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第二章 七回裏の振付

 開幕戦から三週間、東京アークスは一度も連勝していなかった。

 勝てないチームの球場には、負けた試合とは別の疲れが溜まる。

 試合が終わるたびに、私たちは勝利後に使わなかった曲を戻し、敗戦時のキュー表へ書き込みを増やした。客席が早く帰り始めた日。最後まで拍手をくれたブロック。ヒーローインタビューがなくなった代わりに、子ども向けの写真会を何分早めたか。そういう細かいことが、ORBITの共有シートに残っていく。

 今日は試合のない月曜日で、私たちは球団施設の地下にあるレッスンスタジオに集まっていた。

 鏡張りの壁の前には、普段より多い数のペットボトルと、書き込みだらけのキュー表が置かれている。

「次のホーム六連戦で、七回の演出を変えます」

 MAYU先輩がタブレットを立てた。

 画面には、先週の試合映像が映っている。七回裏、二点を追うアークスの攻撃。客席は応援歌を歌い、私たちは外野寄りの通路で振付をしていた。

 映像の中の私は、声を出している。腕も大きい。顔も、たぶん悪くない。

 でも、全体で見ると私たちは少し目立ちすぎていた。

 画面の手前で青いポンポンが揺れ、その奥で打席の選手が構えている。打球が飛んだとき、一瞬だけ何人かのお客さんの視線がこちらへ動く。

「今の“RALLY RISE”は、得点している試合なら機能する。でも、負けている終盤には長い」

 MAYU先輩が映像を止めた。

「応援歌の音量も、客席の熱も上がってる。そのなかで私たちが八カウントずつ前へ出ると、野球より先に動きが目に入る」

「じゃあ、曲を変えるんですか?」

 誰かが聞くと、先輩は首を横に振った。

「曲は球団側が使いたい。変えるのは振付と、出る場所。今日は二班に分かれて案を出して。二十分後に見せ合います」

 周りがざわめき始める。

 私はすぐに、ノートを開いた。

 七回裏。ホームチームが負けているときほど、応援の音は切実になる。誰かが打つたびに、今度こそという願いがスタンドから押し寄せる。なら、私たちはその願いに合わせて、もっと大きく、もっと前へ出るべきだと思った。

 私は高校時代にやっていたチアリーディングの動きを思い出しながら、八カウントを書き込んだ。

 最初の四つは肩の高さで手拍子。次の二つで半歩前へ出て、残り二つで両手を高く広げる。そこから一斉に斜め後ろへ跳び、客席の左右へ腕を送る。

 人の流れが広がって見える振りだ。

「YOSHINO、何考えてる?」

 隣のHINAが覗き込んできた。

「波みたいにしたい。最初は小さくて、最後に客席全体へ広がる感じ」

「いいじゃん。私はずっと、手拍子だけだと地味かなって思ってた」

「地味じゃないようにする」

「私、踊ってるときが一番、自分がいるって分かるんだよね。動きが小さいと、急に自分まで小さくなる気がする」

「HINAの大きい動き、私は好きだよ」

「うん。でも、今日はそれだけじゃ駄目なんだよね」

 言いながら、私は自分でも少し楽しくなっていた。

 勝っていない試合でも、前を向ける振付にしたい。打席にいる選手がひとりで戦っているように見えないように、球場全体が同じ方向を向けるように。

 そのための動きなら、派手でもいい。

 そう思った。


 二十分後、私たちは二つのグループに分かれて鏡の前に立った。

 先に見せたのは、MAYU先輩を中心にした案だった。足はほとんど動かない。客席へ半身を向け、手拍子と腕の方向だけで、応援歌の盛り上がりを見せる。正面から見れば控えめなのに、横から見ると全員の動きが揃っていて、客席の視線を打席へ戻すような作りになっていた。

