□6-1 取調室
シブヤを出てから二日が経った。
夕方のシンジュク警察署の取調べ室は少し肌寒い。日差しは入り込んでいるがどこか薄暗く、窓は締め切られ、停滞した空気が漂う。
ラフな格好でやってきたハルトが座り直すと、パイプ椅子がぎしりと揺れた。
「要は、魔人同士のいざこざに巻き込まれたということかな」
室内にある灰色の机には、紺色のスーツの壮年の男性警察官が手を組んでゆったりと座っている。
壁際には調書を取るための若い女性警察官が居て、黒いパンツスーツ姿できちんとした姿勢で机につき、ノートパソコンのキーを叩いていた。
「これでこちらからの聴取は終わり。ハイジマさんからも他に気になることがあれば、話してもらって結構ですよ」
カフェバー『みちる』がケンゴ達に襲われた件について、周囲にいた野次馬が警察に通報していたため、警察への出頭を求められていた。
カギリが『魔法』によって簀巻きにしていた二人は軽微な怪我をして病院に運ばれたそうだ。警察では店の損壊状況を踏まえ、『みちる』関係者への事情聴取を行っているらしい。
ハルトは聴取に対し、『荒らされた現場にはいたが、すぐにその場を離れた』と答えた。
店の前でトマリが刺された件については、トマリはもちろん、刺したクロイワも入院中だった。こちらの件はまた個別に捜査を進めるらしい。
ハルトの右腕には包帯が巻かれているが、特に店と関連付けて話すことはしなかった。
「なにか……」
ハルトは正面の男性、アリサワに見覚えがあった。
イケブクロ連続通り魔事件があったとき、ヨシノに連れられた先のパトカーに乗っていた警察だ。八年前に比べて白髪が増え、見た目の印象では50代前半程度に見える。
「それならこの間シブヤで起きてたやつ、あれってなんなんですか」
先日のシブヤの一件は、大きな火災が発生したとの報道が一般メディアでも報じられていた。廃墟のような通りに瓦礫が散らばり、ビルが焼けて崩れ落ちていた映像が公開されており、ひどい有り様だった。
「まだ調査の段階だから、私達にも大した情報はないよ」
アリサワは眠そうだった。
「興味があるのかな」
「そりゃニュース見てヤバいなって思った程度には」
「そう? まあ、おおかた『魔界』の魔人が焚き火でもしていたんだろう」
彼は指先を見ながらさらりと話すが、本気で言っているようでもなかった。
「……っていう処理になる?」
アリサワはちらりと視線をあげた。
警官関係者でなくとも、シブヤで起きたことが単なる火災でないことくらいすぐにわかるはずだ。
「魔業が絡むと、こういう事件って大体濁されますよね」
「シブヤの件に魔業が絡んでると思ってるのかな」
「あんだけビルが壊れてるなら単なる火災じゃないと思いますけど。それに昔は個人的にも色々ありましたよ、それ絶対隠蔽してるだろ、みたいな」
イケブクロの事件では、密造された銃器のような魔業が使われた可能性があるという報道までしか追えず、やがて情報そのものが世間からフェードアウトしていったのは覚えている。
あの事件に『ポータル』が扱われていたということがわかったのもキルカからの情報によるものだ。
社会は魔業の存在をあまり公にはしない。起きたことだけをセンセーショナルに映し、新鮮な話題を掬い上げるとすぐに他の話題へ移り変わる。
まるで、その当事者すら存在していないかのように。
「個人的とは『君の事件』のことかな」
アリサワはじっとハルトを見ていた。その眼差しは、ヨシノに連れて行かれたパトカーの中でのそれと同じものに感じた。
「……アリサワさん、俺のこと覚えていらしたんですか」
先ほどまでの聴取で、アリサワは一切そんな様子を見せていなかった。
「覚えているよ。私も地域的には管轄外だったけれど、緊急招集がかかっていたしね」
ハルトは無意識に息を呑み込んでいた。
