○□5-2 泥船
○
ライブハウスの控室は静かだった。ルナはひとり、スマートフォンを見つめて黙っていた。
『お前らリアクションねえのかよ』
ルナは聞こえるように大きなため息をつく。
『……まあいい。時間もねえから手短に話す』
時間がないとは『迎え』の話か。キルカは口を強く閉じた。
『お前たちはこれからシン国行きだ。シン国の連中に売る形になるが、長い目で見りゃそのほうがいい。正しい選択っつーことで理解しとけ』
「なにいってんの……」
キルカは肩を落として小声で呟いた。
『まず白目のガキ。お前の親父はシン国の操り人形。そんなうさんくせえやつに関わってもろくなことにならねぇから、魔人の扱いがいいシン国に行くのを奨める』
マリアは背筋を伸ばした。
『お前の『眼』はシン国でも需要がある。悪いようにはされねえと思って差し支えねえ』
魔素の見えるマリアの需要。キルカには思いつかないけれど、それが嘘なのかもわからない。先ほど泣いていたマリアの『洗脳できているか視る』という話が、本当に現実にあるのであれば。
『それにお前みたいな見た目の女、あっちの街じゃ普通だ。わざわざこっちの『普通』になるために、ぐちゃぐちゃ悩む必要なんかねえんだよ』
マリアは流れていた涙を拭かずに座っている。表情が変わらない。静かに鼻をすすった。
「私のお父さんのことは……あなたたちからの話しか聞いてない」
サクライが笑う音がした。
『本人が言うわけがねえ。母親は気付いていたかもしれねえが、おまえはどう思ってんだ』
「…………」
マリアは俯いた。
『どっちにしろ、おまえを売ることはもう決まってる。だけどまあ、それなら少しくらい気持ちよぉーく国を出るほうがいいんじゃねえのか、って話なわけよ』
落ち着いた口調だった。
サクライの本心はわからないけれど。
こんな状況でそれを言うのは、卑怯だ。
『……で。キルカ』
見られているような気になって背筋が気持ち悪い。
『こっちは簡単な話だな』
電話の向こうが静かになる。
『おまえがいたらみんな不幸になるから消えろ』
言って。
サクライはしばらく静かになった。
「……そ、っ」
口から息が漏れる。
『よく聞けよ』
「……」
『去年ルナが動画をネットに流したときにの魔人売買の界隈がちょっと盛り上がってな。お前の力、色んなとこに需要があんのは分かってた』
キルカは言葉を反芻する。
『だから監視の目も切らさねえようにしてたってのに、まーまー次から次へとバンバン消されちまって参った。どうにも金ばっかかかっちまって』
「監視」
『お前に嵌めてるその指輪も、元からお前を捕まえるために用意してたんだ。そこの白目に盗まれるなんてのは、流石に想定してねえよ』
くっくっくっ、とサクライは笑う。
『つーことでいま起きてること。そしてこれから起きることも全部、お前が起点で起きてんだって話だ』
「ぜんぶ……」
サクライに訊きたいことがたくさん湧き出てきた。それを訊いてまわったところで、なにかが解決するわけでもないのに。
『おまえんとこのオーナーはウチのやつが刺した』
「…………」
『バイトの奴はボコって路上に捨てた』
「…………」
『そしてそこの白目は、お前の『ついで』にシン国に行く』
息が止まった。
『これも全部、おまえが居るから起きたことだ』
マリアがキルカを見た気がした。
キルカは動けず、目をあけたまま、じっと正面のスマートフォンを見つめた。
『他にもお前が原因のことは色々あんだろうが』
ルナはあくびをした。
『お前が母親とろくに話さねえから遊廓はああなって』
キルカを殴ったリルハを思い出す。
『ルナもそのほかのガキも、お前のせいで人生狂って』
ルナはずっと天井を見つめている。
『お前の父親は、お前のせいで死んだよな』
「……」
父親の顔は、もうはっきりと思い出せない。
『どうせ、他にも色々あんだろ』
店にやってきたリンカは、キルカみたいなのが周りを不幸にすると言っていた。カギリはクロイワに魔法を使ってしまって、もしかしたらクロイワを殺してしまっていた。マリアもちゃんと助けることができなかった。もっとしっかり踏み込めればよかったのに、中途半端に見過ごした。
