◯5-8 崩落
「ルナ!」
ルナに駆け寄った。銃弾を受けたルナは顔を歪めて汗を浮かせ、そばにあるソファに倒れ込んだ。
キルカは瓶やコンクリートブロックなどで殴られても傷一つつかないけれど、拳銃で撃たれたことはなく、その加減は想像できない。慌てたまま、キルカはルナの服をめくった。
ルナの白い腹には二箇所、赤黒い色をしたひどい内出血のような跡があった。銃弾のような金属ではない黒い塊が、腹の上で潰れて縮み、その肉にわずかにめり込んでいる。拳銃にしても妙に小さかったため、あれは魔業だったのかもしれない。
「一応おなかに、穴あいてない、けど……」
「いや穴て……、息、きっ、つ……」
ルナは力みながら身を捩る。仰向けになり、額に汗を浮かべてツノを握った。
「……ぁぐっ、そっか、そうだ……」
「え? なにルナ」
「キルカ、これ、指輪とって……」
指輪。これはいまキルカの魔人の力の半分をルナに分けている。キルカの頑丈な身体になっていなかったら、もっと危険なのではないか。
「とってぇ……」
意図はわからないけれど、キルカはルナの手を取り、その指輪を取り外す。キルカのほうも、ぐらりと身体が重くなった気がした。
「マリー。指輪どうしよう」
マリアはずっと天井を見上げていた。少し遅れて瞳を開き、キルカを見た。
「あ。私がつけるか、キルちゃんが二つとも付けていれば大丈夫……」
うわの空のようだった。キルカはとりあえず指輪を二つ同じ指に付けた。あまり実感が湧かなかったけれど、キルカの魔人としての力は、これで十全に戻った。
「外したよルナ」
「あぁ……、いったぃ……、しぬ……。くそ、女の腹うちやがって、あのやろ……」
ルナはまたソファの上でもだえるように身を捩る。身体を小さく丸めるようにして、少しの間、自分の身体を強く抱きしめた。
「あんたの王子さまも、最悪だよ……」
ルナは苦しそうに息を吐き、ソファの裏で倒れているハルトをあごで指した。マリアもキルカの隣にやってきてしゃがむ。
「二人とも聞いて」
マリアは強張った表情だった。
「さっき少し揺れたよね。サクライが言ってた『起動しろ』っていうの、たぶんなにかの魔業のことだと思う」
「マリーそんなのもみえるの?」
「ちゃんと視えてはいないけど、上でなにか動いてる。ルナさん抱えてでも、早く離れたほうがよさそう」
マリアは髪を乱しながら、また地上のほうを見つめた。
「あとキルちゃん。大事なこと」
目を見開いて天井をきょろきょろと見ている。
「ハイジマさんの耳には、クロイワと同じ魔法陣がある」
キルカは「魔法陣?」と首を捻った。
「最初に会ったときから変だったんだ。ハイジマさんは魔人じゃないのに、耳にも瞳にも魔素が混じってて、変な感じだった」
言われてキルカは思った。ハルトの瞳はブラウンと黄色が混じった瞳なのだ。キルカもそこには違和感はあったし、ハルトによれば、カギリにも魔人でないかと訊かれていたらしい。
「耳のイヤーカフの魔業のせいだと思ってたんだけど……さっきのこと考えると、やっぱり違うと思う」
どういうこと。とキルカは目を細めた。
マリアは早口で、落ち着かない様子だった。
「サクライが鳴らしてた黒い鈴、あれも魔業みたい。だから想像だけど……ハイジマさんはサクライに操られてたんだと思う」
「え」
「さっきのクロイワだって電話での様子がおかしかったし、クズリさんへの『起動』の連絡でも、サクライはたくさん鈴を鳴らしてたよね」
キルカは急に拍子抜けたような気がした。
「じゃあ、ハルトは……」
がくん、とまた部屋が揺れた。
さきほどの揺れよりも大きかった。
「いける、もうすこしで動ける……」
ルナは身体を僅かに痙攣させて、汗を浮かせながら頭を起こした。
ついさっき頬を切っていたはすだが、その痕が見られなかった。
「無理しないで。あたしおんぶするから」
「だいじょぶ……。みんな、ツノのある魔人になんでツノ生えてるか知らんでしょ?」
キルカは調べたことはなかった。ルナの黒いツノをよく見ると、さっきまでのツノに比べて、頭の表面くらいにまですり減ったように小さくなっていた。
「これラクダと一緒なんだ。血とか傷とかカバーできるし、ラクダより上か……? ふつうにいま、まじ超クソ痛いけど……」
「ラクダ。たしかにルナさん睫毛長いもんね」
マリアはぼんやりと天井を見ながら言った。
「わたしそんな長いか……?」
「まってマリー、いまの冗談?」
「えっ。いや……えっ?」
三人で変な顔を見合わせていると、ソファの後ろからハルトのうめき声がした。
