17 迫りくる聖女の悪意
イリス達が恋愛話に花を咲かせていた頃、メイロードは軍馬で駆けながら討伐隊を先導するザッシュウェルを斜め後ろから恨めしい気持ちで見つめていた。
常に不愛想な男が王都を出発してから今に至るまで、鼻歌を歌い出しそうな雰囲気で口角を僅かに上げているのだ。
明らかにおかしいと気づいたメイロードがザッシュウェルを問い詰めると、原因はイリスだった。 ――想像に容易くイリスと仲直りして機嫌が良かったらしい。
チェビルの泉から戻って以降ずっと気落ちしていた親友に、メイロードは心から心配していた。
自分も同じように聖女に魅了されたという経緯もあり、彼の気持ちを察っしたからだ。 ――だが、流石に忙しい討伐出立間近に何日も気落ちされては此方まで滅入ってしまう。 それにザッシュウェルがイリスを避け過ぎたことで、イリスまで落ち込み始めたのはメイロードにとっては大打撃だった。
イリスを溺愛しているメイロードにとって、妹の悲しむ顔など絶対に見たくない。 誰にも傷つけられないよう真綿に包んで守りたいくらい大切な妹だ。
出来る事であれば、イリスの側に異性は例外なく一人も近寄らせたくはなかったが、ザッシュウェルは幼い頃から二人の幼馴染で大切な友人だ。 流石にイリスと仲違いさせたまま討伐を迎えるわけにもいかない。
仕方なしにザッシュウェルにイリスの所へ会いに行くようにメイロードは『 命令 』を下したのだ。
結局ザッシュウェルはメイロードの命令通りイリスと話す時間を持ち、無事仲直りできたらしい。 ――だが問題は、二人が仲直りだけに留まらず男女の関係を一歩前進させたこと。
――イリスにアイツは一体何をしたんだ?
追及しても互いの気持ちを確かめ合ったとしか言わないので、もやもやイライラとした感情だけが積もっていく。
仲直りしただけならザッシュウェルは普段冷徹な表情を崩したりなどしない。鼻歌を歌い出しそうな程機嫌が良くなるとは到底思えない。
――まさか……イリスに触れてあんなことやこんなことをしたんじゃ――
想像したくもないような妹と親友のふしだらな絡みを頭の中に浮かべてしまい、メイロードは苦汁を飲まされた気分だ。
目に入れても痛くない程溺愛する妹に粉をかけるだけでは収まらず、万が一にも男女の大人なふれあいをしていようものならメイロードは見過ごすわけにはいかない。
軍馬で駆けながらしょうもない想像がメイロードの胃をキリキリと締め付け続けた。
――私だってヘレインとの逢瀬を出立前に少ししか得られなかったというのに! ~~~~絶対許さんぞ!!
メイロードの婚約者、ヘレイン・ロードハイムとはおおよそ七年という年月婚約者として過ごしてきた。 しかし、国王がメイロードとイリスに幼い頃から政務を強要していた為、婚約者同士の語らう時間は殆ど持つことができなかった。
当時、イリスがメイロードとヘレインの仲を取り持とうと時間を作ってくれなければ、今ヘレインと良好な婚約期間を過ごせてはいなかっただろう。 ――それ程にメイロードは執務に追われていたのだ。
ヘレインは匂い立つほどの美女で、王国中の誰もが彼女の美しさを讃えている。それは出会った十歳の時から顕著に現れていた。
天使の輪が輝く美しく真っ直ぐに伸びた真紅の髪の毛。 清らかな清涼感を感じさせる若葉色の瞳。 すっと通った鼻筋の下にはぽってりとした潤う唇。 右の口端の下の黒子は幼い彼女をより一層大人びて色っぽく魅せた。
同じ歳でいつも隣に並んでいたイリスが童顔ということも拍車をかけていたのかもしれないが、ヘレインは美丈夫と社交界でも知れ渡っていたメイロードと並んでも遜色ない大人びた美しい令嬢だ。
