第43話 助っ人は『異世界人』
「クソッ、放せ!」
『ウキャキャキャ!』
――ドサッ!
「ウグッ!」
赫猿魔によって、1人の竜人が地面に投げ出される。受け身を取ることすらできず、背中を強打した衝撃に苦悶の声が漏れた。
「応!」
「無極?
いや、他のみんなも……。
捕まってしまったのか?」
痛む体を起こした竜人は、周囲の惨状に息を呑む。そこには、太い鉄格子で作られた巨大な『白銀の檻』が設置されており、多くの仲間たちが閉じ込められていた。その中には、竜人族の次代を担う天翔や空辰の姿すらある。
『ヨテル・コルバノット。
《いいぞ、贄は多ければ多いほど良い》』
耳慣れない言語。赫猿魔たちの群れを割り、1匹の老猿が姿を現した。
長い白髭を蓄え、手には錫杖。毛深い老人のような風貌だが、その全身から放たれる禍々しい気配は、明らかに只者ではない。迷宮主ではないが、相応の実力を持つ中ボス級の個体だ。
『レフ・ベラグレーハ・プニーマ。
《ほれ、自分の足で入らんか、バカ者》』
「ウッ……(体が、勝手に!)」
老猿が錫杖を振るった瞬間、見えない糸に操られるように、竜人の足が意思を無視して動き出す。
白銀の鉄格子が、体の輪郭に合わせてグニャリと粘土のように歪み、竜人が中に入ると同時に硬質な音を立てて元通りに塞がった。
「大丈夫か?」
「あぁ、問題ない。それよりも、この状況は一体なんなんだ?こんなこと、過去に一度もなかったぞ」
「それは――」
檻の中、沈痛な面持ちの戦士たちの視線が、一斉に空辰へと集まる。
「……全部、俺のせいです」
空辰が、申し訳なさそうに身を小さくした。
「……つまり、お前が封印されていた謎の魔物を解き放ってしまったせいで、この異常事態が起こったというのか」
「……」
空辰は何も言えず、ただ俯く。
「不慮の事故とはいえ、仲間である戦士たちを、そして我らが守るべき村の女子供を危機に晒した罪は軽くない。お前にはきっと罰が下されるだろう。当然、その場にいて止められなかった天翔もだ」
「はい、心得ております」
天翔もまた、言い訳をすることなく深々と頭を下げた。その潔さに、最年長の戦士は一つ嘆息し、話題を変える。
「まぁ、だが、その前にこの状況をどうにかしないとな。空辰が解いた魔物は、あの白銀の老猿なのか?」
「いえ、別の魔物です。そいつは、金色の体毛に覆われた小柄な猿で、全身からすさまじい闘気を放っていました」
「……つまり、あの老猿の他にもまだ強敵が残っているのか。これはかなり厳しい状況だな」
重苦しい沈黙が檻の中を支配する。ここに捕らえられているのは、22名の戦士たち。里の戦力の一部とはいえ、これだけの人数が一度に無力化されたのだ。事態は深刻だった。
と、その時。
『インラオ、ハザルティ。
《銀老、帰ったぞ》』
空気が、張り詰めた。現れたのは、黄金の毛並みを持つ小柄な猿。だが、その小さな体躯から噴き出す圧倒的な闘気は、先ほどの老猿すら霞むほどだ。
コイツこそが、この迷宮の王。
仙猿皇。
「あ、あいつだ!
あいつが、魔物たちの親玉だ!」
空辰が叫ぶ。
『アドニ・シャヴタ・マヘール。
《仙猿皇様、ずいぶんとお早いご帰還で》』
『ケン・ハマツァヴ・ヒシュタナ。
《あぁ、事情が変わったんだ》』
仙猿皇は退屈そうに鼻を鳴らすと、手に持っていた『球体』を無造作に放り投げた。
――コロコロコロ。
乾いた音を立てて、それは檻の目前まで転がってくる。霧で薄れた陽光の下、さらけ出された『それ』を見て、竜人たちの時が止まった。
見慣れた傷だらけの頭部。
戦士長だ。
だが、その頭蓋の上半分は綺麗になくなっており、中にあるはずの脳髄は――すべて食べ尽くされていた。
「そんな……戦士長が……」
絶望が、伝染する。現・里最強の男のあまりに呆気ない末路に、戦士たちの顔から血の気が引いていく。
仙猿皇が、ニヤリと笑いながら檻に近づいてくる。
『あ、あ゛〜、よし。
お前ら、朗報だ』
先ほどまで意味の分からない言語を話していた怪物が、突如として流暢な人語を話し始めた。その知性の高さが、逆に底知れぬ恐怖を煽る。
『お前らが生き残る可能性が2つできた。1つは、お前らの仲間が女を代わりに差し出す場合だ。女1人につき、2人解放してやる。今ここにいるのが18……いや、4人増えてんな。つまり、11人の女を差し出すだけで、お前たち全員が解放されることになる』
下卑た提案に、戦士たちが殺気立つ。
だが、仙猿皇は意に介さず続ける。
『もう1つは、俺と同郷の『人間』が、時間内に試練を打ち破り、さらに俺と戦って勝った場合だ。まぁ、こっちの可能性はゼロだから期待すんな』
「……ニンゲン?」
人間。
最近、この世界に突然現れた謎の種族。
今回の騒動と彼らはどう関係しているのか?
