□4-2 魔法使い
朝の店内に、カギリの淹れたコーヒーの香りが漂った。カギリはソファ席にいるマリアにもコーヒーを渡しに行って、彼女の具合を訊いていた。
「警察官になりたいとは?」
ハルトは一瞬考えた。
少し、自分の頭の整理も必要だと感じながら。
「……小学生の頃、俺と家族が事件に巻き込まれて。俺は警察の人達にすげー世話になったんです。あの人らには単なる仕事だったんだろうけど、俺は、そういう仕事に支えてもらったと思ってる」
「イケブクロの事件かな」
トマリが目を細め、ハルトは頷いた。
イケブクロ連続通り魔事件が起きたのは、小学六年生に進級する前の春休みのことだった。
「あの通り魔事件が起きて……当時の犯人が使った魔業……『ポータル』って言うんですよね? 被害者はみんなその被害を受けて身体が真っ二つになって、母さんも妹も、俺の目の前でそうなった」
誰の血が噴き出してどう顔に降りかかったのかは、あまり覚えていなかった。
「俺はほとんど動けなかったけど、たまたまそばにいた他の大人に逃がしてもらった。それから近くの病院行って……事件が起きてから初めて親父と顔を合わせたのは、その日の夕方だった」
ハルトは病院の待合室で座っていた父親の顔を思い出しながら、まばたきを繰り返した。
「最初に親父が俺を見て」
父の深い溜め息の音は、未だに耳にまとわりついている。
「『なんで』って。言った」
カギリがコーヒーを啜る音が聴こえた。
「……」
トマリはハルトの瞳をじっと見ていた。
そこでほんの少しだけ、彼の黒い瞳が震えた。
「そのまますぐに親父は謝ってきたけど。……謝られたことで、親父がそのときの俺に何を思ってたのかはだいたい想像できた」
トマリはハルトをじっと見つめていた。何かを探るような瞳だった。
「『なんでこんなことになってるんだ』とか『なんでお前だけ無事なんだ』とか『なんで母さんと妹を助けなかったんだ』とか。考えられることはたくさんあった」
夕陽に照らされた父親の表情が複雑だったのはよく覚えていた。家族を亡くした人間の表情。きっとハルトも似たような表情をしていたけれど、その場に居なかった父親が向けてきたものは、おそらくその質が異なっていた。
「『なんでお前だけ生きてるんだ』って言葉が妙に俺のなかで腑に落ちたとき。たぶん俺は、二人と一緒だったほうが良かったんだろうなってことには、思い至りました」
ハルトは思わずため息をついた。
「そのとき、俺と親父との間にいきなり割り込んできた人がいた」
怒りのような失望のような、申し訳なさそうな表情の父親は、病院の廊下の奥から駆けてきたヨシノに押しのけられた。
力の入っていない足取りの父親はハルトの視界からあっさりと消えて、ぼさぼさ頭のヨシノが、ハルトの両肩をしっかりと掴んでいた。
「『被害者のひとりだろ。無事ならすぐ協力しろ』って。五体満足で会話ができる状態の被害者は貴重だったみたいでした。一応、犯人の顔も見てましたから」
トマリは腕を組んだ。
「これ以上犠牲者を出すわけにいかないから警察のとこ行く、みたいなことをバタバタ話しながら。親父のことはガン無視して俺を引っ張って、病院の外に停まってた警察の車にぶち込まれた」
その時にいた警察官の顔は覚えているが、名前は忘れていた。突然現れたヨシノと、落ち着いた様子の警察官の男性は、別世界の住人のようで現実感がなかった。
「そこで警察とその人と話して。話してたら悔しかったりわけわかんなくて泣いたりした。だけどその人たちは、起きたことがどうこうよりも、俺の気持ちがどうなのかよりも、今以上の被害を防ぐためにどうするかを中心に話してもらえた。とにかく『これからどうするか』。『今なにをするべきなのか』。あのタイミングでそういう考え方に触れられたのは……俺にとっては、良かった」
ハルトは胃のあたりが気持ち悪くなって、コーヒーを飲んだ。