「そう、ですか……」
そうならば、彼へ訊くべきことがひとつある。
掌には汗が滲み、心音が速くなったことを自覚した。足の裏がそわそわとして落ち着かず、床を押し返すように踏みつけた。
「だったら……」
「ん?」
「だったらあのとき。俺をあなたの車に連れてきた男のことも、覚えていますか」
アリサワは鼻の頭を掻きながら「男?」と天井を見た。
「男は『ヨシノ・マコト』……いや、『サクライ』って呼んだほうがいいですか」
ヨシノがアリサワの元へハルトを連れてきたのだから、顔見知り以上の関係でないはずがない。
「ササハラ。パソコンを閉じろ」
アリサワは鋭く言った。女性警官はキーを打つ手を止め、目を丸くしてすぐにそれを閉じた。
「彼と二人で話す。今までの調書をまとめておくように」
えぇー、と女性は難色を示したが、すぐにノートパソコンをもって取調室を出ていった。室内には二人だけになり、殊更に空気が重くなった。
ハルトは唾液を飲み込みながら机に手をのせる。
「知ってるんですね」
アリサワは頷く様子でもなかった。
「君はどういう立場でここに居るの」
「……それを答えられなくなったから、困ってます」
するとアリサワは鼻からゆっくり息を吐き出し、パイプ椅子に背中を預けた。
「私を殺しにきたわけではないのかな」
アリサワは落ち着いた様子で、ハルトの右耳のイヤーカフを指した。
「俺に『指示役』は居ませんよ」
単に外し忘れていたが、アリサワからみれば使い走りに見えるのかもしれない。
「アリサワさんは、サクライの関係者に狙われるようなことをしてるんですね」
「誰かに限らず、仕事柄ね」
危害を加えられる可能性があるのに部下をここから追い出したというのも、理屈が合わないが。
「だったら尚更。サクライについて確認したいことがあります」
「私に?」
ハルトは二日間、ずっと考えていた。
サクライが、なぜあの一連の行動を起こしたのかを。
そのうえ、アリサワがサクライに狙われる可能性があり、仮に他の警察関係者に聞かれると都合が悪いことがあるのだとするのなら。
ハルトが考えていたことが、もう少し具体化する。
「シブヤの件も含めて、あなたも無関係じゃなさそうですから」
アリサワは瞳を閉じたまま腕を組んだ。
ここは警察署内だ。
アリサワがサクライについて抱えていること次第では、ハルト自身がどうなるかわからない。内容次第では口封じをされることもあるかもしれない。
しかし、ハルトは保身よりもただ整理をしたかった。
「話してみるといい」
まだ少し混乱している。
しかし、話さなければわからないこともあるかもしれない。
ハルトはしばらく深呼吸をした。
◇
「俺は八年前の事件以降、『あいつ』……サクライとは年に一回くらいは会ってました。用件はその時々で違ってましたが、大抵は近況報告みたいな形で」
ハルトは自分の髪を掴んだ。
「そして会うときにはいつも、あいつに『黒い鈴』を鳴らされ続けていた」
鼓膜に鈴の鳴る音が響いた気がした。どこか頭皮の毛穴が開くような嫌な感じだ。
「『黒い鈴』?」
「魔業です。その鈴には『思考の誘導』や『洗脳』に近い効力があると考えてます」
アリサワは片手を小さくあげた。
「サクライは事件で出会った君を、長期にわたって洗脳していたと」
「はい。それも、俺一人だけじゃないっていうのはわかってます」
クロイワもハルトと近い状況だったはずだ。あの部屋にあった鈴の数を考えると、二人だけということも考えにくい。
「……だからこそ。俺がいままでサクライと話してきた内容には『嘘がない』んじゃないかと考えてます」
「なぜ?」
シブヤのライブハウスでの一件で、控室にいたキルカを解放しようとしたとき。ハルトは黒い鈴の音に気づき、情報屋だったはずのヨシノが元鳴牙組のサクライと同一人物であったことを頭で理解した。
