26 悪しき魂の末路
膨れ上がる身の毛もよだつ悪意は、明らかに聖女の身体から溢れる黒靄だけではない。 彼女の手首に嵌っている黒い珠石のブレスレットから、より醜悪なゲシュールの悪意が聖女から溢れる黒靄と混ざり合い一体化していく。
空気がビリビリと震え、イリスによって結界を張られているにも拘わらず、強い悪意に恐れ慄く貴族たちは本能的に我先にと逃げようと出口へ向かう。
――まさか……聖女は黒珠石に込められたゲシュールの凝縮したチカラを使おうとしているの?!
「 ヒロインは私……のに……この世界はわ……しのモノなのに……なんでう……いかないの…… 」
ぼそぼそと呟き続ける聖女は、イリス達の存在を無視して自問自答を繰り返す。
黒靄によって包まれた彼女の姿は隠れていたが、ぞくりと身を震わせるほどの怨念が対峙するイリスにも伝わってくる。 ――まるで黒靄が聖女を悪意で染め上げるように。
「 ……思いどお……ならな……なら……こんな世界……らな…… 」
彼女の自問自答が続くにつれて、より一層黒靄は強固な眉のように固まっていく。
先程まで優勢であったイリスのチカラも、気づけば現状維持が精一杯。
数分経過したかどうかの短時間の間にも、すでに状況は危機的状況にまで変化していた。
「 ――そうよ!! 私のモノにならない世界なら……壊してやるわ!! 」
自問自答の末答えを自ら導き出した聖女の叫びと共に、激しい爆風が黒靄の塊からブワっと強烈な衝撃が破裂する。
イリスは咄嗟に結界を作るチカラに神経を集中させたことで、皆が吹き飛ばされるのを寸でのところで防いだ。 ――しかしそれだけでは終わらない。
爆風が吹きだした直後、黒靄は全て聖女の身体にあっという間に吸い込まれた。 その瞬間を目にしたのは結界を張るだけのチカラがあったイリスとアランだけ。
皆が目を閉じ爆風から身を護り再び聖女に視線を向けると、そこには真っ黒な装束を身に纏った魔人化した聖女の姿があった。
美しいダークブラウンの髪の毛は漆黒に染まり、佇む身体からは圧倒する程の悪意が静かに漂う。
魔人化した者は魔獣と同じく狂暴化して理性を失い荒れ狂う衝動に駆られると言われているが、神聖力のある者が魔人化すると狂暴化はするものの多少は理性も残るらしい。
皆聖女の異様な姿に瞠目し、身動きすら取れずにただ眼前の彼女の姿に目を離せない。
「 ……本当はこんな姿になりたくなかったのに……全部……あんたのせいよ 」
淡々と深い憎しみを告げる聖女の瞳は目の前のイリスを捉えて離さない。
「 勝手に人のせいにするのはおかしいのではないかしら? 」
憎しみの籠った眼差しを向けられてもイリスは動じない。
しんと静まり返る会場内で、彼女の声が響く。 まるで二人だけの世界のように不気味な程の静寂が彼等を包む。
「 人のせい? 何を馬鹿なことを……。 これは運命。 決められた筋書。 それを……台無しにしたのはあんたよ! 」
「 運命? それは本当に、決められた筋書だったのかしら? 」
「 …………知ったような口をきかないで! 」
問答を続ける二人からは抑え込まれた怒りが滲みだす。
彼女たちの会話に割り込むことなど許されないと空気を読んだ者たちは、誰一人として口を開くことはなかった。 しかし、イリスの言葉によって場の空気はガラリと変わる。
「 ――いいえ、事実ですわ。 この世界は貴女の為の世界ではございませんもの 」
「 黙りなさい!! 何度同じことを言わせるの!! ここはヒロインになった私の為の世界なの!! 」
怒りに身を任せた聖女の瞳がギラリと揺れると、強い衝撃波がイリスに向かって真っ直ぐに放たれた。
「 ――っぅ!! 」
「 ――イリスっ! 」
結界で皆を守ることにチカラを集中させていたイリスは、強い衝撃に耐えうるだけの結界を張り直す時間を作るのは間に合わなかった。
衝撃波をまともに受け吹き飛ぶことを覚悟し咄嗟に目を瞑ったが、いつまで経っても攻撃を浴びた衝撃が訪れない。 自分を包み込む温かさと痛みが訪れないことにイリスは違和感を覚えた。
――??
