16 気づいた恋心
討伐隊が王都を旅立ってからすでに三日が経過し、イリスは王太子執務室でメイロードの代わりに政務に追われていた。 とはいえ、すべきことは十歳から五年間、メイロードの側で側近として国王から許可され実際に議会も全て見学していた。
政治に口を出すことはできずとも、視て聴いて学んで対処方法はほぼイリスの頭に入っていた為特に困るようなこともない。 ただ最終的に上がってきた書類には全てイリスが一度目を通さなければならない。 だからどうしても時間がかかってしまうのだ。
しかし、ヘレインが正式に側近としてイリスの側で書類整理から時間管理、予定調整まで、イリスに負担がかからないよう動いてくれている。
メイロードの側近は文官以外はメイロードに付き従っているので、今王宮に残っているメイロードの側近は文官数名のみだ。 彼等とも幼い頃から見知った者たちなのですでに阿吽の呼吸で執務を進めることが出来ている。
元々メイロードの側近として動いていた時から王太子執務室で仕事をしていたのだが、改めて自分用の机を運び入れてもらった。 ――勿論ヘレインの執務机も簡易ではあるが用意している。
常にヘレインとイリスの専属侍女たち、そして護衛のジークとレイゼフがイリスに同行している。
宰相も積極的にサポートしてくれるので、この三日間問題は起きていない。 ――ただ、唯一の問題は五日に一度行われる王権議会だ。
王権議会には、王都に居を許された高位貴族、もしくは認められた貴族が参加することを許された者のみが参席できる会議だ。席は五十席程。
二百年程前までは由緒正しい貴族のみ参席していた。 しかし、二百年の間に徐々に力を付けた新興貴族が、由緒正しい貴族に取って代わり、その議席に腰かけるようになったのだ。 近年では三分の一以上の議席を新興貴族が占めている。
新興貴族が増えることが悪いわけではない。国を良くしようとする貴族を王家は求めているのだから。 しかし、この新興貴族たちの殆どが裏で教会と強い結びつきがあることが判明している。
表向きは教会と心身深い信者の清い関係のように見せているが、実際は貴族の汚い部分を目ざとく見つけては、高位貴族を陥れる手助けを教会が秘密裏に行っている可能性が高い、という情報や、定期的に教会の枢機卿数名と新興貴族の晩餐が開かれている、という話もイリス達の耳に届いている。
政治に関与せず、国と民の安寧のために尽くしているはずの教会が、いつしか政治に裏から口出すことを黙認されるようになってきた。 おかげで王権議会の度に、教会に都合の良い議題をあげられることが増えてしまった。
メイロードはしっかりと裏も取った上で受け入れがたい議題は否決させてきた為、理不尽な議題が可決されてはいない。 しかし、イリスが代行となっている今は、教会からすれば非常に都合がよいだろう。
この状況も見越していたからこそ、メイロードは『 王都を頼む! 』とイリスに念を押したのだ。
「 殿下、こちらの書類は終わりましたわ。 午後は王都の孤児院三か所の視察が入っていますがよろしいでしょうか? 」
「 ロードハイム卿ありがとう。 視察は問題ないわ。 とりあえず予定より少し余裕があるから休憩にしましょう 」
紅茶を啜って一息つくと、上司と部下という関係から一時的にイリスとヘレインの関係は友人関係に戻る。
「 ――そういえば……メル兄様はちゃんとブレスレット付けて下さっていましたね。 ヘレインから渡して下さったのでしょう? 」
「 えぇ、ちゃんとお渡しすることができましたわ。 イリスのおかげです。 」
しっかりとした化粧をしていても、ほんのりと眦を朱に染めているのがわかる。 自分で渡さずにヘレインに頼んで良かったとホっと肩を撫で下ろした。
「 会えたなら良かったですわ 」
「 アランの情報の件もありましたし、ブレスレットを渡すキッカケがなかったら討伐出立前にメル様と二人きりで会うのは難しかったでしょうから 」
「 そうでしょうね、アランの持ってた情報にはメル兄様も驚いていらっしゃったもの 」
討伐の準備だけでも慌ただしかったのに、教会がゲシュールの増幅に関与しているかもしれない情報が突然入ったのだから、どれだけメイロードの陣営が多忙を極めたか予想するのは容易かった。
「 これまでの教会の動きを見れば、国を王家に変わって支配したい考えも透けて見えましたけれど、まさか国の脅威まで利用するとは思いませんでしたわ 」
