29 償う聖女と守護者
「 ――殿下、聖女様がいらっしゃいました。 お通ししてよろしいでしょうか 」
「 通せ 」
王太子執務室に足を踏み入れる聖女は、彼女の為に用意された純白の装束を纏いゆっくりと部屋の中央まで歩を進める。
「 呼びたててすまない。 ソファにかけてもらえるかな? 」
執務机で政務をこなしていた王太子は、フェルミラに声を掛けると立ち上がって自身もソファへ腰かけた。
テーブルへ視線を向けると使用済みのティーセットが置かれていた。 新たに給仕が王太子とフェルミラのティーセットの用意をしている様子からして、つい先程まで客がいたのだろう。
――先客? でもなぜ片付けないのかしら?
フェルミラはふと疑問に感じたが、それ以上些末なことに気をまわす余裕はなかった。
フェルミラ・オクサント。 オクサント男爵家はこの国で下級貴族ではあるが、建国以来続く由緒正しい貴族である。
両親は新人深いレクシュトル神様の信者であり、先祖はオルフェルクの血を引いているらしい。 その為、父も娘のフェルミラも神聖力を僅かながら行使することができた。
幼い頃から祈りを捧げる時間がフェルミラの大切な時間で、どこでレクシュトル神様に向けて祈っていても必ず神の存在を感じた。
両親は微笑みながら「 それは素晴らしいわね 」と話を訊いてくれたが、きっと信じてはいなかっただろう。 信心深い家族の誰一人、フェルミラのように神様の存在を感じたことがなかったからだ。
それでも否定されなかったことで、フェルミラはまっすぐ心清らかなままレクシュトル神様を信じることができた。
それなのに、なぜあのようなことになってしまったのか未だにわからない。
いつからだったか、急に自分の身体が自分の思う通りに動かせなくなってしまったのだ。
最初は自分がおかしくなってしまったのだと思っていたが、ある時自分の身体が何者かに乗っ取られているのだと気づいた。
信心深い司祭や聖騎士たちを顎で使い、教皇や枢機卿と悪巧みをする。 「 やめて!! 」と幾度声にならない悲痛な叫び声をあげたかわからない。
その都度フェルミラはただただ祈り続けた。
『 神様……どうか罪深い私を見捨てないで下さい 』
自分が人々を騙す度、高貴な方々に悪態をつく度、恐ろしいチカラを使って王太子や王国騎士たちを惑わす度、心が折れてしまわないよう祈りを捧げ続けた。
討伐に向かった先で、傷つく領民たちを見捨てる自分の姿を見つめる事しかできなかった時、フェルミラの心は絶望に呑まれそうになった。
レクシュトル神様が大切にする領民たちに寄り添う事もなく、恐ろしいことに魔獣のチカラまで吸収して悪意に満ちたチカラで更に周りを惑わせたのだ。
もうだめかと覚悟した。
王都へ帰還した時にはもう神様に祈ることすら苦痛に感じていた。 しかし、フェルミラは祈りを止めることはなかった。
帰還して早々出迎えたイリス王女は聡明で慈悲深く、強い神聖力を持つと有名な方だった。
その彼女が、フェルミラが惑わした王太子にへこたれることなく幾度となく向き合い声を掛け続けたのだ。
勿論フェルミラとも言葉を交えたが、フェルミラを乗っ取った者は平気でイリス王女やロードハイム令嬢を貶める言葉を吐いた。
何もできなかったフェルミラはただただ申し訳なく「 ごめんなさい……ごめんなさい…… 」と言葉にならない言葉を紡ぐことしかできなかった。 それでも彼女が諦めないなら私も諦めたらいけない。 ――そう思えた。
そしてイリス王女が大広間の国王や貴族たちを解呪した時、初めて自分の身体を取り戻せるかもしれないという希望を見いだせたのだ。
それは気のせいではなく、彼女が浄化を続ける度に少しづつ自分の意志が身体に伝わっていくような感覚を感じたからだ。 ――それなのに、結局強い悪意のチカラでフェルミラの身体は魔人化してしまった。