イリスが強い神聖力と臨機応変な対応力・文武両道という天才肌に対し、ヘレインは着実にコツコツと努力を重ね、自分の見目と教養、話術を伸ばして社交界の中心的な役割を果たす為、必要な学びを積み重ねていた。
見目麗しさだけでなく、常に上昇志向でイリスと切磋琢磨する姿、メイロードをたてる為に半歩下がった位置から支えたいという慎ましさ。 ――彼女程王太子妃に相応しい令嬢はいないだろう。
討伐の出立準備に追われていたメイロードは、ヘレインとの時間を半ば諦めていた。しかし、彼女から珍しく『 少しでも会いたい 』と手紙を受け取ったことで、『 少しなら 』と、会う口実を作ることが出来たのだ。
普段こちらの状況を慮っているヘレインにしては珍しいと思ったが、どうやらイリスが気を利かせてくれたらしい。
二人きりの時間を持てたのはどのくらいぶりだろうか。 ――恐らく数週間は経っているだろう。
会えたのは夕餉前の半刻にも満たない僅かな時間だった。 それでも彼女との時間は、メイロードにとって至福の時間であったのは間違いない。
部屋に入るなり美しい微笑みを浮かべたヘレインは、薔薇の花が咲き誇るかのようにとても美しかった。
少しやつれた様に感じたが、会って早々にソファへ座るよう誘いちゃっかりメイロードの膝の上に座らせた。
普段淑女然な振る舞いで凛として佇む令嬢とは思えない程頬を赤らめて、視線は少し逸らしながらも恥ずかしそうに大人しく膝上に腰かける姿はメイロードしか知らない。
少女のように動揺を隠せない揺れる瞳と、頬を赤らめ誘惑するように流し目を送ってくる眼差し。 ほんの少しだけ開いて乞うようにも惑わすようにも見える艶のある唇と黒子。 ――熱の籠った眼差しはメイロードをこれでもかという程癒し、同時に昂らせた。
余計な会話などしなくても、ただ密着しているだけでも濃厚な時間だ。
すでに結婚目前の私たちが身体を重ねて愛の確認をしようと問題はないが、ずっと大事にしてきた婚約者との初めてを自分の昂った欲望だけで満たそうなど、メイロードは絶対にするつもりはない。
彼女の全てを貰う時には、それなりの準備をする所存だ。
――だからだろうか。 ほんの僅かにヘレインとの接触も躊躇ってしまう。 一度触れたら我慢が効かなくなりそうで怖かった。 自分の下心を抑制できたのはせいぜい抱きしめて軽く唇に口づける程度までだ。
それでも、布越しに伝わってくる彼女の柔らかさも温かさも、じわりじわりとメイロードの自制心を崩しにかかる。
もっと触れたい欲求に耐え忍びながらも、軽い抱擁と口づけで終わらせた自分を褒めて良いはずだ。
用意しておいたクッキーを餌付けするように彼女の口元へ運び、小さな口元が艶めかしく咀嚼し動く様をうっとりじっくり欲望丸出しでみつめてしまった。
渡されたブレスレットはヘレインの右手首に輝くブレスレットと揃いのようだが、彼女のブレスレットは金鎖が繊細でドレスにも合わせやすい意匠だった。 対してメイロードのブレスレットは太目の金のチェーンだが、邪魔にならないようバランスを考えた意匠だ。
折角なのでヘレインにブレスレットを付けて貰ったのだが、その仕草は緊張していたのか指先はフルフルと震え、頬は更に紅潮し、眦はほんのり涙で滲んでいるように見えた。
――真剣にブレスレットを付けてくれようとするヘレイン……可愛かったなぁ……
じっくりと彼女の一挙手一投足を見つめた至福の時間を思い出せば、つい口元が緩んでしまう。
――だがザッシュは別だ!
