第35話 喜劇と『悲劇』・前編
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【☆1ダンジョン『悲像神殿』】
――ゴゴゴゴゴ。
何か重たいものを引きずるような音が、
暗い神殿の奥深くから聞こえてくる。
いったい、この奥に何が待ち受けているのか。
好奇心が背中を押すだろうが、
汝、ここが迷宮であることを忘れること勿れ。
暗闇の中、
人の形を模した石像が並び立っている。
彼らの表情は激しく歪み、
哀しみに沈み、
苦悶に満ち、
絶望を刻みこんでいた。
汝は一通り見渡したあと、
石像たちから目を逸らし、
奥へ奥へと進み続けるだろう。
石像の瞳が、
汝の背中をじっと見つめている事も知らずに。
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【ランキング18位:クラウス=ヘルゲン】
リンク:
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【クラ爺の異世界冒険記】爺、中ボスと戦う
視聴者:182,912 高評価:46.2万 低評価:512
そこは、古代ギリシャの神殿を想起させる荘厳な空間だった。
天を衝くような巨大な円柱。壁面には、火山灰に埋もれた『ポンペイ』の遺跡を思わせる、古き時代の栄華が描かれている。
『ハガアヴァー・マフシハー・カヴォド。
《傲慢は栄光に影を落とす》』
『シムハー・ベアナヴァー・トーヴァー。
《喜びは謙虚に嗜むが最良》』
『ペラフ・アディン・ブリ・エメト・ノーベル。
《花は繊細、真心込めねば、すぐに凋落す》』
――ウフフフフフフ!
――アハハハハハハ!
――オホホホホホホ!
部屋の中央に鎮座する三体の女神像が、挑戦者たちを見下して嘲笑う。
彼女たちは大理石の彫像であるにもかかわらず、その裸体は不気味なほどに肉肉しく、魅惑的だった。
どのような名匠が手掛けても、これほど生々しい質感は出せないだろう。美しく、それ故に、人智を超えた恐ろしさを孕んでいる。
「4体3か。
こっちの方が数は多いが、相手は中ボス。
どうする、じいちゃん?」
パーティーメンバーの青年、フリッツが杖を構えながら問う。その隣では、彼の恋人であるマリーも緊張した面持ちで杖を握りしめていた。
「敵が強かろうと、ワシらはいつも通りに戦う」
穏やかな、しかし芯のある声が響く。
「ワシと婆さんで1体ずつ相手するから、お主らは2人で1体を相手してくれ。
さぁ、婆さんや、いくぞい」
ローブを身にまとった、長い白鬚の老人。
その姿は、某ダンブルド◯先生を彷彿とさせる。
クラウス=ヘルゲン。
戦後間もない混沌としたドイツに生を受け、激動の時代を生き抜いてきた御年78歳の魔法使いだ。
「ドラゴン・フレイム」
クラウスは初手から、自身の持つ最大火力のスキルを解き放った。
手加減はしない。早く自分の敵を倒して、婆さんや孫たちの加勢に行かねばならないからだ。
準備は万全。携帯マナバーの上位アイテム、『マナドリX』も潤沢に買い込んである。魔力を惜しむ必要はない。
轟音と共に、
灼熱の炎竜が女神像へと襲いかかった。
3時間後。
クラウスたちは無事に中ボスを討伐し、迷宮の外へ脱出していた。
ひとまず、安全である。
「せっかく中ボスを倒したのに。
世間は『佐藤太一』一色だもんなぁ。
あーあ、おもしろくないなー」
青年フリッツは、スマホでエゴサーチをしながら愚痴をこぼした。
昨日、佐藤太一なる日本人が☆1ダンジョンを単独攻略した結果、世間の注目は完全にそちらへ奪われてしまっていた。
どれだけスクロールしても、自分たちの功績は話題に上がっていない。承認欲求盛りの若者にとって、それは少しばかり堪える現実だった。
だが、
隣を歩くマリーが、彼の背中に優しく触れる。
「そんなことないわ。
今日の視聴者数、これまでで1番多かったもの。
それに、登録者も100人以上増えたのよ?
