終章 あなたと共に、歩む道
「いい月だねえ。やっぱり、一仕事終わらせた後の一杯は格別だよ。なあ?」
上機嫌なグウェンの言葉に、リサは頷いて盃を傾けた。
今宵もグウェンの好きな東方産の濁り酒だ。
口当たりの甘い、リサにとっては懐かしい故郷の味を楽しみ、深くため息をつく。
バドの手術は無事、成功した。
先日の腹の傷とは違い、急所を綺麗に外した浅い傷なので、容態が急変する危険も少ないという。
傭兵たちは三々五々と帰っていき、残ったのはモニカとディノ、それにヤンと護衛の数名だけだった。
今は全員、診療所の外で焚火を囲んでいる。
パチパチと薪が弾ける音と、串に刺さった魚の焼ける匂い。静かな夜だった。
「御馳走様でした、グウェン先生。こちらは診療費ということで」
一口で酒を飲み干すと、ヤンが懐から中身がずっしりと詰まった革袋を差し出した。
ディノが低く口笛を吹く。モニカは初めて呑んだ東方の酒がすっかり気に入った様子で、革袋には目もくれず三杯目を注いでいた。こと酒に関して、彼女は遠慮会釈というものを知らない。
「ヤン様、それは……」
「いいんですよ、リサさん。うちの元締が斬ったんですから、治療費は私どもの方で負担致します。ま、今回の件はこれですべてカタをつけるということでお願いしますよ」
「遠慮するなって。ヤンが払うっていうんだから、それでいいじゃねえの。ま、あたしは誰が払おうと気にしないしね」
中身もろくに確かめずにグウェンが受け取ってしまったので、リサとしてはそれ以上何も言えなかった。それに、ヤンの言葉に何か裏があるようにも思えない。その言を額面通りに受け止めて、彼らと『これまで通りの関係』を保つのが得策だった。
(実際、ここのところ出費がかさんでいましたからね……)
いずれにせよ、近々新しい仕事を請けなくてはならないだろう。
上も下もないという意味では気楽な傭兵稼業であるが、依頼が途絶えれば生活もままならなくなる。
つまらない意地を張ってヤンの申し出を断る理由はなかった。
「……それにしても、面白いもンが観れたよなあ……へへっ、あれが今の『人斬りグイード』の本気って奴か。ゾクゾクしたぜぇ」
ヤンたちが去ると、ディノが不敵な笑みを浮かべて呟いた。
今にも屋敷に取って返し、グイードに一勝負申し込みそうな気配すら漂わせている。
実際、この『港通りの狂犬』はその無謀な試みを実行に移しかねない。
強い者との戦いが心底好きな、根っからの戦士なのだ。
「ふーん、そんなに凄かったかい、リサ?」
「ええ……何というか……言葉では言い表せませんね……」
あの時、ディノの背中越しに対峙したグイードの闘気――思い出すだけで、背筋がおのずと震えてしまう。
仮にバドではなく、自分が立ち合ったらどうだっただろうか?
