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◯□5-9 帰路

 ビルの外壁を浮かせて落とす。それだけでシブヤの街が壊れていく。

 先ほどのライブハウスのあるビルも、巨大な氷の塊が割れるような音を立てて浮遊しはじめていた。

 遠くの地面が激しく揺れるのが足裏にまで伝わり、そのたびにどこかで土煙が噴き上がる。ビルの破片や瓦礫が、次々と地面へ落下しているらしかった。


 ハルトによればこの『ポータル』の使い方は、首都高崩落事件のときと同じやり方なのかもしれないそうだ。


 キルカの父を死なせた最悪な事件。

 そこにポータルがこんな形で関わっているのだとしたら、それを開発させていたのだというサクライは、キルカの過去に深く関与していることになる。

 母親のリルハを思い返す。遊廓にキルカを連れてきて、サクライを押しのけたキルカを平手打ちし、一方でその後はサクライの立場を奪ったのだという。

 サクライが首都高崩落事件に関与していたのなら、父が亡くなってからの母親が本当は何を考えていたのか、思い当たることはある。

 それはキルカだってすぐに考えるようなことだ。

 あの頃の生活を奪った原因がサクライやその周辺にあるのだというのなら、当たり前のように湧き上がる感情は、ある。


「あぁもー! おなかすいてしんどい!」


 キルカはそれを振り払うよう、走りながら声をあげた。隣を走るルナは時折、背後で壊れていくビルを見ながら大きな口をあけていた。


「ねえキルカあれ超やばい! すげーやばい! 近くで撮っていいかな! 撮っていい!?」

「だめだよ! なんで楽しそうなの!」


 いつの間にかルナとは普通に話せていた。一年ほど前の彼女には散々なことを言われたはずだったけれど、いま話してくれているのならそんなのどうでもよかった。

 きっかけさえあればこんな風になれる。

 過去に起きたこと、したことやされたこと。その全部に名前を付けることにあまり意味がないことくらい、キルカにはわかっているつもりだった。


「一瞬、一瞬だけ……!」

「もー!」


 どれだけ振り返っても、そこにはもうなにもないから。


 ◇


 落下の起きていない細い通りまで来ると、真っ赤なツノが生えたダークスーツの男が一人倒れていた。ハルトは男を調べ、リンカをそれをそわそわした様子で見下ろした。


「カギリさんのツルかな。顔を太いムチみたいなので殴られてる」


 リンカが通りの先を見た。


「急ごうよ。コイツと同じ匂いが近い。ちょっと走ったらすぐだから」


 ハルトは頷き、スマートフォンを片手に立ち上がってキルカ達を見た。


「脱出用の車の場所は俺が把握してる。いまの様子だと崩落にも巻き込まれてないちょっと離れた場所だから、二人を確保したらすぐにまた走りたい」


 ふいにハルトは自分の額の傷に触った。


「……つーかシン国のやつら、カギリさんが狙いなのか。てっきりキルカを引き取りに来たもんだと思ってたんだけど……」


 リンカはそわそわした様子で通りの奥を見ていた。


「ケンゴが店長さん連れて逃げる時、目がめちゃくちゃの男が出てきたんだよ。それで、なんやかんやでみんなケンゴ追っかけを始めた」

「目がめちゃくちゃ?」


 ハルトが眉根を寄せると、キルカは目を丸くした。


「たぶんクロイワだよ。あいつカギリさんに目を花に換えられて怒ってたから、そっちを追いかけたんじゃないかな……」

「……ああ、目を……なるほど」


 ハルトは腕組みを解いた。


「キルカ」「なに?」


 キルカはそわそわした。


「この場は頼みたい」


 なぜか申し訳なさそうな顔をしている。


「当たり前じゃん」

「シン国のやつら全員をやっつける必要はないし、ここを離れられればいい。クロイワは動きが見えないけど……ビビってるのも時間が惜しい」


 キルカの後ろから、ルナが体重をかけて肩を組んできた。


「おい裏切りマン。わたしは?」

「殴るの躊躇なさそうだしなんも言いません」


