□5-5 花火
真っ暗闇の中は静かだった。
「ごほっ……カギリさん?」
「うん。このまま伏せてて」
ハルトは地面に這いつくばっていた。お互いの状況はわからないが、すぐそばで震える呼吸が聴こえてる。
「手荒なのは避けたかったんだけどねー」
「生きてるんで……大丈夫ですよ」
ケンゴとリンカも唸って声をあげる。意識はあるらしい。
「ううん。そうじゃなくて」
カギリの声のするほうが、もぞりと動いた。
「これからの話」
風がぶわりと吹いた。途端に日差しがおりて周囲が明るくなった。
ハルトは頭を起こす。ハルト達を真っ暗闇に覆っていたのは大量のツルと木の束だった。
カギリがその植物たちを『ひらいた』ことで、積み重なっていた瓦礫すらも吹き飛ばしたらしい。
カギリは既に歩道に立っている。その額の左側からは少量の血が見えた。
「カギリさん、血が……」
ハルトは彼女を追うように立ちあがった。服は土埃りまみれで、頬も切れていた。
瓦礫が落ちてくる直前に走り込んできた者たちは全員地面に転がっている。カギリが飛ばした瓦礫に巻き込まれたらしい。
「危なかった。足元に『ある』の気付いてよかったよー」
ある、とは。
「あ……」
カギリの足元を見る。カフェ用のバーテンダー風の服と、履いている茶色のローファーの周り。コンクリートの地面を突き破り、緑色と極彩色の混じる熱帯植物がゆらゆらと揺れている。
「……いまの植物。『置き換えた』んじゃなくて、『前からここにあった』ってことですか」
カギリは周囲を注視しながら頷く。
さきほどの朝、車のなかでぐったりしていたトマリが話していたのは『視たものをカギリの意のままにできる植物に置き換える』という内容だった。
ここは『魔界』。首都高崩落事件による、魔素汚染、インフラの破壊や異常植物が発生したことで、まともに人が住めない場所。ハルトもテレビで観ていた巨大なツルが、ポータルによる崩壊を守った場所。
六年前にあの植物を操っていたのは、カギリだ。
ぎゅもっ。と音がした。
さきほど瓦礫が落ちてきたのと同じ、すぐそばにあるビルから。
そこには先のオートバイやバスと同じように、1台の乗用車と折れた電柱が振ってきていた。
「カギリさん、上に……」
カギリは見上げた。
彼女が手や腕を振ったりもすることなく、足元に生えていたツルや木の幹がばきばきと激しい音を立て、一瞬で束になって上に伸びた。
ばふん、と風が爆ぜる音がした。
「――うわっ!」
そのツルと木の幹は、落下してくるそれに向けて大きな腕のように振られ、車と電柱をまとめて薙ぎ払った。
電柱は砕け散り、散弾銃のように対角にあるビル壁に無数の穴を空け、自動車はひしゃげてビルにめり込む。
その力任せの衝撃が、地響きのように伝わってくる。
「まじ、か……」
ハルトは頭を守るように腕をあげた。
電柱やビルの破片が跳ね飛んでくる。ハルト達の周囲にある植物のツルは地面から立ち伸び、こちらに飛んでくるそれらをムチのようにしならせて弾いていく。
ケンゴとリンカもようやく立ち上がり、突っ立ったままのハルトのそばに駆け寄った。
「やべえよ店長さん無敵じゃねーか!」「やだもう! こわいって!」とケンゴ達の悲鳴があがる。
ハルトはごくりと喉を鳴らした。
「これじゃ、手荒すぎる……」
このようなカギリの『やりやすい』手段を続けるなら、ただ周囲の被害が拡大する。
未だクロイワがどこにいるのかも、いつまでこの攻撃を続けてくるのかわからない。『魔界』の廃墟に点在するモノをポータルで『落とす』のならば、短時間においては『際限がない』と考えていい。
その間もこの『防御』を続けさせてしまえば、この一帯は無茶苦茶になる。ここに来る前には周辺に発電機もあった。見えない場所になにがあるかわからない。
無差別に周囲を破壊して火の手があがれば、キルカを探すだけの話では済まない。
ハルトは考えながら、通りにいるさきほどの群衆を見た。何人かは今の衝撃を見て逃げ出し、数人だけが残って口や耳に手をあてている。
周囲で転んでいる者の一部も同様だ。起き上がろうとする様子はない。カギリが周りを見渡しているためか、さっきのように駆け寄って来ることもなかった。
しかしそもそも、彼らのこの行動はなんなのだ。
「口に、耳……」
ハルトは倒れたままの若い男に駆け寄る。ケンゴは狼狽えながら「どしたの!」とハルトについてきた。
若い男はボロボロの黒いロングシャツを着たスウェット姿。負傷したのか、苦しげな顔で耳に手を当てている。
「……」