流石にもう成す術もないとフェルミラは絶望した。
だが、イリス王女を励ます者たちの内の一人の美しい人物が、彼女にブレスレットを通して力を分け与えたことで、フェルミラは自分の身体を取り戻すことができたのだ。
イリス王女を必死に守った黒装束の人物と、王国最強の剣の使い手と誉れ高いヘルスベート卿。
特に中性的で女性のように美しい黒装束の人物にフェルミラは心打たれた。
あの危機的状況の中、心折れそうになっていたイリス王女を再び立ち上がらせることができたのは、間違いなくあの人物のおかげだったからだ。
目覚めたばかりのフェルミラは、少しでも役に立つべく目覚めたばかりの身体に鞭打って神聖力を使うことに何の躊躇いもなかった。
あの時、なぜ想像以上の強い神聖力を行使できたのか、自分自身が信じられない気持ちでいっぱいだったが、きっとこの力はレクシュトル神様が積み深いフェルミラの為に与えてくれたのだろうと察した。
だからこれから何をすべきかはもう決まっている。
王太子がなぜフェルミラを夜会が終わって間もないにも拘らず急に呼び出したのかはわからないが丁度良い。
償うためにも心を込めて頼むのだ。
自分は傷ついた国の為に修道院でレクシュトル神様に祈りを捧げたいと。
フェルミラはきゅっと純白の装束を握りしめながら早々に話を切り出した。
「 ――あの、お呼びいただきましたが、どのようなご用件でしょうか 」
「 フェルミラ嬢は気が早いのだな。 ……まあよい。話したいことがあってね 」
「 話とは……なんでしょうか 」
「 君が聖女としてこれからどうしていきたいか、希望なども確認したい 」
当然のように告げる王太子の言葉に、信じがたい想いを胸の内に隠しながらフェルミラは平静を装い呼吸を整えた。
「 ――でしたら私から申し上げたいことがございます。 」
「 何だい? 」
「 聖女を辞退させてください 」
フェルミラの唐突な願いに、メイロードはほんの僅かに目を細めて問う。
「 辞退? なぜ? 」
「 『 聖女 』という大役は、私には相応しくございません 」
ぴりりとした空気がフェルミラの言葉で漂い始めたことに気付いても、ここで引くつもりは毛頭ない。
自分の要望を通す為、キッパリと自分の意志を告げたのだ。
「 私はそうは思わない 」
しかし、王太子はフェルミラの言葉を一蹴した。
「 なぜですか? 私は魔人にまでなったのです!! その事実だけでも、聖女辞退の理由として十分でしょう! 先程の夜会の場にいた貴族たちの証言も取れます 」
「 魔人化したのはフェルミラ嬢に憑依していた悪しき魂がしたことだ。 貴女に罪はない 」
「 関係ございます! 私はずっと見てきました! 恐ろしい悪行の数々を! 私の身体が大勢の罪なき人々を魅了で自分の言いなりにし、王太子殿下まで惑わせ、更には魔獣の力を吸収して自分の糧にし、あたかも魔獣を浄化したように誤魔化したのです! 」
フェルミラの身体に憑依した者は、神聖力などほぼ使うことは出来なかった。 元々フェルミラの神聖力は少なかったのだから当然なのだが、あろうことかゲシュールの悪意を彼女は自分のものにしていたのだ。
魔人化する前からまるで尊い聖女であるかのように振舞い、それなのに傷ついた領民たちの傷を癒すことは一切しなかった。 声を掛ける事すらしなかったのだ。 ――まさに悪魔のような所業。
しかし、彼女のチカラで惑わされた領主は文句を言うどころか彼女を崇め奉る勢いで感謝した。
身の毛もよだつような悍ましい光景を目の当たりにしていたフェルミラには、自分が聖女を名乗るなど天と地がひっくり返ってもあり得ないとしか思えない。
「 では聞くが、見ていたフェルミラ嬢は悪しき魂が罪を犯す中、止める術はあったのか? 」
「 それは…………できませんでした 」
――それが出来たなら自分の命に代えてでも止めたに決まっているわ!!