 なんなのこいつ、とルナが呟いたのを耳元で聞き、キルカはルナに軽く頭をぶつけて笑った。


「ここもいつ壊れるかわからない。急いでもらいたい」


 マリアを見ると、背後の空を見上げていた。


「マリーはハルトと待ってて」

「うん……」


 控室にいた時のように、彼女は空を気にしている。


「どうしたの?」

「浮かせて落としてる魔業、三組? あるみたい。別々に空を動いて街を壊してる」

「うわぁ、みっつ……」

「だから急いで。キルちゃん」


 ◇


 ひらけた通りの先にはスーツの男女が八人居た。若い集団で、シン国の者たちなのだろう。

 彼らは足を止めて大きな一本のツルに対峙している。ツルがぶんぶんと蠢き、薙ぎ払ってきたり、振り下ろしてくるのをどうにか防いでいるらしかった。


「なんか、ツルだ」


 キルカとルナはツルに向かって走った。その折、ルナは路上に落ちていたコンクリート片を拾いあげていた。

 スーツの集団越しにツルを見てみると、大きなツルの根元には、男が猫背になって立っている。


「……なにアレ……」


 さらによく見ると、その男の頭から太いツルが生えているようだった。


「キルカ見て! ヤバいリーゼント!」

「撮ってる場合じゃないからね!」


 そして男の背中には赤い髪の女性。普段のバーの服装のカギリが、ぐったりした様子で背負われていた。


「カギリさん!」


 キルカが駆け寄りながら大声で叫ぶ。

 スーツ達のうち二人が振り返り、ルナはそのうち一人の頭へコンクリート片を投げつけた。キルカはもう一人の男に走り込んでラリアットの要領で腕を振り抜くと、簡単にその男を転倒させられた。

 少なくともあの変なツルで抵抗できているなら、彼らはカギリのような魔法使いでも、キルカのような魔人でもないのだろう。


「うぉぁキルカちゃん! よかった!」


 頭に太いツルを生やした男が顔をあげた。たぶんケンゴだった。ツルがぐるんとしなって、ケンゴの背後にいた男を弾き飛ばした。

 勝手にツルが動いている。あれはどうみてもカギリの魔法だ。

 ケンゴの背中にいるカギリは眼鏡が割れており、額には黒い血の跡をつけている。いつものようなのんびりした様子はなく、疲れているのか虚ろな表情だった。

 そのまぶたが僅かに開く。

 カギリの緑色の瞳と視線がぶつかった気がした。

 なのに、男がキルカの前に躍り出て視界を遮ってきた。


「じゃま!」


 声をあげながら、キルカはその男の袖と胸倉を掴み、ルナと睨み合う女に向けて数メートルほどぶん投げた。女は男を上半身で受け止めて転倒し、ルナが目を丸くして驚いていた。


「キルカちゃん! 店長さん限界なの!」

「なにその頭!」

「生やしてもらった! そんでこいつら銃もってたけど弾切れ! このアタマで防いでもらえたおかげで! 無事生きてるぜ!」


 また銃か。キルカは沸々とわいてくる怒りを抑えながら、とにかく逃げることを考える。拳銃の類がないなら、いまのキルカとルナであれば制圧は容易い。


「もと来た道! ハルトたちが居るから走って!」


 ケンゴが首肯し、キルカが倒した二人の隙間に向けて走り出した。

 男たちの怒号が聴こえる。ケンゴの背中に駆け寄ろうとするスーツ姿のツノの男の襟を、キルカは走り込んで後ろから掴んだ。

 キルカは男をアスファルトに引き倒し、片足を掴んで振り回して、ケンゴを追おうとした男達の足元へ投げつけた。ツノ男は投げられた棒のようにくるくる回転して、酷い悲鳴をあげながら複数の男たちを巻き込んで倒れた。

 ルナは大柄な男の顔を思い切り殴り飛ばし、自分の拳を見て驚いていた。


「キルカこれやばいじゃん!」

「そーだよ気をつけて!」


 カギリの後は追わせない。

 キルカとルナはスーツの彼らを掴んだり、引きずりまわして、靴を脱がせてビルの上へ放り投げた。

 キルカたちは後ろから殴られても微動だにしない。腕を掴まれたらそれを強引に捻り上げ、特殊警棒で殴られてもそれが曲がるだけ。石を投げられても弾けとび、拳を向けられたら額でそのまま押し返す。

