柔らかい蝋だった。


 表面に、細長い窪みが残っている。


「これは……」


 宝石商が顔を近づける。


 私は使用人の部屋から見つかった予備鍵を、蝋の上へ重ねた。


 窪みの形が一致した。


 鍵の先端。


 溝。


 細かな欠けまで。


 すべて、予備鍵の形を写し取っている。


「鍵の型です」


 宝石商の顔から血の気が引いていく。


 息子が一歩、後ろへ下がった。


「違う」


「この型から、三本目の鍵を作ったのですね」


「違う!」


 息子が叫ぶ。


 けれど。


 正規の鍵は二本しかない。


 一つは宝石商が持っている。


 もう一つは、使用人を犯人に見せるため部屋へ置かれた。


 そして今。


 三本目の鍵を作るための型が、息子の部屋から見つかった。


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