そして次の瞬間、ハルトは彼の発言や行動を、自然に受け入れるよう思考していた。
「俺みたいに操られた人間は、サクライの意図を拾い上げて『自分の考え』で行動していた。そんな認識があります」
以前『みちる』に潜入するためアルバイトを即刻辞めたことや、ハルトが彼に従っていたのは『自分で選んだ』ことのつもりだった。
しかし先日のクロイワは、自分の行動について全く疑っている様子はない。であればハルトも、鈴により思考を方向付けられている可能性を考えた。
「それなら嘘の情報を与えておくほうが混乱する。俺は色々な情報を聞かされた上で、自分に違和感を持ってなかった。それを踏まえると、操る人間に与える情報には嘘がないほうが効率がいい」
あのとき直感的に『サクライに味方をした理由』を、いまだぼんやりと頭の中に残していた。
「……その『嘘がない』というサクライからの話の中に、私にも関係する問題があると」
ここでアリサワに話そうとしていることは、『黒い鈴』の誘導により、ハルトが『無意識に組み上げた理由付け』を、再度考え直してきた結果だ。
「はい」
アリサワのほとんど無感情な視線に怯みつつ、ハルトは口を開く。
「サクライは警察のせいで、『仕方なく』人を誘拐して。『やむを得ず』シブヤの街を破壊して逃げたと、俺は考えています。店が襲われたのも、その一部でしかない」
アリサワは目を丸くして、困ったように笑った。
「それは……随分な話だね」
◇
日が暮れはじめていた。室内は空調の音が鳴るだけで、二人はろくに動いていない。
ここから話すことはほとんどが想像でしかない。
答え合わせなどでもなく、自分やヨシノの身に起きたことを整理できればそれでよかった。
そうしてアリサワからも新しい情報が引き出せるなら、もう少し考えられる。
「サクライは昔から、あなたみたいな警察と協力関係にあったと考えています」
「『ヨシノ・マコト』が我々の情報提供者かという意味では、そうだよ」
ハルトは首を横に振った。
「サクライは元警察だと話していたこともあった。それは、単なる情報提供者とは違うんじゃないですか」
アリサワは瞳を閉じて頷いている。
「奴は魔業を扱える。だから魔人なのは明らかだ。けど魔人は国の制度として警察にはなれないし、あの人は自分が成人してから魔人であることを知ったらしい」
右耳にじりじりとした感覚を憶える。
「だとしたら……奴は一度警察官になったけれど……魔人の血筋であることがわかって、警察を辞めざるを得なくなった」
国の制度として『魔人の関係者は警察になれない』というのは、ハルト自身が身をもって知っている。
「だから立場を変えてトーキョー管内の反社会的な組織に介入することを選んだか、警察側に選ばされたんじゃないかと思っています」
アリサワは暗くなる部屋の中でハルトをじっと見つめている。
「たとえば、『潜入捜査』という形で」
そうであるなら、ヨシノとしての顔の広さにも説明がつく。
「イケブクロの事件で使われた魔業……裏社会の『ポータル』の開発にサクライが関わってますよね。むしろこれも『関わるように指示された』んじゃないかと思っていますが、それはわからない」
「『ポータル』を知っているんだ」
ハルトは頷いてみせた。
「当時のサクライが通り魔事件の直後に必死になっていたのは、犯行に使われた『ポータル』の情報が拡散されるのを恐れたんじゃないかと思った」
「ふむ」
「警察関係者が『ポータル』の開発に関与していて、その事実が表に出たら……警察があいつを送り込んだことで、あの犯罪に発展したともいえますよね」
「うん?」
アリサワは首をひねる。
「それは警察に結びつけなくても成立する話では? 彼らが魔業を開発し、それによって犯罪が起きた。だから開発担当のサクライが急いで尻ぬぐいをした、と」