 簡単に疲弊していくスーツ達をつかまえ、ルナはジャケットを無理矢理剥ぎ取った。そばにいた一人だけでなく、その場にいた八人ともを、ジャケットによってまとめて縛った。


「これでろくに追えないでしょ!」


 ケンゴが遠くに離れたのをキルカは確認した。ルナは、身動きできずに地面に座る大柄な男の脚を蹴り飛ばした。


「言葉わかんないかもだけど! もっとまともな仕事しな!」


 全身に土埃を被っていたけれど、ルナは手を払いながら楽しげに笑った。


「ルナもう行くよ! やりすぎ!」


 キルカはルナの背中を押しながら、彼らを尻目にまた駆け出す。両足は縛られていなかったので、とりあえずよしとした。


「なんだよクロイワいないじゃん!」

「あたしは会いたくないよ!」


 ◇


 ハルトの案内で移動する間、シブヤへのビル落下の被害は拡大していた。

 ポータルによってドローンの真下をUFOみたいに浮遊させ、ドローンがそこを通過し終えると、浮いていたものが落下していく仕組みのようだ。


「……燃えてる」


 シブヤセンター街の大きな通りに出てくると、黒い煙が立ちのぼっていた。一箇所ではなく、周辺でもいくつかの火の手があがっている。

 キルカは息を整えつつ、ようやくこの破壊の危険性を理解し始めていた。


「あっちを越えれば車がある」


 ハルトが駅と反対側の通りを指すと、その先には大きな瓦礫の山があった。結構な急斜面で、こちらから通るのは手間がかかりそうだ。

 キルカは駅のほうへ目を向ける。

『魔界』であるシブヤの駅側の通りは、点在しているテントが落下後のビルの瓦礫により潰れていた。

 通りの奥では、転倒している機械から火の手があがり、ひときわ大きなタープテントは焼け落ちていた。


 人もいくつか見られた。

 ここから逃げるのを諦めた者や、ずっと地面に寝そべる者、パニックを起こしている者いた。何人かはそれぞれで逃げ場を探して移動を始めている。

 彼らが逃げ惑うなかで、足元に敷かれた大きな鉄板からは硬い音がかんかんと響く。

 数にして数十人ほどの人。そのうちのホームレス然とした者の数人は、大きな荷車を引き、駅側の空を見て呆然と立ちすくんでいた。

 

 また地面が揺れる。駅のほうのビルの上部が破損して浮き上がっている。

 ポータルを抱えたサクライのドローンが、今度はセンター街を破壊するようこちらに向かってきているようだった。


「この人たち逃げないのかな」


 キルカはふと呟いた。


「逃げようとしてる人もいるな」


 ハルトはなにか考えている様子だった。


「俺達はあの瓦礫の山を登る。あっち方向はまだドローンは飛んでないようだから、そのまま車で逃げられるはずだ。みんな、急いで」


 カギリを背負うケンゴとそれについていくリンカ。キルカとルナとマリアにハルト。これで七人。車は大きいらしいのでちょうどの人数だろう。

 その場に立ち止まっていたキルカは、そこでひとつ引っかかった。


「待って。ここにいる人は放っておくの?」

「……そうするしか、ない」


 ハルトは苦々しい顔をしたが、振り返ってキルカを見た。


「避難のために瓦礫の山を越えさせたりするとして、もし手こずったらあの落下に巻き込まれる。車は一台しかないし、下手に群がられたら俺たちも抜け出せなくなるなもしれない」

「そうかもだけど」

「俺たちの動きに気付けば、あっちの安全な道に気付く人も出てくるよ」


 また地面が揺れた。そちらを見ると二〇〇メートルくらいの先で、ビル上部の壁が剥がれ、内部の設備や建具がまとめて浮き上がっている。その下の道路も、アスファルトの一部が音を立ててめくれ上がっていた。