ハルトは有無を言わさず、男の掌を無理矢理に引っ張り、自分の耳へと引き寄せた。
『番号どうした早くしろ!』
息を切らしている男の怒鳴り声。クロイワか。
同時に、ハルトはトマリの言葉を思い出す。
ハルトのイヤーカフの魔業は通話ができるが、それは旧式で『目立つ』という。
一方でキルカに仕掛けた『Footstamp』は、靴に直接仕込んでもバレない透明なシート型。
であれば彼らの掌にも、通話ができる『目立たない』魔業が搭載されている可能性はないか。
怒声の言う『番号』。
魔界に来てからの視線や彼らの行動。
ライブハウスに近付いた瞬間にバイクが落ちてきたのは、彼らによる『監視網』を利用し、番号を合図に『ポータル』で廃墟内にあるものを落下物として送り込んでいるのではないか。
ハルトは若い男の腕を手放し、カギリに近付いた。
「カギリさん。たぶん俺たちはあいつら全員に見張られてます。クロイワと魔業で繋がってるかも」
「ふうん」
リアクションが薄い。
「あと物をぶっ飛ばすのは危ないからやめて。あれ、たぶん周りのビルをぐるっと覆えば……」
「――おいやめろコラ! おまえ足! 怪我してんじゃねーか!」
ハルトとカギリの後ろでケンゴが叫んだ。さっきハルトが腕を掴んだ若い男が、瓦礫の破片を握りしめてカギリを睨み、ケンゴに羽交い締めにされている。
「おまえだけは許さねえ!」と若い男が叫び、カギリに向かって瓦礫を投げ付けた。それはカギリの足元から生える植物に阻まれ、弾け飛ぶ。
ハルトはその怒りが『なんのことなのか』わかったような気がしたが、現状には関係ない。すぐそばのカギリを見ても無表情だった。
先ほど走り込んできた者たちは立ちあがり、ハルト達を囲み始める。
「てめーらあぶねえからどっかいけよ! 店長なめんな! オレの前髪見ろや!」
ケンゴが若い男を抑えたまま悪態をつき倒そうとしたところで、また『あの音』がした。
未だ狙われている。なにかが落ちてくる。
クロイワは彼らの命を考慮していない。あるいは『彼らも』、何らかの理由で自分の命を勘定に入れていない。
「カギリさん」
ハルトはカギリの前に立った。
「大丈夫」
身体を張れば、数秒くらいならカギリを守れるだろうか。
「……今度は、壊さないようにするよ」
直後に地面が揺れた。
それは地震とは全く違ったものだった。
道路や路盤のそれ自体が、そこら中の亀裂から空気を激しく噴き出しながら、一瞬だけ跳ねるように浮き上がった。
「ちょっ! なに、爆発!?」
ケンゴが叫んだ。
カギリ以外の人間はその場に立っていられず、ハルトも膝をついてしゃがんだ。
今まさに落ちてくるはずだった物も、落ちて来なかった。
「これが……」
ハルトは低い姿勢のまま呟いた。カギリが街へ『花火の魔法』を施す姿を、彼女の背中越しに呆然と見つめた。
緑色が這い回っていた。
地面を割った植物たちが、通りに並ぶ各ビルの壁を伝い、屋上に向かって瞬く間に走り抜けて絡みつく。
ツルは視界にある全てのビルに同時に波及し、いままで見えていた街の景色の外面は全て、緑と春の花に包まれた。
それら植物が地面を割ったせいなのか、少し離れた場所では水が霧のように噴き出し、昼に近づく日差しに当てられて虹が見えた。
ハルトは顔をあげた。ポータルによりここへ落とされていた車らしきものは、ビルの中腹で木の幹の塊になって留まっていた。
「もう、わけわかんない」
リンカが呟いた。全員が呆然と腰を抜かしていた。
先の『置き換え』とも異なるやり方で、それは空間を塗り替えているに等しかった。
「……ぅ、……」
よく見るとハルトとケンゴ、リンカ以外の人間は、地面から這い出した植物によって下半身や腕と口を拘束されている。
あれだけのビルを覆うのと並行し、ヒトまでを区別して縛っている。
「ありがとうございます。これならたぶん、落下は防げる……」
クロイワは【入り口】を描いていた以上、【行き先】も描く必要があるとハルトは考えていた。
クロイワが下準備として各ビルの壁の内か外に【行き先】を描き、番号に応じて行き先を指定していたとすれば。
ビルの壁の外面を物理的に覆えば、そこから落下してくることはない。
ハルトは立ち上がる。今ならライブハウスに向かっても邪魔は入らない。
「ちょっ、店長さん!」
ケンゴがカギリに駆け寄った。
カギリはふらつき、ケンゴに両肩を支えられる。彼女は片手で額を押さえている。全身から汗を流し、血の気の引いた顔をしていた。
「カギリさん、流石にキツいですか」