「それならあなたが居たのが不自然です。あれは事件直後のことだし、『サクライ』が警察の車に駆け込むなんて不自然だ。アリサワさんは管轄外だったんですよね?」
「……管轄外ではあったね」
「その後の動きにしても早すぎます。それに、犯人を捕まえていたのはめちゃくちゃ強い魔人の男が一人だけだった。あれって冷静に考えると、普通の警察の動きではないのでは?」
アリサワは目だけはまっすぐで、口角をあげてハルトを見ている。
「その後にも『ポータル』の魔業は首都高崩落事件でも使われてる。米国の大統領を狙ったとかで」
「そうなのかな」
イケブクロの通り魔事件でも。首都高崩落事件でも。それらが『ポータル』の被害であるという事実は避けられない。たとえシン国へ横流しされ、実行犯が開発者と無関係だったとしても。
「あの事件が起きたとき、俺はサクライといました。あれをテレビ中継で見た後に、サクライは携帯を見つめて『おわった』って呟いていた」
アリサワは天井のほうへ瞳を向けていた。
「あれを考えると……サクライはその時から間もなく、警察側に『切られた』んだと思います。ただのヤクザなら、街が壊れてるの気にしますか」
サクライは現場の中継映像で、『ポータル』が使われたことや、今後の自分がどうなるのかも察したのだ。
首都高崩落事件は被害の数や規模が通り魔事件と比較にならない。
そのあとの世論が魔人犯罪へさらに厳しい目を向け、やがて『凪の党』が生まれたことを考えると、警察も魔人との関わりを修正し始めていたのかもしれない。
「サクライの立場がそうだとして。それがどう誘拐などに関わるのかな?」
アリサワは平然としている。
ハルトも、アリサワが『サクライに狙われている』と考える理由は、ここにはないと考えている。
「サクライはヨシワラ遊廓でトラブルを起こして以降、鳴牙組としての立場も失くしています」
キルカによればサクライはその当時、クロイワと共に組を除名されたのだという。サクライがヨシノとして話していた、『鳴牙組がヘマした』というのが原因なのかもしれない。
「俺がサクライ……ヨシノ・マコトと頻繁に会うようになったのは、去年のそれ以降から、最近までの話です」
アリサワは照明を点ける様子はなく、暗くなり始めた部屋に静かに座っている。
「そんな中で。数カ月前に『凪の党』の議員、ハザミ・ソウスケの娘のマリアさんが家出して。探偵業のようなことをしていたサクライは、その娘の足取りを掴むよう依頼を受けた」
「家出?」
アリサワはマリアの名前を聞いて反応した。
「家出した娘のマリアさんは、魔人の力として魔素が視える。なので魔業で『洗脳』した人間を見極めるために、その能力を使われる予定があったようです」
「へえ。誰に?」
「父親の国会議員、ハザミ・ソウスケに」
キルカによれば、この事は監禁の際にサクライやクロイワに言われていたことらしい。
アリサワは腕を組み、しばらく天井を眺めていた。
「洗脳だらけだ」
「ええ。そっちは『黒い鈴』ではなく、シン国製の『浄水器』の魔業によるものです」
アリサワはハルトに視線を戻した。
「そしてその『浄水器』は、マリアの母親が密輸して、自分の店のスナックで使用していた」
アリサワはろくに反応しない。
「……いま振り返って考えれば、それは単なる魔人の個人的な密輸ではなく『テスト』として使われていたなら、あの周囲で起きていたことも理解できる」
マリアの母が経営するスナックでは、実際にそれをシーシャの形で提供され、常習性を持たされた人間もいたし、その客の会話をハルトと聴いていた。
また一方で、シブヤにあった『凪の党』のテントには、大量の水入りペットボトルがあった。『凪の党』はマリアの父親の所属する党だ。首都高崩落事件の被災者ともいえる者達への『支援』というパッケージの裏で、身元の曖昧な人間で実験を進めていた可能性はないか。
