10 聖女様は気づいたのかしら
夜会で羽織っていた純白の聖女服より多少簡素ではあるものの、こちらに歩み寄る彼女は聖女然な装いだ。 ――あくまで装いだけを見れば、だが。
初代聖女には、もう少し聖女と話をしてからどうすべきか考えたいと告げた。 しかし、それは聖女が良い人かもしれないから、という理由ではない。 ――小説のヒロインかもしれない異世界の魂を、自分に浄化する権利があるのか躊躇われたからだ。
この世界の神の意に従うべきか、小説の主要人物になるべく関わらないよう避けるべきか――
きっと答えは決まっていた。 だが、自分が小説の脇役である事を見ないフリできなかった。
夜会での聖女から感じたゲシュールの気配を考えれば、そんな悩みなど些細なことだというのに。
決断の猶予は聖女の登場によって搔き消えた。
再会した聖女の目には光が宿っておらず、彼女の周りにはどんよりと黒い靄が漂っているようにすら感じる。 夜会の日の印象より更に酷い。 気味が悪い。 という表現がしっくりくる程の不気味さだ。
「 聖女様、ご機嫌うるわしゅう。 なぜこちらへいらっしゃったのでしょう 」
イリスは嫌悪感を悟られないよう平静を装い、軽装のミニスカート丈のスカートの裾を摘んでお辞儀した。
エイハルン採取の為だけでなく、万が一にも戦闘があった場合を考慮した本日の装いだ。
ロワイトス国の女性は、たとえ騎士であろうとパンツスタイルのみの装いは禁止されている。 必ず乗馬ズボンより薄手のタイツのようなズボンの上に、ミニスカート丈なり膝丈なりのスカートを履くことが義務とされているのだ。
これは、騎士であっても、最低限淑女らしさを忘れないようにする為と言われている。 ――かなり苦しい理由だが。
また、防御に適しているとも言われている。 ――たかが布切れが攻撃から身を護る役に立つとは思えないが。
一番は、体のラインが目立つパンツスタイルでは、男たちが目のやり場に困るという意見が多く、身体のラインを少しでも隠してほしいという騎士団でも上層部の意見が強かったという。
どの理由もくだらない、とイリスは思ったが、それでも国の女性の頂点に立つイリスが率先してパンツスタイルで戦闘に立つわけにはいかない。 その為、ミニスカートをパンツスタイルの上に履いているのだ。
今回のチェビル訪問は、あくまで採取しやすいようにという体での軽装にしている為、防具は一切身に付けていない。 勿論帯剣もしていない。
イリスの装いは、厚地のシャツの上に短い丈の黒ジャケット。動きを遮らない程度に締め付けたコルセット、薄地の黒ズボンに黒のプリーツのミニスカートを履き、いつでも駆けることができるよう焦げ茶色のロングブーツを履いている。 ――聖女とは正反対の色合いと言えるだろう。
唯一の装飾具は首元のジャボに留められたシトリンがはめ込まれた飾りのみ。 ――決して誰かの瞳の色を意識して身に付けているわけではない。
「 あら? 私が望めば駄目なことなど何もないわ! それに、今から人数は減るのだから、問題ないでしょう? 」
イリスの挨拶に、ただ気味の悪い笑みを浮かべるだけの聖女は、大げさな身振り手振りで返した。
この聖域は神聖力の強い者であれば、入ること自体は問題ない。 ――問題は、入る人数なのだ。
聖域に入ることができるのは、用事のある神聖力の強い者と、護衛二名までと決められている。 その為、聖女一人であれば問題はなかった。 しかし、五、六人の聖騎士隊員の動向はよろしくない。 ――その中に果たして何人神聖力を持った者がいるかすら謎である。
最後の不穏な言葉は、ニタァと不気味に笑みを浮かべる聖女の姿が、より不安感を増長させた。
「 ――イリス、危険です! ひとまずお逃げなさい! 」
すかさず初代聖女がイリスに叫んだ。
「 あららぁ~? 神託を下さる神様は、私を悪者扱いですか? ――貴方が私を聖女だと決めたのに? 」
あはは……と嘲るように声を出して笑う聖女の慇懃無礼な態度は、何をしでかすかわからない危険な香りを孕んでいた。
とても同じ異世界人とは思えず愕然と見つめていると、叱咤するようにジークが叫び声をあげた。
「 ――姫!! 初代の言葉に従ってください! 行きましょう!! 」
聖女からの視線を逸らせなかったイリスは、ジークが自分の手をぎゅっと握り引っ張ってくれたことで我に返った。
――そうよ、怯えている場合ではない! 決断するなら今よ!
