第20話:月面都市「ルナ・グラード」建設と重力制御建築
軌道エレベーター『バベル・タワー』の頂上口から、専用の宇宙往還艇に乗り換えて三日。アレンの視界を覆い尽くしたのは、空気の層を持たないがゆえに、太陽の光を凶器のように反射して輝く灰色の静寂――「月」の荒野だった。
「リディ、着陸態勢に入れ。ここが今日から、我々の『月面第一工区』だ」
アレンが降り立ったクレーターの底には、あらかじめ無人ゴーレム部隊が投下され、最低限の着陸ポートが整備されていた。一歩踏み出すごとに、身体がふわりと宙に浮く。地球の六分の一という重力は、人間にとって不自由な魔法のように作用した。
「アレン様、足元が安定しません……。こんな不安定な場所で、どうやって都市を建てるというのですか? 重力制御魔法で地球と同じ環境を維持するだけでも、膨大な魔力を浪費してしまいます!」
リディは宇宙服越しに不安を漏らしたが、アレンはバイザーの向こうで不敵に笑っていた。
「リディ、君はまだ『地上』の設計思想に縛られている。重力は克服し、ねじ伏せるべき敵じゃない。設計図に書き込むべき、最も重要なパラメータ(変数)の一つだ」
アレンのこだわりは、「低重力下でのみ成立する建築様式」の確立にあった。
彼は地球から持ち込んだ重力制御装置を、あえて「重力を強くする」ためではなく、「重力の方向を自在に操る」ために使用した。
「バルカス。基礎工事を始めろ。このクレーターの縁を土台にして、空に向かってではなく、クレーターの中心に向かって『吊り下げる』ようにビルを建てるぞ。……逆ピラミッド型の超高層都市だ」
「がっはっは! 逆さまに家を建てるたぁ、アレン様、あんたの頭の中は一体どうなってやがる! だが、確かにこの重力なら、鉄骨が自分の重さでひしゃげる心配はねぇ。細くて長い、針のようなビルがどこまでも伸ばせるな!」
月面都市『ルナ・グラード』の建設は、地上の常識を次々と塗り替えていった。
アレンが設計したのは、巨大な透明ドームの中に、クレーターの縁から中心の深淵に向かって無数の高層建築が枝のように伸びる、三次元的な格子状都市だ。
低重力を利用し、地上では構造的に不可能だった「高さ十キロメートル」を超える超々高層ビルが、ミスリル炭素合金の細いフレームだけで成立していく。
さらに、アレンは都市の中央に、地球と宇宙ステーションを繋ぐための「磁気カタパルト・ハブ」を設置した。
「リディ、見ていろ。この低重力と真空こそが、最高の物流インフラだ。地球から重い荷物を打ち上げるのは大変だが、ここからなら、ほんのわずかな電力で巨大なコンテナを地球へ射出できる。……月は、全惑星を結ぶ巨大な『配送センター』になるんだ」
アレンの目論見通り、ルナ・グラードの起工は、地球の経済構造を根底から変えた。
月の地下に眠る希少な魔導鉱石やヘリウム3が、低コストで次々と地上へ運ばれ、代わりに地上の食料や贅沢品が、バベル・タワーを経由して月へと吸い上げられていく。
地球・月・宇宙ステーションを結ぶ『トライアングル物流網』の完成。
それは、人類が初めて一つの惑星の資源に依存する段階を脱し、星系規模での経済循環を手に入れた瞬間だった。
「アレン様、月面ドーム内の第一居住区、分譲開始から一分で完売しました……。地球の喧騒を離れ、低重力での療養や、宇宙の絶景を求める富裕層たちが、こぞって『ルナ・グラードの市民権』を買い求めています」
「いい傾向だ。……だが、彼らには規約(規約)を徹底させろ。月面では酸素も水も、すべてがインフラ(公共物)だ。一滴の水を無駄にする者、空気の循環を乱す者に、ここに住む資格はない」
アレンにとって、月面都市は究極の「管理社会」の実験場でもあった。
資源が限られた閉鎖環境だからこそ、アレンの設計した「完璧な資源循環システム」がその真価を発揮する。
ルナ・グラードの最上階(クレーターの縁の部分)にある展望レストラン。
アレンは、漆黒の宇宙にぽっかりと浮かぶ「青い宝石」――地球を眺めながら、合成肉のステーキを口にした。
「リディ。地上にいた頃は、あんなに巨大に見えた世界が、今では私の管理する一軒の『本邸』に見えるよ。そしてここ、月は『別邸』だ。……さて、庭の手入れ(テラ・マネジメント)も一段落したし、そろそろ近所付き合い(外宇宙への探索)を考えてもいい頃合いかな」
「……アレン様、あなたの『近所』という言葉の定義が、私にはもう恐ろしくて仕方がありません」
アレン・フォン・グラード。
かつての追放貴族、そして元ゼネコン社員。
彼はついに、星の重力すらも設計の一部として使いこなし、人類の生存圏を静寂の銀世界へと拡張した。
第20話。それは、月が単なる夜空の飾りではなく、人類の「第二の故郷」として脈動を始めた、記念すべき開拓の日であった。