「『テスト』というなら、その目的は」
「マリアの母親がスナックだとかで『洗脳』のテストをして、国会議員のハザミ・ソウスケが使用するとしたら……同じ党内の議員やその周辺、なんなら国会全体への洗脳を目論んでるのではないかと思います」
「飛躍している」
「可能性の話です。シン国からそれを密輸したなら自然に『そっちの意図』がついてくる」
するとアリサワは笑った。
「そういうの。陰謀論っていうんだよ」
「そうかもしれませんね」
実際のところ、どこまでを想定した『浄水器』なのかは考える材料がない。
「いずれにしても。先に言ったサクライとシブヤに関する話はここからが本題です」
ハルトは頭のなかで、ヨシノの部屋でした会話を思い出す。
「サクライは『浄水器』について『警察と情報共有した』とも話していた。……『洗脳』の魔業の使用で、シンジュクの街が侵されるのが嫌だからって」
アリサワは頬杖をやめる。
「その話をした警察っていうのは、シンジュクでの俺との待ち合わせの直前に会っていたそうですから、シンジュクの人間しか時間的にありえない」
サクライはハルトと会う前に話を済ませてきた様子だったのだ。
「それなら。サクライから『浄水器』の話を聞いた警察というのは、アリサワさんではないんですか」
アリサワは机の上に両手を置いた。
「サクライはあのとき、後は警察に託すと言っていた。あの様子だと普段からそうしているみたいで、……あの人には、そういうまともな伝手があるんだって、俺は思ってました」
話しながら、ハルトは胸の奥で胃もたれのような感覚になった。
「だけどサクライの状況はその後の『警察側の動き』によって、変わってしまったんじゃないですか」
サクライすなわちヨシノの動きとしては、それ以降は不可解なものがある。
「というと?」
「警察側はサクライがシン国の『浄水器』の話をどこまでを知って、誰に伝えているかはわからない。それなら警察としてはその情報を『完全には無視できない』ですよね」
アリサワはゆっくり頷く。相槌のようだった。
「またシン国側……、ニッポンの警察に動かれるのなら、その『情報提供者が誰なのか』は控えておく必要があります。『洗脳』絡みが今回一度きりの話だなんてのは考えにくいし、ニッポン内での利害関係者は把握しておく必要がある」
アリサワはまた相槌を打った。
「そこであなたは、『誰がシン国の魔業について探っているか』をシン国側に漏らした。具体的には……『警察ではない人間が探っている』案件だとして、浄水器の件はマリアの母などを使って『形式的に』検挙する。代わりに、その情報提供者をシン国に伝え、この件を警察側としても『手打ち』にしようとしたんじゃないですか」
「なぜそう思うの」
「警察はシン国……というか、魔人達と揉める気がないからですよ。警察ってなにかと魔人と関わりたがらないですよね」
「なんだかイメージが悪いねえ」
浅い溜め息の音が聴こえた。
「そうなればサクライはシン国に損害を与えただけのただの個人だ。シン国側も、『一旦の落としどころ』が明確になる」
「というと?」
「勝手に嗅ぎ回っているサクライを排除さえすれば、関係した人間の面子は保たれる」
このような展開になれば、サクライも黙っているわけにはいかないはずだ。
「サクライは魔業の対応についてあなたたち警察に頼ったのに、その手を切られたんだ」
アリサワはハルトを見つめている。
「だから保身のため、シン国との『交渉材料』を得る必要があって、突貫で誘拐グループを組織したんだと思ってます」
「それで誘拐か」
とぼけたような声で眉間が痛くなった。アリサワが何を知っているかはわからないけれど、つい口が動いた。
「サクライはうちの店員やマリアさんを誘拐して、シン国に引き渡すように動いていた。うちの店の窓が割られたのはその関係です」