ほかにもきっと認識すらしていないものが、キルカの周囲にまとわりついている。
自分が誰かに不利益を与える人間だということはわかっていた。それを理解しているつもりだったのに、結局キルカはいままで何もしてこなかった。無理になにかをしなくたって、そのままの自分を探せるのではないかと、いつの間にか思ってしまっていた。
黙ったままのルナを見る。
『―――』
以前彼女に言われたことはきっと正しかった。けれどトマリの言葉に甘えて、まだキルカはのうのうと呼吸をしてしまっている。
『まわりで起きてる不幸は、一体なにが原因だと思う』
ルナは俯いて、貧乏ゆすりを始めた。
『あぁ。ついでに俺もヤクザを追われてたか。全くバカみてえな話じゃねえか』
へっへっへっ。とサクライは笑った。
『そう考えたらどうだ』
そしてまた、しばらく静かになる。
『お前はここで消えちまったほうがいいんじゃねえか』
「…………」
『もしも下手に逃げたら。シン国だけじゃなくそれ以外の国も、こぞってお前を狙ってくるだろうよ』
「…………」
『そのたびにまた、ヒトの人生がぶっ壊れるかもしれねえ』
マリアはじっとキルカを見ていた。
『お前ならちゃんと……それがどういうことなのか、正しく理解できるよな』
キルカは喉を鳴らす。
『おい』
「っ……」
『お前だよ』
耳を塞ぎたい。
『お前に言ってんだぞ、キルカ』
顔の全部が熱い。
目も、鼻も、喉も、つんと痛かった。
『なんか言うことねえのかよ、疫病神』
心臓うるさく鳴って、まぶたがぶるぶると震える。言葉が出てこようとしなかったけれど、ただ口だけは勝手に開いた。
『クソみてえな自分から逃げきれると思うなよ』
「もう、やめて……」
聞きたくなくて声がでた。
いまは父から受け継いだ魔人の力もない。
惰性で生きてきたキルカしかそこにはいない。
そうしてなにも考えずに後回しにするから、こんな現実が絡みついてきているのに。
「……そんなの。言われなくたってわかってる……」
『だったらどうすりゃいい』
鼻から息を吸った。
「みんなに迷惑、かけたくない……」
キルカがため息をつくように言うと、ルナはあからさまに舌打ちをした。
『それなら話は決まったな』
「だったらせめてマリーとルナは」
『関係ねえ』
サクライは機嫌良さげだった。
『ちなみに首都高崩落事件はシン国の工作員が主犯。お前の仇もあっちにいる。どうせてめえは疫病神、その馬鹿力で連中皆殺しにしたところで、誰も咎めはしねえからな』
しらない。そんなことを考えたって意味がない。
誰が仇だなんてことを抱えながら生きたくない。
また母親の顔が浮かんで、すぐに消える。
『ルナ。あとはお前がどうにかしとけ。もう少ししたらそっちに行くから、グズグズすんならお前に責任取らせっからな』
通話が切れた。
「んだよ、もう」
ルナはスマートフォンをポケットに回収し、長く深いため息をついた。
キルカは瞳を閉じて黙った。たくさん深呼吸をして、サクライの言われたことや、そこから勝手に導かれる結論を考えないようにした。
けれどいままでの後悔も、目を逸らしてきた自分のあり方についても、瞼の裏から消えずにこびりついて思考を強制する。
誰かを不幸にして。余計なお世話ばかりで。煩わしさをもたらす。
どこにいたっていずれきっとこうなる。キルカという人間の立ち位置はそこに向かうようにできている。
だから今度こそ、改めなければいけないのだ。
未来に期待しない。
叶わない夢は見ない。
考えなければ失望もしない。
そのことを、『みちる』にいた少しのあいだ、すっかり忘れてしまっていたのだ。
気楽に過ごしていられる場所が、あそこにあったから。
「……あの」
マリアが顔を上げた。
自分の両手の結束バンドをしばらく眺めたあと、ルナを見た。
「ルナさん。これ、外してください」
ルナはぎょっとしてマリアを見た。
「無理に決まってんでしょ。んなことしたらわたしが何されるかわかんないんだって」