 私は、正直に言って物足りなく感じた。

 次が私たちの番だった。

「じゃあ、お願いします」

 スマートフォンから曲を流す。

 最初の四カウントで、私たちは肩の高さで手を叩く。五、六で半歩前へ。七、八で腕を広げる。次の八カウントで後ろへ跳び、左右の客席へ手を送る。

 終わった瞬間、HINAが小さく息を吐いた。

 私は鏡の向こうの自分を見た。身体が大きく見える。上がった腕が、後ろの人まで引っ張っていく感じがある。

 これなら、七回裏にもう一度空気を変えられる。

「どうでしょう」

 私はRIKA先輩を見た。

 先輩は、鏡ではなく私たちの足元を見ていた。

「最初の四つはいい」

 言われて、胸が少し高くなる。

「でも、その次はいらない」

 そのまま、息が止まった。

「跳ぶところですか?」

「うん。半歩前に出るのもいらない」

「でも、あそこで広がった方が、後ろの席にも伝わると思って」

「伝わるよ。私たちが何をしてるかは」

 RIKA先輩の声は静かだった。

 静かだからこそ、部屋の全員が聞いているのが分かった。

「でも、七回裏に一番伝わってほしいのは、私たちの動きじゃない。打席に立ってる選手が、まだ終わってないってこと」

 私は何か言おうとして、うまく言葉が出なかった。

 先輩は鏡の前へ歩き、私が立っていた場所に入る。

「ここで全員が前に出ると、前列のお客さんは自然にこっちを見る。跳ぶと、なおさら。打球が飛ぶ前に、目を戻すための一拍が必要になる」

 RIKA先輩は、さっき私がやったのと同じ動きを、半分の力でなぞった。

 たしかに、動きが大きい。鏡に映る彼女から、目を離せなくなる。

 それは美しかった。

 だからこそ、言われた意味が分かった。

「それに」

 先輩は私を見た。

「最後の跳びは、YOSHINOが一番きれいに見えるように作ってる」

 胸の奥が、急に冷たくなった。

「そんなつもりは」

「つもりがなくても、そう見える。応援の振りで、自分の見せ場を作らないで」

 言い切ったあと、RIKA先輩は私のノートを見た。

 赤ペンを借り、跳ぶ部分に一本の線を引く。

「この案は使わない。ごめん」

 謝っているのに、私は全然救われなかった。

 HINAが何か言いかける気配がした。けれどMAYU先輩が先に手を叩く。

「じゃあ、今の指摘を踏まえて、もう一回組もう。休憩五分」

 それで話は終わった。

 終わったはずなのに、私はしばらくノートを閉じられなかった。


 スタジオの外の自動販売機の前で、水を買った。

 冷えたペットボトルを頬に当てても、顔の熱は下がらない。悔しいのか、恥ずかしいのか、自分でも分からなかった。

「YOSHINO」

 振り返ると、MAYU先輩がいた。

 先輩は私の隣の自販機で、無糖のコーヒーを押した。

「さっきの、落ち込むよね」

「……はい」

「でも、RIKAの言ってることは合ってる」

「分かります」

 少し強い声になった。

 自分でも驚いて、すぐに目を伏せる。

「すみません」

「謝らなくていいって。分かるのと、納得するのは別だから」

 先輩は缶を開けた。

「私も最初の年、似たような振りを出したよ。背中を向けて両手を上げるやつ。自分では最高だと思ってた」

「どうなりましたか」

「相原さんに、“その八カウントで、ファンは何を見ればいいの”って聞かれた」

 想像すると、少しだけ笑いそうになった。

「答えられなかった?」

「答えられなかった。だって、私を見てほしかったから」

 MAYU先輩はそれを恥ずかしがるでもなく、あっさり言った。

「それ自体が悪いわけじゃない。演者なら、見てほしいって思うのは普通。でもORBITは、そこを一回越えないと続けられない」

 私はペットボトルのラベルを見た。

 RIKA先輩に褒められたかった。自分の振付を、かっこいいと言ってほしかった。そう思っていたことは否定できない。

 でも、それだけで作ったつもりもなかった。

「私は、選手に見てほしいから作ったわけじゃないです」

「うん」

「客席に、まだ終わってないって思ってほしくて」

「だったら、その気持ちは残していい。動きだけ変えればいい」

 先輩は私へ缶を軽く掲げた。

「RIKAは言い方が、ちょっと下手なだけ」

 私は返事をしなかった。

 下手な言い方で傷ついたことまで、先輩のせいにしたくなかった。でも、今すぐそれを飲み込めるほど大人でもなかった。


 その日の午後、私たちは振付を作り直した。

 私は跳ぶ動きを消した。前に出る代わりに、左右の列が半歩だけ開いて、中央に打席を見るための視線の通り道を作る。手拍子は上ではなく肩の高さ。曲の最後に腕を伸ばすのも、客席ではなく、ホームベースのほうへ斜めに向ける。