「台車引いてる人だって……」

「時間がない」


 ハルトはきっぱり言って、キルカの手首を掴んだ。


「俺はキルカを助けに来たんだ」


 ハルトは話しながら手を引いてきて、キルカはその後をついていく。


「それに……この件はトマリさんにも託されてるつもり。ここでの無茶は避けたい」


 キルカは溜め息をつき、足元を見下ろす。


「でもハルト。きいて」

「……はい」


 ハルトの言っていることを否定したいわけではない。

 ただここにある状況が気になっただけ。

 街が壊れて燃えていて。

 そこにいる人達が困っていて。

 すぐそばにまた危険があり、それをすぐにどうにかできる手段もない。

 こんな災害のようなもの、キルカ達もただ巻き込まれているだけなのかもしれない。

 けれど、キルカが逃げたことでサクライがこれを起こしたのだというのなら、この件は少し変わってくる。


「あたし、結構いろいろみんなに助けてもらってるんだ。なにもできてないのにみんなが優しいから、それにいっぱい甘えて……今回だって助けられたんだよ」

「そんなのは……」


 キルカが立ち止まる。

 彼にだって、そうしてもらったから。


「……だからあたしも、そういうのできないと……」


 ハルトも無理に引っ張る様子はなく、どこか緊張した表情になっていた。


「なんか違うのかなって――思った!」


 掴まれた手を勢いよく振り払い、キルカは駆け出した。


「キルカ! そんなことやってたら……!」


 珍しくハルトが声を荒げた。珍しくとはいったって、彼と出会ってからそれほど時間は経っていない。

 ものすごく慌てた面白い顔をいきなり見せられてしまったから、キルカは吹き出して笑った。


「大丈夫だから車に行って! ちょっとひとつぶっ壊したいだけ! あたしだって救助みたいなのする気ないよ! これはサクライがやったこと! そんなのあたし知らないから!」

「ぶっ壊す、って……!」


 ただひとつだけわがままを通してみたくなった。まだキルカはなにか選んでいないし、選ぼうとも思っていない。けれど今は、この状況をほんの少しだけ変えて、胸のなかにあるモヤモヤを残さずに帰りたかった。


 責任なんかではない。

 ただ、キルカにはきっとそれができるから。

 そうしないことを選ぶのを、できるだけやめてみようと思っただけだった。


「……わかった! 気が済んだらこっちに! 待ってるからな!」


 キルカはハルトに手を振った。

 こうして信じてもらえるなら。

 たぶん、気は済んでしまっているのだ。


 □


 ヨヨギ公園側の道。瓦礫を乗り越えた先の景色は、センター街のような崩落の被害はない。

 キルカと別れたハルトは、カギリを背負うケンゴを支えながら、リンカやマリアと共に瓦礫を降りていく。


「えっ、キルカは!?」


 ルナは先に車の方に降りていて、歩いてくるハルトの顔を睨んで言った。


「ちょっとぶっ壊すってことでまだあっちにいる。たぶんこの――」

「は!? 止めろよマジで使えねー男子だな! わたし行ってくる!」


 ハルトの制止を聞かず、ルナはまた瓦礫の山を駆け上がり、崩落の続くセンター街へ向かっていった。

 ハルトは瓦礫を降りきって車に駆け寄った。エンジンをかけて後部のドアを開ける。車を誰かに触られている様子もなく、問題なく発進できる。

 ハルトはケンゴと共に、ぐったりした様子のカギリを車の後部座席にのせていく。


「カギリさん、無事ですか」


 座らせてから呼びかけると、僅かに瞼がひらいた。


「あ。ハルトくん」


 声色は普通だった。しかし明らかに疲れているのが見て取れ、どことなくげっそりした顔をしていた。


「……さっき、キルカちゃんいたね。ありがとう」

「カギリさんこそ色々、本当にありがとうございます。さすが店長ですよ」

「ううん。私ただ、二人がお気に入りだから……」


 つぶやきながら、カギリは眠そうな顔で瞳を閉じ、シートに身体を預けた。


「ケンゴさんもありがとうございます。結局頭ぜんぶ植物にしてまで……」


 さっき合流したときはかなり長いツルだったが、今は緑のソフトモヒカンくらいの長さで落ち着いていた。カギリが自由に操れる植物が頭に生えているということだろうが、なかなか大変なことになっている気がした。