「『みちる』の店員……」
薄い反応にハルトは息を飲んだ。
「知っているかはわかりませんが、うちの店員はシン国とは少し因縁のある人間です」
「キルカ・ヴァルカンさんだね」
さらりとアリサワは言った。妙に流暢なのが気にかかった。
アリサワは魔人関連部署の警察関係者だ。彼女や、あるいはその父親について知っていても不思議はない、のだろうか。
「シブヤにはおそらくキルカ達の身柄を引き取りにきていたシン国の連中もいた。それでも『みちる』にいた人のおかげで、サクライはその誘拐すら失敗した」
徐々に苛立ちがわき上がってくる。
「そしてその場から逃げるために、首都高崩落事件と同じように『ポータル』を使って、シブヤの街をあんなふうに破壊してどこかに消えたんだ」
ハルトは自分の髪を掴んだ。
「あなたがさっき『自分を殺しに来たのでは』と言ったのは……サクライの身が危うくなっていることと、その原因が自分にあることを分かっていたからではないですか」
結果として起きたことは酷い景色を生み出した。
「だから……サクライを結果的にあんな行動に移させて、いたずらに被害を増やした大元の原因は、あなたたちにあるんじゃないかと、俺は考えています」
「なるほどね」
アリサワは何度か頷く。
「君が言いたいのは。
警察はシン国や国会議員と繋がっていて。
シン国は洗脳という侵略行為を調査する人間が邪魔で。
我々警察は穏便に事を済ませるため、調査しているサクライの情報提供をし、結果サクライは消されることになって。
しかし彼はどうにか逃げるため、人質か交換条件かということで、キルカさんやマリアさんを捕まえていたと」
「そうですね」
「その理屈だと、サクライは一体何と戦ってるのかな」
「なにと?」
「君の話じゃあ、彼は国にも警察にも守られず、ヤクザを追われて、シン国からは邪魔者扱いのようだけど」
「……逆でしょ、それは」
彼には組織の後ろ盾がない。
魔人であるために警察組織には居られず、ヤクザとしての立場も失っていて、そこで繋いできた小さな伝手を頼りにシンジュクに居続けた人間でしかない。
単に、『地元から外圧を遠ざけるための行動』が、現在の彼の居場所すらを奪ってしまったのではないか。
「戦おうとして足掻いていたのに、誰もあの人と向き合わなかっただけだ」
アリサワは口元を掌で抑えた。
「ずいぶん、『彼』に入れ込んでいるね」
そんな経緯が彼にあったなら、どうにか飲み込むことはできると考えた。
黒い鈴を鳴らされたときのハルトも、彼を助けるためにキルカやマリアをシン国へ連れていく必要があるのだと直感的に考えていた記憶があって、そのために行動しようとした。
事実なんてものはわからない。
わかる必要も感じていない。
「わけわかんないままあの人は勝手に消えたんだ」
もちろんシブヤのときでも、ハルトの考えは別にあった。
サクライの背景がどうあったとしても、キルカを傷つけていい理由にはならないし、キルカはまだ『みちる』に居るべきだと思った。
キルカ自身が抱えるその背景にあるものも、トマリに託された彼らの過去のことも、無碍にしたくなかった。
「その理由くらいは、俺は整理したい」
アリサワは手を組み直した。
「仮に私がサクライを追い詰め、誘拐やシブヤの破壊を行わせた原因なのだとしたら、彼を追い詰めた私を糾弾するのかな」
「なにもしませんよ。この件はただ、巡り合わせが悪かったんだ」
アリサワは目を細めて笑った。
「……まあ。君の話は聞かせてもらったけど、いまはその真偽を問う場ではない。洗脳や誘拐にシブヤの話なんていうのは、お店のこととは別件だ。一旦は追及しないでおこうか」
「一旦……」
余計なことを話してしまったかもしれず、ハルトは目を伏せた。
「それと事実確認とは別の話として。私からは一つだけ訂正しておこう」
