◯6-4 よてい
通話を繋いだままキルカは歩く。
彼もたまたま居たというカブキ町の中心まで辿り着くと、いつものようにたくさんの人でごった返していた。
一日に数万人が歩くその大通り。眩しいネオンの光とうるさい雑音のなか、雪崩のような人の混雑に流されていくこともなく、彼はスマートフォンを手に道の真ん中で立っている。着ているアウターはこの間コーエンジで買っていた焦げ茶色の古着。一緒に選んでいたから、すぐわかる。
キルカはその背中まで一〇歩もあれば到達する距離で止まり、驚かせようと唐突に通話を切った。
しかしその後ろ姿は、スマートフォンを耳にあてたままで、真っ暗なシンジュクの空をじっと見上げていた。
「あれ……ひとちがい……?」
慌ててもう一度通話を繋ぎなおしつつ、背中に声をかけようと踏み出した。
すると、通りを横切ってきた背の高い男性の腕に、額をぶつけてしまった。
「すみませ」「――うぁっ!?」
顔も見ずに謝ると、上から変な悲鳴が聴こえた。かなり背の高いツノの生えた魔人が、二人でそれぞれ目を丸くしていた。青色と緑色の髪が派手派手しい。
「え。誰」
キルカは目を細めてよく顔を見ようとした。しかし二人はすぐに身を翻し、「こちらこそ失礼!」「いくぞジェニー!」と勢いよく言い放ち、人混みをすり抜けて去っていった。背が高いし髪色も目立つため、離れていってもよく見える。
なんだいまの。
彼らを数秒ほど見送り、気を取り直して前を向く。
キルカの正面にいた彼は、スマートフォンを左耳にあててこちらに身体を向けて、去っていった長身の二人を怪訝そうに目で追っていた。
「ハルトぉー」
手を振りながらキルカから呼びかけた。
いま気付いたかのように、彼はびくりと反応する。
「おつハルト」
営業スマイルにして顔の前でまた手を振った。
「おつキルカ。いきなり電話切るなよ。だいぶ焦った」
「お? あたしが心配なようだ」
「この先輩……ついこないだ誘拐された自覚ないの」
「まぁまぁ。急に切ったの謝る気持ちはあるから」
「そう?」
「………………」
「あ、謝らない……? ほんとに気持ちだけのやつかよ……」
彼は疲れたような表情を見せて息を吐く。
「さっきのツノの人たちってキルカの知り合い?」
「しらない。なんかびっくりしてたね」
「……俺、見覚えあるんだけど」
ハルトは顎に手をあて、なにか考えている様子だった。
「……まさか、あのときのヤツがキルカってこと……? マジか……」
なんか勝手に納得しているようだった。
キルカが気を取り直して歩き出すと、何も言わずにハルトもついてくる。近くいるなら合流しようと話していただけで、特に目的はなかった。キルカは意識しないと身体が勝手に『みちる』のほうへ向かいだす。たぶん帰巣本能というやつである。
「二日ぶり。腕大丈夫なの」
「腕は意外と大したことないよ、風呂入れないくらい。シャワーのみ」
「大したことじゃん。じごくか」
「まあ、地獄か」
ハルトの歩く速度は遅く、進むほどにキルカに置いていかれる。巨大なビルの広告を口をあけて見つめたり、つま先の位置を確かめるように歩いている。まさか風呂に入れなくてこうなっているわけでもないだろう。
「珍しくぼさっとしてる」
繁華街の中心からは少し離れ、声が聞きやすくなった。
「なんかあった?」
「うーん……」
ハルトは右耳に触りながら唸る。彼はいまだに例のイヤーカフの魔業をつけていた。キルカのそれはいつの間にかどこかにいってしまっていて、たぶんシブヤのときに紛失した。
「なんだか、整理しないといけないことが多くて」
「整理?」
「ああ。さっきまでこの魔業でサクライと話してて。それで色々、考えることが増えた感じ」
キルカは少しの間立ち止まった。
「……まだあいつと繋がってるの?」
「むしろ逆かな」
ハルトは右耳からイヤーカフを外し、指でつまんで眺める。
「もう、繋がることはないんだと思う」
ぽつりと。しかしはっきりとこぼした。
「もちろん繋がりを持ち続けるつもりはなかったよ。ただ、急な話だったから頭が追いついてなくて。ごちゃごちゃ話してきたと思ったら……すぐに、勝手に居なくなった」
口調を荒げるわけでもなく、ハルトは落ち着いていた。
