◯6-3 あれから
キルカは大きなリュックを背負い、紙袋を両手に抱えていた。
「や、やっぱり買いすぎ……?」
トマリが意識を取り戻したそうだ。
キルカはお見舞いとしてとりあえず思いついたものを担いでみたが、かなりの大荷物になってしまった。病院の受付で話をしたときも怪訝な顔をされ、病棟を歩く間もなんとなく邪魔になっている空気を感じた。
入院しているのは個室らしい。トマリの収入源に疑問を抱きつつ、キルカは病室の前までやってきた。あまり室内でバタつくのも格好が悪く、一旦持ち物を整理したい。
紙袋を片手にまとめて持ち替えたりしていると、トマリの病室のドアが開いた。
女性が現れた。
「あぁ、キルカ」
キルカの母親、リルハがそこにいた。
真っ黒な髪をそのままおろして、ベージュのシャツに薄手のジャケットを羽織り、シンプルなワイドパンツを着ている。簡単なアクセサリと革のショルダーバッグだけで、買い物のついでのような服装だった。
「お母さん……」
キルカがリルハに最後に会ったのは一年以上前のこと。遊廓以来だ。トマリとやりとりはしていたようだけれど、キルカから会おうとしたことは一度もなかった。
今日はトマリの様子を訊くだけのつもりだったため、心の準備もなにもない。キルカは視線を手元に落として前髪を直した。毛穴が開く感覚があり、嫌な緊張の仕方をしていた。
「…………」
しばらくお互い話さず、その場で立ち止まっていた。病室の奥はトマリしかいないらしく、ほとんど人の気配はない。
緊張よりも気まずさを感じ始めたとき、リルハは顔を逸らして前髪を直した。
「色々、あったんだね」
リルハは懐かしい声色で言った。
いつからの事を言っているのか。キルカは母親とどんな風に話していたかを思い出そうとした。
「まあ、うん、ありすぎたか……」
遊廓に入ってからの四年も、遊廓を出てから一年半くらいの間も、キルカの周辺で何かしらはあった。この間は誘拐されかけるし本当にひどい目に遭ったけれど、そんなことをここで話そうという気もない。
正面のリルハは、苦々しげに目を細めていた。
「キルカは頭がいいから、もっと上手にできる子だと思ってた」
自分の唇に指を添えながら、戸惑いのような表情をキルカに向けていた。
「…………は?」
全く意味が分からなかった。
「半端なことばかりするからフジムラ君もこうなっちゃったんでしょう。やっぱり、あのとき私からサクライに話を通しておくべきだった」
持っている紙袋をその顔に投げつけそうになった。
「あのときって……遊廓のとき?」
久々に会って言うことがそれなのか。ろくに話す気もないのに不満ばかりをこちらに向けて。きっとあの時からずっとそうなのだ。
父を亡くしたときから、母はずっとこうなってしまっている。
リルハは怒っているような顔だったけれど、単純な怒りとも違っていた。
「あなたがサクライに上手く取り入ってたら、『あの魔業』の関係者をもっとちゃんと明るみにできてたはず。そもそもそうできてたら、今回だってこんなことにはなってないじゃない」
リルハを睨んだ。『あの魔業』というのはポータルのことだ。
この人は病院にまできて、一体何を話しているのだ。
「はぁ……」
キルカとリルハのどちらが溜め息をついたか分からなかった。
キルカはこの母親への感情を正しく整理できていない。
もちろんキルカだって一瞬考えたことはあった。サクライが『その過去』に繋がっているなら、サクライに繋がっている者を調べて全部を探っていけば、それらの繋がりだってきっと見えてくる。
あのときサクライに取り入って『女王蜂』になるべきだったとでも言っているのだろうか。サクライの蜂として、そしてリルハの蜂としても。
「……一応お母さんには言っておくけど」
これではっきりした。
こんな言葉をかけられたことで、母が首都高崩落事件からずっと何に囚われているのか。
「あたし、お父さんの復讐なんかしないから」
リルハはしばらく無表情でキルカを見た。
次の瞬間には大きな黒い瞳を見開いた。
一度口から息を細く吸い、大きな口をあけた。
怒鳴られるのかと思って、リルハからは目を離さず、紙袋を提げた手を強く握りしめた。
