20 哀れな男にご褒美を
「 俺はっ! 俺はなんてことを……うぐぅぅっ! 」
バルコニーから室内を覗き込んだイリスは言葉を失った。
部屋の中央で両ひざを床について額を幾度となく地面に叩きつけ、涙をボロボロと零しながら後悔の念に溺れるザッシュウェルの姿は、前回の顔面蒼白であった姿とは大きく異なった。
まるで今にも額をかち割って死のうとでもしているかのようだった。
――ドンドンドンっ!!
「 ザッシュ!! ここを開けて!! 」
すぐに我に返り慌てて窓を叩き、ザッシュウェルに自分がここにいる事を知らしめた。
「 ――イリス⁈ 」
額から血を流したザッシュウェルは目を大きく見開き、信じられない者を見た様に固まった。
窓を叩き続けるイリスに、慌ててすぐに立ち上がって室内へのドアを開けて招き入れた。
「 ――何故こんな夜遅くに⁈ ……まさか……俺の解呪をしてくれたのか?! 」
室内に入ると同時に質問を幾つも投げかけるザッシュウェル。 しかし、イリスは心を落ち着かせてまずは近くのソファへ腰かけた。
「 えぇ、 本当は解除はもう少し後にする予定だったのだけれど、前回の貴方の落ち込みようは皆知っていたでしょう? だから特別にザッシュだけ解呪しにきましたの 」
「 …………すまない……アランの部下を使ってまでわざわざきてくれたんだな…… 」
一緒にバルコニーまで来ていたはずのクロウは姿を隠してくれているようだが、ザッシュウェルには気づいていたようだ。
絶望に染まっていても、正気に戻れば気配の察知などザッシュウェルにとって呼吸をするのと同じようなもの。
ただ、暗闇であっても顔面蒼白なのだろうと気づけるほど意気消沈した彼の雰囲気は、イリスにも手に取る様に感じた。
「 お会いしたかったから 」
一番最初に口から出た言葉はただ単純にザッシュウェルへの恋しさだった。
聞きたいことは山ほどある。 討伐隊に何があったのか、何故ブレスレットの効果が効かなかったのか。 アランには会えなかったのか。どうやって予定より早く浄化まで終わらせることができたのか――。
話さなければならない事は沢山あろうとも、イリスが一週間以上もザッシュウェルに会えなかったことは本人の想像していた以上に堪えた。
メイロードとザッシュウェルの大切さを思い知った時間だった。
涙が溢れて男前な顔が台無しになっているザッシュウェルにクスリと笑みを浮かべたが、涙が溢れていたのはイリスも同じだった。
イリスの真っ直ぐな言葉はザッシュウェルの絶望をほんの少しだけ溶かした。
感情の赴くままに彼女の身体を引き寄せ、きゅうっと強く抱きしめた。
「 ――すまないっ!! 不甲斐ない俺で本当にすまない……本当なら顔を合わせる資格すらないのに……俺も会いたくて堪らなかった 」
たった一日無視されただけだったが、それでもイリスの心は張り裂けそうだった。 十日以上魅了され続けたザッシュウェルの心の痛みは想像を絶するものだろう。 そう思いいたると無視された心の痛みも抱きしめられて和らいだ。 ――だが、到底この抱擁だけで互いに気が済むわけでもない。
それでも今はただ彼から伝わる温もりに身を任せた。 やっと本当のザッシュウェルが自分の許に帰ってきたのだから。
「 わた……くしも、すぐに……解除して差し上げられなくて……ごめんなさい 」
「 お前のせいじゃない! 俺たちが弱かっただけだ……心配をかけてすまない 」
紡がれる言葉は、互いの懺悔の言葉ばかり。
互いに非はなくとも、苦しめた記憶をそのままにしたくない想いは二人同じだった。
しばらく気が済むまで謝り合い続けて涙が収まった頃、イリスは名残惜しみながらも彼とほんの少しだけ距離を取り呼吸を整えた。
「 ――今夜は、お願いがあって参りましたの 」
「 …………俺に出来る事なら、何でも任せてくれ 」
「 ザッシュには辛い思いをさせてしまいますけれど、私たちの作戦に協力してほしいのです 」
――その夜、イリスは夜会までの作戦をザッシュウェルと共有し、結局話は空が白み始める頃まで続いた。
イリスがバルコニーに出るとクロウは影からすうっと姿を現した。 もしかせずともずっと待ってくれていたのだろう。