「俺も、あいつに言うべきことは言わなきゃいけなかったんだろうけど……」
キルカがその様子を見ていると、ハルトは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「……あぁ、あれだ。だいぶ前にシンジュクで絡まれたすげー強い魔人にも『なんもできないザコのくせに出しゃばんな』って言われた。要は、その魔人の見立てが正しかったって感じかな」
冗談っぽい言い方で、ハルトは意味ありげにキルカを見てきた。
「結局俺は、なんもできないヤツだったなって話」
「なにそいつ。人を見る目なさすぎ」
するとハルトはびっくりしたように目を丸くした。
「えっ。いや、前に……、……そうなるんだ」
「だってハルトなんもできなくないし。色々やってるじゃん」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、それも俺自身のものじゃないかもしれない」
「なにそれあの『鈴』のこと? そんなのハルトと関係ないでしょ。ハルトはいまだって普通に……」
ハルトは俯いた。
「八年、あれを聴いてたんだ」
嬉しいのか悲しいのかも読めないような、少し変な顔をしている。
「もしもそれ聴かずにいたら、それは今の俺とは違うかもしれないし、むしろ、……」
そんなことを考えたって、人から影響を受けるのは当たり前ではないのか。魔業によるものではなくて、単に誰かと居たことで影響を受けただけだというのなら、ハルトはそんな顔をしなくてもすむのだろうか。
「シブヤがぶっ壊されてたときだって、逃げ遅れそうな人を見捨てようとしただろ?」
キルカは唇を噛むように口を閉じた。
「俺は人助けできる人間になりたかった。……でも、あの時のキルカみたいなスケールのことをできなきゃ、そんな人にはなれないのもわかった」
キルカはむっとする。
「キルカがやりたくてやったことで、あの人たちは助かることができた。たぶん、本当はそれが自然なんだ」
そんなのはたまたまキルカに父と同じ力があっただけで、できるからそうしてみただけでしかない。力がなければなにもできないし、力があったって、なにもしないこともあった。本当にそれをできる人は力のあるなしでそうしない。こんなのは、スケールの問題なんかじゃない。
「……なんか話がぐちゃぐちゃになった。とにかくちょっと、いろいろ考え直さなきゃいけないタイミングになったって思ってる」
ハルトが呟くのを聴きながら、キルカは細く息を吐いた。
「そっか」
キルカはこらえた。
『そうじゃない』のだと言おうとしていた。
ハルトは変に冷静だから、そんなふうに独りで考えて気持ちを抑えようとしてしまう。たぶんキルカにもそういう部分があるし、監禁されていたときなんて特にそうだった。
勝手に自己完結するのは簡単だ。けれどそのなかで決めつけた自分みたいなものは、それを外から見ている人達とはきっとどこか違う。外から見ている人のほうが、その人を理解できていることだってあるはずだ。
キルカはいまのハルトの考えていそうなことを全部引っ張りだして、それぞれに思いつくことを言ってしまいたかった。だけど、そうするべきなのかはわからない。感情のままにその人の思いを否定してしまうのも、どこか違う気がしている。
「……まあ、なんやかんやあるよね」
なにもできないなんてことはない。
キルカは疑いようもなくハルトに助けられている。
それを伝えるのに言葉をつくすのは、なんだか恥ずかしいし、うさん臭かった。
「それでお店のほうはこんなんなって、いつ開けられるかもわからないんだってさ」
キルカとハルトはカブキ町から歩いて、カフェバー『みちる』の前にやってきていた。
ケンゴ達に割られたという店の正面のたくさんの窓の復旧は進んでおらず、入り口には太い鎖をかけ、窓の開口には店の内側からビニールシートを張って目張りされている。
「現場いたけど、ほんとにマジでただ割っただけだからなコレ……」
二人でその前に立ってしばらくそれを眺めた。繁華街の夜の喧騒からは遠く、僅かな生活音や、遠くからの電車の音が聴こえてきた。
「元に戻るまで、しばらくかかるんだろうな」
キルカに向けているのか、かなり曖昧なボリュームでハルトは言った。