眉根を寄せ悲痛な面持ちで頭に思い浮かぶ言葉を感情のままに叫びたかったが、フェルミラはぐっと堪えて事実だけを告げた。
「 ならそれはフェルミラ嬢の責任ではないだろう 」
「 ――いいえ! 私の身体が引き起こした騒動は、全て私の責任です!! 」
「 ……フェルミラ嬢は悪しき魂の代わりに罪を償いたいというのか? 」
「 はい。 私には償わなければならない責任がございます!! 」
「 ……ここにも頑固者がいたか…… 」
キッパリと告げるフェルミラの言葉に、王太子は呆れて額に手をあて深い溜息を吐いた。
「 ?? 」
王太子の言っている事が理解できず、フェルミラは怪訝な視線を向けた。
しばらく二人の間には静寂が流れる。
フェルミラに視線を戻した王太子は、何事も無かったかのように微笑む。
「 罪を償うのは構わない。 だが聖女を辞退することは許さない 」
彼から紡がれた言葉は願いではなく命令だった。
「 ――?! なぜです! 私には王太子殿下の仰ることがわかりかねます!! 」
納得ができないフェルミラは食い下がった。
「 ――それこそが償いだからだ 」
「 聖女でいることが償い? 」
「 そうだ。 聖女としてこの国の為に、王家と共にフェルミラ嬢は聖女の職務を全うしなければならない 」
「 ――拒否権はないのですか? 」
「 フェルミラ嬢が聖女としての務めを全うすることを望んでいるのは、この騒動を鎮める為に一番尽力した我が妹であるイリス・ロワイトスだ。 君はイリスを悲しませてでも拒否するつもりか? 」
「 ――私が拒否すると王女殿下が悲しまれると仰るのですか?! 」
「 そうだ 」
「 ――そんなはずございません!! 恨まれることはあっても、悲しまれるなど―― 」
「 ――イリスは初代聖女様と約束をして、フェルミラ嬢を助けると決めたんだ 」
「 約束? 」
突然初代聖女と王女様の話になり、何故自分と関係があるのかわからず目を見開いた。
「 君は一度魔獣のスタンピードにより命を落としている。レクシュトル神様は君を蘇生させようとしたらしい。 ただ初代聖女様の話では蘇生の際に、ゲシュール神の邪魔が入り他の魂が君の代わりに憑依してしまったらしいのだけどね 」
「 ――私は……一度死んだ?! …………でも……だから身体を乗っ取られてしまったのですか…… 」
自分が一度死んでいたなど思いもしなかったフェルミラは愕然とした。 だが死んだからこそ他の魂が自分に憑依できたのであれば、身体を乗っ取られたのも納得できると思えた。
「 残念ながらそういう事だ。 初代聖女様の話が真実であるならば、ね。 」
「 そんな……私など……蘇生して頂く価値もなかったのに…… 」
「 レクシュトル神様の意思は私にはわからない。 ただ、イリスは初代聖女様の話を訊いた上で、迷うことなく君を救うと決めたんだ 」
「 私は……救おうとして下さった王女殿下に悪意で返してしまいました……。 ですからやはり私は聖女としてではなく修道院にでも―― 」
「 ――それをイリスは望まない 」
「 でも―― 」
「 ――確かにイリスは初代聖女様との約束の為に君を助けた。 だが妹は約束の為だけに君を助けたわけではない 」
「 ……どういうことですか? 」
「 イリスは何よりもこの国の安寧を願い誰よりも尽力している。 兄を囮にすることも国の為ならアッサリやってのける程ね 」
「 ……そ……そうですか…… 」
少し不貞腐れたような物言いをしながらも王女の志を語る王太子に、フェルミラはどう答えたら良いものかわからず、曖昧な返事しかできなかった。
「 教会は立て直しが必要な状況だ。 教会を信用できなくなってしまった王国民たちの心を癒し、レクシュトル神様への信仰心を取り戻す為に、誰よりも先頭に立ち導く役目を担えるのはフェルミラ嬢だとイリスは信じている 」
「 ……王女殿下がそう仰るのでしたら……ですが私一人でどうしろと…… 」
「 安心するといい。 君を聖女として教育し、サポートしてくれる人物を呼んでいるからね 」
「 ……呼んでいる? 」
視線を彷徨わせて室内を眺めても、王太子と自分以外誰もいない。
何を言っているのかと怪訝な眼差しを向けると、得意げな面持ちで王太子は告げる。
「 ――アラン。 姿を見せてくれ 」
先ほどまで誰も腰かけていなかったソファに、突如何の前触れもなく高貴な白金の司祭服を纏った見目麗しい者が現れた。
――この方は!!