恐る恐るゆっくりと目を開けると、自分の身体はザッシュウェルに抱きしめられていた。 そして、いつの間にか目の前に佇むアランは神聖力で結界を張って衝撃波を防いでいる。
「 う~わ……間一髪だったねぇ~ 」
軽い口調で言いながらもアランの頬には幾つもの汗が伝う。
抱きしめるザッシュウェルの胸の鼓動はドクドクと異様な早さで高鳴って、振動はイリスの背中からダイレクトに伝わってくる。
呆然と二人を見つめていたイリスがハッと我に返り周りを見渡せば、メイロードたちも無事であることがわかった。
「 ……ど、どうして? 」
なぜこうなったのか理解できないイリスは、思ったままの言葉がそのまま口から零れた。
きっと自分も彼らと同じ立場なら同じことをしたのは理解できる。 しかし、本当にあの咄嗟の出来事に反応する為には、条件反射のような動きでなければできないはず。
自分の身の安全よりもイリスを護るために動いた彼らに、歓喜よりも驚きの方が勝った。
「 自分の命に代えてもお前を死なせたりなんて……絶対しない! 」
ゆっくりと安堵の声で告げたザッシュウェルの声音は微かに震えていた。 きゅぅっとイリスを強く抱きしめ、無事である感触を噛みしめているよう。
「 そうだよ~。 おチビちゃんは私たちが護るんだからね~。 」
パチリとウィンクして振り向きながら「 私たちの事も信じてよね~? 」とほんの少し呆れた口調でアランは軽口を叩く。
二人の心強いサポートに、イリスは心を奮い立たせて立ち上がる。
――私が聖女を浄化しなくちゃ!!
再び浄化を再開しようと胸の前で手を組んだ所で、自分の手がガクガクと震えていることに気付いた。
今まで幾度となくメイロードやザッシュウェルと共に魔獣討伐に参加したこともあったし、命を狙われたことだってあった。命の危険を感じたことだってある。 それでも、ここまで拒否反応のように身体が震えた事はこれまで一度もなかった。
それだけ目の前の魔人化した聖女が脅威であると、イリスの本能が畏れを感じていた。
――私がしなきゃいけないのに……なんで?!
焦れば焦る程心の動揺は高まり、それは二人にも伝わっていた。
「 落ち着いて! おチビちゃんは一人じゃないから! 」
「 え……? 」
意外な言葉に呆気にとられた声を上げたイリス。 そんな彼女に慈愛の籠った笑みを浮かべながらアランは告げた。
「 お前の事は俺たちがサポートする。 アランは結界で護るし、俺は剣で護る 」
並び立つザッシュウェルも真剣な面持ちでイリスを宥めるように決意を口にする。
「 ……私…… 」
二人の気持ちはまっすぐにイリスの心に届いた。 とても嬉しかったし頼もしくも感じた。 しかし、今の自分に魔人化した聖女を浄化するだけの力は残っているだろうか。
自問した答えはNoだった。
すでに解呪と結界にイリスはかなりの力を消耗してしまっている。 まだ力は残っているが、どう見ても余力のある魔神化した聖女とすでに力を使って限界の近いイリスとではどちらの方が分が悪いかは明らか。
自信の無さが声音に素直に現れてしまう自分が情けない。 それでも隠しようのない事実だ。
「 ――おチビちゃん!! 私が渡したロザリオ! 持っているよね?! 」
確認するように、アランは先程までの浮ついた口調ではなく、真剣な声音で思い出させるように指摘した。
「 ――!! 」
突然の言葉に一瞬何を言っているのかとキョトンとしてしまったが、今朝アランと再会した時にロザリオを渡された事を思い出した。
