30 まずはお付き合いから
――ありがとう……
心地よい温もりに包まれたのはいつぶりだろう。 少なくともここ数か月は緊張感の抜けない日々を過ごしていたはずだった。
今はただ安心と安らぎに浸っていたい。
自然と瞼が軽くなり、暖かい陽の光で目を覚増したイリスはほんの僅かにぼんやりとする思考の中夜会の騒動が終わり、自分は王女宮に戻ってこれたのだと理解した。
心地よかった感触は、使い慣らしたベッドで眠っていたからなのだろうか。
誰かに声を掛けられた気もするが、イリスの記憶は朧気だった。
「 ……イリス? 」
声のした方へ顔を向けた。
ベッドサイドに置かれた椅子に腰かけ、イリスの右手を両手で優しく握っていたのはザッシュウェルだった。 他の使用人たちの姿が見当たらないことから、彼が1人で看病してくれたのだろうか。
「 ザッシュ? 」
なぜここにいるのか問う前に、立ち上がったザッシュウェルによって掛け布の上からぎゅうっと強く抱きしめられた。
掛け布越しに伝わる彼の体温に鼓動は早鐘を打ちつつも、心は満たされて心地よさを感じた。 まるでザッシュウェルの腕の中が自分の居場所のようにすら感じてしまうのはなぜなのだろう。
不思議な心地に戸惑いつつも、離れ難くイリスは流れに身を任せて彼の抱擁を受け入れた。
「 よかった…… 」
零れるように言葉を溢れさせた彼は、ただただイリスの生還を噛みしめる。
目覚めて早々に、奇跡的な再会をしたかのように歓喜する彼に瞠目したが、まさか自分が意識を失ってから丸一日以上眠っていたとは思わず驚きが隠せなかった。
「 私……丸一日以上も眠ったのなんて初めてじゃないかしら…… 」
ベッドに横たわったまま記憶を遡るイリスに、ザッシュウェルは「 お前はいつも頑張りすぎなんだ 」と説教じみた小言を言う。
そんなことはないと反論したかったが、普段から片手で数えられるほどの時間しか眠らないイリスの言葉は、全く説得力がなかった。それに自分が思っていた以上に疲れが溜まっていたようだ。
身体が軋むような痛みを感じた為、イリスはベッドに横たわったまま話を続けた。
「 教会はどうなりましたの? ……メル兄様はどうしていらっしゃるかしら…… 」
「 メルはお前が眠っている間に一度部屋に来たぞ。 また来るといって政務に戻ったがな。 」
「 え? 一人で?! ザッシュはメル兄様に付いていなくて良いの? 」
当たり前に傍に寄り添ってくれるザッシュウェルに、イリスは違和感を覚えた。
「 メルが時間をくれたんだ。 お前と話が済むまで休むようにとな 」
「 そうだったのですか?! なんだか申し訳ないですわ……メル兄様は大丈夫かしら…… 」
「 問題ない。 それに、イリスのおかげでメルの今があるんだ。 ほんの一時の間くらいなんてことはないだろう 」
「 ……問題ないのでしたら良いのですけれど…… 」
自分のせいでメイロードが困っていないか心配になったが、当たり前のようにザッシュウェルが「 気にする必要はない 」と返してくるので、心配するのはやめる事にした。
「 教会はバタバタしているが、後任はもう決まったぞ 」
「 後任? では教会は存続するのですね? 」
「 あぁ。 メルはきっとイリスはそう望むはずだ! と断言して、すでに教皇と聖女殿の就任式を近日中に行うと断言していた 」
「 まぁ!! 流石メル兄様! 私の考えを理解して下さっていたのですね! 嬉しい…… 」
「 アイツはイリスを溺愛しているからな 」
「 ふふ……溺愛だなんて……言い過ぎでは? 」
自分が幼少期に前世の記憶を思い出してから、たった一人の兄であるメイロードと、仲睦まじい兄妹になりたいと思いずっと彼に寄り添い続けてきた。