「 協会が仕組んだのだろう、というおおよその証拠にしかならないですし、まだ公にはできない情報なのですけれどね。 でも、アーティが見つけてきた情報なら間違いなくオルフェルクが主導しているはず。 罠を仕掛けられていないと良いのですけれど…… 」
教会の闇が見えた以上、派遣される神官たちと出征することは危険極まりない。 しかし、ゲシュール討伐は『 浄化 』が必要な為、神聖力がある者の助けがどうしても必要だ。
メイロードは教会の件をまだ公にできない以上、否応なしに聖女や神官たちと同行しなければならない。
「 ――イリス。 メル様も最善を尽くして準備されていましたわ。 だから私たちは私たちの出来る事を致しましょう。 きっとご無事で戻って来て下さいますわ 」
「 ……えぇ 」
二人とも前向きに政務をこなしていても、心配な気持ちは拭うことが出来なかった。 討伐と教会の事が一番の心配事ではあったものの、イリスにはそれ以外でも気になってどうしようもないことがあった。
「……――ところで、ヘレインはメル兄様と二人で会った時どんな話しをなさったのかしら? 」
「 と、突然どう致しましたの? 」
紅茶を一口啜って一呼吸おいてから、イリスは窺うようにヘレインを見つめる。 滅多に異性とのあれこれを話すことのないイリスの反応に、ヘレインは目を瞬かせた。
「 二人は婚約していらっしゃるでしょう? どんな話しをしたのか気になりますわ 」
「 イリスが私とメル様の事を気にするなんて! ……まさかザッシュと何かありましたの? 」
「 な、なぜそれでザッシュが出てくるのでしょう?! 」
わかりやすい程に動揺して顔を朱に染め、あたふたと視線を泳がせるイリスにヘレインは確信した。
「 今まで異性交友に興味なんて持っていらっしゃらなかったのに、いきなりそんな話を振られましたら嫌でも気づきますわ。 ……それにイリスが一番慕っているのがどなたかなど、皆知っていることでしてよ? 」
「 そうなの?! 」
皆知っているという言葉に動揺が隠せない。
確かにザッシュウェルとは気心知れた仲だし、いつもそばにいてくれたから周りがそう考えてもおかしくないかもしれないが、幼馴染であるザッシュウェルに申し訳ない気持ちが込み上げる。
「 ザッシュはメル兄様の側近ですし、私の事も守って下さっていましたから親しみを持って当然でしょう? それなのに慕っていると彼に知れたら……ザッシュに迷惑かけていたら申し訳ないですわ…… 」
「 ザッシュはイリスが彼に好意を抱いていたら迷惑と思うとでも思っていらっしゃるの? 」
「 迷惑に決まっていますわ! 幼馴染なのに……。 私の事はいいでしょう? それで、メル兄様とはどのようなお話をなさったの? 」
慌てふためき追及してくれるな、と拒絶しているにも拘わらず、ヘレインの話を聞く気は満々らしい。 可愛らしく頬を染めるイリスにヘレインはクスっと思わず小さく噴き出した。
「 そんな大したことは話しておりませんわ。 好意を持つ男女がする当然な行為くらいしかしておりませんもの 」
「 当然な行為? ……どんなこと……なのかしら? 」
「 どんなって……抱擁したり……特別な言葉を交わしたり……恋人ならするようなことですわ! 」
「 ほ、抱擁……特別な言葉…… 」
ヘレインの言葉をブツブツ復唱するイリスの明らかに普段とは異なる言動に目を瞠る。
「 イリス? ……本当に一体どうなさったの? なんだか貴女らしくございませんわ…… 」
「 ――!! ……ごめんなさい…… 」
ハッと我に返った様子のイリスは、しゅんっと分かりやすいほどに肩を落として眉尻を下げていた。
「 別に怒ってはおりませんわ。 それより教えて下さらないかしら? 私たちは親友でしょう? 」
「 ……抱きしめたいって言われて……嫌じゃなくて…… 」
普段のハキハキとした声音はどこに行ってしまったのか。 今のイリスは頼りなげな振る舞いで顔を真っ赤に染め上げて、口をもごもごさせ懸命に言葉を紡いでいた。
「 ザッシュがイリスを?! あの忠犬が⁈ 」
忠犬という言葉にはどうかと思ったが、イリスは素直にコクリと頷いた。
「 ……あの生真面目なザッシュが随分思い切った事をなさいましたのね…… 」
ザッシュウェル・ヘルスベートは誰もが口を揃えて言う生真面目な男だ。
メイロードの敷いていくレールをしっかり露払いし、国を守り安定させてきたことで、今のロワイトス国の平和が保たれていると言っても過言ではない。
