34 受け止めるべき想い
イリスはアランが身体は女性でも心は男性であることを知っている。 それはアランもよくわかっているはずだ。
だからこそ何故ここでその話を出すのかイリスには理解できなかった。
「 私は女としてのアティーラの名前を捨て、アラン・オルフェルクとして教皇になろうと思う。 その意味を、イリスは本当に理解しているかい? 」
女の名を捨てると告げたアランの口調も振る舞いも、今まで見てきた『 アーティ 』とは違った。
――まさか……アーティは私との気安い会話も……同性のような距離感も……やめるというの?
「 …………私は―― 」
彼の言葉に、イリスはどう返して良いのかわからなかった。
目の前にいる彼は、異性としてこれからの関係をイリスと築きたいと願っているのだ。 その言葉は理解できても、心はすぐには追い付かない。
「 すまない。 イリスとは幼い頃からずっとアーティとして仲を深めてきたから、急には受け入れがたいだろう? 」
「 …………ごめん……なさい 」
口にされて初めて気づいた想い。
イリスは幼い頃からアランが男の子の心を持っていると知ってなお、『 アーティ 』という同性と仲良くし、親友としての関係を築いてしまったのだ。
突然「 今日からアーティはもういない 」と言われて、「 わかったわ 」と納得できるわけがない。 認めてしまったら、『 アーティ 』はもう消えてしまうことを、イリスには受け入れがたい。
自分のこれまでの軽率さに、イリスは掠れる声音で謝ることしかできなかった。
「 いつかは向き合わないとならないということをわかってはいたんだ。 それでも、アーティとしてイリスと接してきた時間は私にとっても宝物だった。 だからこんな機会が訪れるまで、修正せずに逃げ続けてしまった 」
「 そんなこと……私が貴方に『 アーティ 』を見てしまっていたから…… 」
アランはこれまでのおおよそ十五年以上もの間、男として生きると決めて生きてきた。 それなのに幼馴染のイリスに女扱いをされてどんな気持ちだったのだろう。
この国でも男だから。 女だから。 と決めつける風習は存在する。
イリスも王女でなければ、例に漏れず「 女のくせに王政にでしゃばるなんて 」と野次を飛ばされてもおかしくなかっただろう。
剣を持つ令嬢も然。 女のくせに剣を振りまわすなど野蛮であり、淑やかに良い嫁ぎ先に恵まれるよう教養を身に付けるべき。 という考えは、貴族社会に強く根付いている。
男が女として生きる事も、女が男として生きる事も、今まで論じられることすらなかった。 それは受け入れられている訳ではなく、存在すら認められていないという事だ。
だからこそ、アランは選ばなければならなかった。 覚悟を以って男として生きるのか、女として生きるのかを。
そしてアティーラはアランとして生きることを決めたはずだった。
もしかしたらアランは同性に接してきたイリスとの交流が辛かったかもしれない。
「 私がアーティとして接するのを許したのはイリスとヘレインだけだ。 自分で決めたことだからイリスのせいじゃない 」
「 貴方は……私と一緒にいて辛くなかった? 」
恐る恐る問うイリスを宥めるように、 アランは包まれていない手で優しく彼女の頭を撫でた。
「 言っただろう? イリスとの交流は私にとっても宝物だった。 これからはアーティとしては振舞えないが、大切な幼馴染であることは変わらないよ 」
いつの間にか「 おチビちゃん 」ではなくイリスを呼ぶアランは、もうアーティではなかった。 軽口すら叩いていた過去のアランが思い出せない程の好青年にしか見えない。
頭を撫でる暖かい手のひらの感触が離れると、もうこういう振る舞いは最後なのだと悟り、イリスも父見込んでいた手を離した。
「 約束……必ず守りますわ。 すぐには難しいですけれど、アランとして受け入れられるよう善処致します。 」