私たち、ちゃんと成長しているわ」
「……たしかに、マリーの言う通りだな。
よし、この調子でラスボスも倒すぞ!」
「ええ、頑張りましょう」
若い男女が、仲睦まじく笑い合う。
(まるで、若い頃のワシらにそっくりじゃな)
そんな2人の様子を、
クラウスは目を細めて眺めていた。
異世界転移前、
クラウスは貴金属細工の親方として、妻と2人で小さな商店を営んでいた。
彼らに実の子供はいない。
いや、できなかったと言うのが正しいだろう。
夫か妻、あるいは二人の相性が原因だったのか。当時は高度な不妊治療もなく、為す術もなかったのだ。
彼ら夫婦にとって、子供のいない家はあまりにも静かすぎた。
そのことで喧嘩をすることはなかったが、二人とも心のどこかに埋まらない空洞を抱えて生きてきた。
だが、そんな彼らにある日、転機が訪れた。
『全人類総異世界転移』である。
彼ら夫婦は偶然にも、転移特典で強力なスキルを手に入れ、人類の未来を背負う上位ランカーの一員となった。
クラウスは『総合ランキング18位』。
妻のヨハンナは『総合ランキング129位』。
強者となった2人は、異世界で無事に再会を果たす。そして更に幸運なことに――孫と孫娘ができた。
たまたま知り合った同郷の若い男女。
フリッツとマリー。
最初はただのパーティーメンバーだったが、死線を共に潜り抜けるうち、いつしか本当の家族のような絆で結ばれていた。
まるで、
夢にまで見た孫と孫娘ができた気分だった。
(しかも今日は、とても特別な日。
フリッツがマリーに婚約を申し込む日じゃ)
ダンジョンの中ボスを倒したら、結婚を申し込む。
マリーに内緒で、3人は準備を進めてきた。
当然、彼らの婚約指輪は、元マイスターであるクラウスが作った。
「プロポーズ、成功するといいですね」
すべてを知っている妻が、隣でそっと囁く。
「うまく行く、大丈夫じゃ」
クラウスはこれ以上ないほどの幸福を感じていた。
ちょうど、その時だった。
「クラウスさん、
中ボス討伐おめでとうございます」
聞き覚えのある男の声がして、数人の集団が姿を現した。数日前に町で声をかけてきた、自分たちのファンを名乗る男たちだ。
中ボスの討伐を知っているということは、今の今まで配信を見てくれていたのだろう。
先頭に立つ男の名はたしか――。
「おぬしはたしか、デュークじゃったか?」
30代前後の、イギリス人の男。
整えられた顎髭に、ロマンスグレーが混じり始めた髪。渋さと知性を感じさせる、紳士的な風貌をしている。
「おお、覚えていてくれたんですか。
とても嬉しいです」
「おぬしらは、ここで何をしているんじゃ?」
「そんなの決まっているじゃないですか。
わたしたちはアナタ方のファンですよ。
誰よりも最初にお祝いしたいと、
ここで待っていたんです」
彼は人懐っこい笑みを浮かべて、両手を広げた。
「本当か、ありがとう!」
フリッツが顔をほころばせる。
見ず知らずの他人が、こうして自分たちを応援し、祝福してくれる。その事実が、若者の承認欲求をこの上なく満たしてくれた。
「よかったじゃない、フリッツ。
ちゃんと見てくれている人がいて」
ボーイフレンドの幸せそうな顔を見て、マリーも嬉しそうに微笑む。
警戒心など、微塵も抱いていなかった。ここはダンジョンの外であり、相手は自分たちを慕うファンなのだから。
「今日の配信は本当に素晴らしかったです。
感動しました。
ぜひ、私たちと握手していただけませんか?」
デュークとその仲間たちが、歩み寄ってくる。
「握手くらい、いくらでもしますよ!」
フリッツが快諾し、手を差し出す。
デュークは満面の笑みで、クラウスの目の前に立った。
「おめでとうございます、クラウスさん」
「あぁ、ありがとう」
とても礼儀正しい男だ。
クラウスはデュークに好感を抱きながら、握手をするために右手を伸ばした。
――ズブリ。
「……あ」
握手の感触はなかった。
代わりに、胸の奥で焼けるような激痛が弾ける。
ゆっくりと、視線を落とす。
デュークの手には刃渡り15センチほどの短剣が握られており、それがクラウスの胸に深々と埋まっていた。
思考が追いつかない。
状況が理解できない。
激痛に耐えきれず、
クラウスはその場に崩れ落ちた。
直後、
――ドサッ。
隣で、何かが倒れる音がする。
「ババアのくせに。
けっこう勢いよく吹き出すじゃねぇか」
その音の正体は、
「……ク……ラウス」
デュークの仲間に喉を切り裂かれた、
最愛の妻だった。
「……あ」
地面に倒れた妻と目が合った。
彼女は助けを求めて、震える手を伸ばしてくる。
裂けた喉からは、ヒューヒューという空気の漏れる音と共に、真っ赤な鮮血がドクンドクンと吹き出していた。
「あ……あぁぁ、ヨハンナぁ」
クラウスは妻の名を呼び、必死に手を伸ばす。
彼女の手を、握らなければ。
だが、
二人の指先が、触れ合おうとしたその瞬間。
「やっぱ、喉を切るのが早いか」
――ドンッ!
デュークは、必死に手を伸ばすクラウスを蹴り倒し、胸に刺さったナイフを抜く。
そしてそのまま、
――シュッ!
躊躇なく、クラウスの喉を裂いた。
「あーあ、返り血で汚れちまったよ。
帰ったら新しい服を買わないといけないな」
それが、クラウスが聞いた最期の言葉だった。
クラウス=ヘルゲン。
ヨハンナ=ヘルゲン。
両名の名前が、
総合ランキングからほぼ同時に消え去った。
「――え、なんで」
「騒ぐな、動くな、抵抗するな」
一瞬の出来事に、フリッツとマリーは悲鳴を上げることすらできなかった。
そもそも、『殺人』は神によって禁止されているはずなのに。この男は平然とそれをやってのけた。
呆然と立ち尽くす二人の首筋に、冷たい刃の切っ先が押し当てられる。デュークの仲間たちが、手際よく背後に回り込んでいたのだ。
「お前たちが、パーティーの金庫番だよな?」
ナイフについた老人の血を袖で拭いながら、デュークは事務的な口調で問いかける。
フリッツとマリーは、恐怖で声が出ない。ガチガチと歯を鳴らして震えることしかできなかった。
まぁ、いつものことだ。
「とりあえず、アジトに帰ろうか」