「訂正ですか」
「ああ。君はサクライの話に『嘘がない』と仮定していたけれど、それならサクライ自身も事実誤認をしていることになるからね」
「……なんですか?」
アリサワは側頭部の白髪をかき上げた。
「『魔人』が警察組織に所属したことは一度もないよ」
きっぱりと言った様子に、ハルトは奇妙な引っかかりを覚えた。
「……それは」
サクライの発言がすべて嘘だと言いたいのかと思ったけれど。
アリサワが言ったのは彼が『元警察』だと主張したこと。
すなわちアリサワが否定しているのはサクライ自身ではなく、『どこに所属していた人間だったのかという認識』だ。
「そんな考えでいることも許さないってことですか」
「いいや。『ちょっと違うよね』というだけ」
もう暗くなった部屋で、ハルトは無意識に左手を握り込んで机に載せていた。
肩書きの問題でもなく、サクライはただシンジュクという街を守りたかっただけではないのか。
魔人であるがために自分がする場所を持てず、それでもここに居続けてきたのは、単に地元に愛着があったからではないのか。
名前を偽り、誰かに恨まれ、属した場所から排斥され。それでも生き抜こうと誰かを犠牲にしようとしてまで。
制度が無ければ、魔人であるサクライはもっと別の形でこの街に居続けることができたのかもしれない。
アリサワとの関係も異なり、ハルトとは出会ってすらいなたかったかもしれない。
しかしアリサワは、元警察という彼の言葉すらも否定しようとしているようだった。
「俺は、少し前まで警察官になりたいと思ってたんです」
そう思ったきっかけは、目の前にいる彼と、ヨシノだったけれど。
「だけどもう……それも考えなくなった」
アリサワは腕を組み、どうでもよさそうに何度か頷いてる。
「地元を守りたいとか、それくらいの意思をもつことも許されないってんなら……ほんとに、クソみたいな制度ですよ」
正面の彼は懐かしそうな表情で頷いた。
「君をみていると、なんだか昔の『彼』を思い出すね」
アリサワは呟いて立ち上がり、取調室の明かりを点けた。
◇
ハルトはシンジュク警察署を出て、繁華街のほうへ歩き出した。
警察署を出る際、途中まで取調室にいたササハラという女性警官が追いかけてきて、名刺を二枚渡してきた。一枚はキルカに渡してほしいと頼んできたが、すぐにまとめて破り捨てた。
いつか連れて行かれたプラチナム街にでも行こうかと考え、人の流れに逆らわずに歩いた。
アリサワと話しただけなのに、徒労感で肩が重かった。事件の経緯はアリサワに補完されることもなく、ぽかんと空に穴があいているように浮遊する。
それでも、行方をくらませ、ろくに連絡も取れなくなった彼について、少なからずの整理ができた気がしていた。本当であればもっと、彼や自分のことについて、考えるべきなのかもしれないけれど。
なんだか少し、疲れてしまっていた。
『おいハルト』
右耳のイヤーカフの魔業から、『彼』からの声がした。
「……?」
『おまえ話がなげえんだよ』
脈絡がなさすぎた。
つい立ち止まり、後ろから歩いてきた通行人に肩をぶつけられた。
咄嗟に周囲を見る。この魔業には通信の有効範囲がある。お互いの距離としては決して遠くないはずだ。
『アリサワさんもろくに何も言わねえから、余計に変な感じになってんじゃねえか』
このイヤーカフの魔業は盗聴ができる。それはハルト自身が、キルカに対して行っていたこと。
それを今度は、彼に利用されてしまっていたのか。
「待てよ、あんたは……」
彼の立ち位置がわからない。サクライとしてか、ヨシノとして話すべきなのか。
それになぜ『今』なのだ。
なぜ、『このイヤーカフで』通話ができるのだ。
『ガタガタ言うな。手短に済ませるから俺の話を聞け』
「……なんの話ですか」
『事の経緯と、『引き継ぎ』についてだ』