どこかさっぱりした表情で腕を組んで店を見つめている。
ちょっと他人事みたいな、寂しげな笑みで。
「……あのさ、ハルト」
「はい先輩?」
呼ばれたハルトは、視界の端で姿勢を正した。
「勝手にどっか行ったら許さないから」
驚いたように息を吸う音が聴こえる。
「なにその『一段落しちゃったなぁ、これからどーしよーかなー』みたいな顔は。ぜんぜんなんも終わってないんですけど。おみせ、これから復旧するんだから」
「そんな顔……つーか、俺どっか行きそうだった?」
ちゃんと顔を見ていればそんなのすぐわかる。
力強く頷いてみせると、ハルトは「まじか」と小さく笑った。
笑いどころじゃないので、キルカは溜め息をつく。
「べつに行くとこあるなら止めないよ。どうせあたしたち、単なるバイトだし」
「いや……特に次のあてはないよ」
だったら。
「……だったら、しばらくウチではたらけ」
キルカは背中を反らして腕を組んだ。
「入りたてのハルトにはわからないだろうけど、まだまだやってもらうこと結構いっぱいあるんだよ」
そうなの? とハルトは横目でキルカを見る。
「あたしとかカギリさんが自由に休めるようにコーヒー淹れられるようになんなきゃいけないし。トマリさんがアユミちゃんとの時間作れるように、店の帳簿とかやんなきゃだし」
「コーヒーも事務作業も……」
「常連のお客さまを飽きさせないため、いろいろ工夫もしなくちゃいけないわけ」
「急にふわふわ」
たしかにフワフワ。
「だからハルトはまず、お通し作らなきゃいけないの」
視界の端でハルトはぴたりと止まった。
「ハルトは肉じゃがとか、色々つくんなくちゃいけないんだよ」
「……あー、……」
「せっかく上手なんだし、お店復活したら新しいお通し開発するのが最優先だよ。ばんばんつくってレシピおいてけ。かきのこせ。いっぱいお家でやってきたなら、活かしてもらったほうがぜったい良いよ」
ちらりと見ると、ハルトは前髪ごと顔を手で覆っていた。
「……そうだな、昔から俺にあんのって……」
ハルトは髪を掻きながらぶつぶつと呟いていた。
「さんざんあの母親にやらされてきた習慣だったけど。今は、やるだけやってみるのもいいかもしれないな」
声が少し震えていて、キルカはついその顔を覗き込んだ。当然あの母親なんて言い方には引っ掛かった。しかし以前も、ハルトの妹が躾で叩かれていたと話していたような気がしたし、彼の過去の家族の本当のかたちは、キルカにはわからない。
それでもその掌の中で、ハルトは鼻から強く息を吸って、苦いものを口に含んでいるかのように笑う。
「……つくるよお通し。酒に合わせられそうなのはまだ結構ある。料理歴たぶん一二年くらいだから、まあだいたいプロの業だ」
ブラウンの瞳の周りをわずかに赤くして。
「プロのふろしき……」
「味見役は先輩に任せるからな」
「ほんと!」
「廃棄出したくないし。なるたけ作って、先輩と思いつくことやりきって、お通し全部書き残したら、そのときまたなんか考える」
ハルトは腰に片手を当てた。
「たぶん、今はそれがちょうどいいんだ」
やれやれといった顔をあげて、壊れた『みちる』を見据えている。
「……で? キルカ的には他にないの」
「へ? ほか?」
キルカは口を大きくあける。
「『埋め合わせ』。あのときキルカに何言ったかも、なんであんなこと言ったのかもちゃん覚えてんだ。そのせいで無敵の先輩がマジで泣いちゃったことも」
「うざ。どうでもよい」
「よくない」
断言した。妙なこだわりを感じる。
「許してもらうためじゃないんだ。あんなの許されるはずないんだから、やらかしたぶん俺にできることはやんなきゃダメ。だいたい勝手な都合で一方的に傷付けられるなんて、普通に最悪だろ」
もちろんキルカは無敵だから動じなかったが、すこし鼻の奥がつんと痛くなった。
埋め合わせなんて必要なかった。いつものバイト、このあいだまでの気楽な『みちる』に戻れるのなら、キルカにはもうそれで十分なのだ。
「…………」
だけど、強いていうならひとつある。
キルカの目標は彼と共有しているから。
わがままを言わせて貰えるのなら、今のうちだ。
「じゃあ、下見」
「下見?」
