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□6-2 清算

 ハルトは耳元に集中しながらシンジュク駅方面に歩いた。ヨシノのアパートはここから一〇分程度。走れば、彼が居るかもしれない。


『アリサワさんとの話は聴いた』

「……ずっと聞いてたんですか」

『そこまで暇ではねえ』


 ヨシノはいつもの調子で話していた。まるでシブヤの件など起きていなかったかのように、ハルトもその空気に引っ張られそうになる。


「言っておきますけど俺はあんたの味方はしない。あんたのやったことは」

『そんな用事で話してねえよ』

「だったら」

『言ったろ。『引き継ぎ』の話だ』


 何を勝手なことを言っているのだ。ハルトは歩く速度を速めてシンジュク駅に向けて歩いていく。高架下への道が見えていた。


『お前がアリサワさんに話した内容は大体合ってる。細かいことは別だが』


 ハルトは息を飲んだ。


『違うのは重さ』

「重さ?」

『サクライとかいう奴の話はどうでもいい』


 サクライであるヨシノは咳払いをした。


『重要なのはマリアの周辺だ』

「マリアさんの……」

『あの『凪の党』のハザミ・ソウスケは駆け出しの頃からシン国のパシリで、首都高崩落事件を起こしたのはシン国の工作員。首都高崩落事件はニッポン国内の世論も含めて、魔人や魔業を締め上げるためにシン国で計画されたもんだ。表立った動きがしにくくなれば、ニッポン国内の魔人界隈の影響力は弱められるからな』

「……例によって陰謀論ですね」

『お前んとこのオーナーの話にもあったろ。その事件を受けて、魔人の力を奪うための研究が進められていたのも事実。結果として、ニッポンは魔人の影響力を薄めるよう動き、シン国もそれを望んでる』


 トマリの関与している治験についても聞かれていたのだろうか。


『『浄水器』の件も単純だ。あれはマリアの母親が試運転して、ハザミが凪の党や国会で扱う予定だった』

「どこからの情報ですか」

『ハザミの秘書だよ。元々、あっちのほうから俺に相談を持ちかけてきやがってたからな』

「秘書からの……?」


 キルカとマリアの会話では、マリアの魔素を視る能力を失くすために協力していたのが、その秘書だという。


『秘書としては、ハザミがヤバい繋がりを持ってるのは分かっていたが、その具体的な証拠を探るタイミングが奴にはなかった。マリアをこの話に巻き込ませたくないし、証拠を得て、マリアを確保し、この件を警察に引き渡して欲しいってよ』

「秘書本人は通報できなかったんですね」

『ハザミに至るまでの段階が多いからな。例えば魔業を扱っていたマリアの母親だけ捕まえても、ハザミの関与には持っていけない可能性が高い』


 つまり秘書は、ヨシノを使ってハザミを追い込もうとしていたということなのか。


「……アリサワさんとその話をしてたんですか」

『ああ』


 ヨシノはしばらく黙った。

 そうだとしたら、アリサワはハルトからの話をどう受け止めていたのだ。


『そこからはお前の考えに近い。警察とシン国、あとはハザミも含めて、俺を吊るし上げ、浄水器周りの見せしめにしようとしたようだな』

「見せしめですか」

『魔業をしょっぴきたい警察も中には居るだろうが……『この件掘ったらこうなるぞ』ってヤツだ。ベタすぎて笑える』

「軽い話みたいに言いますね」

『軽い話だろ』


 ヨシノは鼻で笑った。


「あんたはそこから逃げるために、今回のことを起こしたってことですか」


 言いながら、ハルトの頭に疑問が浮かんだ。


「だったら店員……キルカはどういう位置づけなんですか。俺は、キルカがあんたのシン国との生命線だと思ってましたけど……」


 彼女の父親のことを考えると、かなり特異な位置に居ると考えていた。


『あいつは換金用に抑えてただけだ。今回、たまたま使いどころだった』


 あっさりと言った。


「換金、って……」

『シン国も一枚岩じゃねえし、キルカは以前から需要のある魔人だ。あいつを引き渡すならそれで手打ちにできるルートもあった』


 キルカに価値はあるけれどそれが主題ではない。重さが違うというのはこのことなのだろう。


「……治験の関係、行方不明の魔人のWEB記事もあんたですか?」

『元は別件だ。あれは単に街の人間が消えっから、とりあえず情報流してクロイワを飛ばしてただけ』


 その手口は、以前のクチコミの自作自演にも似ているかもしれない。


『まあ、そこに秘書のほうが食いついてたとは思わねえわな』


 落胆のような笑い声が聴こえる。


『そのぐちゃぐちゃな状況の結果。どうなったかはお前も見てきたな』


 ハルトはそのまま、ヨシノの住んでいたマンションへと歩く速度を速めた。駅周辺の人混みを抜け出していけば、あとは走れば大した時間はかからない。


「要は……秘書の依頼で政治家の周り嗅ぎ回ってたらヤバくなって、慌てて使える手札を切りまくってたってわけですね」

『へっへっ。言われてみるとバカみてえな話だが……まあ、汎人しか使わねえ警察とどっこいだな』


 ヨシノはシン国に排除される立場となった。

 『黒い鈴』の駒として、鉄砲玉のクロイワや、目と耳にはハルトを使い。脅しをかけて利用したクズリ達を数合わせに利用して。資金源にはキルカへの『天秤』の利用。不測の事態になればドローンによる『ポータル』を起動させ、先日のように逃走する腹づもりだったということ。

