32 恋は盲目
「 ――ザッシュウェル・ヘルスベートを我が夫に下さいませ 」
「 なんだと?! 」
滅多にイリスに対して声を荒げる事のないメイロードの声音に、思わず肩を揺らしそうになってしまう。
それでも決意を覆すつもりはない。
「 お願い致します! 自分の嫁ぎ先を自分で決めたいのです 」
大胆な願いを口にしたイリスは頑なな表情を見せる。 しかしメイロードの眼差しは先程までとは全く違い冷やかだった。
「 …………アイツは『 条件 』の事を承知の上か? 」
「 いいえ、これから伝えます 」
ぴんと張った空気の中、真剣な眼差しで二人は見つめあう。
たとえ何を言われようと絶対に断念しない。 硬く決心していたイリスだったのだが――
「 ――私は一人の男として、その条件は受けれるわけにはいかん! 」
想像しえなかったメイロードの冷徹な言葉が返ってきた。
反対されるとは微塵も思わず、イリスは愕然とする。
「 ――何故ですか?! 私たちは愛し合ってるのです!! 」
「 今回の騒動でアイツは何も成果を上げていない。 それなのに、アイツは平然と王女の横に夫として立つつもりなのか? 」
「 ――!! 」
「 今回の一連の騒動において、ザッシュウェルは失態しか晒していないはずだが? 」
「 ……それは…… 」
メイロードに告げられた言葉でイリスは自分がタイミングを見誤り、失言したことに即座に気が付いた。
ザッシュウェル自身は『 まだイリスに自分が相応しくない 』と吐露していた。 しかし、イリスは両想いになれたことで舞い上がり、彼の想いを失念していた。
これまで慎重かつ冷静に状況に鑑みて判断してきたイリスが、彼の気持ちを置き去りにしてしまっていたのだ。 自分の短慮さに、情けなくて恥ずかしくて言葉が続かない。
「 誰よりも慎重で状況を把握することに余念のないお前が、まさか恋は盲目状態に陥るとはな 」
メイロードはくつくつと笑う。
それどころではないイリスは、図星を付かれて頬が熱くなった。
「 …………も、申し訳ございません 」
弱弱しい声音で言葉を紡ぐイリスは、年相応の令嬢より幼く見えたのだろうか。
普段見る事の出来ないイリスの振る舞いに、メイロードは冷やかな表情を崩して笑みを深めた。
「 今まで恋の『 こ 』の字も知らなかったというのに、一体いつの間に成長したんだ? 」
「 こ、恋くらい私だって知っております!! 」
「 ははは……恋も知らずに大人になってしまうのではと危惧していた兄としては嬉しいよ 」
感慨深く話すメイロードは兄の顔をして機嫌よく笑う。
「 ~~~~揶揄うのは止めて下さいませ! 」
揶揄われ過ぎて顔を真っ赤に染め上げたイリスは、堪らず両手で顔を隠して声を荒げた。
「 心配するな。『 条件 』などなくとも、お前の望まない相手を選ぶつもりはない 」
「 !! では―― 」
「 ――だが、アイツが私を納得させるだけの成果を上げるまでは認めてやるつもりもない 」
にやりと不敵な笑みを浮かべるメイロードは、イリスの心情をわかった上でザッシュウェルの気持ちを慮った。
「 …………それで構いません 」
冷静さを取り戻したイリスは、これ以上反論する意味を見いだせず素直に聞き入れた。
「 ならば一年後、私の即位と共にイリスを宰相に叙任する。 忙しくなるが覚悟はよいな? 」
「 ご期待に沿えるよう最善を尽くしましょう 」
『 条件 』はうやむやにされてしまったが、今抗ったところでザッシュウェルの状況が状況なだけに、イリスに出来ることなど何もない。
メイロードの意を受け入れ気持ちを切り替えた。
「 よろしい! では早速五日後に教皇と聖女の就任を執り行う。 すでに宰相にはこの件は伝えてある。 彼に指示を仰いでくれ 」