 鏡の前で見ると、さっきより地味だった。

 でも、横から動画を撮って確認すると、グラウンドへ向かう人の流れが残っている。

「これならいい」

 RIKA先輩は言った。

 私は頷いたが、先輩の顔を見なかった。

「YOSHINO、次は真ん中を見ないで、三塁側の客席だけ見て」

「はい」

「……さっきの案、入りは好きだったから。手拍子の四つは残してる」

 その言葉に、私は一拍遅れて返事をした。

「ありがとうございます」

 声が固くなった。

 先輩は何か言いたそうにしたが、相原さんが次の確認を始めたため、そのまま列へ戻っていった。

 私は自分の腕の角度を直した。

 ちゃんとした振付になったと思う。

 なのに、嬉しくなれなかった。


 次の金曜日、アークスはホームで五連敗目を迎えた。

 夕方の東雲アークスパークは、開幕戦のような浮き足だった明るさではなく、どこか落ち着かない空気に包まれていた。客席にはそれでも多くの人が入り、ユニフォームを着た子どもたちは試合前から選手名を叫んでいる。

 勝てないから来ない、という人ばかりではない。

 むしろ負けが込むほど、好きなチームを見捨てられない人がいる。

 そのことが分かるから、今日の私たちはいつもより慎重だった。

「今日は新しい七回裏、使います」

 試合前のミーティングで、RIKA先輩が言った。

 イヤーモニターをつけたまま、全員の顔を見る。

「ただし、試合展開で消える可能性がある。消えても慌てない。動けない時間も、私たちの仕事です」

 私は頷いた。

 “動けない時間も仕事”。

 昨日から何度も聞いた言葉だった。

 理解しているつもりだった。


 試合は、予想より早く苦しくなった。

 一回表、アークスの先発投手が二死から連打を浴び、二点を失う。二回裏に一点を返したものの、その後は得点圏に走者を置いてもあと一本が出ない。

 私たちは決められた場所で、決められた長さだけ動いた。

 三回裏の応援歌。四回終了後のコンコース企画。五回表の子ども向けカメラ。誰かが打つたびに席が揺れ、打ち取られるたびに、今度こそという声が少しずつ低くなる。

 RIKA先輩はいつもどおりだった。

 マイクを持てば明るく、踊るときは大きく、待機中は無線の声を聞き逃さない。私には必要な指示しか出さない。

『YOSHINO、次は一列目の端。通路は塞がない』

『はい』

『そこ、半歩下がって』

『はい』

 それだけのやり取りが、今日は妙に遠く感じた。

 私が余計なことを考えなければ、先輩はきっと安心するのだろうか。

 そんな考えが浮かび、そのたびに自分で打ち消した。


 七回裏を迎えたとき、アークスは一対三で負けていた。

 客席はまだ席を立っていない。むしろ、前の回よりも声が大きい。終盤の攻撃を待つ人たちの気持ちが、応援歌の速さに乗っている。

 私たちは一塁側の通路へ入り、新しい振付の開始位置についた。

 イヤーモニターの向こうで、相原さんが秒数を読み上げる。

『七裏終了後、CM二十、整備二十。ORBIT、新RALLY、四十秒』

 私は肩の高さまで手を上げた。

 今日のために作り直した振付。跳ばない。前へ出ない。ただ、客席の視線が打席から離れない位置で、拍手の形を揃える。

 アークスの攻撃が始まった。

 先頭打者が四球を選ぶ。

 スタンドが沸いた。

 次の打者は送りバントを決め、一死二塁。三番打者が粘って、また四球。二人の走者が塁上に出る。

 応援歌が、最初の予定より長く続いた。

 私は呼吸を整えた。得点が入れば、次のプランになるかもしれない。ここで打てば、球場の空気は変わる。

 打球が三遊間を抜けた。

 二塁走者が三塁を回る。客席が立ち上がり、私たちも一瞬だけ腕を上げた。

 けれど、左翼手からの返球は速かった。走者は三塁で止まり、満塁。

 投手交代。

 ビジターのベンチから、次々と人が出てくる。球場の時計は進み、音響卓から流れる予定だった曲は止まったままだ。

 ようやく試合が再開される。

 四番打者の打球は、内野の正面だった。ホームゲッツー。

 大きなため息が、スタンドの上を抜けていった。

 そして、次の打者は初球を打ち上げた。

 七回裏が終わる。

『ORBIT、B7消えた。新RALLY中止。D-7へ』

 無線の声が、思ったより早く飛び込んできた。

 私は一瞬、身体が動かなかった。

 私たちが使えるはずだった四十秒は、スポンサーCMとグラウンド整備、それに次の守備のための確認でなくなっていた。誰かが悪いわけではない。試合は、生き物みたいに予定を食べていく。