マリアは涙を拭いていた。
「このまま黙ってたってなにも変わらない」
化粧は崩れていても、視線は真っ直ぐだった。
「私はお父さんと直接話さなきゃいけないから、シン国には行かない」
むっと口を閉じたマリアを見つめ、ルナは自分の髪を引っ張った。
「そんなん言われたって……」
マリアはキルカとルナを見た。
「キルちゃん。ハイジマさんは無事だから安心して。『みちる』で会って話もしたし……アプリ? かなにかで、キルちゃんの居場所はわかるって言ってた」
キルカは目を細めた。GPSなどをハルトと共有した覚えはない。
「カギリさんも。お店を荒らしに来た人、あっという間にやっつけてた」
マリア自身は元々カギリの魔法については知らないはず。
「トマリさんだってずっとキルちゃんを探すって言ってたの。……だから今もきっと、みんなでキルちゃんのために動いてくれてる」
しかしトマリはクロイワに刺された。
キルカは自分の想像に鳥肌を立てる。
「ルナさん」
マリアの表情は変わらない。
「……なに」
「ルナさんがあのとき私を車から降ろしてくれたから、今話してることがわかるの」
ルナは一瞬固まった。
「それでわたし殴られたし、あなたも結局捕まってんだけど」
マリアは首を左右に振った。
「だけどそのおかげで私は、お店に指輪……『魔女の天秤』を置いていけた。トマリさんやハイジマさんならきっとわかってくれる思う。二人とも、変に頭よさそうだったし……」
キルカとルナはマリアを見つめた。
マリアはしっかりと二人を見返してくる。
その『魔女の天秤』というものは、キルカは初めて聞いた単語だった。
「『天秤』に気付いてもらえたなら、キルちゃんの力はちゃんと元に戻せる」
マリアは真っ白な瞳を見開いている。
「もちろん刺されたっていうトマリさんのことは心配だけど……。私は、諦めたくない」
マリアはルナに向かって、拘束された両手を差し出した。
「だからこれ。解いて」
ルナは片手で顔を抑え、頭を左右に振った。
「いや無理」
即答だった。
「っていうかマリアさんだっけ? 色々ちゃんと考えな」
「どういうこと」
ルナはテーブルのスマートフォンをポケットに入れた。
「よくわかんないけどさ。そんなんなら、わたしがここでキルカの指輪を外せばいいだけだっつーの」
キルカはテーブでぐるぐる巻きの両手を見た。
「だったらルナさんが」
「わたしだってカネとか彼氏とか色々あんだよ。今回の話だって、もうこっちには居られないと思ったからあんたらとシン国に飛ぶんだ。渡りになんとかってやつ? 『ついで』だよ、全部ついで」
マリアはじっとルナを見る。
「それで逃げたって何も解決しないんじゃないかな」
「うっさい。窃盗犯に言われたくない」
キルカは息を飲んだ。
どうしよう。ここで喧嘩なんて。
「……だったらキルカはなに考えてんの。あんだけ言われて、しょんぼりしてただ黙ってんの」
ルナは疲れた顔でキルカを見る。
「なにって」
「わたしがあんたの指輪外したら。あいつらぶっ飛ばしてみんな抱えて逃げられんのかって訊いてんの」
そんなことをしたとき、全員のリスクを抱え込めるかはわからない。そうして逃げたあと、それぞれがどうしていけばいいのかも。
サクライの言うように、このままキルカが逃げてもきっと繰り返しになる。誰かがキルカのせいで損をしたり、不愉快になったり、不条理を感じることもあるかもしれない。
そうして逃げた先で、今回のようなことがまた起きてしまうくらいなら。
「ほら。答えられないなら辞めたほうがいいよね。どうせまたぐちゃぐちゃになる」
マリアがルナを睨んだ。
「ちがう。キルちゃんは優しいから色々ちゃんと考えてくれてるんだよ。私のこともあなたのことも考えてる。さっきの電話だって、勝手に色んなこと押しつけてきてたんだから、混乱するにきまってる」
「そうじゃないっつーの」
「だってキルちゃん、クズリさんにも怒ってくれたみたいなんだよ。ただ私が変なことしただけなのにどうにかしようとしてくれた」
「だから……」