「うわ起きた。操られてるとか知らんし、キルカそいつぶん殴ったほうがいいよ」
「まあ、うん……」
そんなことより、みんなでここを脱出する話をしたい。
キルカはソファの後ろに回る。ルナにぶっ飛ばされていたハルトは、床にうつ伏せにへたりこんでいた。
「ハルト」
すぐそばでしゃがんで呼びかけると、ハルトは再度声をあげ、腕立てするように身体を押し上げた。
「あ……、あご……動く……」
ハルトは呟く。顔をさすりながら起こして、頬や首を赤くさせていた。しかしキルカには目を合わせず、その場で座って俯き、呼吸を整えている。
「だいじょぶ?」
さきほどハルトは脂汗をかいていた。いまはそれにくわえて、ひどく暗い表情で唇を強く結んでいる。殴り飛ばされた衝撃で身体がおかしくなっているのか、右手を振ったり、首を何度か回していた。
数秒くらいそうしてからハルトは溜め息をついて、おそるおそるキルカに目を合わせた。
「ハルト」
「……はい、先輩」
その目や顔はキルカが今まで見たことのない、泣き出しそうな子どもみたいな顔をしていた。
彼の頭の中が一体どんな状況になっているかはわからないけれど、色々と考えているみたいだ。
「ね。あたしもビンタしていい?」
「……え? そりゃ、もちろん」
もちろんってなんだよ。
「……そっか」
キルカは緊張していた肩の力が抜けて、自分の目尻を押さえつけるように袖で拭った。
さっきのような変な感じではなく、普段のハルトだ。むしろ今のハルトに色々と訊いたとしても、たぶん結構、めんどくさそうだった。
「ほらハルト。動けるなら立って。動けなくても、立ってよ」
声が震えてしまった。キルカはハルトの肩を叩き、一人で立ち上がって見下ろした。
「キルカ、俺は――」
「細かいことはしらない、あとでいっぱい埋め合わせ。いまはみんなでここから逃げよ」
ハルトは床に座ったままキルカを見上げた。その直後に目を強く閉じて、両手で顔を覆った。掌の奥で深い呼吸を繰り返しているようだった。その肩は震えていたけれど、キルカは手を貸さなかった。
サクライがヨシノだったこと。
それを、彼は考えているのかもしれない。
「……そうだな。まずは、ここから離れないと」
ハルトは気を取りなおしたように立ち上がり、ボロボロの姿でキルカに向き直った。
「だけどキルカにはひとつだけ」
「なに?」
気まずそうなその表情をむしり取るように、自分の顔を触っている。
「全部。ちゃんと覚えてるから」
ハルトはさっきのことだけを言っているつもりなのだろうけど。
「そ。あたしは興味ないこと忘れるひと」
全部なんて言い方が引っ掛かって、ちょっと顔が熱くなった。またすこし息が苦しくなったため、ハルトの肩を拳で強めに小突いた。
「……じゃあ逃げよ!」
キルカはソファに倒れるルナのほうへ戻った。
ハルトはふらつきながら、天井を見つめるマリアの方へ駆け寄った。
「ねーいまキルカさぁ」
「うるさ。ルナ動ける? 指輪つけるか、あたしが担ぐか」
「指輪つける。サクライ居たらぶちのめす」
キルカはルナに指輪を渡す。
「あれ今気付いたけど、まって。これって指輪付けてたらあたしにもツノ生えるの?」
「しらねーよ、ツノ嫌がってんじゃねーよ」
ルナに肩を貸そうとすると、首を横に振った。
とりあえず動けるくらいには回復したらしい。
「……状況はだいたいわかった。とりあえず移動しながら話そう。カギリさん達に合流したい」
ハルトはマリアの両手を縛っていた結束バンドを切っていて、それを捨てながら全員に呼びかける。マリアとなにか話していたらしい。
「乗ってきた車もある。急いでここを出よう」
全員ですぐに部屋を出た。
控室のそばでは見張りの男が倒れていた。肩から血を流してうずくまっているが、息はあるようだった。
「生きてる?」
ルナが呼びかけると、男は苦しそうな顔で頷く。ハルトが彼の手足の拘束をナイフで切ると、その場でぶるぶると震えながら立ち上がった。
「わたし達逃げるけど、あんたも勝手にしな」
「……ルナ、一緒に行ったほうが」
「いやソイツもツノあるから。わたしらはそのへんの生命力がちがうんだよ」
ツノの魔人の価値観なのかもしれない。男にああだこうだという暇もなく、キルカはハルトやルナのあとをついていく。
「……細かい状況はわかんないけど、あいつがサクライなら。『起動』って話は一個引っかかってる」
ライブハウスから地上にあがる階段で、先頭のハルトが言った。
「俺はヨシノ……サクライの拠点に何度か行ったことがあるんだ。あそこにはさっきの黒い鈴とかドローンがたくさんあったのは覚えてる」