誰よりもしきたりやルールは徹底して守る為、やましいことがある貴族や粉をかけようとする令嬢を寄せ付けなかった。
イリスの事を誰よりも想っていることは周知の事実であり、彼がイリスに余程のことがない限り社交のマナーを守って触れない、というのも誰もが知ることだった。
そのザッシュウェルがイリスに抱きしめたい、と乞うとは衝撃でしかない。
「 ……こんなこと初めてで、抱きしめたいと言われて……つい自分から飛びついてしまったの 」
「 飛びついたですって?! ……イリスが⁈ 」
ザッシュの発言以上にヘレインは声を荒げて驚愕した。
イリスもザッシュウェルと同様、これまで国の為にメイロード以外の異性には適切な距離感を心がけてきた。
王女としても、為政者としても、淑女としても、国の代表であるという意識を幼い頃から持たなければならなかったイリスとメイロードの姿をヘレインは見守ってきた。
その彼女が、異性に飛びつくというはしたない行為をしたことに驚くのも仕方ない。
「 心配で堪らなかったから……でもその後離れ難くて―― 」
「 離れがたいって……それで? その後どうなさったの? 」
イリスのもったいぶるような言い方に、ヘレインは早く続きをとせがむように身を乗り出して問う。
「 ……覚えていないの……気づいたら朝でしたわ…… 」
「 ――朝⁈ 貴方達一体いつ会っていらっしゃったの?! 」
ヘレインの問いの意味はよくわからなかったが、気づいたら朝でザッシュウェルの姿もなかった。 だから何もなかったとしか言いようがない。
イリスはコクリと躊躇いがちに頷いた。
「 まさか……もう二人は恋人同士でしたの? 」
「 恋人? ……ザッシュが? 」
想定外の言葉を投げられたイリスは一瞬思考が停止した。
これまで幼馴染として、どんな時もメイロードとイリスを一番に考えて動いてくれていたザッシュウェルを好きになるのは至極当然で、当たり前だった。 ――もはや家族のようにすら思っている。
けれど、メイロードとヘレインのようにザッシュウェルを好きかと問われると自信はない。
イリスには婚約者はまだいない。
メイロードとイリスが、これからロワイトス国を二人で共に力を合わせて反映させる未来図を国王が公に示している為、イリスの結婚は非情に繊細な問題になる。
他国へ嫁がせるなど言語道断。 国内の高位貴族から婿を選ぶというのも、国王はまだ決めかねている。 他国から婿を貰うにしても、ゲシュールの増幅による国内状況が落ち着かなければ難しいだろう。
イリスは自分が自らの意思で夫を選ぶ権利を得られるとは思ってはいない。 ――あくまでモブ的な王女が、国の為に生きるのが一番最善の道。 と思っている。
メイロードが結婚して国母となるヘレインを支え、いずれ落ち着いたらメイロードから縁談の話を貰えばよいと考えていた。 だからこそ、自分が誰かを愛することを真剣に考えたことはなかった。
「 だってそうとしか思えませんわ。 抱き合って気づいたら朝だっただなんて……私やアーティなら同性だし幼馴染だから良いとしても、ザッシュはたとえ幼馴染みであっても忠臣で男ですのよ? 今までイリスだって余程のことがない限り、異性と触れあうことは避けていらっしゃったじゃない 」
そうなのだ。 これまでのイリスは貞淑できちんと異性との距離感を弁える王女だった。 しかし、ザッシュウェルと話ができない間、何故? どうして? という疑問が後を絶たず、不安な気持ちが募れば募る程彼に触れたくて堪らなかったのだ。
それでも、会ってすぐに彼に触れるのは躊躇われた。 ――否、してはいけないと思った。
しかし、『 イリス……その……抱きしめても……いい、だろうか―― 』というザッシュウェルの言葉で、イリスの箍が外れてしまったのだ。
「 私……ザッシュを触れたいと思ったのは好き……だからなのかしら…… 」
「 それはわかりませんわ。 けれど、私はイリスが誰にでも触れたがるような節操なしとは思っておりません 」
自分の行動の意味が分からず、視線を彷徨わせて動揺するイリスを引き戻すように、ヘレインはきっぱりと言い切った。
「 ……ヘレイン…… 」
自分を信じてくれるヘレインに熱い想いが込み上げる。 どんな時でも味方でいてくれる貴重な親友。
出会いはメイロードが婚約者であるヘレインと上手くいくようサポートする為に、紹介して欲しいとイリスがメイロードにお強請りしたのがきっかけではあったが、彼女はいつでもイリスの幸せを考えてくれる。