「 ありがとう。 私もうっかり気安く触れてしまわないよう気を付けるよ 」
「 無断で部屋に来るのもご遠慮くださいませ! 」
「 はは……確かにそれはまずいね 」
「 でしょう? これまでは特別でしたけれど、今後はお控え下さいませ 」
軽い冗談のように接すると、アランも笑みを浮かべながら同意してくれた。
「 ――それじゃ……ザッシュは? 」
笑っていたアランの瞳にいつの間にか静かに灯った炎の揺らぎを感じた。
「 ……何故ザッシュが―― 」
「 ――私が知らないわけないだろう? イリスの事ならずっと見守ってきたからね。 私には男なのだから部屋に来るのは駄目と言うけれど……ザッシュはなんで来ているの? 」
淡々と告げるアランの言葉には鋭い棘があり、ザッシュウェルとの両想いになったイリスはびくりと肩を震わせた。
「 ザッシュとは……思いが通じ合っているのです 」
いずれ皆にはバレる事。 今隠す必要もないと躊躇いつつも告げたのだが、見つめたアランの表情は悲しみに圧し潰されそうに見えた。
「 ……想いなら……私も負けてはいない。 ……ずっと……イリスの事が好きだった 」
「 アラン?! 」
「 ずっと……相応しくないからと想いを告げる事すら我慢した。 いつか義務として国外に嫁がなければならないなら悩ませるだけだと思ったから……でも……イリスはザッシュを受け入れるのか? 王女としての責務より、ザッシュを…… 」
「 アラン。 貴方はご存じなのでしょう? ……一年後、私が宰相となりずっとメル兄様と共にこの国を護るためだという事を 」
迷いなく告げた。 裏ギルドマスターであるアランが、教皇になるというのに王国内の情報を把握していないわけがないのだから。
彼の悲しみは嘘ではないだろう。 けれど、策士である彼がそれだけなわけがない。
イリスはたとえアーティとしての人格を無かったことにしようと、アランとしての彼もある程度は王女として理解しているのだ。
アランを教皇に望んだのは、強い神聖力を持ち王家とも懇意にしているからだけではない。 強い勢力を持ち、情報操作が得意な彼を放置するのは、万が一敵になった場合国にとって危険だからだ。
「 流石イリスだね。 少しは感情に流されてくれるかと思ったのに、そう甘くはなかったようだ 」
「 当然ですわ。 ……ですが、私も約束致しましたから、受け止めましょう 」
「 え?! ……まさか―― 」
イリスの言葉にアランは期待の籠った眼差しを向けた。
「 ――アランが私を思ってくれていることは受け止めましょう。 ですが、応えることは出来かねます 」
しかし、彼を見つめて告げるイリスの眼差しは揺らぐことはなかった。 アランの事は好ましく思っていても、ザッシュウェルに対して感じるような熱はない。
それに、アラン自身がわかっているように、イリスは王族としていずれ子孫を残さなければならないのだ。 これはザッシュウェルを選ばなくても変わることはない。
「 ……そうか…… 」
意気消沈したアランの瞳からは言葉と共に涙が頬をつたった。
「 アラン……? 」
言葉が続かずそのまま黙ったまま涙を流すアランに、イリスはどう声を掛けて良いかわからない
月明かりが差し込み、灯りは燭台に灯る数本の蝋燭だけ。 静まり返った部屋の中で、イリスは彼を慰める事も触れることもせずじっと見守った。
「 受け止めて貰えたことが……悲しかったが……それ以上に嬉しかったみたいだ 」
「 嬉しい? 断ったのに? 」
「 あぁ、ちゃんと異性として受け止めてくれたのがわかったから。 私は自分でも思っていた以上にイリスに男だと認められたかったみたいだ 」
はにかみ笑みを浮かべたアランからは、確かに悲しみより喜びを強く感じた。
その後、涙を拭いたアランは「 これからもよろしく 」と爽やかに笑ってイリスに握手を求めたのだった。




