22 作戦決行
心地よい感触が額を撫でた。
「 んんっ 」と僅かに掠れ声を上げて身を捩ると、次第にまどろみからイリスはゆっくりと浮上する。
普段閉まっているはずの天蓋のカーテンは少しだけ開き、隙間からは早朝の陽の光がベッドに差し込む。
逆光で良く見えないが枕元近くに人の姿。 それは昨晩共に寄り添っていたザッシュウェルではなかった。
「 おはよう。 おちびちゃん 」
訝しむイリスの心は、懐かしい声音で一気に眠気が吹き飛び、ガバッと勢いよく上体を起こして目の前の人物をじっと見つめた。
「 ――アーティ⁉ 」
起き抜けのイリスの瞳からは、言葉と同時にぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていく。 涙で霞んで視界が揺らいでも、再会できた喜びに心は歓喜した。
目の前に座っていたアランは、自分の率いるギルド員だけが着用できる黒の外套を纏っていた。
フードだけを脱でいつもの軽い調子は成りを潜ませ、目を細めて口角を僅かに上げる面差しは、包み込むような慈愛に満ちていた。
「 心配かけてごめんね…… 」
「 ~~~~っ。 ……無事で……何よりです…………言いたいことは、山ほどあり……ますけれど 」
苦笑するアランに、イリスは言葉を詰まらせながらも無事の帰還を労い……不満も付け足した。
ずっと討伐中連絡が途絶え、最後の連絡もアランからではなくクロウを介してだった。
明確な伝達もなく、伝言を託されたクロウすらアランの安否がわからない始末。 イリス達が戸惑い不安になったのも当然といえる。
それでもこれまで心乱さずにアランの帰りを待つことができたのは、これまでのアランの実績や有言実行ぶりを見続けてきたからこそだ。 ――けれど、溢れる涙を止められなかった。
どんなに優秀なアランであろうと、心配せずにはいられない友への想いが溢れたから。
「 ――それで……アーティが直接来たという事は、急を要するのでしょう。 話して下さるかしら 」
ひとしきり感情のままに涙を静かに流し続けた後、イリスは心の平静を取り戻した。
今日は夜会の準備のため、いつ侍女たちが部屋にやってきてもおかしくない。
イリスは王女の顔を作って仕事モードに切り替え告げると、アランは不敵ににやりと口角を上げてから口を開いたのだった。
◇◇◇
僅か二週間足らずで準備された討伐隊の帰還を祝う王家主催の夜会準備は、ホストとなったイリスと補佐するヘレインの働きによりメイロードが聖女に構いきりの間も恙無く進められた。
イリスが今宵の会場となる大広間へ足を運んだのは昼手前であったが、すでにヘレインが補佐官や使用人たちへ指示を出していた為、特に忙しなく動く必要性もない。 確認程度で後は下の者たちに任せるだけで充分な状況だった。
残りは補佐官たちに任せ、イリスもヘレインも夜会の為の戦闘服を纏う準備の為早々に大広間を後にした。
イリス達の準備が終わり王族専用の入場口へ向かっても、メイロードの姿はなかった。
会場内からは続々と入場した貴族たちの談笑が聞こえてくる。
照らす幾つものシャンデリアは、討伐隊帰還時の国王との謁見の時の物とは違う。 比べられない程の豪奢な意匠と交換されていた。
シャンデリアに惜しげもなく使用された無数のクリスタルガラスの輝きはまさに豪華絢爛。 灯りの光源をキラキラと美しく煌めかせ反射させている。 その煌びやかさはロワイトス王国の栄華を象徴しているかのよう。
立食エリアには、ロワイトス王国の誇るべき一流シェフたちによる軽食やデザートが、テーブルの上に美しく彩り所狭しと並べられた。 食すだけでなく目で見ても楽しめる美しさも、ヘレインとイリスによるこだわりがしっかりと反映されていた。
ダンスエリアの先の檀上には国王の玉座と国王の家族の為の貴賓席。 左端には王族の入場する為のサーキュレー階段。
これから階段を下りてイリスは会場入りするのだが、一歩会場へ足を踏み入れた瞬間から戦いは始まる。 覚悟は決まっていても、度を超す緊張からぶるりと肩が振るえた。
会場内の状況を報告する影からは、おおよそ半数以上が教会の意向に与する貴族のようだ。 彼らの中心には教皇や枢機卿たちの姿も確認できている。
恐らく教皇も畳みかけるように謀略の手を緩めるつもりは一切ないのだろう。
貴族たちは作った笑みを浮かべながら談笑しているが、その全てがメイロードと聖女の話題であることはイリスは把握している。
すでに討伐隊が戻る前から王太子と聖女の恋の噂は広がりつつあったが、王都に彼らが戻ってからは記者たちが彼らの動向を事細かに新聞に取り上げている。 更に、どこからともなく聞こえてくる過剰な程のメイロードと聖女の仲睦まじさを伝える噂。 この夜会で何か二人の関係を決定づける発表があるのではと興味津々な面持ちを隠し切れない貴族が多いようだ。
「 殿下、やはりメル様はまだいらっしゃいませんね…… 」
ヘレインの失笑し躊躇いがちに告げられた言葉にこくりと頷く。
「 お父様、お母さまは半刻は送れると連絡はきております。 お二人のご入場までにはメル兄様もいらっしゃるでしょう。 ――お待ちする必要はなさそうです」
「 これも……お二人の関係を示唆させるため……でしょうか 」
「 間違いないでしょう 」
ヘレインの予想に同調するイリスの瞳の奥は凍り付いたまま。 自分自身を宥めながら短い言葉で何とか返事を返した。
エスコートするはずのザッシュウェルも、メイロードもいない二人は一人で入場することとなる。 それがどういう結果を生むかわかっているからこそここからが戦いなのだ。
「 ――行きましょう 」
ドクドクと胸の鼓動が嫌な音を立てている。 喉も乾いて言葉を紡ぐのもやっとやっとだ。 今も指先の震えが全身に伝わり眩暈まで起こしそう。
会場の味方は一握り。 それでも今この場を乗り切れるのは自分達しかいない。
――必ず乗り切ってみせるわ!!