「ドローン?」
キルカが訊いた。
ハルトは少し躊躇ったような表情だったが、すぐに頷いた。
「サクライが扱ってたっていう『ポータル』。あれは昔……首都高崩落事件でも『ドローンを併用して』使われたってトマリさんが言ってた。実際に使ったのは、シン国の連中みたいだけど……」
そうなんだ。とキルカは頷いた。
「えっと……、じゃあ、さっきから揺れてるのって……」
ライブハウス階段をあがり、ハルトが出口の扉に触れた。
「サクライはこの誘拐が失敗したときのために、このあたりをぶっ壊して逃げる準備でもしていたのかもしれない。取引相手がどんな奴らにしろ、単に『失敗しました』じゃ、済まされないと思う」
「逃げるためにそんなこと……」
どうかな、とハルトは首を左右に振った。
階段の先の扉をハルトが開く。
外の風が一気に流れ込んで、キルカの視界には初めて見るシブヤ――『魔界』の景色が、一気に拡がった。
「……ちょっと、待って……」
キルカの身体は全身に走るぞわりとした寒気に硬直した。
その通りは間違いなくトーキョーのビル街だった。
しかしキルカ達のいる側のビルや路上のほとんどは、大量の植物に覆われていた。
通りの奥のビルに視線を向けていくと、植物の巻き付いたビルの外壁のいくつかが、大きなコンクリート塊に散らばって宙に浮いていた。
さらに空によく目を凝らしていくと、浮遊する瓦礫のさらに上には、ビル二つぶんほどの真っ黒な穴が、空中にあいているように見えた気がした。
「は? なんだこれ……撮るか?」
ルナは呆然とした顔で、スマートフォンを出して空や景色を撮影し始めた。ハルトとマリアは周囲を確認しながら、この状況について話し合っている様子だった。
キルカは数秒のあいだ動けなかった。なにが起きているのか理解するまで、時間がかかった。
この景色を見たことがあった気がした。
六年前のあの事件。テレビ中継が強制的に打ち切られ、一分にも満たなかったライブ映像。いまはインターネットの片隅にもすら残っていない、削除され続けた『あの事件』の映像。
キルカは昔それをよく調べて観ていた。父を死なせた事件の映像のなかに、父の姿がないかを何度も探してしまっていたから、よく覚えていた。
これはでまるで、首都高崩落事件の再演だ。
「……あ! バイトの子! やばいよ助けて! まじでやばいから!」
後ろから女性の声がした。
キルカにも見覚えのある茶髪の女性。彼女はハルトの背中に駆けつけてきて、悲鳴のように叫んだ。
「ケンゴ! 店長さんおんぶして逃げて! なんかみんなそっちを追っかけだしたの! そのとき私は隠れて待ってろってケンゴが!」
ケンゴ? キルカは首をひねったが、ハルトは状況を把握しているらしい。
「あの浮いてるやつの前のことですよね?」
「だよ! さっき男出てきたよね! そのあたりから浮き出して……ねぇいいからとにかくケンゴ助けて! その子強いんだから!」
女のその顔で思い出した。彼女は以前、キルカを瓶で殴った女だ。どういうわけかハルト達と協力関係のようだ。
「わかりました。ケンゴさんの匂いは追えますよね?」
あたりまえ。と頷いた女は、ビルの浮いてる方ではない通りを指す。そわそわした様子で、今にも走り始めそうだった。
「キルカ」
ハルトが声をかけてきた。
「ここにいるのは危ないからケンゴさんを追う。カギリさんも一緒のはずだから、俺はそっちに行く」
キルカが返事をする前に地面が揺れ、なにかが砕ける音がした。今よりももっと近くのビルが、絡みついた植物をちぎりながら浮き上がり始めていた。
「……空の穴、やっぱり魔業みたい。動いてる」
「そんなん見てる場合じゃないでしょ……いやまぁ、レア映像なんだけど……」
マリアが呟く。ルナはそのマリアを呆然と見て、スマートフォン片手に口をぽっかりあけていた。
ハルトがリンカに「行きましょう」と手で促した。
「……で、キルカ達は別行動にするか? もしかしたら、サクライもまだ近くにいるかもしれないし」
キルカは左右に強く首を振る。
「サクライなんかどうでもいいよ」
即答した。
するとなぜか、ハルトはほっとした表情になった。
「っていうか、まだなんかあるなら戦力的にあたしとルナ必要じゃん。まとまって動いた方がいいでしょ?」
ウェーブのかかった黒い髪を手ぐしでかき分ける。
昨日からのあれこれで、髪が悲惨なくらいぐしゃぐしゃに絡まっていた。けれど普段のように触れてみたら、案外すんなりと指は通った。
「カギリさんつかまえて、みんなで一緒に帰ろうよ」