ザッシュウェルは後ろ髪惹かれるようにイリスの手を握って離さない。 ――だが離れたくないのはイリスも同じ。 それでも今は自分の感情に流されている場合ではない。
「 ――ザッシュ。 私は貴方を信じていますわ 」
微笑み向けた眼差しに迷いはなく、ザッシュウェルも信じてくれたのだろう。 彼の瞳には、もう迷いも憂いも見えなかった。
それでも手を離そうとしないのは、この時間を終わらせたくないからだろう。
普段男らしいザッシュウェルの寂し気な様子が可愛く思えて、イリスの心にはムズムズとくすぐったい愛おしさと悪戯心が生まれた。
感情に赴くまま掴まれたままの腕を逆に引っ張り返し、近づいた彼の頬にイリスはそっと口づけた。
「 またお会いましょう! 」
したり顔のイリスは満面の笑みを浮かべた。
咄嗟の出来事に目を大きく開けて固まり、手の力を緩めてしまった彼の手をするっと華麗に離すと、クロウに横抱きにされてイリスは邸を後にした。
「 …………イリス 」
誰もいなくなり朝日が昇り始めたバルコニーで、ザッシュウェルは眦を朱に染めて突如与えられたご褒美の口づけに惚けたのだった。
◇◇◇
「 ――お兄様!! お願いです。 聖女様が大切なことはわかりますが、執務が滞っているのです! どうか……王宮にお戻りください! 」
ザッシュウェルと別れた午後、イリスはメイロードを追って教会の大聖堂を訪れ苦悶の表情で訴えかけていた。 ――まるで悲劇のヒロインのように。
「 既に昨日夜会明けまで引き続きイリスに私の代行を任せると伝えたはずだ!! お前はその程度の執務もこなせないのか?! 」
「 私は代行に過ぎません! ほんの少しでもお時間をいただきたいのです! どうしても必要なものだけでも構いませんわ! 」
「 しつこい!! どうしてもというのであれば、ここへ直接書類を持ってこい! 私はフェルミラから離れるつもりはない! 」
チっと分かりやすい程に苛立ちを隠さず舌打ちして冷徹な言葉を返すメイロードは、すでに聖女の事を名前で呼んでいた。
大聖堂の一室には聖女の為の執務室が用意された。 聖女とメイロードは殆どの時間をこの部屋で過ごしている。
ソファに腰かけたメイロードの膝の上には聖女がしなだれかかりながら腰かけている。
愉悦の笑みを隠しもしない聖女の表情は純真な乙女とは真逆で、毒蛇のようにメイロードに絡みついて妖しい笑みを浮かべていた。
扉付近に佇むザッシュウェルは、そんな彼らをいつも通りな冷徹な眼差しで見守り待機している。
「 ……承知いたしました……止む負えない書類のみ此方にお持ち致しましょう……ですが、せめて婚約者であるヘレインには少しでもお時間をいただけないでしょうか! 」
必死な形相で食い下がるイリスは、横に控えていたヘレインに視線を映しながらメイロードに訴えた。
「 ――まぁ! メルは戻ってきたばかりで忙しいのに、婚約者の顔色まで窺わなければいけないなんて可哀そうね 」
「 聖女様、王太子殿下に対して愛称で呼び捨てるのはいかがなものでしょう。 不敬ですのでお控え下さいませ 」
突然横槍を入れるように口を挟んできた聖女に、ヘレインは厳しい言葉を告げた。 しかし、それはメイロードの逆鱗に触れてしまった。
「 黙れ!! なぜ婚約者との時間云々の話になる? たかが婚約者との時間が何だというんだ! それにフェルミラを侮辱するな! フェルミラは誰が何と言おうと私の唯一だ! 」
メイロードは親の仇を見るかのように憎々し気にこちらを睨みつけるだけ。 イリスの事も、ヘレインの事も冷たくあしらう。
いつまでも出て行こうとしない二人に痺れを切らし、ザッシュウェルに目で合図した。
「 もう面会時間は終わりましたのでお帰り下さい 」
意図を理解したザッシュウェルはあっさりとイリスたちを部屋から追い出した。 ――彼の瞳は何も移さず命令だけを遂行する人形のようだった。
「 ……本当に……これで良かったのでしょうか 」
とぼとぼと悲し気な雰囲気を纏いながら大聖堂を出て王宮の馬車に乗り込んだヘレインは耐えきれず不安を零した。
「 えぇ、今は彼等には安心して夜会まで過ごしてもらわなければなりませんから…… 」
「 ……わかってはおりますが……やはりメル様のあんなお顔を拝見するのは辛いです…… 」