「 承知いたしました。 」
「 ――とはいえまだ体調も回復しきっていないのだろう? 全快まで待つことは出来ないが、今日は一日ゆっくり体を癒せ。 動き出すのは明日からで構わん 」
「 ありがとうございます 」
妹らしくない王女としての応答をした。 メイロードの意を汲んだ振る舞いに彼もそれなりの態度を示したが、堅苦しい話は終わりとばかりに彼は口調を崩した。
「 ――そうそう、お前の期待した通り、教皇はアランに任せた。 聖女殿も当初聖女職を辞退したいと懇願していたが、継続することを了承してもらったぞ 」
「 まぁ! アランを教皇に据えたいと私が考えていたこと、ご存じだったのですか? 」
「 何年お前の兄でいると思っているのだ? お前の考えている事は想像に容易いからな! 今後二人とは長い付き合いになるだろう? 会うのは就任式当日になるだろうが、聖女殿とはその前に話が出来るようにしてやる。 イリスの気持ちも彼女に伝えてやるといい 」
「 お心遣い感謝いたしますわ 」
メイロードは満足気に頷くと、もう一度優しくイリスの頭を撫でてから部屋を後にした。
――ザッシュはまた戻って来てくれるのかしら。
淡い期待をしたが、その日彼が戻ってくることはなかった。
様子を見計らって後日会いに来てくれるだろうかとも期待したが、まさか就任式まで会えないとはこの時のイリスは思いもしなかった。
翌日から宰相職に就くための準備として、イリスは宰相補佐の業務も担う事になった。
王女としてこれまで担っていた政務と並行すると、時間がいくらあっても足りないのは当然。 ザッシュウェルと話をしたかったイリスも、仕事に忙殺されてあっという間に二日を過ごしていた。
深夜にベッドへ倒れ込んだイリスは、そのまま眠りに誘われた。 しかし、予期せぬ音が私室に響き渡る。
――コンコン
視線を音の方向へ向けると、誰もいないはずの窓際にはアランが佇んで微笑んでいた。
「 ――アーティ?! ……ごめんなさい! 疲れすぎて全然気づけなかったわ…… 」
自分がアランの気配に気付けない程疲れていたのだと、彼女の姿を目に映してやっと気づいた。
「 相当忙しいみたいだね~ 」
「 えぇ、宰相閣下は容赦ない方なのよ。 流石はお父様のお気に入りなだけあるわ! 」
夜会以来会うことはなかったが、この数日の間でもアランは王宮の事情はおおよそ把握しているだろうと想定していた。 案の定彼はイリスの言葉に驚く様子も見せない。
現宰相は一を聞いて十を知るような優秀な人物だ。 国王とは阿吽の呼吸で良好な関係性を築き、厚い信頼を得ている。
国王が幼かったメイロードとイリスに政務を任せるようになった時も、彼の手厚いサポートにどれだけ助けられたかわからない。 メイロードとイリスにとっても信頼の置ける尊い人物だ。
しかし、自身の仕事における彼の厳しさは王宮では周知の事実。 例に漏れず、イリスも洗礼を浴びている。
――宰相閣下の厳しさはサポートしてもらっていた時とは段違いよ……
泣き言を思わず吐きかけたが、大役を任される予定のアランに伝えて良い事ではない。
イリスは喉から出かかった言葉を呑み込み笑って胡麻化した。
「 彼は優秀だものね~ 」
軽口を叩くいつもの調子に見えたアランだったが、イリスには何か違和感を感じた。
普段ならもっと横柄な態度も当たり前なのに、今夜は振る舞いが随分大人しい。
「 ……アーティ? どうなさったの? 」
「 え? ……あー……ちょっと話したいことがあってさ~ 」
歯切れの悪い言葉にイリスは確信した。
「 勿論お聞きしますわ。ですけれど、貴女が言い淀むなんて随分珍しいですわね。 」
アランはイリスの訝しむ言葉にわかりやすく肩を震わせた。




