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〇3-8 対価


 マリアと別れた直後。

 キルカはシンジュクの路上で、フードを外した人物を睨んだ。


「キルカちゃんマジで怖えーな。そんな顔すんなよ」


 短い金髪の大柄の男。キルカの周囲でうろついていたのはクズリだった。

 彼は手ぶらで、上下とも黒い長袖ジャージで地味な白いスニーカーを履いている。敢えてなのか、個性のない格好をしていると感じた。

 キルカが掴んだ手を離すと、クズリは人混みに巻き込まれないようにビル側の歩道に移動したため、キルカもそのままついていく。


「久々に会ったマリアはどうよ」

「どうって……元気、だけど」

「オレからの『借りてるもの』の話はしてくれた?」


 彼はあっさりとした様子で訊ねてきた。


「したよ。ちゃんと返すって言ってたから、あたしも返させるようにしようと思う」

「なにを借りてるかは聞いてねえよな」


 下手に嘘をついても逆上される気がした。


「聞いた」


 クズリはがっかりしたように肩を落とす。


「マジか……。一応黙っててもらえると助かんだけど、通報とかはしないでくれねえか」

「しないよ。クズリさんは元々そーいうの嫌いって言ってたし、あたしもマリーのしたことには問題あると思ってる。クズリさんが穏便に対応してくれるんなら、マリーともちゃんと話つけるようにする」


 マリアに対してどのようにするかは思いつかないが、キルカは咄嗟に言った。クズリは腕を組んで、目を大きく開きながら笑みを浮かべる。


「なにキルカちゃん。オレが『穏便に対応しねえ』って言ったら、どうすんだよ」

「……それは、ごめんなさい。言い方がよくないね」


 クズリは落ち着いてはいるが語気は強い。状況としては窃盗の被害者である彼が、キルカの発言に引っかかりがあるのは当然だった。


「ほんとおっかねえ。まーそう言ってくれるってことは、キルカちゃんはそっちのほうに絡んでねえってことでいいか?」


 クズリは呟きながら頷いた。そっちというのは、マリアと共謀しているという意味合いだとは想像がつく。


「あたしはそういうの絡む気ないよ。魔業は好きじゃないから」

「そう?」


 曖昧な反応のなかで、クズリは自分の右耳を指差した。


「でもその耳、単なるアクセサリーじゃねえだろ」

「これは」


 ハルトの名前を出すと良くないだろうかと考え、言い淀んだ。彼が魔業を持っていることについてクズリに訊かれても、キルカ自身が詳細を知らないから答えられない。

 それと同時に、クズリがここに居ることについて疑念が浮かんできた。 

 そもそも、なぜ彼とこんな話をしているのだ。


 明らかに彼は、さきほどまでキルカがマリアと会っていたことを知っている。それでもマリアを追わずにキルカと接触する意図がわからなかった。マリアとキルカが共謀している可能性を踏まえて、先にキルカに接触しておく必要があると彼は考えたのか。


「それは?」


 あるいはクズリがキルカと話している間に、別の人間がマリアを追っているのかもしれない。マリアが突然慌てた様子で店を出たのは、おそらくクズリの姿を窓から認めたからだ。

 キルカを尾行してマリアの所在を確認し、キルカから離れさせるために、クズリは二人から見える場所に現れ、こんな風に会話をしているのなら。


 マリアは、クズリではない別の人間に追われる可能性があるということではないのか。


 キルカはイヤーカフに人さし指を添えた。


「ハルトから。もらった」


 彼は近くに居るだろうかと、クズリから目を離さずに音に集中した。


 ハルトは今日はバイトだと言っていた。

 しかしあのときこの魔業を渡してきたということは、これを使用できるくらいの近くに居る可能性がある。ハルト本人もかなり酔っていたため、キルカがそのことに気付くことに気付いていなかったのかもしれない。

