□◯5-4 魔界
ヨヨギ公園からバリケードを突破してセンター街へ車を走らせる。首都高崩落事件のあった現場へ近づくほど、シブヤの街は荒れていた。
車では通れないいくつかの道路の亀裂。下水道管の破損により発生した陥没。略奪にでも遭ったようなビル店舗の残骸。倒れた電柱。崩れた瓦礫や放置された自動車がそこら中に点在するなか。
バンの運転を続けていたハルトには、わかったことがあった。
「結構荒れてるねー」
やはりカギリの『花火の魔法』は常軌を逸している。
危険を考慮し低速で運転しているが、走行の邪魔になるモノは、次から次へと爆散するように植物へと『置き換わる』。花火と呼ばれているのは、おそらくこの現象を指したものだ。
折れた電柱は枯れた木に。瓦礫は藪の塊に。ガラスは花びらのように散っていく。陥没した道路には樹木の橋をかけ、車を止めることなく走らせることができる。
昔見たテレビ中継。首都高崩落事件での植物はもっと巨大で広範囲であったことを考えると、これも大したものではないのだろう。
カギリの魔法をタイヤで踏み越えながら、センター街の北側付近の行き止まりまでやってきた。
そこには人為的なものなのか、特に大きな瓦礫がまとまって山のように積まれていた。車道を覆うように拡がり、高さはビルの四階ほどに高い。
ハルトはその陰に車を隠すように停車した。今やって来た道は、カギリの魔法でなければ進入できなかった『新しい道路』。ここから脱出する際には余計な妨害の可能性が低い道であり、車も保持しておきたい。
そしてこのシブヤセンター街の周辺が、足跡追跡用『Footstamp』アプリでキルカの所在を示しているおおよその範囲だった。
移動の最中にイヤーカフへ何度か呼びかけたものの、『魔女の天秤』のせいかキルカからの反応はなく、あちら側からの情報は得られていない。ここからは計画通り、リンカを頼りに捜索する必要がある。
停車後にケンゴとリンカが降り、カギリも外に出た。
「車のキーは運転席に置いておきます」
カギリは免許があり、ケンゴも運転はできるらしい。緊急で車が必要になるなら全員が使える状況が望ましい。
ハルトはエンジンを停めた。ヨシノから借りた道具の入ったリュックを背負い、車を降りた。
首都高崩落事件後に放置されたシブヤの一角、通称『魔界』の空気に直接触れる。べたつくような湿度があり、廃墟特有の粉塵や、淀んだ水が揮発しているような、滲みのある雰囲気が漂う。
また一方で瓦礫の山の奥からは、車のエンジン音のような音が連続して響いていた。
「なにこのへん、人住んでる……?」
リンカがむせながら呟いた。マリアが残したショルダーバッグを提げ、キルカのメイドカチューシャを手に持っていた。
「来る途中もなんか人の気配ありましたよね。音鳴ってるし、生活臭とかしてます?」
ハルトが応じると、リンカは鼻をおさえて頷く。
「キルカちゃんの匂いは追えそうか」
ケンゴが訊いた。
「移動中も言ったけど、匂いってそんなあちこち散らばってないから……。あとこのへん普通にニオイがキツイんだよね。下水かそっち系、どっかから流れてる」
ハルトはアプリを見る。この周辺を示しているのは間違いない。キルカが靴を脱がされていてはどうしようもないが、今はこれを頼るしかない。
背後ではカギリが立ち止まり、空や足元を見回していた。
「カギリさん。けっこう魔法使ってましたけど疲れてませんか」
カギリは真っ赤な髪を耳にかけてハルトに反応した。
「たぶん大丈夫。……だけど、例の現場に近付いてるから? なんだか不思議な感じかなー」
シブヤ近辺が『魔界』として規制された理由には、魔素濃度や異常な植物の発生が挙げられている。
おそらく記憶を失くす前のカギリ由来の魔法が原因であると思われ、それが今のカギリに影響しているのかもしれない。
「キツそうなら言ってください」
「うん。ちょっとは無理するけどねー」
冗談なのか読めない。一旦は飲み込むことにした。
四人で瓦礫の山の脇を登った。足場が悪く急斜面で、やはりろくに人の出入りはなさそうな経路だった。
「……キャンプ中?」
瓦礫の山を降りながら、ハルトは思わず呟いた。
「オレには出店に見える」
シブヤのセンター街の左右には、キャンプテントや簡易的なタープテントなどが点々と立てられ、ブルーシートで囲われたハウスもある。遠くには人影もあるようだった。