しかし、彼女は何も言わずに動きを止めた。
「……そうね。サクライはもう『終わった』人。私も余計な話をしちゃった」
荒く足音を立てて、リルハはキルカのすぐ横を通り抜けた。
「だけどいつか、キルカにもわかるようになるよ」
廊下の先の窓をぼんやりと眺めている。
「キルカはまだ……だれかに生き方かえてもらえたこと、ないだろうから」
◇
「いっぱいお見舞い買ってきちゃった。トマリさん具合どうですか?」
トマリはげっそりした顔でベッドに仰向けになり、入院着で点滴をしている。緊急手術をしたあと、昨日の夜にやっと目を覚ましたらしい。
「……まだキツいし、いいのに」
声が異様なくらい細い。萎れた植物の茎から音を吹き込んでいるみたいだった。
「こないだの件もすごく心配してたってマリーから聞きましたので、お礼も兼ねてですよ」
「その件は本当によかった」
「はい、みんなのおかげであたしもマリーも無事! ありがとうございます!」
トマリは首と瞳をわずかに動かし、周囲を確認しているようだった。
「お母さんは帰りましたよ。カギリさんは、トマリさんの娘さん連れてそろそろ来るはずです」
キルカはトマリの娘に会ったことはなく、名前すら覚えていないことに気付いた。娘は六歳らしいが、キルカは小さな子の相手は得意ではない。
トマリの顔を見ると、彼は目を細めてキルカを眺めていた。
「さっきの。リルハさんとのことだけど……」
「へ? なんですか?」
トマリは身体が痛んだのか、ぴくりと眉をひそめた。
「退院したら、ちゃんと話す機会がほしい」
トマリは昔からキルカの両親と知り合いだ。リルハはトマリを『フジムラ君』と呼んでいたので、トマリが結婚する前からの知り合いなのだろう。
あまり話もしていないが、トマリの家もなかなか複雑なのかもしれない。
「いいですよ。どうせいつでも居ますので」
「……ありがとう。幸い死なずに済んだから……色々、後悔しないようにと思って」
今すぐ死にそうな声で言われても。
「ていうかトマリさんに拾ってもらって、あたしはちゃんと生き方だって変えてもらってますし? お母さんもそういうとこわかってないんだよなーって感じで困りますよね」
「うん……本当に、そうだといい……」
「あ。あとごめんなさいなんですけど、娘さんのお名前を……」
軽く笑って流そうとしてみると、病室のドアが開いた。
「カギリさんきたかな?」
足音は二つだった。
キルカがドアのほうへ顔を覗かせると、薄いコートを着たカジュアルな服装のカギリと、彼女と同じく真っ赤な髪をおさげにしてまとめた黒いワンピースの少女がいた。
「パパ?」
「アユミ」
トマリが呟いた。アユミはお見舞い用の花が詰まったバスケットを持ち、カギリより先に室内へ駆け込んで、トマリのベッドにやってきた。
手に持ったバスケットはキルカに押し付けるように手渡し、アユミは疲れ切った顔のトマリを覗き込んだ。
花を受け取る時に一瞬見えたけれど、アユミの瞳も緑色だった。
「なっさけない顔」
アユミがいきなり言った。小さな女の子なのに切れ味のある物言いだった。
キルカがぎょっとしてカギリを見るが、カギリは普通に歩いてきてトマリに挨拶した。
「お父さん、私まだしばらく帰れないの?」
「まだだよ。みんなよくしてくれてるんだから、そういう不満そうな顔しないように」
「普段してないよ。世渡り上手だから超いい子してるし。ねーカギリちゃん」
アユミはカギリに素早く振り返った。
カギリはすぐに頷き、「ほら!」とアユミはトマリに詰め寄った。
「だから早く治さないと、このままじゃサカモトさんの家の子になるかも」
「それはちょっと……」
「そしたらそのままサカナばっかり食べて、そのうち『首都高の会』の会長になっちゃうなぁー」
アユミは嬉しそうにベッドに乗り上げ、色々と話を始めた。もちろんトマリはまるで動けていない。
一旦キルカはカギリを連れ、病室を出ることにした。
◇
「カギリさんと会うのもあれ以来ですね」
病棟の廊下の端まで歩いて、キルカはカギリに言った。
「だねー。なんだか新鮮なような」
事件から二日しか経っていないけれど、同じ感想だった。
「さっきの『首都高の会』ってなんでしたっけ。なんか、だいぶ前に聞いた気がして」