「警察と情報共有して、『その人』の情報筋から、実行犯のヤク中の女の魔人の居場所がすぐに特定された。そしてその次の日かな。俺も連れてけってその人に頼んだら、犯人が警察に捕まる状況も最後まで見せてもらえた。母親と妹、その他のたくさんの人たちを殺したやつがどうなるのか、俺は追っかけることができた」
あのとき警察の子飼いだという魔人の男が、犯人の潜伏先のアパートに単身で突入していった。激しい物音でアパートの部屋は半壊し、バイクで逃げ出そうとした犯人はそのまま身柄を確保された。
それをヨシノの車のなかで、ハルトはその様子を眺めていた。
犯人は右目に眼帯をした銀髪の女で、静かに泣きながら手錠をかけられていた。こんなやつがあの事件を起こしたのかと、空虚な感覚をおぼえた。
「あのときたぶん少し救われたから。俺もそういう、誰かの為に行動できる人間になれたらいいって思ってる」
「そうなんだ」
カギリは薄い笑みを浮かべていた。
「ハルトくんあんまり自分のこと話さないから新鮮だー」
「それで警察官になりたかったんですけど、中学の時に親父が魔人と再婚したんで、警察官にはなれなくなりました。それから家にも居づらくなったから、結局こうなってます」
トマリは眉間に皺を寄せて腕を組んでいる。
「君を警察に連れていった『その人』というのは……」
「魔業だとかは、今回のことを踏まえてその人に用意してもらいました。俺はザコですけど、何もできないわけじゃねー、って勝手に思ってましたから」
結局、なにもできませんでしたけど。
呟きながらハルトは肩を落とした。
嘘はついていない。話した内容はほとんど事実だ。自分を偽ってそれらしくやれるほど器用ではないから、ハルトは話の焦点をずらすために話さざるを得なかった。
そして今も、なにも出来ていない事実を再認識させられる。
「俺はまだ何にもなれてないし、マリアさんの役にも立てませんでした。だけどキルカが誘拐されてるなら、俺はなにかしたい。っていうかもっと事前に防げたことかもしれないのに、知らねーって顔はできません」
ヨシノからはもう一つ魔業を借りており、イヤーカフ以外にも『保険』は用意している。キルカもおそらく気付いていない。まだ探す手立てはある。
「それに……どうせあの魔業も絡んでんだ。あんなもんがあるなら俺は一個でも多くあれをぶっ壊したい。そのへんに在っちゃいけないもんだし、使ってる奴だって何も知らずに使ってるわけがないんだ。俺はそういう魔人も魔業も嫌いだし、許したくない」
トマリはハルトの言葉にぴくりと反応したようだった。
「君のことは少しわかった。細かいことは置いておくけれど、キルカさんについては今は協力が必要だ」
彼は未だに考え事をしている様子だったが、コーヒーカップに口をつけた。
◇
「まずはキルカさんを見つけないといけないわけだけど、早速一ついいかな」
トマリは席を立って、ハルトの小さいバッグを指さした。
「君が寝ている間に持ち物は検めさせてもらってる。GPSも魔業も持ち出しているようだし、キルカさんの居場所が分かるものもあるんだろう」
思わずハルトの口が開いた。
「カギリさん、オーナー怖いんですけど」
カギリが目を細めていた。
「兄はそういうとこあるから」
「キルカさんの件でハイジマ君が落ち着いているからね。何も手段がないなら普通はもっと慌てるんじゃないかな」
「それは、……そうなのかな」
隠す必要もない。ハルトはスマートフォンのアプリを起動した。『FootStamp』というロゴが表示される。
ヨシノと相談していたモノ。マリアがキルカと会う時、二人を見失わないようにするための保険だった。
「GPSと魔業を併用したモノをキルカに仕込んでます。これも、さっき言った人に借りた」
「キルカさんは知ってる?」
「たぶん気づいてない」
トマリは困ったような表情で何度か頷いた。
「買い物行ったとき、キルカが靴欲しいって言うから丁度よかったんで靴の踵に仕込みました。薄い透明なシート型でバレないし。この魔業は、魔人がシートを踏んだ位置と時間が地図アプリに反映される仕組みです。GPS発信器だとデカすぎてダメでした」