ザッシュウェルはイリスの婚約者でも何でもない。 それに、恋人になることもメイロードはまだ許可していないのだから。
公言はしていないが、イリスの夫はザッシュウェルにしか任せられないと心に決めている。しかし、今はその時期ではない。 その時期が来るまでは、その事を誰にも明かすつもりはない。
だからこそ、ザッシュウェルにイリスを奪われたかもしれない現実に、じっとりと恨みがましく睨みつけても正当な兄の権利であるとメイロードは高を括っている。
今のところイリスと仲直りしたザッシュウェルは、機嫌が良いだけで腑抜けているわけではない。 もしミスなんて起こしようものならそれなりの罰を与えてやるつもりだが、役目を全うするなら、一応は見逃してやるつもりではいる。
メイロードは馬で駆けながら、斜め前を駆けるザッシュウェルをじとりと睨みを効かせ、『 ちゃんとしろよ 』と圧をかけ続けるのだった。
◇◇◇
七日間馬を駆け、途中野営を繰り返しながらもメイロードの率いる討伐隊は予定通りジーサロンド領のボークイン伯爵邸へ到着した。
王都の南西、他国の国境と隣接するジーサロンド領は、緑豊かな森林が多い。平野が広がる広大な領地でもあり、ゲシュールの増幅の影響は覿面に現れた。
障害物となる山や谷がないため、魔獣が一直線に近隣の町や村に到達してしまい被害が大きかったのだ。
領地を守る自警団も領民を守るために動いたが、魔獣の数が多く領民の避難が優先となり、現在三か所の町や村が魔獣の被害で領民は住んでいた家を追われ、領主の邸付近にテントを張って仮住まいを余儀なくされている。
「 王太子殿下、聖女様、わざわざジーサロンド領までお越し下さり至極光栄にございます 」
慇懃な礼で出迎えた領地を治めるボークイン伯爵は、大勢の使用人たちと共にメイロード率いる討伐隊を出迎えた。
「 出迎えご苦労。 まずは現状を把握したい。 着いて早々ではあるがすぐに報告をして欲しい 」
「 承知いたしました。 ではすぐに報告の場を設けさせて頂きます。 まずは使用人が皆さまを各お部屋へご案内致しましょう 」
「 よろしく頼む」
あっさりとした定型文のような挨拶を交わし、部屋に案内された。
◇◇◇
「 王太子殿下、聖女様がお越しになっていらっしゃいますがいかがいたしましょうか? 」
部屋へ案内されたザッシュウェルは、すぐに着替えを済ませてメイロードの部屋でこれからの打ち合わせをしていたが、訪問者に気付き侍従の代わりに訪問の知らせを告げた。
ピリッとした空気に変わり、二人の間には緊張の糸が張りつめていた。
「 …………通せ 」
ザッシュウェルは静かに頷くと聖女を室内へと通した。
「 突然お邪魔して申しわけございません 」
にこりと微笑む聖女。 メイロードの瞳には彼女の身体から黒い靄が微かに映った。
イリスのブレスレットのおかげで聖女の魅了を防ぐ事が出来ているからこそ、冷静に彼女から発せられる微かな黒い靄を感じることができた。
――これが魅了なのか?
入室早々ゲシュールの力を行使してきた聖女に二人は警戒心を抱いてはいたが、こちらの思惑を出来るだけ気づかれたくはない。
警戒心を表には出さず、まるで聖女に好意があるかのようにメイロードは微笑みを返した。
「 構いませんよ。聖女様の訪問ですから。 さぁ、此方へどうぞ 」
すぐに会議が開かれるというのに、やってきた聖女から紡がれる言葉は『 魔獣はどのくらい増えているのでしょうね? 』とか、『 領民はちゃんと避難できたのかしら 』等々、今急いで話すべきことではないものばかりだった。
聖女は話をしに来たのではなく、魅了をかけるためにきたのだとわかる。
すでにチェビルの泉での件でザッシュウェルが魅了にかかったこともこちらが把握しているのを承知しているはず。 ――にも拘わらず、清々しい程に堂々と魅了をかけて自分の思い通りにしようとしても当然のように振舞っている。
――とんでもない女め……
ギリギリと歯ぎしりしたい思いすら堪え、微笑みを絶やすことなくくだらない話にも好意を滲ませるように、メイロードはわざと返事を返した。
給仕された紅茶を飲み終わる前に、聖女は様子見程度で満足したのか『 では後程会議でまたお会いしましょう 』と告げて部屋を後にした。
――はあぁぁぁ……
二人からは調子を合わせたかのように同時に深い溜息が零れた。 まるで聖女の手のひらの上で強引に踊らされているかのような不快感に苛立ちが募る。
「 ……厄介な女だな…… 」
「 そうですね…… 」
苦々しい表情のメイロードに間髪入れずに同意したザッシュウェルの表情も険しい。 ――チェビルの泉で魅了された時の事を思い出したのだろう。
イリスのブレスレットに視線を向けると、美しい光を放っていたエイハルンは少しばかり輝きを失っていた。
「 この調子ではどこまでブレスレットの効果が維持できるか危ぶまれるな…… 」
想像以上に厄介な聖女の行動に、メイロードは先行きの不安を感じずにはいられなかった。