センター街は駅の方面にいくほど、人や車が通れるように整備されているようだった。地面にいくらか亀裂はあるが、大きな鉄板などを敷いて誤魔化している。
聴こえていたエンジン音は発電機から出ていた。小型のものが各所に置かれて稼働し、それぞれ建物内などへ向かってケーブルが繋がっていた。
「『魔界』に住んでるヒトも居るのか……」
「え? まあ、そりゃ居るんじゃねーの」
ケンゴは軽い調子だった。
北側の道がまともに通れない状況であったり、先ほどの車を隠せた大きな瓦礫は、このために作られたものなのかもしれない。
片側を封鎖し、『魔界』の中心ともいえる首都高側から進入できるように整備されているのなら、自然と外界からの一般人の接触も減る。魔素濃度が高くて住めないという話も、結果的にはこの環境を作り出す要因になっている。誘拐犯のような輩の拠点があるのは、むしろ自然な流れかもしれない。
あまり目立たないよう四人で通りの端に移動した。リンカは白いカチューシャから鼻を離し、周囲の様子を目視した。
「……あー。まわりが濃すぎて逆にわかるかも。あの子っていうより、普通の人の匂いが少ないね」
「なるほど。アプリから拾える場所までは俺が先導しますから、匂いがありそうなら教えてください」
リンカは頷いた。キルカが箱のようなものに詰め込まれていたら匂いが追えないとハルトは考えていたが、その心配はなさそうだった。
ハルトはスマートフォンを片手に、そのすぐ後ろをリンカが歩く。
国内外の魔人や汎人がここにもいるようだった。
道端には時折、ダンボールを背に寝ているツノ系魔人や、瓦礫に座ってじっと見てくる子どもがいる。カギリはそれぞれをじっくり見返したりしていたが、相手は何も言ってこない。あの事件から六年経っており、小さな社会がここにあるのかもしれない。
口や耳に手を当てている人間が妙に多いのは、すこし気にかかった。
◇
キルカの位置情報が表示される場所の中心あたりにやってきて、リンカは足を止めた。
「……おょ」「リンカいま『おょ』って言った?」
ケンゴの指摘をリンカは無視して、カチューシャを持つ手を振る。
「そっちかな」
センター街の大通りではなく、駅に向かって左側の通りを指した。アプリでは位置情報が2箇所にバラけた履歴が表示されており、どちらもリンカの指したほうにある。
「すごいですねリンカさ」「あーごめん集中したい」
リンカは少し猫背になって歩き出した。カチューシャを持つ手を背中に回して、周囲の匂いを感じているようだった。
道の先は大通りよりも人は少ないが、誰もいない雰囲気でもない。道で寝ている年老いたツノ系魔人や、どう見てもラリって地面に伏せ、体を震わせる中年の女もいた。さらには、ボロボロの服を来た少年が距離をとって後ろをついてきている。
先に行こうとするリンカのあとを、ケンゴが早足でついていく。
車道が広くなり、車の往来が十分できそうな様子に変わってきた。
通りの脇のひときわ大きなタープテント下を見ると、「寄付」と印字された紙が貼られた、折りたたみ式テーブルが並び、ラベルのない水のペットボトルが大量に置いてあった。空き容器のいくつかは散乱し、一部はゴミ袋に入れられている。
NPOなどの生活支援団体が置いていったのかもしれない。
「……うーん」
テントの端にぶらさがる紐には白いカラーテープが貼られてあった。よく見るとそこには「凪の党シブヤ支部備品」と書かれている。
「気になる?」
カギリが隣にいた。
「いえ。朝だから誰もいないのかなって」
「そういえば朝だったね。お昼までに帰れるかなー、最悪、夜だけでも営業しなきゃ」
「窓割られてるから、お店あけるの無理ですよ」
「あっ……」
カギリは目を丸くしてハルトを見た。
忘れていたのか。この人大丈夫か。
「あのひと前髪だけじゃ換え足りなかった」
「やめましょ。ハゲます」
「そっかー」
カギリを受け流していると、数十メートル先を歩いていたリンカがこちらに振り返り、軽く片手をあげていた。
「たぶんこの先だよー!」
リンカが道の先の右手側、八階建てビルの一階を指さした。
「あそこのライブハウスの入り口! はっきり匂いするかもー!」
ライブハウスにいるのか。
ハルトもそちらへと駆け足になったとき。
