□5-6 異音
ライブハウスの入り口はビル脇の階段を下りた先だ。見張りはいない。片開きの鉄の扉はわずかに開いており、ハルトは息をひそめてこっそりと引いた。
きぃぃ、と甲高い音が鳴った。
静かな進入はあきらめ、速やかに扉を開けた。
狭い階段を降りる。壁の左右にはたくさんのチラシが貼られている。足元には空き缶やビニール袋などが散らかり、人の痕跡があった。どこか埃っぽく、当然ながらキルカの匂いは感じない。
中では光量の少ない白灯がそこかしこに点いている。ハルトは空き缶を拾い、足音を立てないように階段を降りて進んだ。その先には受付のような机と大扉があり、扉の片側が開け放たれている。
おそらくライブステージと広間がある。
覗いてみると、右手側にはドリンクカウンターがあり、左側のステージはすぐには見えず、音響機材や机が積み重なっている。真っ黒な天井を見たところ、広間は左手側へと広がっていた。
よく耳をそばだてると、広間の奥から話し声のような、くぐもった響きが聴こえた。
キルカが監禁されているとしたら、おそらく楽屋のような部屋が使い易い。ライブハウスの奥に部屋があり、見張りの類が居るのだろう。
ハルトはリュックを背負いなおした。
脱出に向けてはキルカの力を戻さないとどうにもならない。最善はキルカの『魔女の天秤』を外してさっさと逃げること。それ以外の展開はその場で対応するほかない。
「――わかったらさっさと準備しとけ!」
通信で聴いたのと似た怒声が響いてきた。おそらくクロイワの声。カフェバー『みちる』に来たときとは様子が大きく異なり、取り乱しているようだった。
すぐに一人分の早足が聴こえた。
この広間に近付いてきている。
どきりと心臓が縮む。
クロイワは『ポータル』によるビルからの落下攻撃にくわえて、トマリをナイフで突き刺している。他人への加害に躊躇がない。
「あークソ……。どうなってんだよ……」
広間にやってきたクロイワは溜め息をついて舌打ちした。ライブステージにでも腰掛けたのか、その独り言は反響している。
どうするべきか。クロイワは仲間かキルカ達に準備を要求した。シン国らしき人間も車に乗ってここに来た。彼らがシブヤを発とうとしているのは確実だ。
カギリやケンゴがあそこからすぐに離れた場合、先ほどの連中も間もなくこの場所へやってくるだろう。
「っ……」
ここで黙っていても挟まれるだけ。
よりキルカに近づけるのがどちらかは、考えるまでもない。
ハルトがその場から駆け出そうとしたとき、クロイワは舌打ちした。
「クズリお前おせえよ! ちんたら走りやがって」
遠くでクロイワが呟く。通話をしているようだった。
クズリはキルカの誘拐後から姿を見せていなかったが、シブヤへ合流しにきたということか。
「あ? こっちはもう『落とせなかった』から待ってんだよ。……そもそも、なんでケンゴが赤いのと……」
ハルトは息を飲んだ。
「……なに……なんで。バケモンだろあれは」
しばらく黙った後、クロイワは鼻で笑った。
「すぐ行く。その女のせいで片目はねぇし、仕込みも全部無駄になった。てめーらが日和ってんなら俺が殺してやるよ」
ぎゅも。と音がした。
数回足音が鳴って、静かになった。
すぐに立ち上がってライブステージを覗く。
誰もいなかった。おそらくクロイワはポータルで『飛んだ』のだ。
もう今しかない。
どう考えても上でなにかが起きて始めているが、それを想像している場合ではない。ハルトは背中のリュックを背負い直し、スタンガンをポケットに入れ、催涙スプレー片手に、もう片手には空き缶を持って駆け出した。
広間の奥の壁はトイレしかない。ライブステージに上がって左右を見ると、奥に向かって演者用の通路があった。
躊躇せず走ってさらに奥へと進むと、黒い廊下には全身黒ずくめの褐色肌の男が、スマートフォンを片手に立っていた。
