〇1-3 女王蜂
魔業について口にしたサクライは、ビール片手に偉そうに笑っている。もう見慣れてしまった不快な顔。慣れてはいるのに、キルカは直視する気になれなかった。
「オレ達みたいな『もってるやつ』こそ、魔業をしっかりコントロールしていかないといけねえ」
「……」
「さっき。魔人の立場が悪くなってるって言ったよな」
「うん」
「人間もピンキリだ。汎人、魔人なんて関係なく、変に魔業みてえな力を持ったら、自分の欲を抑えられないやつってのは多い」
サクライは座り、空いたグラスをキルカに差し出した。キルカはビール瓶の王冠を爪の先でつまんで外し、注ぐ。
「オレたち鳴牙組でも魔業研究への投資やらはシンジュク近辺で昔から進めてたんだがな。ようやく『いいもん』も出来てきたから、試作品をもって市場の開拓を慎重に進めてきてた」
「いいもん?」
「詳しくはいえねーが、仮に正式に広く売り出されれば、どっかの大企業の仕事はなくなるだろうよ。需要は死ぬほどある」
「そーなんだ」
やくざものたちが秘密裏に開発していた魔業。正式にどこかで売られるという可能性はかなり低そうだが、別ルートでの販路を拡げようとしているということだろう。キルカは目を細めた。
「しかしどうにも末端の連中の制御が利かねえ。オレたちのノウハウをかっさらうみてえに、サンプルの魔業で勝手に悪さしたり国内外の研究機関に持ち込んだりで悪い流れになってきてやがる」
「……そうなんだ」
「そんで結局、いわゆる半グレ、闇バイトみてえな、大したケツモチもろくに居ねえやつらが、その魔業で窃盗、強盗、空き巣に誘拐、色々好き勝手やりだしてんだ。結局、『こんなん根本的に魔人に原因あんだろ』みたいなよくある話になってるわけよ。魔業はオレらの技術だって喧伝するわけにもいかねえとこで、警察やらなんやらが絡んで、だんだん収拾つかなくなってきてんだ」
ろくでもない話は魔人が原因。
汎人社会では『いつも』の話だ。
「えっと。私が協力することって?」
サクライは頷いた。
「『女王蜂』になってもらいたい」
キルカは本当に意味がわからず首を捻った。
サクライは自分の両手を握るように組みだした。
「キルカよ。お前にはいいところがたくさんある」
なんだろう。きちんと正座し直す。
「一つは顔がいい。あの母親よりポテンシャルがある」
「やった。お母さんの前では絶対言わないでね」
キルカの母はこの遊郭【ジュリエット】の高級遊女である。
「二つ目は肉体が強い。身体能力が魔人の中でも圧倒的に飛び抜けてる。そのへんの人間に拘束される可能性がねえ」
サクライは部屋の隅を眺めた。
「その担いできた鉄パイプ、歯で粉々にする曲芸でもやろうとしてたんだろ? 普通の魔人じゃそんなん不可能だ。お前のタメのやつらも、頭のツノでスリングショットしたり、指で酒を凍らせたり、念力でスプーン曲げたりしてたが、お前のシンプルで強力な『力』ほどのもんはない」
「あははっ。そこまでしようとしてないし。あとみんなのこと言わないで」
力は建設会社で働いていた魔人の父親ゆずりのものだ。
「そして三つ目」
「まだあるの」
「おまえは昔から、とぼけたフリしてオレの話をちゃんと理解してる」
「……おみとーしじゃん」
「そこが今いる若い娘らとは全然違うところで、お前自身の能力だ。要するにお前は、顔が良くて、肉体が強く、頭も良い。そういう奴は誰も放っておかねえから、遅かれ早かれ誰かに担がれるウツワだと思ってる。だから今日、時間を作ってもらうことにしてたんだよ」
その言い方だと、前々からキルカに目を付けていた上で、一八歳になった自分を囲おうとしているということになる。少し肩が重くなるような気分になった。
「要するにさ。サクライさんたち鳴牙組とのつながりを隠したまま、あたしにトーキョー魔人界隈の半グレ達のことをうまいことまとめるとか……その手の情報が集められるようなポジションになって欲しい、って言いたいんでしょ。蜂だから」
サクライは口元を押さえて笑った。
「まったく話が早くて助かるぜ」
「むりだよー」
笑いながら言いつつ、キルカは本心で無理だと思う。