ぎゅもっ。
とつぜん音が聴こえた。
その瞬間にハルトは鳥肌が立った。
あの音。『ポータル』の穴がひらく音だ。
咄嗟に音の方向を見上げる。
リンカが指したビルの六階あたりの窓の外に、2台の黒いオートバイが現れていた。
「カギリさん上! バイク!」
ハルトは叫んだ。カギリも気付いて見上げた。
するとバイクはケンゴとリンカに向けて落下しながら、2台ともが空中で潰れるように渦を巻いて、大量の菜の花に置き換わった。
黄色の花びらと緑の葉が、ばたばたと散らばって地面に落ちてくる。ケンゴとリンカは呆然とそれを浴びるが、突っ立っている場合ではない、
「クロイワだ! たぶん近くにいる!」
ハルトがケンゴらに声を掛ける間にも、バイクの現れたビルの反対側から、ポータルのひらく音がした。
カギリさん、とハルトはカギリに向きなおり、その方向へ指を差した。
「やべえ! バスかよ!」
「ケンゴさんこっち! 集まらないと危険です!」
左手のビルのてっぺんから、対面の右手のビルへ向かって弾き出されるようにマイクロバスが現れていた。
ケンゴは悲鳴をあげ、リンカを引っ張りながらハルトとカギリの方へ走り出した。
二人のいたライブハウスの入り口付近に向け、さびれたバスが宙に放り出されるようにフロントから突っ込んでいく。走行音はしていなかった。
そのバスが地面に衝突しかけたとき、ばふん、と音を立てて大量のシダに置き換わり、地面に舞い散っていく。
ケンゴとリンカはそのまま青ざめた顔でハルト達のそばまで来た。
こちらはあくまでカギリを第一優先にしなくてはならない。カギリが自分を守れば全員が自ずと守られる状況でないと苦しい。
ビル壁からバイクやバスが飛びだして落ちてきた以上、相手が何を仕掛けているかもわからないのだ。
「焦った……バイト君よくわかったな!」
「あの『音』トラウマ! すぐわかります! カギリさんは俺の指す方に……」
ハルトがカギリに振り返ると、いつの間にかカギリの背後に知らない男が居た。ランニングシャツに、剥き出しの片手を耳に当て、カギリの後頭部を見つめている。
ついさっきまで路上で寝ていた、ツノ系ホームレスだ。
「カギリさん後ろ!」
カギリは男に気づくのが少し遅れた。彼女が振り返った途端、その頭に向けて男の右腕が振るわれた。
「っ!」
カギリは咄嗟に顔を横に向けて男の腕を避けた。しかしその拍子で、彼女の掛けていた赤いフレームの眼鏡が地面に落ちる。
ハルトはすぐに男に向かって駆け寄り、ヨシノの道具リュックからスタンガンを取り出した。
「くそっ! クズリさんはいいな!」
ハルトは男に体当りし、さらに踏み込んで首元にスタンガンを押しつけた。ばじじじ、と痛々しい音と振動が手元に響き、男が唾を吐きながら痛みにわめいた。
ヨシノによればスタンガンは人間を簡単に気絶させられるわけではない。対人の対抗手段としては十分ではなく、拘束が必要だ。
「ケンゴさん! この人おさえて!」
「お、おう!」
ハルトとケンゴはスタンガンを駆使しつつ、地面に倒れ込んでバタバタと男を押さえつける。男は痩せ細っているため筋力はない。
ハルトはリュックから長い結束バンドを取り出し、男の両手首を引っ張り回して後ろ手に縛った。ついでに足も縛って地面に転がす。その顔を見ると、なぜか呆然としているように見えた。
リンカはおそるおそるその様子を眺め、カギリは眼鏡を拾いあげる。
カギリがかけた眼鏡のレンズには、左右ともに大きなヒビが入っていた。
「……んだよ! なんか言えよ!」
ケンゴが取り乱しながら男へ言った。
ハルトは周囲に聞き耳を立てるものの、ポータルの音はしない。キルカの匂いがするというライブハウスからは少し距離があり、ハルトはライブハウスのあるビルの周囲を観察した。
「なんも起きない……ライブハウスに近付いたら、『ポータル』で邪魔するってこと、か……?」
しかしハルトは『ルール化』は危険だとも考えた。トマリは急に現れたクロイワに刺されている。クロイワ本人がいきなり仕掛けてくる可能性は十分にあり得た。
「ちょ。バイト君、めっちゃ人に見られてる」
ケンゴが呟き、リンカが息を吸うような短い悲鳴をあげる。
シブヤセンター街のメインストリート側から、たくさんの視線が送られていた。