「D-7!」

 RIKA先輩の声が近くで響いた。

 私ははっとして、青いポンポンを腰の位置へ下ろした。D-7は、通路の端で客席を見送りながら、次の守備へ向かう選手に拍手を送るだけの短い動きだ。音楽も使わない。

 さっきまで頭の中で数えていた八カウントは、どこにも出番がなかった。

 それでも、私は手を叩いた。

 ひとり、ふたりと客席の人が続いた。打席を見ていた人たちが、守備へ戻る選手の背中へ拍手を向ける。

 たった十数秒だった。

 でも、その十数秒を遅らせるわけにはいかなかった。


 八回表、アークスは追加点を取られなかった。

 九回裏、先頭打者が安打で出た。

 球場の空気は、また一度だけ上がった。

 私たちはDエンドの準備をしながら、手を止めてグラウンドを見る。二点差。無死一塁。希望はまだある。

 けれど、続く打者の打球は二塁手の正面へ飛び、併殺になった。

 最後の打者が空振り三振をしたとき、アークスはまた負けた。

 六連敗。


 試合後、ORBITは控室へ戻る前に、演出スタッフと短い反省をする。

 それぞれが無線を外し、備品を数え、今日起きたことを共有する。相原さんはタブレットを見ながら、淡々と話した。

「七回裏の新RALLYは、試合が動いたから使えなかった。判断は正しいです。D-7への切り替えも、全員できてた」

 私は少しだけ息を吐いた。

 けれど、RIKA先輩はすぐに言った。

「YOSHINO、最初の一拍が遅れた」

 全員の視線が、またこちらに集まった気がした。

「はい」

「曲がなくなったから止まったよね」

「……はい」

「D-7は、踊るためのプランじゃない。お客さんが次の守備へ気持ちを切り替えるためのプラン。あそこで私たちが固まると、客席も迷う」

 先輩の言っていることは正しかった。

 だからこそ、言い返せない。

 でも、喉の奥には、今日ずっと飲み込んできた言葉が残っていた。

「すみません」

 私が言うと、RIKA先輩は少し眉を寄せた。

「謝って終わらせないで。次は?」

「次は、曲がなくても動きます」

「うん」

 それだけで、反省会は終わった。

 メンバーは順に頭を下げ、控室へ戻っていく。HINAが私を待ってくれていたけれど、私は先に飲み物を買ってくると言って、廊下の反対側へ歩いた。

 今は誰とも話したくなかった。


 自動販売機の前で、冷たい水のボタンを押した。

 硬貨が落ちる音を待っていると、後ろから足音がした。

 振り返らなくても、RIKA先輩だと分かった。

「YOSHINO」

「はい」

「さっきは、みんなの前で言わなくてもよかったかも」

 私は驚いて、先輩を見た。

 謝られるとは思っていなかった。

 けれど、その続きが来る前に、私は口を開いていた。

「私、余計なことを考えない方がいいですか」

「え?」

「振付も、試合中のことも。私が考えると、先輩はいつも違うって言うから」

 言ってから、言い方がきつかったと思った。でも止められなかった。

「今日だって、あの振付は使えなかったし。私が作ったものなんて、最初からいらなかったんじゃないですか」

 RIKA先輩の顔から、さっきまでの柔らかさが消えた。

「そんなことは言ってない」

「でも、私が一番きれいに見えるように作ってるって」

「そう見えたから、直した」

「私は、客席にまだ終わってないって思ってほしくて」

「だったら、どうして私に褒められなくて、そんな顔をするの」

 言葉が、真っ直ぐ胸に刺さった。