 ケンゴは笑って、砂埃まみれの顔を手で拭う。


「オレの意志で生やしてねーよ。でも店長さん背負っていくなら一番便利だった。……とりあえず、疲れたから早く逃げようぜ」

「お疲れさまです」


 リンカが彼の側面につかまり、ハルトは二人を車内の一番後ろの席へ促した。

 瓦礫の山のほうへ振り返ると、マリアがそちらを見て立っていた。


「マリアさん?」


 ハルトの声に反応して、マリアは目を細めて振り返ってきた。


「キルちゃん。置いてきたんですか」


 言われる気がしてむしろハルトは安心した。彼女はキルカの普通の友人なのだ。


「あいつがやるって言い出したんで。たぶんここも危ないから車に移動してください、少し離れます」


 ハルトが車を指すが、マリアは動かなかった。


「あの『黒い鈴』のこと」


 真っ白な瞳がこちらを見た。

 心臓がつぶれるように胸が痛くなった気がしたが、ハルトは背筋を伸ばす。

 マリアは魔素が視えるし、魔業を判別できる。であればライブハウスの控室でのことも、あの鈴やハルト自身のことも、なにが起きていたのかはわかっているのかもしれない。


「あなたにはまだ、クロイワと同じものが『残ってる』。だけど今はみんなのために動いてくれてるから、私は何も言わない」


「あいつ、と……?」


 静かな声色ながら、彼女の声ははっきりと聴こえていた。

 ハルトは一瞬考えるが、自分自身とクロイワとの共通点なんてものはひとつしかない。


 瓦礫を見上げ、マリアに視線を戻した。


「……まずはここを出てから、ちゃんと考えます」


 マリアは納得した様子はなかったものの、車のほうへ移動した。ハルトも運転席に乗り込み、ルームミラーで車内を確認する。キルカとルナ以外の全員が乗っている。


「え? キルカちゃんは?」


 ハルトがハンドルを握ると、後ろのケンゴが言った。


「すぐ合流しますよ」


 サイドミラーを除くと、巨大な瓦礫の山がみえる。

 背後の瓦礫の山は、二車線くらいの幅のこの通りを覆うよう、高さはおおよそ四階建てのビルほどのもの。

 うず高く積まれたそれは、六年前に起きた首都高崩落事件の残骸。あるいは『魔界』を一般社会から断絶する境界であり、いまはシブヤの住人たちの避難を阻む巨大な障壁。

 キルカが、気にかけていたものだ。


 地面が揺れる。大きな揺れではなく、すぐそばの揺れだ。

 どれくらい離れればいいかは見当がつかなかったが、ハルトはアクセルを踏んだ。


「うわっ! こんどはなに!」

「キルカですよ」


 リンカが後ろを見て叫んでいる。今日はほとんどずっと悲鳴をあげている。


「あいつはアレ、ぶっ壊したいみたいなんで」


 車を少し走らせ、サイドミラー越しに瓦礫の山を見た。

 山が僅かに振動して、いくつかの小さなコンクリート片がごろごろと落ちた。石がぶつかりあう音が鳴ってどんどん落ちていく。

 ずしんと揺れる。

 何度か揺れる。

 まるで巨大な釘を叩き込んでいるかのように、振動は連続して繰り返される。


 それなりに山から離れて、ハルトは車を停めた。

 窓から上半身を乗り出してそれを見据えた。


 まるで電車のブレーキを耳元で聞かされているような金属の摩擦音が地面に反響して響いていた。

 瓦礫の山はガタガタと揺れ、てっぺんあたりからバラバラと形を崩し、コンクリートの欠片が四方周囲に弾けて転がる。


 やがて、ぼこり、と瓦礫の山が大きく動いた。


 真っ黒な鉄板が縦向きに、山を真ん中から真っ二つに割くよう、こちらにせり出しはじめた。それはよく見ると船首のように二枚の鉄板で角をつくり、その先端を起点に、がりがりと地面を揺らしながら山を崩して突き進んでいた。