 理由はわからないが、ハルトはマリアを気にしている様子だったのだから。


『キルカか、今どこにいる?』


 少しノイズが入っているが聴こえた。走っているのか、ハルトの息は荒いようだった。

 目の前のクズリは、呆れたような笑みを見せた。


「んだよ……、ハルトくんは汎人の悪いとこ出てるよなあ。興味本位か知らねーけど、なにを好きこのんで嗅ぎ回ってんだ」


 クズリは自分のズボンのポケットから黒いスマートフォンを取り出した。スマートフォンの振動している音が聞こえている。彼はキルカを見つめたまま、電話をとった。

 キルカはハルトの音に集中した。


『とりあえず聴こえてなくても話す』


 彼は未だ息を切らしている。


『マリアさん急いでたみたいだけど、丁度いま、黒いバンから降りてきた奴らに絡まれて連れてかれそうになってる。いま俺のほうで車のナンバーはおさえて……』


 キルカは目を見開く。

 クズリと目が合い、彼は妙に尊大な笑みを見せてくる。


「おうオレ。そっちどうよ。……バタついてんのか? こっちは問題ないから手短にな」


『ちょっ、……ああ、もう……! ――おい! 待てよ!』


 慌てたハルトの声が聴こえた。

 クズリはキルカから目を離さずに、スマートフォンをポケットに入れた。


「マリーをどうする気なの」

「どうするも何もない。キルカちゃんとやり合う気はねえし、こっちはマリア回収してこの話は終わりだ」


 キルカは大股でクズリに詰め寄り、彼のすぐそばに立った。腕を振ればクズリの顔に届く。


「もし乱暴な話になるなら、あたし黙ってない」


 クズリは至近距離でキルカを見下ろし、睨んだ。

 シンジュクの道端。往来のなかであったが、周囲の視線は無視した。


「オレらからすりゃ随分理不尽な話だな」

「マリーの事情をわかってほしいなんて言わない。だけど『回収』ってなに。ハルトの様子はあたしにも聴こえてる。車使ってマリー連れてこうとしてんじゃないの。クズリさんのせいでマリーが傷つくような話になるなら、あたしは首突っ込むよ」

「こっちも散々なくらい客に文句言われてんだ。いい加減、あっちに誠意の一つでも見せねえと収まんねえ」

「……誠意?」

「わかんだろ。マリアはツラがいい。被害の対価くらいは余裕で払える」


 ろくなやつがいない。


 血管が開き、キルカは頭に血がのぼるのを感じながら、できるだけ冷静になろうと努めた。クズリの言うとおりマリアに非があるのは事実だ。キルカが手を出すのは道理に反している。

 けれどキルカはマリアの事情に触れてしまっている。彼女の事情がクズリたちにとって取るに足らないものであったとしても、その事情が原因で彼女が酷い目に合わされるのは納得ができない。

 これは理屈ではない。ただのわがまま。キルカもわかっている。もっとちゃんとマリアを制止できれば、穏便に済んでいたのかもしれない。彼女の瞳のことなど無視して、世の中の常識のようなものを説き続ければ、もっと綺麗な対応方法があったのかもしれない。

 だからこれが正しいのかは、わからない。


「……あーあ。マジかよ」


 キルカはクズリの胸倉と、鳩尾あたりの服を強く掴んだ。

 彼の服が突っ張って、キルカが持ち上げたために、彼のかかとが浮く。いつでも投げ飛ばせるのは手の感触で分かった。投げ飛ばして、彼の頭をコンクリートの地面に叩きつけるのも可能だった。


「クズリさんなら電話の相手、止められるよね」

「……あのなーキルカちゃん。コレ、やってることオレらと同じだぞ」

「同じだよ」


 クズリは身をよじろうとしたが、キルカが握っている服が強く身体を締め付けているため、動きにくそうだった。


「オレもついてねーわ」


 クズリはキルカの手首を素早く掴んだ。

 ばちん。と音がしたその瞬間。キルカの身体の全身には弾けるような震えと痛みが走った。視界では青い閃光が落雷のように激しく明滅し、視界を埋め尽くした。

 クズリの魔人としての特異な体質。電気ショックのような現象を引き起こす力。それがキルカを包んでいた。


 クズリを掴んでいたキルカの拳の筋肉が電撃により強く閉じ、キルカの意思では動かなくなった。キルカは身体が前に丸まって畳んでしまいそうな強い痺れと、筋肉の収縮や眼球の震えに耐えながら、歯を食いしばって顔をあげ、クズリを睨みつけた。


