〇1-1 遊郭
「きいた? なんか今度、あたしたち一八歳なった記念にディズニーランド連れてってくれるんだって! うぉー!」
ヨシワラ遊郭街の老舗【ジュリエット】の控え室。天井にさがる無数の橙の電球が眩しく光っている。
光の下では四人の若い女たちが、大きな鏡を正面にして横並びに座っていた。
壁まで伸びる白い化粧台の上には無数のメイク道具が散らかり、散らかしている四人は全員薄手の白いインナー姿。そのうち三人は国内有数のテーマパークの話題に夢中で、ろくに化粧も進めないまま笑いあっている。
話題に入っていない唯一の少女、キルカ・ヴァルカン。
キルカもいったん乗ってみようと思いはしたが、鏡の下のメイク用の白い光が当たる自分の顔へ、化粧を施す手を早めていた。
もう額も頬も白くして、首元へもしっかり粉を載せた。唇は薄いピンクに仕上げて、睫毛は太く真っ黒にカールさせ、鼻筋に艶を入れる。夜更かししたけれど白眼には充血なし。生まれつきの紫色の瞳にも淀みはない。真っ黒でゆるいウェーブのかかったロングヘアも先日行った美容院で艶やかに仕上がって、左右に縛ってまとめあげている。
あとはアイシャドウを入れるだけ。手先は器用ではないが、もう四年はこの作業をしているから迷いはなかった。
アイシャドウは顔に強さをくれるから好きだった。キルカは自分の目元をじっと見つめ、使い慣れた丸いブラシの先を目尻へ近付けていく。
「ねぇ! キルカも楽しみじゃない? ディズニーだよディズニー! こんなイベント中々ないよー!」
「……へぁー。んぁー」
隣から聴こえた同僚、ルナの高い声。化粧をするのに集中しようとぽっかり開いていた口が、品のいい犬のような金髪ショートヘアの彼女に勝手に返事をしていた。
「どしたの! キルカもディズニー好きじゃん!」
「超好き。子どもの頃なんかずーっとみてた」
「でしょ! じゃーランド行けるったらもうアガるじゃん!」
「んー……ランド……」
「えっ? ランド微妙?」
ディズニーは好き。ディズニーランドにも当然興味はある。しかし行きたくない理由も明確にあった。
その理由について同僚のみんなに話すことは不可能ではなかったけれど、なんとなく同世代の話題としてはふさわしくない気がして、キルカは唇を舐める。
「……あれだよ。あたしの頭の中のランドって激ヤバファンタジーだから、現実とのギャップ感じちゃうのはイヤなわけ。ディズニーってやっぱり、キラキラした魔法がふわふわばひゅーん! 歌って踊っておしゃべり動物カワイイ! 助けてくれた王子にキュン! ってなってる世界じゃん。みてるだけでおもわず泣いちゃう世界じゃん? もーこんなのムリでしょ。現実にはムリでーす」
化粧の準備を始めたルナがくすくすと笑った。
「やーキルカ。魔法みたいなのならウチらの周りでもたまーに飛び交ってるでしょ。ここはトーキョー、ニッポン屈指の【魔境】じゃん。こないだなんてわたし、口から絹糸吐き出すおじさんに声かけられたよ。『きみ裁縫やってる?』って。普通にやってねーし、カイコおじさんだ! ってなって逃げた。マジで逃げたのに肩に絹糸ついてた。糸は艶々だった」
「ほら! リアルの魔法みたいなのってキラキラしてないじゃん! どばどば! 炎上! 殴り合い! 黒くて汚いことばっか!」
「てかディズニーはキャラクターが命だし。だいたい今どき魔法なんて古臭いでしょ」
「あたしはキラキラ魔法推してるの。ふるくさ上等。レトロ最高。とにもかくにもレトロがいい!」
キルカが抗議するように言ってみると、もう一人の同僚、青い髪をポニーテールに纏めているスズが笑った。
「まぁキルカ。たしかに期待しすぎはよくないかもだけど、ランドはランドで楽しみたいわけじゃん。アタシらとにかくいまはランド。ランドのためならがんばれる! ……おらぁ行くぞやろーども! 遊郭ランドへ出航だ!」
「ランド!」「ランドぉ!」
ランドの合唱。小さな拳を振り上げるキルカ以外の三人。やがてすぐにみんな気持ちを切り替えて、仕事の準備に取りかかり始めた。
みんなカラッと明るいから、一緒にランドに行けば楽しいだろうというのはキルカも理解はしている。
ルナ、スズ、ソフィー、キルカの四人。四人がいればなんとなく無敵。生まれも、育ちも、瞳の色も、何もかもが違っていても、この【ジュリエット】で一緒にいられれば、気持ちだけは無敵でいられるのだ。
けれど『期待しすぎはよくない』。
キルカにとってその言葉は、本当にその通りだと感じていた。
期待して。準備して。心躍らせるばかりに夢中になって、それがふと失われた瞬間の空虚な感覚はもう味わいたくない。そんな感情を抱いてしまうことすら愚かだと思っていた。
『あの日』もそう。
思い出すたび、膝を抱えていた自分が嫌になる。
だから未来には期待しない。叶わない夢は見ない。考えなければ失望もしない。それくらいが、この店で働くいまの自分に見合っている。
「ところでキルカ、今日の曲芸は?」
赤いカバーのスマートフォンが念動力で宙に浮いている。そこではヘアスタイリング動画が流れていた。
動画を横目に銀色の髪をアイロンで巻いていたソフィーが、キルカを見た。
キルカは足元に立て掛けていた真っ黒な鉄パイプをひとつ持ち上げる。わざとらしく神妙な表情を同僚たちに向けると、皆はにやにやして、キルカが話すのを待った。
「……この。なんのへんてつもない鉄パイプ。……なんとあたしの人差し指だけで! 裂けるチーズみたいにする!」
紫に塗ったネイルでパイプをぴんと弾くと、こちんと硬い音がした。「やばすぎ!」と三人が弾けるように笑った。
鉄を引きちぎって爆発音が鳴ったときはまあまあ怒られたけれど、裂くならちょっとマシ。油の切れた車輪を回してるみたいな音がするくらい。
これくらいでいいのだ。室内で行う【魔人】の曲芸としてはちょうどいい具合のはず。
他の三人も魔人らしく、モノを飛ばしたり、お酒を凍らせたり、スプーン曲げたり。歌ったり踊ったり、たくさん盛り上げてくれるに違いない。