 けれど、それらはカギリの介入やルナの裏切りによって簡単に瓦解した。


「それにしたって突貫工事であんな滅茶苦茶やりますか。あの被害で死ぬ人だって出てるかもしれない」

『知るかよ。いらねえ命が天秤に乗んのか?』


 どこかあの時のトマリにも似た、きっぱりとした物言いだった。

 あのときキルカやマリアは傷付けず、一方で控室の見張りやルナを躊躇なく銃撃したのも、単に邪魔だっただけだということなのか。


『それより『引き継ぎ』については理解したか』


 引き継ぐことなどなにもない、と言いたかったけれど、おそらくこの話をハルトに聴かせた理由はひとつしかない。


「マリアさんの件、一切解決してませんね」


 あぁ、と溜め息と共に声がした。

 マリアは無事に帰った。今までの話を踏まえると、仮にここに問題があるのだとしても、これからマリアに起きうることは介入すること自体も難しい。

 彼女が父親のハザミと折り合いをつけてしまえば、わざわざ関与する必要がない可能性すらある。

 いまヨシノのそれを『引き継ぐ』というのも。


「……けど、……」


 ハルトに何を引き継がせようとしているのか。

 そしてヨシノがそれを続けられない理由は、なにか。


「……ひとついいですか」

『何だ』

「ヨシノさんに相談していた秘書って、今は?」


 ヨシノが鼻で笑った。


『しばらく前から音沙汰ねえよ』


 それを聞いて、一瞬だけ立ち止まった。


「今どこにいますか。話せてんだから近くにいるんでしょ」


 ハルトは話しながら駆け出した。

 数分もしないうちにヨシノのマンションの部屋へと到着した。マンションの廊下では誰にもすれ違わず、周辺は静かだった。


「あんたの言う引き継ぎってのは……その秘書からの依頼ってことですか」


 数分もしないうちに、彼のマンションの部屋へと到着した。マンションの廊下では誰にもすれ違っておらず、ただ静かだった。

 ドアノブに手をかける。鍵は掛かっていない。扉を引くとそれは簡単に開いた。

 玄関すぐの廊下には雑誌が積まれている。ハルトは人の気配がないか耳をそばだてながら、土足のまま立ち入った。

 1LDKの部屋には風が入り込み、カーテンがはためいていた。電灯を点けて見渡すと、強盗にでも遭ったかのように荒らされている。窓は割られ、家具はひっくり返り、室内のあちらこちらには変形した本棚やテレビモニターが倒れて、新聞紙が床一面に広がっていた。

 隣の部屋に行く。魔業を収納していた棚はほとんどが空だった。ドローンも無ければ『黒い鈴』もない。ハルトが借りた強盗犯グッズの段ボールだけが残っていた。


「ヨシノさん」

『……良くも悪くも、『地元のよしみ』ってやつだな』


 居間に戻って割れた窓を見ると、乾いた黒い血痕が付着しているように見えた。最近のものではないようだった。


『ハザミの秘書からマリアの保護は頼まれてたが、俺も真面目に保護しきる気はねえ。亡命する行きがかり上、キルカとまとめてシン国に送り込めれば効率がよかったが……そうもいかなかった』