「それだって、キルちゃんに指輪が嵌められなかったら――」
ルナは頭をかきむしって、そばにあったスツールを蹴り飛ばした。
「――そういうことじゃねえっつってんだろ!」
ルナの黄色の瞳を見開いた。
キルカもマリアもそれを見て目を丸くした。
「わたしは、キルカと何年も一緒に暮らしてたからわかるんだよ」
キルカは胸がつかえるような気になって、ルナから目を離せなかった。彼女は苦しそうな顔でキルカをじっと睨んで、瞳を充血させていた。
「キルカはいままで選んでない。どうせこれからも選ぼうとしない。人のために動くみたいな顔して、結局、なんもしないんだ」
ルナは唇を震わせた。
「……キルカのそういうとこ、本当にムカつくんだよ」
□
キルカに仕込んだ追跡用の魔業アプリは精度が低い。
場所と時間をよく見てみると、シブヤセンター街のどこかにいるようではあるが、位置の表示が不安定だった。取得した位置情報がいちいち数〇メートル単位でズレるため、場所を特定するのは結局しらみ潰しになる。首都高崩落事件の余波のある『魔界』の影響なのかもしれない。
「だからリンカ聞けって! 難しいことねぇから!」
魔人のリンカは『鼻が利く』。アプリだけでは心許なく、キルカやマリアを追うのに彼女の手助けが欲しい。しかしリンカは、ケンゴの言った通りの人間ではなかったようだ。
アパートの前に車でやってきて10分は経っていたが、話はほとんど進んでいない。
カギリは車を降りて腕を組み、小競り合いする二人を見つめている。
バタつく面々を尻目に、ハルトは車の後部にまわり、店で回収したキルカとマリアの『匂い』を追えるものの整理を進めた。
キルカは普段づかいのメイドカチューシャがあるため、匂いとしてはおそらく十分。
マリアのほうはあてがない。ハルトはマリアが店内に放り投げたショルダーバッグを物色した。バッグの中身は財布やスマートフォンに化粧品、コンタクトレンズと点眼薬、使い捨てマスクの小袋、白レースのハンカチなど。
なにかいいものはないのか。焦れったさをぶつけるよう、バッグを逆さにして中身をぶちまけた。
「ケンゴのいってることむちゃくちゃじゃん!」
ごろんと白く丸い樹脂製の箱がふたつ転がり出た。
一つはワイヤレスイヤホン。もう一つは少し大きい。
「むちゃくちゃだけどマジなやつなんだよ! マジなの!」
それを開いてみるとリングケースだった。リングの差し込み口は4つあり、そのうちのひとつに指輪が埋まっている。
木と金属の混じったような風合いの指輪。無機質なだけではなく、骨のような質感のある意匠だ。
ハルトは指輪の表面に触れた。
リングケースと中の黒いスポンジの側面のスキマには小さな厚紙が入っており、それを手に取った。
【魔女の天秤】。
「これ……」
紙には無機質なフォントでそう書かれていた。
その裏側を見ると、【つかいかた】という簡単な但し書きが記載されている。
ハルトはその数行の文章に目を走らせる。
大体の内容は、すぐに理解した。
「あー……、これ、そういう……」
トマリが指輪についてなにか納得していた様子や、マリアがバッグを投げ捨ててハルトを見た理由、サクライがこれを利用しようとしていることについても、ある程度は理解できた。
「ぎゃあぁっ! うそ! なに!」
リンカが急に悲鳴をあげた。
ハルトはリングケースを持参したリュックに入れた。そのまま彼らのほうへ駆け寄ると、リンカが電柱に隠れるようにつかまっていた。
「……ほらコレこのひとこんな人! だから手伝うしかねえんだよ! あきらめろリンカ! したがえ!」
「なんなんだよもぅ! わかったからこっちこないで! 近づかないで!」
「うーん。話がはやいかと思ったんだけどなー」
騒ぐ二人に、カギリが一歩踏み込んでいる。
ケンゴの背後からその頭のてっぺんを掴み、彼の頭髪を雑草のような植物に変えている、ように見えた。
「カギリさん……それって元に戻るんですか?」
「どうかなー。髪、どうせ生えかわるし」
ケンゴはぼんやりとしたカギリに振り返って、悲しそうに笑った。