話の流れから考えても生活リスクが高すぎる。父を死なせた魔業のゴタゴタに巻き込まれるくらいなら、この【ジュリエット】で生きていく方がずっといい。気の置けない同僚もいるし、母親も一応近くにいる。女王蜂とかいう立ち位置に本当になろうものなら、今の生活は続けられない。
だいたいそんなものは女王などではない。せいぜいサクライのための蜜蜂の一匹だ。
「報酬は出す。住むところも自由にしてやる。ただお前がトーキョー特区内での人脈を拡げて、たまーにオレと【おしゃべり】してくれりゃいいんだよ。ちゃんとその他の仕事だって用意できるぜ。遊女なんかじゃねえ、自分の店とか会社作るってのもいいじゃねえか」
遊女なんかという言葉で、キルカがサクライに興味を持っていない理由を思い出した。
この人は、常に他人をうっすらと見下している。
「正直にいうと、いまは本当に無理かな。てか一八だしそういうの早いよ……」
キルカがこぼすと、サクライはゆっくりとため息をついた。
「まあキルカよ。無理だと思う理由は聞かねえし、オレに言うなよ」
「それ、どういう意味ですか?」
「やらねえってんなら、その理由を潰さなきゃならねえだろ」
キルカは自分が息を飲み込んだのがわかった。
「オレ個人としては譲歩してやりたいが、いまはそうも言ってられねえから今日も来てんだ。こっちの都合でいえばもうオレ個人の意向でもない。鳴牙組って組織の問題で、魔業の協働開発機関との話にもなってる。鳴牙組が街ひとつも仕切れないようなら、永い関係にはなれねえってな」
「そーいうまじな話って……」
「急だよな。だがそんな状況だから、動くたびに『成果』の一つでも持ち帰らねえと、オレの立場もなくなっちまう」
彼も誰かの蜜蜂なのかもしれない。
サクライは立ち上がって、『星の間』のもう一つの部屋の襖を勢いよく開けた。
「それでも決断できないなら、今ここでオレの女になれ」
星の間のもう一つの部屋は、四隅に置かれた照明による淡い青の光が灯っている。
そこちはいつものように、客がすぐに寝られるようにふかふかの白い布団が二枚、十畳ほどの部屋の中心に敷いてある。
大きな窓はあるが、遠目からは中が見えない作りで、細い目で木の格子が嵌っている。窓の外では街のネオンが輝き、部屋にわずかに入り込んでいた。
部屋の奥。客と遊ぶための玩具が入った木箱が窓からの光に照らされているのを見て、キルカは母親や他の先輩遊女の顔をぼんやりと思い出す。
普段のその表情が明るかったか暗かったか、それ以外の感情が載っていたかは、今は思い出せない。
「オレが手をつけてる女だってわかってりゃ、今後の他所の組織の絡みも随分少なくなる。その間にお前の中でさっきの話の結論を出してもらえるって約束できるなら、それは十分今日の成果になる」
サクライは正座するキルカに近づき、右肩に手を置いてきた。力は籠もっていない。乗せているだけ。しかし言いようのない不快感を首元に感じる。
この【ジュリエット】にいれば、いわゆるお得意様として『旦那』を持ったりすることは少なくない。きっと同僚のみんなもぼんやりとそんなイメージを持っているし、先輩遊女も母親も、きっとそれぞれの形で客を取っている。誰かに明示されるでもなく、この遊郭の遊女らしい形で客との関係を継続させて、お金をいただいている。
自分にとってのそれが今で、彼なのか。
考えながら、キルカは一つ思いついた。
「サクライさん」
キルカは立ち上がり、こちらを見るサクライを見返した。
やはり身長差はそれほどなく、キルカのほうが高い。
「もしかして今日の話、お母さんも知ってる?」
サクライは少し目を丸くしたが、すぐに余裕のある笑みに戻った。
「オレがお前をこの部屋に指名したのは知ってるだろうよ。それ以外はどうだろうな」
魔業の件についても、母が全く知らないなんてことはさすがに考えられなかった。もっといえば、母がサクライの指名に応じるにあたって、こういった場合を一切想定していないことが考えられなかった。
父を亡くしてからすぐにキルカを連れて遊郭に戻り、あっという間に上にのぼり詰めた母親だ。母の行動に意図が全くないとは思っていない。
しかしそうであれば、ここで話されていること、要求されていることは、【ジュリエット】の仕事の範囲、あるいは母の意向ともいえるのかもしれない。
……それなら。
それなら?