「おいおい。オレのこれ、男も一発で失神する――!」


 キルカは電撃に震える身体を無理矢理に動かし、クズリの胸倉を力任せに引っ張り、その顎に頭突きした。

 怯んだクズリの身体を背負いこむように身体をひねって、正面にいたクズリをキルカの背中側へ力任せに振り回し、地面に背中から叩きつけた。

 ごふっ、と彼の口から息が漏れた。身体を地面に投げっぱなしに落とすと背骨が折れるため、キルカは衝撃を緩めるよう、胸倉は掴んだままだった。

 キルカは地面に仰向けになったクズリを跨ぎ、握った拳を振りかぶった。


「マリーに乱暴しないで」


 シンジュクの路上。周囲で撮影されている空気を感じる。またSNSにでも載るのかと思うと気分が悪いが、仕方なかった。


「ってえ……。オレに乱暴すんのはありなのか? やってることめちゃくちゃじゃねえか!」


 クズリは上体を起こして拳を握った。力の入っていない右拳がキルカの顎に向けられたので、咄嗟にその拳をキルカは額ではたき落とした。骨がぶつかり合う音がして、クズリは短く声をあげた。

 次いでクズリはキルカの手首を握り、ばちん、と音を立てて放電した。

 青い雷が彼の手に見える。それが身体を走る感覚があったが、キルカはもうその痛みに慣れていた。

 キルカはクズリの額に頭突きして、馬乗りになって見下ろした。


「クソ……、キルカちゃんやっぱマジでやべえ」

「仲間に連絡して」

「ふざけんな」

「どっちが」


 しばらくキルカとクズリは睨み合った。キルカが馬乗りで、クズリは仰向けに。クズリが身体を動かすたび、キルカは胸倉を前後に揺さぶって彼の背中と後頭部を地面にぶつけた。彼の発する電撃はもう効果がなかった。シンジュクの通行人達は写真や動画を撮りながら、二人を遠巻きに眺めていた。

 やがてキルカの背後へ誰かが歩いてくる足音が聴こえ、接近してくるのがわかった。

 クズリはその方向へ、首をわずかに動かした。


「……オイおせーよ! 何に手間取ってんだ! やられちまうだろ!」


 キルカは喚くクズリを地面に抑えつけながら、振り返った。


「男の子が絡んできて結構大変だったんだよ。とりあえず、あっちは任せて飛んできた」


 クズリと同じような全身黒のジャージ姿の、金髪のショートヘアの女がいた。


「あと。ソイツはなにかする度胸なんてないからだいじょーぶ」


「……うそ」


「そうだよね。キルカ」


 以前よりもツノのすり減ったルナが、平然とした顔でそこにいた。


「うそでしょルナ、なんで……」


 キルカはクズリを掴む力は緩めなかったが、ただ混乱した。ルナはなんでもない様子で、クズリに乗ったキルカに近づいた。

 すぐ隣に立って、にっこりと笑みを見せてきた。


「バイトだよーん」

「バイトって」

「いいからほら。ヒトの顔面潰す気もないんでしょ」


 ルナはキルカが握っていた拳に両手で触れてきた。

 黄色のネイルが施された小さい手だった。

 キルカは不意のルナの行動に息を一気に吸って、つい力を緩めた。


「久々ついでにこれあげるー」


 ルナはジャージのポケットから何か取り出した。

 それをキルカの右手の中指に、するりと嵌めた。


 指輪だ。


 それを認識した途端、身体の力が一気に抜けた感覚になった。明瞭だった五感が鈍く重たくなり、それぞれが連動せずに揺蕩う感覚に襲われた。どこか泥酔に近いものだと反射的に感じた。

 咄嗟に指を注視した。


 キルカはつい先ほどそれを見ていた。

 マリアが付けていた木製の指輪。

 魔人の魔素を抑制する魔業。

 すなわち、キルカの力を奪うもの。


「助かるぜルナ」


 クズリは調子を取り戻したかのように、胸倉を掴んでいたキルカの左手首を掴んだ。

 キルカは抵抗しようと思った。クズリの頭を殴りつけようとして、自分の拳を握る力が弱すぎることに気付いた。クズリに掴まれた左手もほどけず、右手の指輪は外せない。

 すぐさまルナは一歩引いて、スマートフォンを構えた。


「はい。目的たっせー」


 スマートフォンの録画開始音が鳴った。

 キルカの視界に青い閃光が走った。一瞬の痛みと、見えていた視覚が頭のてっぺんにむけて細くなって消えていく。身体は重くなり、意識が暗く沈む。キルカが跨っていたクズリはもぞもぞと立ち上がり、キルカの頭を掴んだ。


「つか、サクライさんフツーに人遣い荒くない?」

「おう。人間運ぶのはウチの仕事でも無ぇよ」


 その言葉を聞きながら、キルカは気を失った。

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