ここへの移動のなかで見た魔人やホームレス然とした者、子供や普通の女など。みっちりと集まってハルト達を眺め、そのうちの一人は先ほどのペットボトルの水を飲んでいた。
奥に見える何人かは野次馬にも見える。しかし十数人の群れの半分以上は微動だにしていない。
そこに、銀髪の人間はいなかった。
「あっちは襲って来ない……」
カギリを襲った男は、拘束されたままろくに喋らず寝そべっている。どこか無機質で、こちらを見てくる連中と空気が似ていた。
「あれも『敵』かな」
カギリが呟く。
割れた眼鏡越しに睨みをきかせると、その集団の手前の地面からぼこんと音が鳴った。人間の脚ほどはある太い緑色のツルが二本、アスファルトを突き破って飛び出した。
こちらを見ていた集団の一部は、そのツルを見てぽかんと驚き、数人は手を口に当てていた。
「ありゃ。ずれるなー」
暢気に言う彼女。
ハルトはそれを聞き、ぞわりと嫌な予感がした。
「もしかしてカギリさん、けっこう元の視力悪いですか?」
「うん。悪い」
こちらを見る集団のすぐ上の方をハルトは指した。
「近視? 遠視ですか? えっと、あとは……あそこの左手奥の上……あのビルにある黒と赤のダーツバーの看板、植物に変えられますか」
「遠視で乱視。……うん、あそこね」
カギリはそう言いながらビルを見る。数秒の間、割れた眼鏡越しに目を細めたり、片目を隠した。
すると、ダーツバーの看板のあるビルの壁の一部から、紫陽花がもっさりと生えた。
「……まずいかもしれない」
ハルトは呟いた。ケンゴとリンカは「なんだ」と言いたげにハルトを見た。
「カギリさん、焦点が合わないものは植物に変えられないんじゃ?」
嫌な仮説を立てながら、ハルトはうっすらと汗をかき始めていた。
「そうかも」
カギリが呟く。
であればどうする。近くが見にくいなら、カギリは距離を取り続けるのが無難か。焦点が合うまでタイムラグもあるのか。しかしどう狙われるのかわからない。
息を吸う。頭を働かせようとした。
不意打ちが来ないことを祈りながら、キルカのいるはずのライブハウスへ振り返る。
いまはとにかくあちらに行くしかない。キルカが戦力になれば、あの野次馬に襲われても逃げるくらいならできるはず。
「細かいことよりまずは――」
ぎゅもっ。
ハルトの頭の真上のほうからまた『その音』が鳴った。
背すじと首回りの肌が粟立ち、すぐに上を見あげた。
カギリも眼鏡を指で支え、ハルトに合わせて顔をあげる。
「カギリさん真上に」「うん」
ハルト達のすぐそばに建つビル。その八階あたりの高層階の窓から、無数の瓦礫が続々と飛び出してまっすぐに落下してくる。
すぐさまそのうちのいくらかは、花火のように赤や紫、黄色など、色とりどりの花へ置き換わった。
カギリの魔法は、まだ機能している。
あれは春の花か。
呆然と考えながら、体内の血が一気に冷たくなる。
あの音は確実に『ポータル』。それならクロイワはそれをどう扱っているのか。
クロイワは以前、地面に飛び降りるための【入り口】を描いてそこに飛び降りた。
先のバイクや車は、置かれた地面に【入り口】を描くことで、【行き先】を決めれば『落とせる』のか。
そうだとして。マリアを拐ったとき、ダイヤルのようにあの指揮棒を回していたのは、この落下の仕掛けに関与してないか。たとえばあれが、【行き先】を指定しているものなら。
「おいあいつらなんでこっち来んだよ!」
ケンゴが群衆を見て叫ぶ。リンカの悲鳴が聴こえていた。野次馬たちの半分ほどはこちらに向かって走り出していた。
瓦礫は止まらず落ち、カギリがそれを防いでいる。
なぜ彼らはここで走ってくる。
思考で行動がどんどん遅れていく。
眼鏡が割れて焦点が合わない現状、カギリの魔法は無数の瓦礫に対処しきれない。
すぐに『花火』は、間に合わなくなる。
ハルトのすぐそばに居たカギリは、頭上で花火の魔法を炸裂させている。花や草を散らしながら歩き、ハルトとケンゴを捕らえるように腕を絡めてきた。
「ちょ、なんなの!」
ケンゴが狼狽える。リンカがケンゴの背中にしがみつく。
ハルトはすぐさまカギリの横顔を見た。
彼女は見上げるのを辞め、足元を見下ろしていた。
「えっ」
間もなく全員の頭に向けて落下してくる瓦礫の山を本能的に感じ、ハルトの頭皮が刺々しくざわついた。
がくんと足元がぐらつく。声を出す間もなかった。