ああ。とカギリは頷いた。
「首都高崩落事件の自助グループみたいな集まりかな。この会の関係で常連さんになってくれた方もいっぱいいるから、だいぶ助かってるんだよー」
あの事件の自助グループ。キルカは自分のことで精いっぱいで、ぜんぜん認識がなかった。
「トマリさんも入ってるんですね」
「そうだよー。それで顔が広くなったみたい」
「あぁー……そういうことなの……」
以前からトマリが妙にいろいろな情報に通じているのはその『首都高の会』の繋がりのためだったということか。彼自身も『友達が多い』と言っており、特に魔業、『ポータル』の関連ならば、その誰もが情報共有を惜しまない気はした。
しかしコーヒーはさておき、店の適当な料理で常連になってくれるというのもそんな背景があったのかもしれない。
リルハが先ほどトマリと接触していたのも、シブヤの件も含めてなにか情報を得ようとしていたのかもしれない。
「お店直すの優先してくれるって人も居てくれて。それでもちょっと時間かかりそうだから、しばらくキルカちゃんと働けないんだー」
「……え、まって。じゃーあたし、まかないコーヒー飲めないってことですか」
カギリは笑った。
「私のおうち来てくれたら飲めるよ。お店の豆、飲めるものは飲んじゃおうと思ってるしねー」
「いきます」
「あ。制服で来る?」
「着てこいというなら」
「ほんと? やった、じゃあきてこいー」
お菓子をたくさん買ってカギリの部屋に訪問しなければならなくなった。
「あ。そしたらお菓子、辛いの買ってくる?」
カギリは唐辛子が苦手である。
「ねぇそれ嫌そうに言ってますけど、元々カギリさんが『味わからないからわかるやつ欲しい』って言ったんですからね?」
「だって……」
キルカは彼女の微妙な表情に、思わずくすくすと笑った。
「アユミちゃんって今はカギリさんのお家ですよね?」
「うん。私が店の処理とかしてる時は一人になっちゃうから、いまは常連さん達の家に順繰りで預かってもらってる感じ」
「それでサカモトさんの家の子に……」
キルカはくすくすと笑った。
「みんな『みちるさん』にはたくさんお世話になったみたいだから。快く受け入れてもらってるんだよねー」
あれ、とふと思った。
「……『みちるさん』は、トマリさんの奥さんですよね?」
「うん。首都高の事件の時に事故に遭っちゃった人。人望あったんだねー」
トマリの妻は亡くなっている。トマリは昔『フジムラ』姓で。本人はカギリの兄だと言うけれど。
どういうことなのかは、今度トマリに訊いてみよう。
「キルカちゃんはお仕事とか大丈夫?」
「実はあたし貯金いっぱいしてるから大丈夫なんです。やばいなら働くし」
「すごい」
「マリーとか、こないだの金髪の子とも色々話したりしてるから、お店なおしてる期間もあっという間かも」
マリアはといえば、相談相手だった父親の秘書と連絡がついていないらしい。マリアの母はいつの間にか魔業の関係で警察に勾留されており、いきなり父親と合わせる顔もないとのことで、とりあえず家出は継続するそうだ。
マリアが『魔女の天秤』を返却しようとクズリに連絡をしたそうだが返事が来ず、ケンゴもなにも知らないらしい。『天秤』は持っていたら危険そうなので、一旦キルカが預かっている。
ルナには監禁されていたときのディズニーランドの件を追及された。当時の遊廓の同期が集まるかはわからないけれど、二人でどうするかの相談を始めた。DV彼氏と別れるかどうかもわからないとかで、キルカからは別れることを勧めた。最悪の場合『天秤』を貸せばいいのである。
「それならキルカちゃんは、お店直ったら戻ってきてくれるんだ」
「あたり前じゃないですか。あたし『みちる』のバイト辞める気ないですよ」
「よかったー。なら長期休暇だ」
「おぉ、長期休暇……」
この『みちる』の一年ほど、ほとんど働き詰めだったかもしれない。空いた枠にも他にバイトを入れてしまうから、長く休むという意識がほとんどなかった。
ふいに、トマリの病室のドアがあいた。
「カギリちゃーん? どこー?」
心配そうな細い声が廊下に響いた。
「さっきと違って可愛い声。アユミちゃん、トマリさんと全然対応違いますね」