そう考えずにはいられないのが武人というものの本性だが、
(今の私では、到底勝てる気がしませんね……)
何より、あの初太刀は全く見切ることができなかった。
それがすべてだ。
不意打ちや小手先の策が通用する相手とも思えない。
もちろん、本当に戦わなければならなくなったら全力を尽くすしかないが、勝機は限りなくゼロに近いだろう。
「ま、いざとなったら何とかする、それが俺ら傭兵ってもンだからなあ……さて、じゃあおいらもここらでオサラバすっかな!」
「ん? なんだい、もっと呑んできゃいいのに。女のとこでも行くのかい?」
「へへっ、違うよ、グウェン先生。元締のおかげでどうにも血が騒ぐンでね、ちょいとひと暴れしとこうかなって」
「おいおい、あたしの仕事を増やすんじゃないよ?」
「大丈夫だって、軽く稽古するだけだからよ! じゃあな、リサ。バドの兄ちゃんによろしく言っといてくれや。で、白雪ちゃんは……あ、まあいいや、ここで呑んでてくれ」
やはり生粋の戦士、猛る血潮を抑えることができないのだろう。
粗暴で無神経、能天気な性格のようだが、彼が皆の知らないところで苛烈な稽古に勤しんでいるのは間違いなかった。傭兵稼業を長く続けるためには、日々の研鑽が必要不可欠なのだ。
「……バカがいらくらって、せ、せいせいしらな……あれ、リサ、れんれんのんれないろ? こんなにうまいしゃけ、もっらいない……」
(ペース速すぎよ、モニカ……)
まるで呼吸の代わりのような勢いでグイグイ呑んだ結果、あっという間に呂律が怪しくなってしまっている。色白の肌はすでに真っ赤に変わり、充血した目は焦点を結んでいない。
「ところれ、リサ……」
「なあに?」
「あらひが、あのバァカと同じ、いや、えええと……もろりめに斬られそうになったったら、リサは助けれくれるか?」
トロンとした目つきで、こちらを見据えてきた。
ところどころ何を言っているのか聞き取れなかったが、大意はおおむね理解できる。
「もちろん、貴女と一緒に戦うわよ」
「ほんろか!? あの、ひ、ひろきりグイーロれも!?」
「当然、相手が誰だろうと関係ないわ。そうね……たとえ皇帝陛下や教皇猊下であろうと、貴女の敵は私にとっても敵よ。私たちは戦友でしょ?」
泥酔した彼女を満足させるための社交辞令、などではない。
彼女には何度となく命を救われている。今回の件も、彼女なしには解決できなかった。彼女はそれを恩に着せる人間では断じてないが、リサは生涯忘れまいと心に決めている。
「そ、そうか……良かった、うふ、うふふ……」
リサの返答に心の底から満足したように笑うと、モニカはその場にころんと横になり、やがて健やかな寝息を立て始めた。
寝言をブツブツと呟いているが、『リサ』と連呼している以外は全く意味が分からない。
「……あたしには、この呑んだくれ娘が凄腕の傭兵にはどうしても見えないんだけど……」
「……ええ、まあその、この姿を見てそう思う方がどうかしています。でも先生、本当に彼女は凄いんですよ? いつも私を助けてくれる、大切な戦友です」
助手のココが寝床を用意し、完全に寝入ってしまったモニカを三人がかりで運ぶ。
焼きあがった魚をつまみに、二人だけで静かに盃を重ねていった。
「それにしてもさ、即答だったね、さっきの質問に」
「モニカのことですか?」
「ああ。正直、驚いたよ。お前さん、本気で言ってただろ? たとえ皇帝陛下でも教皇猊下でも関係ないって。あれを聞いてね、ああ、こいつは腹をくくってこの稼業をやってんだなあって感心したよ、いや、本当に」
思いがけぬ賛辞にリサはつい苦笑を漏らしてしまったが、
「でもさ、考えてみりゃあそれだけの覚悟があるからこそ、グイードやヤン、それにアーシュラやモーリーンとも対等に渡り合えてるんだよな、お前さんは。他の連中とは違うよ」
「私など、グイード様に比べたら到底及びません。私の方こそ、今回の件で改めてあの方の胆力と器量、それに武人としての技量を思い知らされましたよ」
確かに、我ながら度胸はありすぎると思っている。一介の傭兵という立場を鑑みれば、もう少し彼らに一歩退いた姿勢で接するべきかと自省する時もないわけではない。
だが、いざという局面、一歩間違えば死に至るという土壇場に追い込まれると、やはりリサは背筋を張ってしまう。