強い意思を胸に、臆病風に吹かれる心を叱咤してイリスは最初の一歩を踏み出した。
イリスの登場に会場の空気は一変する。 先程までの談笑はぴたりと止まり、全ての視線がこちらに向かう。
たとえ王太子やその側近である国の権力を持つ彼等を教会が味方につけていようと、今彼らの不在の中、一番の権力者はイリスだ
ヘレインを従えて階下へ降りれば、先ほどまで噂話に花を咲かせていた貴族たちはこぞって挨拶という名の様子窺いにやってくる。
イリスとヘレインは離れることなく共に挨拶を受け、ホストとしての責務を果たす。
媚を売るような視線を向けるのは教会の王政への介入を擁護する派閥の貴族だけではない。 中立派も、メイロードを支持する派閥もだ。
メイロードが聖女と懇意にしていることで、勢力図が大きく変わろうとしていた。
もし今夜聖女や教会の勢いを削ぐことが出来なければ、教会の権威は象徴では留まらないだろう。
腹の探り合いのような挨拶を幾度も繰り返した頃、やっとメイロードの入場が告げられた。
案の定、エスコートされているのは聖女フェルミラだった。
白金色の聖女が式典で着用する豪奢な装束を纏い、それに対になるような白金色のメイロードの正装。
二人の仲睦まじさを見せつけるような装いと神々しい装束で、一同は見惚れて溜息を漏らす者も多数。 恐らく誰一人として噂が嘘だなどと疑うことはないだろう。
メイロードの眼差しは常に聖女へと注がれ、聖女の足許にも彼の細心の心遣いが見て取れる。
皆がメイロードたちの許へ近寄ろうと動き出すと、続いて国王夫妻の入場も告げられた。
いつも通りの威厳を保つ国王の赤と金の豪華な正装に合わせ、赤と金の美しい装飾のドレスを身に纏う王妃。 そして、まるで二人を迎えるのは自分たちだけだと言わんばかりに、イリス達の事など存在を無視して笑顔で国王夫妻を迎えるメイロード。
国王夫妻が壇上の玉座へ腰かけると、すぐ後ろの王太子と王太子妃の貴賓席にさも当然とばかりに、メイロードと聖女が腰かけた。
周りの視線は壇上の王族にしか向いていない。 その眼差しには訝しむ心など微塵も存在せず、恍惚とした面持ちで見守る貴族ばかり。
国王はイリスが壇上の自分の席へ向かう途中で挨拶を始めてしまった。
「 今宵はゲシュール討伐に尽力してくれた者たちを労うための夜会だ。 皆心行くまで楽しむと良い 」
これまで子供たちに愛情という愛情を示したことのなかった国王ではあったが、イリスの存在を無視するようなことは一度たりともなかった。 ましてや今夜の王家主催の夜会をホストとして勤めている者を無視するなど考えられない。
普段であれば、王家主催のホストを務める者への労いの言葉を欠かさず挨拶で告げてきた国王である。 しかし、その異常な立ち居振る舞いが、正気ではないからこそなのだとイリスは理解していた。
イリス以外の者たちの目には輝く王族の入場に感じた事だろう。 しかし、イリスの目には黒い靄がうっすらと纏わり浮く三人の姿がしっかりと目に入っていたのだ。
ファーストダンスは国王夫妻が務めようと立ち上がったその時、メイロードが動いた。
「 陛下、今宵のファーストダンス。 私にお譲りいただけないでしょうか 」
「 構わぬが、ロードハイム令嬢はどうした 」
跪き、頭を垂れて乞うメイロードに、国王はわざとわかりきった言葉を告げる。
もしパートナーに疑問を感じたのならば、聖女が王太子妃の席に座ろうとした時点で苦言を呈したはずだからだ。
「 ロードハイム令嬢は今宵のパートナーではございません。 」
「 パートナーではないと? ならば誰と踊るつもりだ 」
「 陛下。 まずパートナー有無の前に、先日の討伐においての褒賞を今ここで申し上げさせていただけないでしょうか 」
「 ――ほぅ? 申してみよ 」
突然のメイロードの言葉に、会場中がざわつく。 しかし、国王がひと睨みすると会場はしんと静まり返った。
勿体ぶるかのように跪いたまましばらく国王を見つめたメイロードは、固唾を吞んで見守る貴族たちの前で堂々と褒賞を口にする。
「 私とロードハイム令嬢との婚約を解消し、聖女フェルミラと新たに婚約を結ぶことをお許しください! 」