 先輩も、言った直後に少し目を見開いた。

 でも、もう遅い。

 私はペットボトルを受け取ることもできず、落ちてきた水を受け口の下で見つめた。

「……先輩に見てもらいたかったです」

 自分でも驚くくらい、小さな声だった。

「でも、それだけじゃありません」

 RIKA先輩は何も言わなかった。

 廊下の奥で、スタッフが台車を押す音がした。負けた試合のあとでも、球場の片づけは止まらない。

「私、プロのチアになりたくて、ORBITに入りました。先輩みたいになりたくて入ったわけじゃないです」

 そう言ったのに、心のどこかが痛んだ。

 先輩みたいになりたいと思ったことは、何度もある。テレビの向こうの彼女を見て、同じ場所で踊りたいと願った。

 でも、それだけではなかった。

「だったら、もっと自分のために考えて」

 RIKA先輩は低い声で言った。

「私に認められるためじゃなくて。お客さんが何を見たいか、選手に何を渡せるか、それを考えて」

「考えてます」

「じゃあ、今日の四十秒が消えても、あなたの振付は消えないはずでしょ」

 私は答えられなかった。

 その言葉は、正しかった。

 正しすぎて、今の私には受け止めきれなかった。

「失礼します」

 私は自販機から離れた。

 RIKA先輩は呼び止めなかった。


 控室へ戻ると、HINAはもう荷物をまとめていた。

 何も聞かずに、私のキャリーケースを取ってくれる。

「帰る?」

「うん」

「今日は、ラーメン寄る気分?」

「ごめん。まっすぐ帰る」

「そっか」

 HINAは少しだけ迷ってから、私の腕を軽く叩いた。

「今日のD-7、最初は遅れたけど、そのあとすごくよかったよ。私、YOSHINOが横にいて助かった」

「私も、曲が消えた瞬間、身体が余った。新RALLYを出せなかったの、悔しかった」

 HINAは、少し驚いたように笑った。

「見られてた?」

「見てたよ。D-7でHINAが一番最初に客席を見てたから、私も動けた」

「じゃあ、次は踊れない時間に何をするかも、自分で見つけたい」

 それだけ言って、先に控室を出ていった。

 私はひとりになった鏡の前で、イヤーモニターをケースに戻した。

 鏡の中の私は、衣装を脱ぎかけたまま、ひどく小さく見えた。

 大きく見える振付を、RIKA先輩は切った。

 でも本当は、私自身が大きくなりたかったのかもしれない。


 翌朝、私はいつもより早くレッスンスタジオへ行った。

 試合のない日で、部屋には誰もいない。鏡の前に立ち、スマートフォンから“RALLY RISE”を流す。

 最初の四カウントで、肩の高さで手を叩く。

 五、六、七、八。

 跳ばない。

 代わりに半歩だけ横へずれる。中央を空ける。

 次の四つで、腕を一度下ろす。打球が飛べば、すぐ止まれるように。

 最後の四つで、ホームベースの方向へ拍手を送る。

 私は何度も繰り返した。

 まだ、正解かどうかは分からない。

 でも、曲が途中で消えても、この動きなら残る気がした。

 打席の選手を見失わず、客席の願いを少しだけ揃えて、次の一球へ渡す。

 七回裏の振付は、私が見てもらうためのものではない。

 それでもいつか、誰かが見てくれたらいいと思う。

 その誰かの顔を、私はまだ、はっきり思い浮かべてしまっていた。

 次にその顔を見たときは、もう少しだけ、まっすぐ立っていたいと思った。


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