第42話 人語を話す『迷宮主』
煙が晴れ、現れたのは一匹の猿だった。
黄金の体毛に包まれた、小柄な猿。
だが、その身から溢れ出る魔力と闘気は、湧いて出てくる赫猿魔たちとは次元が違う。
『ハハ・キマアト。
ハシャヴティ・バサル・ラフ。
《キャキャ、惜しかったな。
女の柔らかい肉が食べられると思ったのに》』
迷宮主は楽しそうに手を叩き、聞き取れない言語で嘲笑う。言葉は分からずとも、その瞳に宿る嗜虐性は伝わってきた。
「お前、お兄ちゃんの居場所知ってるネ!
どこにやった!」
蘭鳳が叫ぶ。
その悲痛な問いかけに対し、迷宮主は頭をポリポリと掻いた。そして、己の喉元に手を当て、何かを調整するように唸る。
『あー、あー……これで伝わるか?』
迷宮主が、突然、流暢な人の言葉を話し出した。
(シャベッタァァァァァァァァァァッ!)
脳内で、某ハッピーセットのCMが再生される。
まさか、魔物が人の言葉を操るとは。
魔王以来の出来事である。
『お前らの仲間を18人ほど捕まえている。
全員、肉の硬い不味そうな男だ』
迷宮主は冷淡に続ける。
『俺は寛大だからな。
その18人を、若い女9人と交換してやる。
さぁ、はやく女を用意しろ』
迷宮主が提案したのは一方的な人質交換だった。
男18人と、女9人。
たしかに、頭数だけで見ればこちらが倍の人間を取り返せる計算になる。寛大といえば、寛大だ。
だが――、
「そんな提案、呑めるわけがないだろう!」
後ろに控えていた竜人の男が、即座に吠えた。
当然だ。戦士とは、弱き者たちを守るために剣を振るう者。女を差し出して自分たちが助かろうなど、彼らの誇りが許すはずがない。その提案は、戦士たちに対する最大の侮辱に他ならなかった。
「私のお兄ちゃんは無事か!
生きてるか!」
緊迫する空気の中、今度は蘭鳳が叫ぶ。
迷宮主が天翔の姿に化けていたということは、何らかの接点があったに違いない。こいつは、天翔の無事を知っているはずだ。
『さぁ、どうだったかな〜?
心配なら、お前が自分の身を差し出して――』
「――お前が、迷宮主であってるよな?」
(いやらしい笑みを浮かべてるところ申し訳ない)
俺は迷宮主の言葉を遮り、単刀直入に問う。
『あ?……そういえばお前、さっきはよく俺の正体に気がついたな。褒めてやるよ』
迷宮主は口の端を歪め、ニヤリと笑った。
『だから、褒美として質問にも答えてやる。
答えは『正解』だ。
俺の名前は――』
「じゃ、お前を倒せば全部解決するな」
――シュッ!
言うが早いか、俺は地を蹴っていた。
迷宮主と分かれば、これ以上の会話は不要。
自己紹介の途中だろうが関係ない。
俺の剣が、奴の首へと迫る。
――ボンッ!
しかし、剣が肉を断つ感触はなかった。刃が触れた瞬間、迷宮主の体は再び煙となって霧散する。
『おい、俺いま、名乗ってたよな?』
背後から声がした。振り返ると、迷宮主はいつの間にか少し離れた岩場に座り込んでいた。
『なんでいきなり攻撃してくるんだよ。
お前、頭おかしすぎるだろ』
心底呆れたように、迷宮主が肩をすくめる。どうやら俺の戦闘狂っぷりは、魔物相手でも引かれるレベルらしい。
なんか、照れるな。
「こちとら、早くお前と戦いたくてウズウズしてるんだ。オラ、わくわくすっぞ」
俺は剣を構え直し、挑発的に笑い返す。
『あぁ、なるほど……挑戦者ってわけか』
迷宮主の瞳に、明確な殺意が宿る。
『いいぜ、戦ってやっても。
ただし――』
――パァァァァァァァァン!
耳をつんざくような、強烈な一拍手。直後、空から二つの巨大な影が降り注ぎ、轟音と共に着地した。
ズズズンッ……!
舞い上がる土煙の中から現れたのは、金剛力士像を彷彿とさせる、筋骨隆々の巨大な猿が2体。
『いきなり頭は取れねぇだろ。
そいつらに勝ったら、相手してやるよ』
迷宮主は背を向ける。
『期限は日の入り。
それまで、冥公山の社にて待つ。
期限までに、お前が来ないか、もしくは女を用意しなかったら、人質は全員食い殺す』
「おい、逃げるのか?」
『勘違いするな』
足を止め、迷宮主は肩越しに俺たちを振り返った。その顔には、圧倒的な強者の余裕が漂っていた。
『俺は『仙猿皇』。
太古の昔、始皇帝の時代に名を轟かせた大仙人だ。
お前、あっちの世界の住人だろ?
聞いたことねぇか、俺の名前?』
(あっちの世界って――え、もしかして?)
始皇帝、仙人、あっちの世界。
明らかに、こいつは元の世界の――。
「その名前は聞いたことないが。
……お前、もしかして人間なのか?」
そう問いかけると、迷宮主はニヤリと笑う。
『俺に勝ったら教えてやるよ』
それだけを言い残し、奴は霞のようにその場から消え去った。
(――人間、なのか?)
俺は剣を握る手に力を込めながら、残された言葉を反芻する。ただのモンスターではない。何か知ってはいけない、世界の根幹に関わる秘密に触れてしまったような、そんな嫌な予感が背筋を走る。
だが、
「ふぅ、まぁ、まずは目の前の敵を倒すか」
俺は戦闘狂。
難しい話は都合よく考えないことにした。
後に残った金剛力士みたいな猿2匹に、ナイト=ペインの鋒を向ける。
「お前ら、せめて『お通し』くらいには俺を楽しませてくれよ」