見張りだ。
男が一人だけ。
廊下に隠れるスペースはない。
一気に走った。
「え? 誰だおま――」
ハルトは空き缶を投げ付けつつ、片腕で顔を覆いながら近付き、男の顔に向かって催涙スプレーを噴射した。
男の短い悲鳴が響く。
男が顔を押さえて屈んだところに、ハルトは勢いのまま体当たりした。男を壁に押しつけ、結束バンドを取り出して腕を掴む。
しかし振り払われた。さっきはケンゴと二人で細身の男を拘束したが、若い男相手ではまるで手が足りなかった。
「ほんと! まじで! 暴れないで!」
「いってえな! なんだおまえ! ルナ! おいルナ! 助けろ!」
顔を抑えて暴れる男に肘打ちされ、脚を蹴られた。ハルトは結束バンドを捨て、男の下半身にしがみついて太ももにスタンガンを当てた。動きが止まるどころか「ぎゃぁ」と叫んでめちゃくちゃに身体が跳ね、男はハルトごと転倒した。
すぐそばの廊下のドアが勢いよく開く。
「うわっ!! ちょっ! 誰!? ……目ぇ痛っ!」
ハルトは男の尻あたりに馬乗りになり、彼を押さえ込みながら慌てた。
黒ジャージ姿の金髪ショートヘアの女が慌てた様子で現れた。黒いツノ。魔人の女だ。この金髪はクズリと共にキルカを捕まえていた。誘拐グループ。数的不利だ。ここで女に殴られたらどうしようもない。だがまず男からどうにかしなければ。
「いてぇ! やめてくれ!」
「じゃあ抵抗しないで! ほんとに!」
男は催涙スプレーのおかげで目を開けられないらしい。ハルトも刺激臭と共に目が痛い。
またスタンガンを押し当てると、酷い声をあげて叫んだ。男は逃げるようにうつぶせに身を屈め、その両腕で後頭部を守った。
「――ハルト!? ハルトだ! ハルト!」
開いたドアの奥からキルカの声だけが聴こえた。むろん再会を喜ぶ余裕はない。
金髪の女はキルカの声に向けて振り返った。
「うそ! まじ!? ――あぁっ! まじか!」
女は叫んだ。すると女は、男を押さえ込んでいたハルトの後ろにやってきた。ハルトの背筋に怖気が立つ。
しかし女はハルトの隣にきた。口を大きく開け、両手で自分の頭のツノを掴んでいる。
「もう! なんだよもう! どうしたらいいのこれは!」
「えっ!? じゃあ結束バンド! 俺がこの人の引っ張るからソレで縛って!」
「……だっ、えぁっ? ――あっ、わたしか! そうか! そうなっちゃうか!」
うわぁぁ、と全員が騒ぎ立てながら、男を拘束した。
「すみません本当に手荒なことする気ないんで!」
「手荒だろ!」
男は両手首と両足首を拘束したことで、廊下に伏せて首だけを上げた。催涙剤により目が開けられない様子で、目尻から涙が流れている。
「痛って……。ルナおまえ裏切ってんじゃねえよ!」
ルナという女は息を荒くする男を無視し、催涙スプレーを拾って男の顔に噴射した。短い悲鳴があがる。
彼女はハルトに向き直り、頭の先から足元までを見て、口元を隠して目を細めた。
「ボロボロ……やば……」
「え? あぁ、やばいです。すみません助かりました。本当に色々やばくて」
地上のことを考えると急ぎたかった。ハルトはルナとともに部屋へと入り込み、すぐにドアを閉めた。
部屋の中は、ライブハウスの控室だった。
「ハルト! ハルトだ! なんかめちゃくちゃになってるハルト!」
入ってすぐそばのところで、両手と両足を黒いビニールテープでぐるぐる巻きにされたキルカが立っていた。
昨日と同じ服で、全身はクタクタになっているのが雰囲気でわかる。大きな紫色の瞳を潤ませている以外、それほど問題は見当たらない。
「はぁ……でかい怪我とかなさそうでよかった。あと思ったより元気そう」
「いま元気になったんだよ!」