 おそらく、シブヤの路上に敷いてあった道路を保護するための大きな鉄板だ。あれを瓦礫の山に向けて突き刺して、力ずくで押し込んでいるのだ。

 鉄板が動くのと連動して、いままで聞いたことのないような、何がが連続で破裂するような音が響く。耳がおかしくなりそうな音だったが、それはまるで止まる様子はなく。

 灰色の瓦礫の山を、真っ黒な鉄板がずんずんと突き崩していく。


「はははっ……! すげえ……! なにやってんだあいつ!」


 ハルトは可笑しくなって独りで笑った。

 巨大な船が港に突っ込んできているような光景だった。

 キルカとルナだ。

 あの瓦礫の山を、鉄板と身体だけで崩し、人が通るための道を力ずくで作っているのだ。

 その鉄板はしばらく直進し、瓦礫の山を左右に割いて、爆音を響かせながら瓦礫を通りの端へとどんどん寄せていく。

 進むほどに山が削れて小さくなり、鉄板の進行は止まった。土煙が巻きあがって、もくもくと視界が悪くなっていた。


 その鉄板の奥から、粉塵で真っ白になったキルカがぬっと現れた。

 縦になった鉄板は削りとった瓦礫によって白くになっていた。キルカはそれをそのまま、左右のビル壁に立てかけるよう、全身に力を込めて押し込んでいた。

 ルナも同様にそうすることで道が開き、瓦礫の山のほとんどを押しのけることができてしまった。

 ドローンはどれくらい接近しているかわからないが、シブヤの住人がキルカの側に集まってきているのが見えた。

 キルカとルナはその場でハイタッチする。背後にいるシブヤの人々に向けて何か身振り手振りをしてみせた。

 ここから逃げろと告げたのだろう。

 そのまま二人で白い粉塵をはたき落とし合いながら、けらけらと笑いながらこちらへ走ってきた。


「……ちょ待って、キルカちゃんてあんな力強いの? っていうかアレは『力』ってレベルの話なの?」


 ケンゴが窓から身を乗り出して呟いた。


「わ、私……あの子、瓶で殴っちゃたんだけど……」


 リンカは青ざめて自分の身体を抱いていた。


「あいつ全く気にしてないんで、大丈夫ですよ」


 ハルトは一旦運転席を降りて、彼女達をさっさと回収するため、車の後部のドアを開けた。


「――めちゃくちゃやったなキルカ! あの山! 何トンあると思ってんだよ!」


 土埃まみれのキルカが、笑いながら駆け寄ってきた。


「あっはっはっはっ! ルナも来てくれて! すごいがんばったらできた! 全身の血管きれるかと思った! でもなんかすぐ崩れそうだし、すぐ逃げよ!」


 疲弊しているルナとは対照的に、キルカはまるで店にいる時のように明るい表情だった。


「あぁ。とにかくおつかれ」

「うん! ほんとうにつかれた!」


 ハルトが手を挙げてみると、キルカはものすごい力でハイタッチをかましてきた。めちゃくちゃ掌が痛くて悶絶しかけたが我慢した。


「いやほんと……キルカの力すごい……すごすぎて、わたしまだ、現実感がない……」


 ルナは少し呆然としていたが、キルカがその二の腕を叩きつつ、車内へと促す。

 キルカとルナがなにやら会話しているのを聞き流して、ハルトは改めてシブヤを見た。


 さきほどの瓦礫の山は通りの左右に細長く押しのけられた。押し込んだ瓦礫や鉄板なども崩れ落ちたりせず、残された人達はこちらの通りへの避難に向けて歩き始めている。荷車を引いていた者も、既に動き出しているようだった。

 あれを放っておけなかった彼女。首都高の事件で人を助けていたその父親も、もしかしたらこんな性質の人間だったのかもしれない。


「……もう昼か」


 災害のようなシブヤの街とは裏腹に、太陽はいつも通りに高く昇っていた。


 これで帰れる。

 長かったこの朝が、やっと終わる。

 ハルトは車の後ろから離れ、運転席に戻ろうと歩き出した。


「つーわけで。帰ろう」

「うん! あたしカギリさんの横乗るねー」


 ルナは空いていた助手席に乗った。

 キルカがカギリの座る後部座席のドアを開けた。


 ぎゅもっ。


 そのとき突然。


 散々聴いてきたあの音が、どこかから響いた。


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