「……あー」
カギリはぼんやりとアユミを眺めた。
「アユミ、親しき仲には礼儀なしタイプだからなー」
そうなんだ。
なんだそれ。
◇
トマリの病室に戻ったあともキルカ達はしばらく話した。この機に乗じて店の模様替えをするかとか、お客様から寄付金を渡されたら断るようにしなきゃとか。
そのうちにトマリは体力が尽きて寝てしまい、アユミは「帰らない」と駄々をこねだして、さらになかなかの時間が経過していた。
キルカもカギリも子どもが得意ではなく、最終的にはサカモトさんにまで来てもらった。
「サカモトさんありがとうございます! よろしくお願いします!」
「まかしといて。ぼくらの『会』のよしみだから」
病院の前で、サカモトさん夫婦とその娘の車に詰め込まれたアユミに手を振って見送った。アユミはしずしずと泣いてかわいそうだったけれど、そういうことも慣れていくしかないのだろう。
「ていうかカギリさんは残るんだ」
「お店の保険の関係で用事があるんだ。すぐ済むはずだったんだけど、時間も遅くなっちゃったー」
店長となると色々大変なのだろう。
歩き出したカギリの隣を、キルカは目的もなくついていった。
病院が遠ざかる。ふと、あそこにはクロイワも入院していたことを思い出した。様子を見る気は一切ないけれど。
「……そうだ。今回のことでちょっと思ってたんですけど、改めたいなっていうことがありました」
「ん?」
「怒ったりとか悲しいなーってとき、カギリさんとはもっと共有したいと思って」
カギリは全然ピンと来ていないらしく、何度かまばたきをしていた。
「カギリさんって結構フラットな感じの印象だったんですけど。やっぱり怒るときは怒るんだなって思ったから」
「あれ。なんだろう」
「クロイワです。シブヤのとき、カギリさんが直接魔法を使ったのってクロイワだけだったみたいじゃないですか」
歩きながらカギリは不思議そうな顔をしていた。
怒っていた自覚がないのだろうか。
目や腕の身体そのものを植物化されている人間はクロイワだけだったはずだ。キルカの見ていないところでどうだったはわからないけれど、どつきまわしたシン国の人間達は、植物で殴られた程度で全く無事だった。
「トマリさんのこと傷つけられて、カギリさんも色々考えちゃったのかなって思って。なんかそういうこと思うと、普段からもっと色々お互い話し合えたほうが、精神衛生上? いいのかなって」
隣を歩いていたカギリはいつの間にか立ち止まっていた。キルカはそれに数秒遅れて気づき、少し歩いてからカギリに振り返った。
「あれですよ。そういうの、自分でも気づかなかったりするかも、だし……」
カギリはぽかんとした表情で自分の手を見つめていた。
「……カギリさん?」
カギリは顔をあげた。
日が暮れ始めていたけれど。
その緑色の瞳は、潤んでいるように見えた。
「あ。単に、あたしがカギリさんともっと話したいだけなんですけどね」
その後もしばらくカギリはぼんやりした様子だった。
ルナと力を分け合ってみた結果。キルカがわがままを言いたかったから甘えられる土壌を作ろうとしただけだったものの、彼女にもなにか思うところがあったようだった。
「ううん。たぶん、その通りかな」
あのとき割れた赤いフレームの眼鏡ではなく、予備だという金縁眼鏡をかけ直した。
◇
カギリと別れてひとりになった。
キルカはポケットからスマートフォンを取り出し、とりあえず駅に向かって歩き出した。もう日が暮れて暗くなり始め、しかし気温は寒すぎるというほどでもない。
カギリ達ともたくさん話をしたけれど、まだ少し誰かと話したかった。
シブヤの土ぼこりをたくさん受けた新品のスニーカーは歩きやすく、足取りはバランスボールみたいに軽く跳ねている。視界は透き通るレンズのようにクリアな気がして、夜の人工光すら心地よかった。
スマートフォンの連絡先をぼんやりと見て、あの事件以降、まだろくに話せていない名前に目が停まった。
「……かけちゃお」
他人に向けてはいきなり電話をかけちまえというヤツなのだから、突然キルカから連絡してしまっても問題ない。
このあいだの『埋め合わせ』の件だって、ぜんぜん済んでいないのだ。