日頃の、淑女としてあるいは傭兵としてのあるべき振舞いを躊躇いなく捨て、武人としての己を剥き出しにしてしまうのだ。
(まだまだ、修行が足りませんか……)
もっと良い解決策が無かったのか、意地を張る必要は無かったのではないか、と考えざるを得ない。
仮にヤンが仲裁に入らず、グイードと立ち合っていたら命を落としていた可能性もあったのだ。
(あの、初太刀……)
あの斬撃が、どうしても頭から離れない。
俊敏さは言うに及ばず、全身の柔軟性、しなやかな筋肉による無駄を一切省いた動作、五感の尋常ならざる働き――そして何より、想像を絶する鍛錬と経験があってこその『絶技』だ。
(私は、果たしてあの域にまで達することができるのでしょうか……)
努力のみではどうにもならない、持って生まれた天性の才能も痛感してしまう。
当然それには、男と女の肉体の違いも含まれていた。
静寂が二人の間を流れた。空になったリサの盃に、グウェンが無言で酒を注ぐ。
ディノのように素直に武人の血が騒ぐのではなく、あまりの力量の差に進む足を止めてしまいそうな自分が怖かった。
どう足掻いても追いつけないのではないか――目の前に立つ壁の高さに、絶望とまではいかないまでも諦観の念を抱いてしまいそうになる。
「……グイード、なんだけどさ」
天空の月を眺めながら、グウェンが呟いた。
普段の豪放磊落な彼女らしからぬ穏やかな口ぶりに、それまで俯いていたリサが思わず顔を上げる。
「ずーっと昔、そうだね、あたしが大先生の処で助手をしてた頃だ。あいつは……そう、兄貴分のシュウの下で暴れまくってたんだよ……」
「村雨のシュウ殿、ですね」
「ああ、名前はお前さんも知ってるか。でね、その頃は抗争がしょっちゅう起きててさ、大先生の診療所は大賑わいだったわけ。で、とりわけ多かったのがグイードに斬られた奴だったのさ。ま、あいつ自身が運ばれてくることもちょくちょくあったけれどね」
串をクルクルと回しながら、グウェンが話を続ける。
「それがさ、だんだんあいつは顔を出さなくなったんだよ。腕を上げたってことだね。ただ、その頃のあいつの剣は……何ていうかな、まだ不細工でね。何箇所もメッタ斬りにするような感じだったのさ。硬い骨にぶち当てて、折れた刃が皮膚にぐっさり食い込んでたりとか」
その光景を想像し、リサは小さくため息をついた。
斬った張ったが日常で、血なまぐさい現場には慣れているし実際に敵を殺めたこともあるが、痛い話が好きなわけではない。
「だけどね、ある時期を境にぷっつりあいつの敵が診療所に運ばれてこなくなったんだよ。抗争は終わるどころか、ますます激しくなっていったのにね。そう、あいつが『人斬りグイード』なんて呼ばれ始めた時期さ」
「……それは、まさか……」
グウェンが顔を下げ、目の前で燃え盛る焚火に目を移す。
リサはすぐさまその理由を察し――全身に悪寒を覚えた。
「そのまさか、さ。あいつはただの一撃で相手を絶命させてしまうだけの技量を身に着けちまったんだよ。診療所に運ぶまでもない、敵はそのまま墓場行きってわけさ」
リサが言葉を失い、グウェンが口を閉ざすと、再び重苦しい沈黙が辺りを包んだ。
焚火の灯りに惹きつけられた蛾が、しきりに周囲を舞っている。
「……この話にはまだ続きがあってね。あたしがようやく独り立ちした頃からさ、時々あいつに斬られた奴が担ぎ込まれるようになったんだよ」
「え?」
「ちょうど、あいつが幹部にまで出世した時期だよ。やっぱり、スパッと一撃で斬ってやがるんだが……これがね、外科医のあたしが言うのもおかしな話だが、見事なぐらいギリギリに急所を外してるのさ。少なくとも、あいつが斬って、あたしの処に来た中で死んだ奴はただの一人もいないよ」
「…………」
リサがまじまじと見つめると、グウェンは感慨深げに首をゆっくりと振った。
口元には微笑を浮かべている。優しい、慈しみをたたえた彼女の目が印象的だった。
「でさ、笑えるのは、いっつもさっきみたいにヤンが来てニコニコ笑いながら治療費を払っていくんだよ。あいつらの敵を斬ったっていうのにね。これにゃあ斬られた相手もビックリだよ! ほとんどの奴が、なんだかんだで最後はあいつの子分になっちまってたな。それがしばらく続いて……グイードは、先代を継いで元締になったってわけさ」