キルカは黒いウェーブのツインテール髪を振りながら言った。こちらに跳ねてきそうで危ない。とりあえず落ちつかせるため、ハルトはキルカの肩を支えてスツールに座らせた。
奥にはマリアが座り、目を丸くしてじっとハルトを見つめていた。
ふぅ、と息を整える。
「急いでるからぶっちゃけて言う。全然状況はよくない。ここに来れたのもカギリさんの『魔法』のおかげ。あとはたまたま運が良かった」
ハルトはキルカのすぐそばにあるスツールに座り、リュックの中から十徳ナイフを探した。
「それなら外のあれ、カギリさんが……」
マリアが呟く。ここからでも視えていたらしい。
ハルトの背後にいるルナは妨害してくる様子がなかった。男の拘束を手伝ってきたのに、キルカを逃がしてもいない妙な立ち位置のようだが、一旦は追及しないことにした。
「カギリさんにはかなり無理してもらってる。だからいまも、多分ちょっと危ない」
リュックの奥を探していくと、十徳ナイフに手が触れた。
「……そんな状況だから。こんな風にキルカを頼りたくはないんだけど、これからすぐに」
ドアの向こうで、ぱん、と乾いた音がした。
「なっ」
すぐにもう一度、ぱん、と破裂音が鳴った。
「……やばいな」
非常にまずい音のような気がして思わず息を飲んだ。
ハルトはリュックの奥から、畳まれた状態の十徳ナイフを取り出した。今すぐにでも彼女のビニールテープを切りたかった。
汗が噴き出して、妙に手に力が入る。
「キルカ、手。指輪を外す」
「あ、うん……」
キルカが伸ばしてきた両手首を片手で掴んだ。
がちゃん、と音がした。
同時に背後のドアが勢いよく開け放たれた。
空気が動く。どこか冷たく張り詰めている。
ドアのそばにいたルナは、細く息を吸った。
「……なんだ。サクライさんこっち来たんだ」
ルナが呟く。
キルカとマリアも、ハルトの背後を見つめた。
「ああ」
男が返事をして、ハルトは固まった。
あの乾いた音はおそらく拳銃。廊下で二発放たれた。
開いたドアの奥からは、さっき拘束した男の声はしない。
動くべきか。このテープを切りさえすれば、あとはキルカがどうにかできないか。ハルトはキルカの手元とその顔を、瞳だけで見た。
キルカは目を見開き、極僅かに、首を左右に振った。
「『迎え』がきてんだ。さっさと出るぞ」
妙に落ち着いたその声を聞いて。
ハルトは、自分の全身に鳥肌が立っていたことに気付いた。
「……!」
心臓が早鐘を打つ。
緊張していたからでも、走ってきたからでも、争ったからでもなかった。
ハルトはサクライとの面識はない。彼は過去にポータルの開発に関わり、イケブクロ連続通り魔事件や首都高崩落事件が起きる発端となった男。遊廓でキルカと揉め、やがて鳴牙組を追われたヤクザ。そしていまキルカやマリアの誘拐を企て、拳銃を持ってここにやってきた背後に立っている。そんな『情報だけ』が、サクライという人間だった。
「指輪は外すなよ」
ちりんちりん。
背後から、ふいに『鈴』の音がした。
「……っ」
聞き慣れすぎて。見慣れすぎて。音だけでその鈴の形も、揺れ方すらもわかった。
真っ黒な宝来鈴だ。細い紐で繋がれ、紐をつまんで揺らして鳴らすもの。
毎年のように聴かされていた音。
いまではハルトの日常となっていた音。
ここでは聴くはずなのない、異音。
「お前には、『うまくやれ』って言ったよな」
声色が軽い。
キルカもマリアも目を丸くしてハルトを見た。二人のその視線から逃げるよう、ハルトはすぐさまその場に立って振り返った。
口調も。鈴も。妙に偉そうな表情も。やはり全てがそうだった。『毎年変わる彼の風貌』を、昔さんざん揶揄していたのを思い出す。
彼のことは。ずっと前から、よく知っていた。
「なぁ。ハルト」
キルカ達にとっての『サクライ』という男は。
「……ヨシノさん」
ハルトにとっての、『ヨシノ・マコト』だった。