「 ソレ! 特別なエイハルンなんだよ! おチビちゃんの力になるから!! 私の力も使ってよ! 」
手首に嵌めていたロザリオのブレスレットを胸の高さまで上げると、アランは頷いてから激励を込めてこちらへ笑いかける。
お守り程度に思っていたロザリオのブレスレットだったが、手首から外して握り直すと心地よい神聖力が身体に流れ込むのを確かに感じた。
ドキドキと期待感に胸の鼓動が早鐘を打つ。 ザッシュウェルも「 アランを信じろ 」と力ず強く頷いた。
「 ――ありがとうございます!! 私、絶対に諦めません!! 」
きゅうっと胸元でロザリオのブレスレットを握りしめながら手を組むと、イリスは再び心からの祈りを込めた。
『 浄化!! 』
確信があったわけではない。
アランのチカラはきっと自分に強いチカラを与えてくれると信じていた。 だが、ゲシュールの悪意に勝てる見込みがあったわけではない。 それでもチカラを受け取り始めれば込められた神聖力がただの神聖力ではないと気づいた。
ぎゅぎゅっと凝縮された強い神聖力に戸惑いは隠せなかったが、そのチカラにチェビルの泉の神聖な気配をイリスは確かにロザリオのブレスレットの連なるエイハルンの珠石から感じたのだ。
――これ……ただのエイハルンじゃない?!
なぜこのエイハルンの珠石のついたロザリオのブレスレットをアランが用意できたのかはわからない。 あっという間にイリスの失った神聖力を補い、神聖力に満たされた浄化のチカラを更に強化させる。 放たれる白い光にはキラキラと輝きまで溢れていた。
「 ――ど、どういう事?! い、嫌っ!! 消えたくないっ!! こんな……小説みと……ない…… 」
再び抗おうと聖女は抵抗を見せたが、浄化の光は彼女を包み込んでもあまりある輝きを放ち続けて意識事飲み込んだ。
時間にしてどのくらいだったかはっきりはわからない。 あっという間にも感じたし、とても長い時間にも感じた。
しかし、苦しんでいた聖女は次第に黒装束は白金の装束に。 漆黒の髪の毛はダークブラウンの髪色に。性格の醜悪さが顔に表れていたはずが、今の聖女の表情は安らかに眠る少女のような無垢さを感じる。
その光景はとても美しく、清らかで温かい。
不安な面持ちで状況を見守っていた国王夫妻やメイロードやヘレイン達ですらも、いつの間に恩恵を受けたのか青ざめていた表情にはほんのりと赤みがさしていた。
「 …………そんな……アティーラに王女を補助できる程の強いチカラがあったなど……なぜ…… 」
ザッシュウェルとアランに身体を支えられ、ほっと肩の荷を下ろしたイリスの耳に、後悔の念に圧し潰されそうな教皇の声が耳に届く。
その声の方向へ視線を向ければ、愕然とした面持ちで青褪めた教皇やその部下たちが絶望の色に染まっていた。
「 何を言われたって最初からあんたらの思う通りに動くつもりなんて一切なかったから力を隠していたんだけどね~ 」
ため息交じりで死線を投げかけたアランの言葉など耳に届いていないのだろうか、教皇はブツブツと何やら呟き続けていた。
メイロードが影を呼び寄せ教会の関係者たちを捕縛するよう指令を下した後、教皇はふらつきながらもその場から立ち上がり思い詰めた表情で天を仰ぐ。
「 ……私たちは神に見捨てられた……ならば……堕ちる所まで堕ちるまで…… 」
不穏に満ちた言葉を呟き天を仰いだ教皇の握りしめた右手からは黒靄が噴き出した。
「 ?! 」