「……そう、ですか……先生、ありがとうございます」
「よせよ、改まって。ただの昔話だよ、あはははははっ!」
なぜグウェンがこの話をしたのか、問う必要はなかった。
リサの心中を察した彼女なりの励ましだったのだろう。
あのグイードとて、武の道のりは決して平坦ではなかった。様々な紆余曲折を経て、ようやくあの域にまで達したのだ。
その事実は、リサの胸に湧き上がっていた迷いを軽くしてくれた。
「さ、呑もうぜリサ。今夜は寝かせないからな?」
「お付き合いさせていただきますよ、グウェン先生」
涼やかな微風が流れる中、二人は空が明らむまで盃を交わし続けた。
「……目が覚めましたか、バド?」
「あっ、し、師匠……お師匠様……くっ! 痛ぇ……」
朝日が顔を出し、屋根の上でスズメたちが囀り始めた頃、バドはようやく意識を取り戻した。
一睡もしないままのリサであったが、不思議と疲労感は無かった。
むしろ、全身に生気が満ち溢れているような感覚すらある。
何より、愛弟子の顔と声が彼女を癒してくれていた。
「まだ身体を動かしてはいけませんよ。それに、話すだけでも顔の傷が痛むでしょう?」
「でも……」
包帯を巻かれたバドの顔が、彼の瞳から零れ落ちた涙で濡れた。
むろん、それは痛みによるものではない。
喜び、悔しさ、様々な感情が一度に押し寄せ、感極まった涙だ。
「俺、生きて……」
「ええ。生きていますよ。昨晩のことは覚えていますか?」
バドが唇を噛み、目をきつくつぶった。振り絞るように、噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「あの人の刀が……いや、身体全体が、どんどんでかくなっていって……それで、俺、怖くなって……あんなの初めてだ……あとは、もう、何も……」
筋骨隆々とした巨体が、恐怖でわなわなと震えていた。
グイードはバドの肉体よりも先に、その心を鮮やかに斬り伏せていたのだ。
おそらくこれ以上の完敗はない、だろう。
「俺……弱かったんスね……いや、も、もちろんお師匠様には全然かなわないって知ってたけど……でも、こんなに、こんなに弱いなんて……」
嗚咽を必死に堪えていた。
己の未熟さと小ささ、そして世界の広さと深さを嫌というほど思い知らされた若者の悔し涙だった。
思わずつられて泣きそうになってしまうが、ぐっと我慢する。
リサは師匠として彼に道を示さなければならない。
バドを弟子とすると決めた以上、武人として一人前に育てるのが自分の使命なのだ。
感情のままにただ共に泣くべき場面ではない。
「私も貴方と同じですよ、バド」
「……えっ……」
目を丸くするバドに、リサは笑顔を浮かべて言葉を続けた。
「私もまだまだ道半ば、武人としてさらに上を目指していかなければならぬ身です。共に精進していきましょう。安心なさい、私は何があっても貴方の『師匠』ですからね」
「……お師匠様っ!」
痛みにも構わず、バドが大きな声を上げる。
彼の頬を流れる涙を、リサはありったけの愛おしさをこめてハンカチで拭った。
「この傷は、あの場で斬られて失っていたかもしれない貴方の命の『代償』です。毎朝、鏡でしっかりと見つめなさい。この傷は貴方に命の重さ、武の道の果てしなさを教えてくれるでしょう」
もはや言葉も返せずに頷くだけのバドを労わりながら、リサは
(それは私も同様ですね……)
と、考えていた。
彼の顔を、そこに深々と刻み込まれた『命の代償』を見るたびに、きっと自分は昨夜のグイードの凄まじい剣技を思い起こすことだろう。いや、思い起こさずにはいられないはずだ。
だが、決して絶望はしまい。諦観もしまい。
この傷跡は、グイードが、そして武の道を志した先人たちが切り開いた、どこまでも長く険しい道なのだ。
その道を、一歩一歩進んでいきたい。
その先にあるものを、見てみたい。
リサの心を、爽やかな風が吹き抜けていた。
(終)
今回でレディ・マーセナリー第二部『命の代償』は完結です。
予定以上に長い連載になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
続く第三部『危険な男』(仮称)もいずれ連載を始めますので、こちらもよろしくお願い致します。