「そっか」
キルカはサクライとすれ違うように、星の間の奥へと歩いていく。サクライも部屋の中に入り、後ろ手に襖を閉める。
元いた部屋の橙の光が届かなくなり、部屋の隅の四角い照明の青い光がぼんやりと二人を照らした。天井には無数の白い光の粒が見え、ここが『星の間』と言われる理由がそこにあった。
「どうするよ」
サクライの問いには答えず、キルカは和装のまま、敷かれている布団の中心に仰向けに寝転がった。髪が乱れるが、気にもしなかった。
青く光る部屋の天井に、白い光が点々と輝いている。
先輩遊女の誰かも、この天井を見あげる日があったのかもしれない。それを数えながら、ゆっくりと夜が明けていく日もあったのかもしれない。
少なくともこれが、キラキラした魔法でもなんでもないことは明らかだった。
「よくわかってんじゃねえか」
サクライはスーツのジャケットだけを脱いで、キルカの身体の上に跨るように倒れ込んできた。身体には触れていないけれど、キルカは全身が鉄パイプのように硬く真っ直ぐに伸びるのを感じる。彼は小さいから、肩越しにいまだ星が見えている。
「そうしてくれるってんなら、今日がめでたく『水揚げ』の日になる」
母に連れられ【ジュリエット】に来てから、母本人とほとんど会話をしなかった。
父を亡くして塞ぎ込んだり、思い悩む暇も片時だけ。父の葬儀の後、母は当時住んでいたマンションを引き払ってヨシワラ区画に引っ越した。
そのまますぐに【ジュリエット】にキルカを連れてきて、店の寮での生活が始まった。
母が若い頃ここで働いていて、父と結婚してからここを去ったのを知ったのは、初めての仕事用の化粧を遣手の女性に施されているときだった。
「キルカ」
天井の星を見つめたまま、耳元に息がかかる。囁かれる言葉に怖気が立って、この人の匂いも苦手だったのを思い出す。
サクライから提示されたことは『これ』で保留になるのだろうか。
しかし彼の様子から、結論を出すまでの猶予もきっとない。キルカだけではなく、きっと他にも同じ役割を既に任されたり、期待されている人がいるに違いない。
それでもサクライはどこかの誰かから急かされて、わざわざこんな話を持ってきているのだろう。
断ればきっと『今』を壊されてしまう。
この話は元からキルカに選択の余地なんてない。
自分の良いところだというものも、ほとんど両親から貰えただけのものであって、キルカが選び取ってきたものでもない。なんで自分なのかと喚いてみせたくなる。
考えるほど、ただひたすらに流されている事実を認識してしまう。
未来に期待せずに日々をやり過ごしていたら、欲しくもない未来の形が徐々に外堀を埋めてきている。
どうすればよかったのだろう。
もっと母親と話すべきだった。
訃報を聞いて泣かなければよかった。
事故の連絡をきいたとき、遊園地に行けないと思ってがっかりしなければよかった。
一緒に遊園地に行きたいから帰ってきてと、父親に何度もせがまなければよかった。
父親が嫌いなら。両親のことが、あのときの家族のかたちが、大嫌いならよかった。
「…………」
葬儀場で嗅いだ線香の香りが漂った気がした。
自然と瞳の表面がわずかに濡れて、サクライは目尻を伝うそれを指でゆっくりとすくった。
「悪いようにはしねえよ」
ごそごそと自分の胸元で衣擦れの音がするのを聞きながら、キルカは何も考えないようにただ目を閉じた。
それから数秒もしないうちに、近くで窓ガラスが割れる音がした。
「なんだ?」
サクライはキルカに覆いかぶさったまま、緊張感のある声色で呟いた。
星の間の室内の音ではない。しかし音が近く、床が揺れるような感覚があった。