イリスは気持ちを奮い立たせ、聖域を脱出するため即座に駆けだした。
聖域に足を踏み入れていた聖騎士隊員たちは、イリスたちを囲い込んでいたがジークはあっさりと片手で剣を持ちいなしていく。 あまりにもあっさりと聖騎士隊員たちを退けていく彼の強さに、こんな緊迫感に苛まれる状況であっても感嘆としてしまう。 ――後はザッシュウェルと共に王宮へ逃げるだけだった。
――しかし、聖域の鉄格子の前で待機していたザッシュウェルは、なぜかこちらに剣を構えて敵意を向けていた。
――ザッシュ⁈
なぜこちらに剣を構えているのか理解できない。
「 ザッシュ! 逃げるわよ!! 」
目の前で叫ぶイリスに、彼は構えたままとんでもないことを告げた。
「 聖女様の為に王女殿下をここで逃がすわけにはいかない 」
唐突に告げられた敵対発現に、流石にジークも目を瞠り、動揺を露わにする。
「 あんた何言ってるんだ! 」
「 聖女様のためにもここは通さん! 」
ジークの問いかけに応えることなく、ザッシュウェルは地を這うような声音で吐き捨てると、即座にこちらへ戦いを仕掛けた。
ジークは彼の強さを痛いほど知っている。
それはザッシュウェルが王国随一の剣の使い手だからだけではない。 ――彼がジークを育てた師だからだ。
イリスと出会ってから、ジークは誰を師として仰ぐのかすぐには決まらなかった。 しかし、十三歳にして王国随一の剣の使い手の名を手にしたザッシュウェルは、 イリスの命の恩人であるジークが将来彼女の為に役立つと直感で感じた。 ――結局、彼の慧眼に叶いジークは特別に指南を受けることになったのだ。
だからこそ判る。 片手でザッシュウェルの剣を受け止めることなど、到底不可能であることを。
ジークはイリスの手を放し、彼の剣に向き合った。
キーーンと、凄まじい剣のぶつかり合う音が劈くように響く。
重い一撃に唸るジークは、即座に蹴りを腹部に食らわせて間合いを取ってから次の攻撃に応戦する。
激しい剣戟の音と、地面を蹴る土埃、荒々しい男通しの叫び声がいかに激しい戦いを繰り広げているか容易に見てとれる。 ――しかし、イリスだけはこの惨状が理解できなかった。
誰よりもイリスの味方であったザッシュウェルが、イリスに刃を向けたのだから。
その衝撃は稲妻が身体を駆け抜けたかのような強い衝撃だった。
「 ――姫!! こいつは駄目だ! 先に逃げろ!! 」
普段、ザッシュウェルが剣聖のオーラスキルを使えば、勝負が長引こうとジークに勝利の女神は微笑まない。 しかし、今のザッシュウェルはオーラスキルをうまく使いこなせていない。
瞬発のオーラスキルを扱うことに長けたジークにとって、オーラスキルを自由自在に扱えていない今のザッシュウェルならば、勝機がないとは言い切れないだろう。 ――しかし、戦闘後にいイリスを守りながら逃げる体力が残っているかはわからない。
だからこそ、イリスを先に逃がしてから隙を見てザッシュウェルを躱し、彼女の後を追うのが最適解だと判断した。
「 嫌よ!! 私はザッシュウェルを見捨てない!! 」
ジークの言葉を拒絶したイリスの瞳には、揺らぎない決意の炎が立ち上がっていた。
「 ――姫⁈ 」
ジークの苦痛に満ちた叫び声が耳に届こうと、イリスの眼差しは変わらない。
一瞬にしてイリスの意思を自分が変えることなど不可能だと察しても、叫ばずにはいられなかった。 イリスはジークにとって神にも等しく、誰よりも大切な女性だったのだから。
しかし、イリスは胸の前で手を組み祈りの姿勢を取った。
『 解呪!! 』
突如イリスの身体から光が溢れ、暖かい何かにつつまれたような心地に、剣戟を続けていた二人は固まった。 対峙していたザッシュウェルも同じように愕然としている。 ――光がいつの間にか消え、包み込まれていた暖かさから解放されると、スンと冷静な思考が戻っていた。
「 ……俺は……何を―― 」
一番驚きを隠せないのはザッシュウェルのようだった。 その面持ちは、この世の終わりとでもいう程に青褪め信じられないという表情だった。
「 ――どうやらうまく解呪できたようね 」
ニコリと微笑むイリスは、何事もなかったかのようにザッシュウェルに話しかけた。
「 イリス……俺はなんてことを―― 」
表情を見る限り、自分がイリス達に刃を向けたことを理解しているのだろうか。 それならば悲壮感に苛まれても仕方ないだろう。
周りの聖騎士隊員たちも、顔面蒼白で状況に戸惑っているように見えた。 しかし、ゆっくりと状況を把握する時間はイリス達にはない。
「 ――あら? もしかして正常に戻っちゃった? 」
まるでこうなっても仕方ないことをわかっていたかのような発言をした聖女は、クスクス笑い声を上げながら、再びザッシュウェルを見つめた。
『 結界!! 』
咄嗟にイリスは夜会の時と同様に聖女から微かに漏れ出て見える黒い靄から全員を護った。
「 ………… 」
表情も態度も変わりない人々の反応に聖女は無言となり、周りはただ黙っている聖女といイリスの様子を神妙な面持ちで窺う。
「 ~~~~やっぱりあんたが原因だったのね!! 」
先程まで気味の悪い笑顔を浮かべていた聖女は、憎々し気に歪んだ表情を露にした。
その表情は、夜会の入場時に向けられた歪んだ表情とは比べるにも値しない程歪んでおり、まさにイリスを射殺さんばかりの怨念が滲み出ているかのようだった。