「みんなでランドに行くための下見。いずれあたしは幹事やるから、わかってる感出てないとカッコわるいじゃん」
「幹事としてランドに……じゃあ一通り全部回るってこと?」
「丸一日かけてまわるよ」
キルカが頷くとハルトは腕を組み、おそるおそるといった顔になった。
「とりあえずわかったけど、参考までに予算とかは……」
行きたくなかったし行けもしないのに、調べるのだけは続けていたから予算の感覚はあった。寝る前のベッドのなかでそれを深夜まで調べて、瞳を閉じながらへんな空想にふけることもあった。
朝一番に入場して退園時間いっぱいまでの予定。どこでご飯を食べて、どこで写真を撮って、人気アトラクションが混む時間の想定。一緒に行く人や人数でも変わるけれど、それすらも脳内妄想プランが自動生成されてしまうくらいには、シミュレーションだけはばっちり。
あと必要なのは経験だけなのである。
「六万円」
「……全部込み?」
「あらゆる」
「あっ、あらゆる……!」
キルカはスマートフォンを取り出してブックマークしていた情報サイトを見る。ファストパスの制度が変更されるかもしれないらしい。それを踏まえるのだとすれば、制度変更後に行くのが間違いないだろうか。
「そこまで真剣な顔してるの初めて見た……これが例のランドの力……」
キルカはスマートフォンから目を離す。
予算を聞いて胃もたれしているような顔を見ていると、可笑しくなって吹き出した。
「ね。とりあえず飲みながら考えよ?」
キルカはすぐそばの中華料理屋『天竜』を指さした。
話したいことは、まだまだたくさんあるのである。
「あと当日あたし寝坊しそうだから、ウチには徒歩で迎えにくるように」
「そうくるか。もうなんか先輩やりたい放題っすね」
「え? そりゃそうでしょ」
彼にどや顔を向けた。
「あたしその日はおひめになるから、わがまま言っても許されんの」
「……おひめ」
ハルトは口の端を歪めたけれど、何も言わずに『天竜』へ逃げるように歩き出した。
「似合わないとは言わないけど、とりあえず当日どう扱って欲しいかもキルカに任せる」
これからディズニーランドに行くのならグッズのことだって考えなくてはいけない。それこそ季節のものもあるし、期間限定のものもあって。しかし初めてのディズニーくらい、王道を貫くのも手か。
「やった。じゃあ、あたしの好きにするとして……」
目線の上のちょうどいい高さにハルトの頭がある。
もう見慣れているその背丈や色味をみながら、そこに被せるカチューシャやサングラスを思いつくかぎり当てはめようとしてみた。
すると自然に、『ボン・ヴォヤージュ』で買い物したこと、あの場で買ったカチューシャやグッズのことが視界の端をよぎっていった。
いつか母と一緒にマイハマ駅から歩いた景色。あの頃の景色と今の景色は、記憶のなかからどれくらい変わっているのだろうか。あれからずいぶんと時間が経ったから、道はなにかに置き換わって、あの頃見ていた景色はもう見られなくなってしまっただろうか。
あの日にたくさんのものが壊れて、たくさんのなにかを失くした瞬間から、いいことなんて数えるほどしかなかった。振り返ればひたすらに忙しなくて、ずっと頭のなかで同じ後悔を噛み潰して、布団のなかでできるだけ息を殺し続けることしかできなかった。
未来に期待しない。叶わない夢は見ない。考えなければ失望もしない。そんなことばを頭に浮かべて生きてきた数年間のあのときが、ずっと後ろ髪を引き続けていた。
けれどいまはこの『みちる』にいて。
選んでもらった着慣れないメイド服を着込み、鏡越しに白いメイドカチューシャを直す自分に違和感がなくなってきたときからは。
前よりずっと、呼吸がしやすくなっていた。
キルカは『みちる』へ振り返ってからハルトの背中へ駆け出した。
その両肩を後ろから勢いよく掴むと、困ったようなへんな声がした。そんなんだからどうしても口角があがってしまって、キルカはそれを見せないよう、しばらくその背中の陰にこそこそと隠れてみせた。
きっとこの夜が明けるまでこうして笑っている。ふいにそれを自覚して、なんだか照れくさくなりながら、キルカは目の前の後頭部にじっと瞳を向けていた。
「……どうしよっかなー」
彼には、何が似合うだろう。