同郷という言葉の意味は?
敵なのか、味方なのか。
情報はあまりに少なく、混乱だけが深まる。
「お前たち、自死する覚悟はしておけよ」
最年長の戦士が、押し殺した声で告げる。
「人質として仲間を危険に晒すのは戦士失格だ。もしもの場合は、自ら命を断ち、我々は祖霊の元へ行く」
竜人族の価値観において、戦士の命を天秤にかけて女を差し出すなどあり得ない。だからといって、得体の知れない『人間』という不確定要素に縋ることもまた、現実的ではなかった。自分たちが生き残る道は、自力での脱出か、あるいは――奇跡を信じるしかない。
(死ぬのは怖くない。
だが、最後に家族に会いたかったな)
天翔は静かに目を閉じる。脳裏には、厳しくも優しい両親と、愛らしい妹の笑顔が浮かんでいた。
そして、2時間が経過した。
『もうすぐ、日の入りだ。
期限には間に合わなかったようだな。
いや、あの人間、もう死んでるか?』
仙猿皇がつまらなそうに欠伸をする。
『まぁ、いい。
おい、野郎共、薪を持ってこい!』
あと30分ほどで日は沈む。
人質交換の使者も、例の人間も現れる気配はない。
予定通り、まずは捕らえた獲物を調理し、腹を満たしてから次の獲物(女)を狩りに行くつもりだ。
号令と共に、赫猿魔たちが大量の薪を運び込み、檻を囲むように積み上げていく。弱火でじっくりと炙り殺すための配置だ。
『少し早いが、まぁ誤差の範囲だ。
銀老、火をつけろ』
『ムバン。
《は、承知しました》』
白銀の老猿がシャンと杖を鳴らす。
刹那、積まれた薪が一斉に発火した。
ゴォォォッ!
爆ぜる炎。立ち込める黒煙。白銀の檻は瞬く間に熱を帯び、生気を奪っていく。
「クソッ、ここまでか!」
肌を焼く熱波に耐えかね、誰もが死を覚悟した。
その時、
「――ハイドロ・ウェーブ!」
凛とした声が響き渡る。
――ザザザザザァァァァ!
次の瞬間、視界の全てが青に染まった。突如として出現した巨大な津波が、燃え盛る薪も、周囲で食事にありつけるのを待っていた赫猿魔たちも、全てを飲み込み押し流す。
仙猿皇と銀老は瞬時に反応し、高台へと退避した。一方で、檻の中の竜人たちに逃げ場はない。灼熱地獄から一転、今度は逃げ場のない水流が彼らを襲う。
「ぶく、ごぼっ!?」
檻の中で荒れ狂う水流に翻弄され、竜人たちは呼吸すらできずにもがき苦しむ。やがて、水が嘘のように引いていく。
「ぷはぁッ!
し、死ぬかと思った!
なんだ今のは!?」
竜人たちは檻の中で折り重なり、口から水を吐き出す。焼死を免れたと思ったら、今度は溺死させられるところだった。
「ルナリアさん、さすがにやりすぎ」
「あ、ごめんなさい。
火を消しつつ、敵を一掃しようと思って」
ツッコミを入れる男の声と、能天気な少女の声。
水浸しになった地面を、一組の男女が歩いてくる。
竜人たちは目を疑った。1人は、長く尖った耳を持つ美しいエルフの少女。そしてもう1人は、この世界に最近現れたという――人間。
男は高台に立つ黄金の猿を見据えた。
「ギリ間に合ったな。
よし、殺ろうか」
そう言って、試練として相対した、金剛力士像を彷彿とさせる2匹の大猿の生首を放り投げた。
「あんま言いたくないけど、コイツら弱すぎだ。
お前はきっと、強いよな?」
『いいな、オマエ。ブチ殺しがいがある』