フェルミラは突如現れた人物の姿に瞠目した。
目の前の人物は、夜会で王女が危機に瀕した時、ロザリオのブレスレットで助力した見目麗しい性別不明の人だった。
国の危機を救った一人ともいえるその人に再会できたことで、フェルミラの心は歓喜し胸の鼓動は高鳴る。
「 フェルミラ嬢、この者は新たに教皇に任命したアティーラ・オルフェルク。 アランと呼ぶといい 」
メイロードの不思議な紹介にフェルミラは不安げにアランを見つめた。
「 ……教皇……様? 」
中性的で美しいアランと紹介された人物の名前が女性の名であることにフェルミラはひどく困惑した。
「 ――あらら~。 私が男か女かわからないから戸惑っているんじゃないかな? 」
「 ――!! も、申し訳ございません! 」
考えていることをアランに読み取られたフェルミラは、自分の不躾な振る舞いに青褪め即座に謝罪した。
「 謝らなくて大丈夫だよ~。 君は何も悪くないんだから! ちゃんと紹介しないメルが悪いんだからね~ 」
軽い口調で告げるアランはにっこり微笑みをフェルミラに向けた後、メイロードをじろりと睨んだ。 しかし、王太子は自分が説明不足とは思わなかったようで首を傾げる。
「 私が悪かったのか? アランは女性ではあるが、心は男性だ。 本人の希望で表向きはアラン・オルフェルク教皇と発表する予定なんだ。 だがフェルミラ嬢とアランはこれから長い付き合いになるだろう? 本名を教えた方が良いと思ったんだが……どうやら余計困惑させてしまったようだな。 すまない 」
「 お心づかい痛み入ります。 事情は承知いたしました。 今後聖下とお呼びいたします 」
見目麗しいその人は、どうやら女性だが男性らしい。
戸惑いはあったものの、事実を把握後はそこまでの動揺はなかった。
「 え~? 公の場では仕方ないけど、仲間なんだから普段から堅苦しいのは嫌だな~。 アランって呼んでくれない? 」
「 え……? ですが…… 」
気安いノリで話しかけてくるアランに、フェルミラは目を見開いた。
黙って佇んでいれば、それだけで高貴な存在であると誰しも認めるオーラを放っているというのに、彼は家族よりも気安く話しかけてくる。
人懐こく話しかけてくるアランが、うっかり可愛らしく思えてしまう。
――尊いお立場なのに……魅力的な方なのね……
「 フェルミラ嬢。 こいつの気安さは筋金入りなんだ。 君が嫌がっても名で呼ぶまでしつこく言ってくると思うぞ? 」
「 ――!! ……でしたら、普段はアラン様と……お呼びいたします 」
「 え~~……まだかたっ苦しい~ 」
「 アラン! 少しは譲歩しろ。 追々親しくなってから変えていけばいいだろう? 」
「 わかったよ~それじゃ今はそれでいいよ! ……でも私はフェルミラって呼ぶからね? 」
「 私は構いません 」
不貞腐れながらもフェルミラにパチンとウィンクするアランに、王太子に倣い、平静を装い返事を返した。
執務室に呼び出されて聖女継続を求められ、教皇まで紹介されるとはフェルミラは思いもしなかった。
「 では紹介も済んだところで今後の話を―― 」
「 ――しょ、少々お待ちください!! 」
平静を装ってはいたものの、フェルミラには展開が早すぎた。
聖女継続を求められたばかりというのに、今後の話までは覚醒したばかりの彼女の頭が付いていかない。
「 ……あの……何度も申し訳ないのですが……本当に王女殿下は私が継続して聖女を務めることを望んでおられるのですか? 」
フェルミラの疑い深い言葉に、王太子は一息つこうと口に含んだ紅茶を嚥下しようとした瞬間噴き出しそうになり咳き込んだ。
「 だ、大丈夫ですか?! 」
ゲホゲホと咳き込みながら動揺を隠せない王太子に慌てて声を掛けたが、アランはくつくつと笑いを堪えるだけ。
状況が飲み込めずにいると、落ち着いた王太子は口を開いた。
「 君たちは随分似ているのだな。 全くお似合いの二人だよ! 」
苦笑する王太子に、「 私もびっくりだよ~ 」と軽口を叩くアラン。
不安を隠せないフェルミラの為に、王太子とアランはそれから夜遅くまでゆっくりと交流を深める会話を交わし、初代聖女様に会うまでの間、ひとまずアランがフェルミラの面倒を見る事になったのだった。