「やってることが危険人物だね。いまの位置情報は?」
「多分マリアさんの言うように車で運ばれているので、飛び石にはなってると思いますけど……」
ハルトがスマートフォンを操作すると、キルカの位置を示す行動ログが確認できた。日時や期間を設定すると、地図と連動したその場所が赤いポインタで表示される。
現在から三〇分前の場所も、しっかりと表示された。
「ここか」
場所はシブヤあたりの地域を指している。『首都高崩落事件』により、一般人は立入禁止となっている『魔界』の区画だ。
トマリにその画面を見せると、彼は自分のスマートフォンを手に取った。
「いつからここに居るかわかるかな」
「ログをみる限りだと昨日の夜から? 靴は捨てられてるかもしれません」
「彼らは『魔界』に拠点でもあるのかもね」
「魔素汚染がひどくて人は長期間は居られないとか聞きますけど」
「長期間というのは年単位の話。住めないという意味だ。表立って出来ないことのために、場所を確保しておいて、たまに利用する分には人体に差し支えない」
彼が医者なのだというのなら、おそらく正しい部分もあるのだろう。
けれどそれにしても、彼と話しているあいだ、ハルトにはどうにも引っ掛かるものがあった。
病院にいた時から感じていたが、トマリは異様に会話のテンポが早い。ある程度のことを想定しているかのように話して、聞いた言葉をのみ込んでいく。
「なんか……オーナーこそ、なんだか色々なことをご存知みたいですけど」
トマリはカギリを見た。カギリは何も言わずに瞳を閉じている。
「オーナーなら、キルカだけ拐われた理由もわかるんじゃないですか」
トマリは自分の指先をちらりと見た。
「色々考えられはする。だけど憶測にしかならないよ」
「色々って。前の職場で揉めたってキルカから聞いてますけど、ヤクザの関係だとか?」
「……誰であれ何であれ。僕はキルカさんを無事に連れ戻せればそれで十分。それもできるだけ早くね」
言葉としては聞こえがいい。
しかし彼がそう言ったことにこそ、不明瞭さを覚えた。
「そもそもオーナー、なんでキルカに今の生活をさせてるんですか。親族でもないのにアパートも仕事も確保して、世話のレベルが普通じゃない。オーナーがなんでそこまでするのかってのは正直、個人的な疑問としてありますよ」
トマリも同様に、先刻ハルトへ言った『魔人を利用しよう』という人間なのではないか。
「さっきオーナーが俺に言ったことは、そのままオーナーにも当てはまる。オーナーが『魔人を利用する悪いヤツ』だって全然おかしくない話だ。さっき話した通り、俺はそんな魔人は嫌いだし、進んで関わりたくないっすよ」
キルカは普通の魔人とは一線を画した力がある。トマリがキルカを囲う理由がそこにあるのとすれば、ある程度の納得はできる。
それこそ、クズリあるいはクズリの背後に居る者が、キルカを連れ去った理由も同様なのではないか、とも。
前々からひとつ、考えていたことはあった。
「……オーナーがキルカの世話をするのは、あいつが『魔法使い』だからじゃないんですか」
キルカが魔法使いなのであれば、トマリがキルカを保護する理由も、クズリ達に誘拐される理由も理解できる。
魔法使いはツチノコのようなもの。世界中に欲しがる人間は居る。キルカの特性は単純に強い力でもあり、懐柔するだけでもきっと利用価値は高い。
それこそ、洗脳でもできてしまえば十分ではないか。
トマリは面倒臭そうに溜め息をつき、カギリをちらりと見たあと、自身のスマートフォンに視線を落とした。
「彼女の父親に恩がある。これは君には関係のない話だ」
トマリはスマートフォンを片手に立ち上がり、カギリの方を見た。
「いま友人の伝手で車を持ってきてもらうよう手配したから、まずはシブヤに移動を……」
ふいに背後で大きな物音がして、ハルトは振り返った。
店の正面のドアを開けようとする音だった。『みちる』の入り口側はガラス張りになっているため、外の人影が数人見えた。