その想いが実を結び、第三者が見てもメイロードが自分を溺愛しているとわかる程の愛情を注いでくれていることに、深い喜びを感じずにはいられない。
「 いいや、俺と同じ位の愛情をお前に注いでいるからな! あれは溺愛以外のなんでもないぞ! 」
「 本当ならとっても嬉しいですわ 」
さりげなくザッシュウェルからも溺愛宣言をされて、頬が朱に染まっていないかドキドキしてしまう。
照れ隠しのように、少しだけザッシュウェルから視線を逸らしてクスリとはにかんだ。
「 ――イリス 」
突如真剣な声音で呼ばれ、イリスの身体はぴくっと敏感に反応して震えた。
反射的にザッシュウェルを見つめると、その瞳には先程まで感じ取れなかった焦がれるような熱が籠っていた。
視線を向けられたイリスの身体は、彼の熱で溶かされてしまいそうな程熱く、蕩けてしまいそうな甘さがイリスの視線を絡めとって離さない。
「 どう、しましたの? 」
「 今回の騒動で俺は自分の無力さを痛感した。 アランや聖女殿がいなければ……俺はイリスを失っていたかもしれなかった…… 」
神妙な面持ちで語るザッシュウェルの瞳の奥は、何かに対する怯えも含まれているように感じた。
「 ……確かに、私も今回は今までで一番身の危険を感じたかもしれませんわ 」
夜会での危機的状況の中、畏れで体が震えた瞬間を思い出し身震いしそうになった。
「 ――俺は、イリスを愛してる 」
「 ――え? 」
突然の紡がれた愛の告白に、驚きの方が勝り彼を見つめたまま固まってしまった。
「 愛を告げる事も出来ず後悔なんてしたくないと思った……イリスが目覚めたら必ず伝えようと思っていたんだ 」
「 私も……何も言えないまま今生の別れにならずに済んで……良かったです 」
「 俺は必ずイリスを守れる男になる。 ……だから、お前のこれから先の未来を、俺と共に歩んでくれないか 」
「 それって…… 」
ザッシュウェルの言葉に、期待が高まり頬に熱が集まってくるのを感じた。
「 まだメルに認めてもらうには俺の実力は伴っていない。 だが、せめて交際だけでも許してもらえるように結果を必ず出す。 俺はまだイリスに相応しい男になれてはいないが……それでも、俺との将来を待っていてくれないか? 」
「 待ちます!! 私も……まだまだ未熟です。 それでもザッシュが私を貰って下さるのなら……この国に必要とされる王女になれるよう努力しながら待ちますわ! 」
「 あぁ、絶対に他の国にも、この国の貴族にもイリスを渡したりしない! 」
ザッシュウェルはイリスの髪の毛を一束掬い上げると、誓いを込めて口づけた。
すでに口づけを交わしたイリスにとっては少しだけ物足りなさを感じたが、それでも正式な求愛を受けて心は満ち足りていた。
「 ザッシュも私意外のご令嬢に目を向けないで下さいませね? 」
「 勿論、俺にはイリスだけだ! 」
二人の間には甘い空気が流れ、ドクドクと早まる鼓動が、二人の距離を更に縮めているように感じた。
「 ……ザッシュ…… 」
想いが溢れ身体を起こしたイリスとザッシュウェルの距離は自然と近づき、互いの鼻先が触れて理性が決壊しかけた時、侍女のノックが室内に異様に大きく響いた。
「 ――殿下、王太子殿下がお越しになっていらっしゃいます。 お通ししてよろしいでしょうか? 」
「 ………… 」
侍女の声掛けに反応することが出来ず、しばし二人は縮めることのできない距離を恨めしく思いつつも、離れ難く見つめ合った。
――とはいえ、長くメイロードを待たせるわけにもいかない。
鼻先の触れ合う距離感を名残惜しみつつ、イリスはゆっくりと姿勢を戻して、メイロードの入室の許可を出したのだった。