ハルトたちの周囲には、いつの間にか青々とした無数のツルがアスファルトを引き裂いて、地面から飛び出していた。
「ちょっと我慢して」
カギリは早口で言う。
そのツルはハルトたちの肩や腕に瞬く間に巻き付き、地面に向かって素早く一気に引き倒した。
「――ぅぁっ!」
強い力で地面に胸から叩きつけられる。肺が潰れてしまったように息が漏れ、視界が真っ暗になる。
その直後。
大量の瓦礫が頭上で激しくぶつかり合う音が、けたたましく鳴り響いた。
〇
控室の中はざわついていた。
「まって、そのバイトくん彼氏ってこと?」
「ちがうから。ぜんぜんちがうから」
キルカが意思表示をしても、ルナは拘束を解いてはくれなかった。
キルカを逃がした責任は取りたくない。もしもキルカがここから逃げ出せる状況になるなら、ルナはそれを止める力も、そこまでする義理もない。
キルカの助けが来なければ一緒にシン国に行くだけ。もし来れば、その混乱でルナの処遇は有耶無耶になるだけ。
つまりルナの目線で『楽な方』につくために、キルカとマリアのためには動くつもりはなかった。
「だってそんなんで助けに来てたら逆にヤバい奴じゃん。出会って二ヶ月くらいのバイト仲間に命かけんのかよ」
雑談でもするみたいにルナはけらけらと笑う。
たしかにやばい。どう考えてもやばい。しかし彼であったら来てくれるのでは、ともキルカは思ってしまっている。
彼は顔も知らないマリアのことすら気にして準備をしようとして、昨日は身体を張ってマリアを助けようとした。だからきっと今のような状況でも、『キルカではなくたって』なにかをしようとしてくれる。
しかも今はカギリも一緒だ。どこまでのことになるかはわからないけれど、彼女がいれば話は変わる。
「ほんとにそういうのじゃないから。ほんとに」
「でもキルちゃん、一緒に居て楽だって言ってたし、二人で飲みにいったんだよね」
「えっ」
「あとハイジマさん。私も少し話したけど、いい人だと思う。雰囲気はちょっと……気になるところはあるけど」
ほら! とルナが手を叩いて笑った。大袈裟に笑う目が潤んでいた。
「マリーがうらぎった……」
仮にも監禁されているのに何を話しているのだ。無駄に顔が熱くなる。本当にそうじゃないのに本気で否定すると、余計にそんな風に見えてしまうのがいやだ。
切り替えよう。キルカは細く息を吐く。
「……なのであたしは待つ。カギリさん達を信じます」
「はい『王子さま待ちます』のまちがい。カレが指輪持ってくんの待ってんだ」
マリアが説明した『魔女の天秤』のことだ。ナントカ指輪みたいに言うけれど、むしろいまはキルカのそれを外してもらうのが間違いない。
「ルナあとでたたくね」
「お? 暴力魔人かぁ?」
「あたし優しいから暴力しない」
はいはい、とルナは静かに笑った。
「つーか――」
突然、大きく鈍い音が響き、部屋が激しく揺れた。
三人は顔を見合わせ、きょろきょろと室内を見回した。室内には揺れるようなものはなく、視覚ではわからない。ロッカーが軋んだくらいだ。
ルナはひとり立ち上がった。スマートフォンを片手に画面を見つめる。
「なんだろ。地震じゃないね」
いやな緊張が走る。
揺れは一度だけだ。
ぐらぐらと続く様子はない。
「シン国からの迎えってやつ?」
訊ねると、ルナは「わからない」と首を捻った。
キルカの隣に座っていたマリアは、部屋の天井の隅を見て、白い瞳を見開き、呆然と口をあけていた。
「マリー?」
「…………」
その先に目を凝らすようにして、瞳を細めている。
「なに、あれ……」
キルカがマリアに声をかけようとすると、ルナは控室のドアを掴んでいた。
「いまので開かないとかほんとやめてよ……」
ドアノブを回す。ドアはぎしりと鳴って開いた。
廊下にいたらしい褐色の肌の男が、扉の隙間から見えた。
「揺れたよね」
「揺れた。おまえ大人しくしてろよ。こっちもアイツに刺されたくない」
「はいはい」
ルナはあっさり引き下がってドアを閉めた。
「とりあえずいっか」
ルナはスツールに座った。
いいのかな、とキルカは眉をひそめる。
キルカの隣のマリアは額にうっすらと汗をかき、口に両手を当てていた。
「あの……、たぶん上、大変なことになってる……」
次の大きな振動がくるまで、そう時間は掛からなかった。