「こんなんやったら疲れるに決まってんだろ!」
ハルトは自分で言いながら、状況を正しく認識できていないことに気付かされた。魔法の細かい機構はわからないが、制御するなら負荷がかかるのは自然だ。
しかし現状は急ぎたい。これ以上の邪魔が入らないなら急いだほうがいい。今この瞬間の動きがないのなら、あちらに即応性の高い手段はない。
ぎゅもっ。という音が聴こえた気がした。
音のしたほうを見上げるが、ビル街には植物しか見えない。今の音。落下攻撃を仕込んでいても、やはり外には出てきていない。
「……カギリさんは休んでてください。いまならビルから物を落とすことができないはず」
カギリはケンゴに支えられつつ、ハルトを見る。
「まだ動けるよ。さっき頭ぶつかっちゃったから、ふらついただけ」
瓦礫を防ぐ際の傷か。しかし今の彼女の汗の量は。
「……じゃあ急ぎましょう。地面に縛ってもらった連中も、いつ動けるようになるか……」
遠くで、ばたんと車のドアが閉じる音がした。
「……ん」
リンカがそちらを見た。
この通りはセンター街の中心から脇道に入った太めの道路。この道の左右に立ち並ぶビルの壁面一帯を、カギリの植物で覆い尽くしている状況だった。
距離にして一〇〇メートル程、植物のない通りには、車が二台いた。ハルト達も歩いていたセンター街の中心を走ってきたようで、植物で覆われる手前で停まっていた。
スモークガラスの大きな黒いバンから大柄な男たちがぞろぞろと降り、ハルト達のほうをじっと見つめていた。
彼らがいつから居たのかはわからない。リンカが反応しているなら、少し前から居たのか。
「なんか……」
リンカが車のほうを見て呟いた。
「観光客みたいな匂いがする」
観光客みたいな匂い。ハルトは現状を踏まえて一瞬考える。
「シン国の人っぽい匂いだったら……ちょっとヤバいかもしんないっす」
そうでないといいな、と思いつつ。
リンカは微妙に笑顔になった。
「あーそれそれ、なんか独特な香水の匂いが……」
リンカは言いながら、その口に手を当てた。
「って……じゃあアレ誘拐グループ?」
おそらくそうだ。ハルトは歯噛みした。
次から次へと厄介な流れになる。彼らがシン国の使いなのであれば、むしろ彼らにこそキルカを引き渡すわけにはいかない。
「ハルトくん」
カギリは割れた眼鏡越しに黒いバンを眺め、軽く息を吐いた。
「……キルカちゃんが居てくれると、助かるかな」
率直な言葉だった。本来なら植物だらけの現在の状況こそ全く問題はないはずだけれど。それこそ普段の仕事のように、手が足りないのかもしれない。
「やっぱりキツいですよね」
「少し。まだ、大丈夫」
ハルトの首筋に冷たい汗が流れた。
背中に背負うリュックを触りながら、持参した道具を思い返した。スタンガンと催涙スプレー、十徳ナイフとライター、太いロープに結束バンドに軍。、そして『魔女の天秤』。武器らしい武器は少ない。
「ケンゴさん、カギリさんのことお願いしたい。奴ら軽装っぽいですけど、拳銃持ってたりしたら終わり。逃げるなら早めに。乗ってきた車も使えます」
「まかしとけ。もう店長さんには借りがいっぱい。さっきマジで死んでたから命かけてやんよ」
本当にすごいなこの人、とこぼしそうになる。
「……『天秤』の都合、リンカさんには来てほしいけど……」
リンカは静かに首を横に振った。
彼女はケンゴについてきただけ。当然だ。
ハルトは彼女へ頷き、リュックを背負い直す。
ライブハウスまでの距離は、遠くない。
「匂いと場所は間違いないですよね」
「そうだね。地下への階段の先」
断言するリンカ。あそこに近付いたときには妨害もあったのだから、もう信じるしかない。
「――よしバイト君。ここはオレらに任せて先に行け!」
ケンゴはカギリを支えた。そういうシチュエーションでもない気がしたが、一旦は彼に任せざるを得ない。
「ハルトです。名前覚えてください」
おう。と、前髪が雑草になったケンゴは適当に返事をした。
「まずは……ちょっと、よろしくおねがいします!」
ハルトはすぐに駆け出した。
今はやれるだけのことをやるしかない。考えていられる時間もきっとない。
向かった先にものすごい数の屈強な男達が待ち構えていても、やぶれかぶれで戦う以外にやりようがない。
「キルカ。今から行くから、マジで助けて……!」
誘拐されたキルカを頼りにするというのもなんとも言えない情けなさがある。
しかし彼女はバイトの先輩だ。ここからはたくさん働いてもらわないと、ほんとに困る。