 自嘲するような溜め息が聴こえる。


「なんでだよ」


 ハルトは思わずこぼした。


『おまえらのせいでもう普通に金がねえ。あいつ、振込みの前に消えやがったしな』

「……違う。なんで俺にあんたの状況を話さなかったんだ。そんな経緯があるなら、もっと他にやりようはなかったのかよ」


 何故周囲の人間を頼らないのか。


 先日、ハルトがトマリに言われたことをそのまま繰り返しているようだった。

 ヨシノは警察に切られ、シン国に狙われている。アリサワが自分を殺すのではないかと話していたのも、ヨシノのそんな状況を把握しているからだ。

 それをヨシノがハルトへ伝えなかった理由を考え、シブヤで彼と会う前にした電話を思い出す。

 あのときもヨシノは、既に諸々の動きを始めているのにも関わらず、ろくにハルトへ状況を話していない。


「ハザミの話に介入したら消されるからですか。元々の秘書とのやりとりを俺に話さなかったのも、そういうことですか」


 ヨシノは笑った。


「……俺が汎人で。ザコで、魔業もろくに使えないからですか」


 ハルトは大股で歩き、部屋を出た。このイヤーカフの通信有効範囲は一キロメートル程度のはずだ。


「何処にいるんだよ。俺だってさっきアリサワさんとこの話をした。もうあんたと条件は同じだろ」

『同じじゃねえ。『二人で話した』んだろ? 口の軽いバカ女がいなかったよな』

「……本当に何言ってんだよ、わけわかんないっつの……」


 アリサワはヨシノを切り捨てたはずだ。何故ヨシノはこの期に及んで彼を『アリサワさん』と呼ぶのだ。


「いいから何処にいるか言えよヨシノさん。こんな中途半端じゃ気持ち悪いだろ」


 木を隠すなら森の中なのか。ハルトは繁華街へと戻るよう走った。右耳にノイズが聴こえた気がした。


『引き継ぎは終わりだ。これで義理は果たした』


 ヨシノが溜め息をつく音がした。

 オオクボ公園のそばを抜けて走った。日が暮れたシンジュクの街へは、四方から流れこんでくる大勢の人間がハルトの歩みを鈍らせる。当然ヨシノの姿はない。眩しい人工の光が振り注ぎ、その場にいるヒトを区別なく一様に照らしている。


『どうするかも含めて、あとはお前の好きにしろ』


 爪先立ちをしながら歩いた。

 ハルトには魔素が視えないから、ここにいる人間たちが汎人なのか魔人なのかもわからない。鼻も効かないから、探している人間を嗅ぎ分けることもできない。ろくに力もないから、雑踏をかき分けて人を探し回ることもできないし、魔法使いではないから、この状況を理不尽にひっくり返すこともできない。

 汎人のハルトには、ろくにできることがないのだ。


『それと今回作った伝手はお前のもんだ。簡単に手放すなよ』

「伝手なんて言ったって、そんなのはこの仕事の……」

『鈴のことも忘れとけ。もう二度と聴かねえから』


 鈴のことなんてどうだってよかった。

 あの『黒い鈴』のせいであれだけ混乱させられたのに、それすらもう問題ではなかった。ヨシノがどこにいるかわからない。追いかけなくては、この苛立ちに折り合いがつかない。


「なあ。そうだよ、あの鈴のこと……もっとあんたに聞きたいことがあるんだ。あんだけ滅茶苦茶やりやがって俺だって迷惑してんだよ。あんたは話すことだけ話したら、さっさとこのまま消えようってのかよ」


 かきん、と金属音がイヤーカフ越しに鳴った。

 それがなんの音なのかは、ハルトには分からなかった。


『まぁ……情報くらいしか、ろくに渡せるもんもねえからな』


 なにも受け取れていないのに。


『ハルト』


「…………」

 

『お前は、うまくやれよ』


 イヤーカフからは、一切の音がしなくなった。


「ちょっと――待てよ!」


 このイヤーカフの魔業はハルトに使いこなせない。魔人のキルカの髪を巻き付けていたから、いままで普通に使うことができていた。

 指で右耳のイヤーカフの表面に触れた。

 ぷちん、と髪が千切れるような感触がした。


「俺は……」


 追い立てるように、そこかしこから音が聴こえてくる。

 誰かの足音やあちこちの会話。はしゃぐような笑い声。店先で垂れ流される流行りの音楽。悲鳴のような女の叫び。独りでわめきながら歩く男。広告付きのトラックが垂れ流す爆音。それらは好き勝手に混じり合い、シンジュクの音となって鼓膜を叩く。

 この街の日常の景色が、まるでいま思い出されたかのように次々に飛び込んでくる。

 ほんの少し前まで、その景色の中を誰かと歩いた記憶が蘇ってきた気がした。そんなのは大した瞬間でもないのに、あちこちにあるものが、数えるほどしかない過去と勝手に重なって見えてしまう。


「……あんたが、いたから」


 八年前から今まで、ハルトは彼から学んだことがいくつかあった。

 

 ぱん、と乾いた音が背後で響いた。


 背筋にぞくりと冷たい感覚が走り、咄嗟にそちらに振り返った。

 路上に若者達が集まり、買い物袋を踏み荒らしながらゴミを散らかして、コンクリートの上で転がるようにじゃれているだけだった。


 人の波はとどまることはない。ビルから振り注ぐ光が視界のなかで滲んで大きくなり、より眩しくなっていく。

 ハルトは延々と流れ込んでくる人混みを眺めながら、ひとりそこに立ち尽くしていた。

 シンジュクの音は波のようにふくらみ、そこにある意識を呑み込んで意識を包んでいく。

 ろくに歩こうとしない身体もそこへ沈みこんで重くなり、そうしているのが苦しくならないよう、水面に鼻先を出すように、ハルトはただ呼吸だけを繰り返し続けていた。


 いつからかはわからなかったが、ポケットの中のスマートフォンが鳴動していた。

 ハルトは何も考えずにそれを取り出し、左耳に押し当てた。

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