バタバタした客とのトラブルの雰囲気を感じて、キルカはいつもの現実に引き戻された。同僚たちの顔を思い出し、普段の自分が意識のなかに帰ってきた。
「そういえば今日、他の子たちは?」
「さぁ。ウチの若いもんと遊ばせてるはずだが……なんか喧嘩でもしてんのかね」
「だったらあたし止めに行く」
「よくあることだろ。それより今は楽しませろよ」
サクライはキルカの肩を掴んで、ぐっと体重をかけて抑え込んできた。
「お前ほどの上玉……オレも中々引けねえんだから」
今度は若い女性の悲鳴。食器が割れる音も聴こえた。
サクライは音に動じることなく、和装を乱しているキルカの身体へ視線を落としてくる。酒が入っているためか意識が前のめりになっているようで、酒臭い息を荒くさせている。
血が冷たくなり、目が覚めたような気になった。
「どいて」
「あ?」
「どいてよ、サクライさん」
右手で拳を握る。しっかりと力が籠もった。幸い、鉄パイプを引き裂くような力は誰に奪われるものでもなく、いまだ手のなかにあった。
「ほっとけっつうの。さっきの話……自分の立場はわかってるよな?」
「さー。そんなことより、騒ぎをおさめたり片付けるのも若手の仕事だって散々言われてるから。あたしはぜんぜん、そーいう立場」
キルカがサクライの手を掴むと、彼は微動だにしなくなった自分の手を見て、怯んだように身体を起こした。
「だいたいさ、抱かれるなら自分より強いヒトがいいじゃん」
キルカはサクライの右手を掴んだまま、押しのけるように無遠慮に立ち上がった。彼が痛みで顔を歪めても気にすることはない。
一緒に立って、閉じた星の間の襖に向けてサクライの肩を突き飛ばす。サクライは転倒し、襖は簡単に外れて、右手を抑えながら床に転がった。
「い、ってえな……!」
「あたしはー。キラキラした魔法の中で、つよくて優しい王子様がエスコートしてくれる世界を望みまーす」
「……んだよ、無ぇよ。魔法も、優しい王子様も」
そんなことはわかっている。
ここはトーキョー。
ただの『魔境』だから。
「でもあたしがそのウツワだって教えてくれたの、サクライさんなんですけど」
「はぁ、何言ってんだ」
サクライを見下ろしながら、キルカは乱れた和服を直しつつ、廊下側の襖に向かって歩き出した。ついでに部屋の隅にある三本の鉄パイプを肩に担いで、サクライに向けて笑顔で振り返った。
「あたし女王さまだから。わがまま言っても許されんの」
おとぎ話の悪い女王に王子さまなんてやって来ない。
この彼でもなければ、きっと誰も。
苛立った様子のサクライだったけれど、そのキルカの表情を見ると噴き出すように笑った。
「へっへっ。それらしいこと言うじゃねえの。……お前、やっぱり才能あるぜ」
キルカはサクライを尻目に襖を開ける。
するとそのすぐそこの廊下には、一人の女性が腕を組んで立っていた。
「キルカ」
その女性は真っ黒でまっすぐな髪を後ろに束ねた、地味な緑色の和服姿だった。今日は仕事の日ではなく、裏方仕事をする日だったから。
「お母さん」
母親のリルハがいた。
彼女は一度キルカを見て、背後に倒れているサクライを見遣った。その鋭い視線にはキルカだけでなく、サクライも怯んだのを背中で感じる。
キルカと母の身長はほとんど同じ。
同じ高さのその視線を、真っ向からぶつけてきた。
表情は薄かったけれど、キルカには母親が怒っていることが手に取るようにわかった。家族だから、そんなことは簡単にわかってしまう。
しかし何に怒っているのかは、キルカにはわからなかった。
「あ、なんかトラブルみたいだから、あたしこれからみんなを――」
「そうじゃないでしょ」
リルハはすぐ目の前にいる娘、キルカの横っ面を、思い切り引っぱたいた。