まだ開店時間まで一時間ほどあるため客ではない。店内は明かりを点けていなかったが、除けば中にいる人間は見える程度には外は明るい。
ハルトは立ち上がって人影に目を凝らした。
目出し帽の男が、こちらを覗いていた。
「マリアさん――」
昨日も見た連中だ。
ハルトがマリアを呼ぼうとしたところで、店の正面のガラスが割れた。壁の端から順々に、バールのようなもので割られていく。
男達は複数人いる。ハルトの見たところ、三人は人影が見えた。
「ありゃ。大変だ」
カギリはコーヒーカップを置いてその様子を眺めている。動じることなくカウンターを回り、トマリの隣に素早く歩いてきた。
正面のドアは、そのガラスを割られても人が侵入するスキマはない。しかし表通り側は大きめの窓枠になっている。
ハルトがマリアの元に駆け寄ろうとすると、覆面の男三人が、ハルトの右手側の窓を割り、そこから身体を入れ込んで侵入してきた。マリアが座っているのは左手側だった。彼女は慌てて立ち上がって、トマリやハルトを見た。
「こういうのって保険効くんだったかな」
カギリは呑気に訊ねる。
「効くよ。前にもあった」
トマリが覆面の男たちを睨みながら答えると、カギリは「おぼえてない」と笑った。そのままカギリは、窓から侵入してきた男達を見遣った。
ハルトはマリアのそばに駆け寄り、自分の後ろに居るよう促した。
「君達、サクライの関係?」
トマリは大きな声で訊ねたが、男達は手にバールを持ったまま何も言わなかった。上下とも真っ黒なジャージと黒い目出し帽。『いかにも』な格好だった。
「なにも知らなそう」
カギリは腕を組み、大きな緑色の瞳で男達を睨む。
トマリはカギリを横目に見た。
「カギリ。あれは『敵』だ。拘束するよ」
「わかった」
「悪いけど時間が惜しい。できる?」
カギリは指先で、赤いフレームの眼鏡の中心を持ち上げた。
「もうやってる」
興味がなさそうにぽつりと告げる。カギリは男達に背中を向けるようにカウンターに振り返り、ハルトの飲みかけだったコーヒーを飲んだ。
男の苦しげな悲鳴が聴こえた。
一人の目出し帽の男の背中から、腕のような太い緑色のツルが数本すばやく伸び始めた。ツルには熱帯植物のような分厚い葉や草、茶色の木の根のようなものが混在して絡みついている。
そのツルは男の悲鳴を無視して、背中から首や腕、脚へと巻き付いていく。男の身体は抵抗しているのか震えているが、真っ直ぐな姿勢に無理矢理矯正されてゆき、やがて彼の持っていたバールが音を立てて落ちた。
その他の二人の男達にも同様に植物が巻き付き、全身を簀巻きのように締め上げ、巻き付いていった。
男達はそれぞれ、顔面からうつ伏せに床に倒れた。
二人は怯えた声をあげているが、植物が強く絡みつき、首を動かすこともできないようだった。
カギリは声をあげる二人をじっと見つめた。ツルは目出し帽越しの口にずるりと入り込んだ。
彼らからはうめく声しかしなくなり、床に倒れたまま静かになった。
「ハイジマ君。ついでだからさっきの質問に答えようか」
ハルトが声をあげる間もなかった。
「キルカさん『は』魔法使いじゃない」
その言葉で、思わずカギリを見た。
樹海のような濃い緑の瞳と目が合った。
平然とした様子のカギリの右手の人差し指では、真っ赤な花びらと艶のある緑色のツルが小さく凝縮され、球状の渦を巻いて蠢いていた。
いつもならすぐにスマートフォンにメモをするはずの指は、彼女を見ているだけなのに動こうとしなかった。
カギリのその指がこちらを向いたら、彼らと同じ目に遭うのではないかと、本能が感じた。
「……カギリさんが?」
「『魔法』っていうと、大袈裟っぽくてイヤなんだけどねー」
真っ赤な髪を揺らして平然と言うカギリ。
その言葉も様子も、すぐには飲み込みきれなかった。
ただでさえちょっと変わった人なのに。それに輪をかけて希少な属性が、彼女にはあるらしかった。