「 ご自分の気持ちを偽る必要はないのでは? 想うことは自由でしょう? 」
「 この気持ちが? 私はザッシュを好きになっても許される……のかしら? 」
「 それは私にはお答えしかねますわ。 けれど……イリスはいずれ国王となるメル様の治世を支える最も大きな柱となられる方でしょう。 国に尽くす意思を示されている貴女を、メル様が無下にするとは思えません 」
「 ――先の事は……自分次第……と? 」
「 先の未来などどなたにもわかることではありませんもの。 けれど、国の為に実利を上げて実績を上げてきたイリスでしたら、自分の描く未来を突き進む事は至難ではないのではないかしら? 」
「 私がザッシュと共にいることが国の為になると示せればよい……のかしら 」
「 断言は致しません。 けれど、否定的な考え方はイリスには似合いませんわ。 」
「 ……ヘレイン 」
今はまだ見つからない答えにも、ヘレインは諦めるなと肩を押してくれているように感じた。
国王は余程の利がなければイリスに自分の夫を決めることを許さないだろう。 しかし、困難と思われた事をこれまでイリスは、皆の力を借りて乗り越えて実績を上げてきたのだ。
――否定的な考え方は私らしくない
ヘレインの言葉は心に染みわたる様に広がり、イリスの気持ちは不安に覆われている心の雲の切れ間から温かい日差しが差し込むのを感じた。
「 まだザッシュへの想いに気付いたばかりなのでしょう? ゆっくり向き合ってみてもよろしいのでは? 」
「 そうね。 ヘレインのおっしゃる通りですわ! 流石未来のお義姉様ね 」
「 ふふふ、まだメル様と結婚できると決まったわけではありませんけれど、私も貴女の幼馴染の一人ですもの。 イリスに頼っていただけることは私の誉れですのよ 」
「 ありがとう。 ……私、チェビルの泉以降突然ザッシュに距離を置かれて……心細かったのかしら…… 」
イリスはチェビルの泉で起こった悲劇を思い起こす度、見たこともないザッシュウェルの悲痛な面持ちを忘れられなかった。 だからなのか、イリスはなんと声を掛けたらよいのかわからなかったのだ。
『 私は大丈夫だから 』なんて言えるわけもない。
ザッシュウェルに剣を向けられた瞬間、聖女に魅了されたのだと気づいても心臓が凍り付き、何か太い鉄の棒でぐりぐりと胸を押しこめられたかのような痛みが走った。 自分の味方だと疑わなかった彼の行動に、衝撃を受けたのは仕方なかったと思う。
きっとそれはザッシュウェルも同じ気持ちだっただろう。
今でも思い出す度に襲い来る胸の痛みと、背筋を伝う寒々しい程のあの凍てついた彼の瞳に自然と涙が零れそうになる。
それでもこのまま碌に話をできずザッシュウェルが討伐に出立してしまったら、イリスは絶対後悔すると本能的に察知していた。 だから、出立前夜に彼が自分の部屋に来てくれたことが嬉しかったし、自分の感情を抑えることが難しかった。
「 ――ザッシュが前夜に私に会いに来てくれた時触れたくて堪らなかったし、背中に回した腕を離したくないと思ってしまいましたの……結局何も気持ちを確認し合うこともできずに、気づいたらそのまま眠ってしまっていましたわ……朝気づいたらザッシュはもう居なくて、なぜかベッドの上でしたの…… 」
「 ……離れがたいくらい恋しかったのですわね 」
「 ……恋しかった……のかしら? でも離れたくなかったのは確かですわ……眠るまで離れたくなくて抱きしめた手を緩める事ができなかったのだもの 」
「 ……なら、これからよぉ~くご自分と向き合ったらよいのではないかしら? 」
「 自分と向き合う? 」
「 えぇ、どの道私達は今多忙な日々を過ごしておりますし、予断を許さない状況でしょう? まずは焦らずやるべきことをしながら、自分と向き合う時間も必要だと思いますの。 きっと再会するまでに何か見えてくるものがあるのではないかしら? 」
「 ……ヘレインも……メル兄様への想いをそのように確認なさっていたの? 」
「 ――!! ……っま、まぁ……そうですわね! 」
突然自分の事を不意に聞かれて動揺したヘレインだったが、返事には偽りなどないようだった。
「 それでしたらメル兄様への気持ちに気付くに至った過程を教えて下さいませ! 参考にしたいですわ! 」
「 そ…それはっ…… 」
「 ――お願い……ヘレインっ!! 」
イリスの瞳はここ最近では見る事の出来ない程の輝きを放ち、ヘレインに期待する想いを溢れさせたのだった。