「 ヘレイン……辛い想いをさせてごめんなさい。 でも、きっとうまくいくはずです。きっと……」
「 辛いのは私だけではありませんものね……私はイリスを信じますわ! 」
「 ありがとう。 教会を見張っている者の報告でも良い知らせは届いております。 あと少し、共に耐え抜きましょう 」
こくりと互いに頷き合うと、王宮へと戻るのだった。
◇◇◇
――翌日、どうしても処理できなかったと理由を付け、イリスは再びヘレインと共にメイロードの許を訪れた。
わざと縋る様な言葉をメイロードへ投げかけたイリスとヘレインは、さらに彼の怒りを買った。
特に聖女を否定するかのような言葉も交えれば彼の怒りは凄まじく、モノが飛んでくるのではという勢いで怒りを露にした。
傍らにしな垂れる聖女はメイロードの怒り狂う様子を満足そうに見つめ続け、時折火に油を注ぐように挑発的な言葉を投げかける。
聖女の侮蔑の籠った笑みを向けられながらも、イリスは明日の夜会に向けヘレインと共にメイロードに立ち向かい続けたのだった。
◇◇◇
――コンコン……
寝る用意を済ませ、明日の夜会に向けて頭の中で情報の整理をしていたイリスが音の鳴る方へ視線を向けると、そこには真っ黒な外套を纏ったザッシュウェルがバルコニーに立っていた。
「 ――ザッシュ? どうなさったの? 」
「 ……入っても……いいか? 」
「 勿論! どうぞソファにおかけになって 」
「 ありがとう 」
遠慮がちなザッシュウェルの様子に「 何を今さら? 」とくすりと微笑み室内へ招き入れた。
寝る前だったこともあり、室内は燭台の灯りは少なく部屋の中は薄暗い。 先にソファに腰かけたイリスの横にザッシュウェルは当然のように腰かけた。
明日の夜会の件で打ち合わせをしたかったのかしら? と思い巡らせつつも、彼から伝わってくる熱の籠った視線は、それだけではないと言っているような気がして居心地が悪い。
心は平静を装いたいイリスの想いとは裏腹に、トクトクお早鐘を打ちそわそわしてしてしまう。
「 それで……どうなさったの? 」
「 会いたかったんだ 」
まさかの拍子抜けするような答えに、イリスは瞠目した。 ――まるで先日の自分よう。
「 ……それだけ? 」
零れ出た言葉にハッとしてザッシュウェルに視線を向けると、彼の表情はわかりやすく陰った。
「 ――すまない……明日を前にこんな事……言っている場合では―― 」
しまった! と後悔するよりも早く、ザッシュウェルはすぐに謝り始めてしまった。
悲しませるつもりのなかったイリスは慌てて被せるように否定する。
「 ――違うの! ザッシュは敵の本拠地にいつもいるわけだし……もしかして何かあったのかと心配してしまっただけなの! 私だって……会いたかったわ! 」
「 本当に? 迷惑じゃ……なかったか? 」
「 迷惑なわけないですわ! どれだけザッシュが味方でいてくれることが心強いと思っているのです? 私にとってザッシュは一番なのですから!! 」
「 一番? ……本当に? 」
自分が慌てて言わなくても良いことまで行ってしまった事に気付き、イリスは顔を真っ赤にして顔を逸らした。
困惑していたイリスはザッシュウェルの喜色の混じった返事に気付けない。
「 ……イリス、こっちを向いてくれ。 本当に俺はお前にとって……一番なのか? 」
グイっと腰に回された腕に引き寄せられ、目の前には麗しくも逞しい胸板が目と鼻の先。 しかし、顎に手をあてられて上を向かされると、迫力のある美しく精悍なザッシュウェルの顔。
互いの鼻と鼻が擦れる程近い距離に目が眩む。
「 ……答えて? ……イリス 」
何も答えられずにいるイリスに、急かすように縋る様に言葉を紡ぐザッシュウェルの眼差しは妙に色っぽく、ただならぬ空気に溺れてしまいそうだ。
「 い、一番……ですわ 」
いつもとは違う雄の顔を見せられて、何とか口にした言葉は上擦り甘く掠れていた。
ザッシュウェルの顔は、ぱぁっと花が咲き誇ったかのように綻ぶ。
「 嬉しい……俺も好きだ…… 」
――え? ……好き? 俺も?
自分の思っていた返事の斜め上を行く返答に、イリスは一瞬何を言われたのか理解が追い付かない。
返された言葉に動揺している内に、ちゅっと優しく柔らかい感触がイリスの額に触れた。
「 ――え? 」




