ウルリク・ハグバリ
『お前は一族の恥だ』
呪いのように耳にこびりついている言葉。長い年月が経った今も、夢に出る。
俺は〝ウルリク・ハグバリ〟という新たな名前を得ても、街の住人に愛されていても、この邪悪な言葉がいつも支配する。
オーク族である俺は、オークには弱々しい体と、オークには不必要な強力な魔力を持って生まれた。
〝肉体の力〟を強さとするオークにとって、魔法というものは弱いものの証。頭の足りない彼らが俺を追い出すのは時間の問題だった。
同年代から受ける訓練という名の嫌がらせに耐えかねた俺は、身一つで集落を飛び出した。
幼い俺は泊まる場所のことも、金のことも、食べることすらも考えていなかった。
それくらいには、ただただ辛かった。
しかし、神は俺を見捨てていなかった。ふらふらと彷徨っていれば、旅行中だという獣人に出くわした。
小さなオークが一人でいたことに心配してくれた彼は、『自分達の国に来るといい』と提案してくれた。
はじめは、俺にとって獣人の国である火山地帯は厳しい環境だった。
俺ですら厳しいのだから、毛皮を纏っている獣人にとってはもっと大変だろう。下手をすれば燃えてしまうかもしれないのだ。
聞けば、それぞれが魔力の制御を以て、自分を守っているのだという。
俺は早速、コツを伝授してもらった。
獣人の集落は思いの外魔法に明るく、俺は徐々にその使い方を学んでいった。
「ウルリク・ハグバリ」
「……え?」
「君さえ良ければ、この名を名乗ると良い」
「ですが、それは……」
それは――〝ハグバリ〟は、王家に受け継がれる姓だった。
俺はボリバルという嫌いな名前を捨てられると聞いて謁見したが、蓋を開けてみればそこには愛しかなかった。
この小さな獣人の街の長は、他種族の俺を家族にしてくれた。
この名前を得るまで様々な経験をしてきた。辛いことも悲しいことも、たくさん見てきた。でもそのどれでも、俺は涙を我慢した。
そのはずだったのに、ここで初めて目頭が熱くなった。
ウルリクという名前をもらってからは、より一層励んだ。
今まで良くしてくれている住民に恩返しをするために、魔力を研ぎ澄まし、魔法を鍛えた。
オーク族が俺にとった行動を反面教師に、俺はみなに優しく振る舞った。
王家の名に恥じぬように、素晴らしい住民になるために。
数年もすれば、街一番の魔法使いになった。
街のために外へ赴き、狩りをする時間が増えた。風魔法が得意な俺は、長距離の移動が苦痛ではないため、遠くまでの狩りも可能となった。
ドラゴンの気分によって降り注ぐ火山灰。それらから街を守るために、防護壁の魔法を張ることもあった。
防護壁があれば、展開されている間は魔力で体を保護しなくていい。
そうすれば住民は少しの間でも、魔力の管理で気を張り詰めておく必要がなくなった。ゆっくりした時間を送れると、誰もが感謝を述べてくれた。
それが嬉しくて、俺はもっと強くなろうと奮闘した。
ある時だった。
王から、長期の狩りの命令を受けた。話を聞いていけば、数日で完了する内容だとは思えなかった。
早くて二週間。下手をすればひと月。最悪の場合だと数ヶ月もかかるかもしれない。
あまりにも長過ぎる命令は、俺を困惑させた。
「俺が離れていては、街に何かあった場合の対処が難しくなります」
「問題ない。お前ほどではなくとも、精鋭の兵士はおる」
「ですが……」
「……、…………火山が最近活発なのだ。その対策のために、頼んだ素材が要る」
火山の活動は、獣人の勘で当てていた。
俺もはじめの頃は、それが理解できなかった。野生の勘というべきなのか、住んでいる慣れと言うべきなのか。
保護された当初はそれが分からず、外で遊んでいるときに『危ないから中に入りなさい!』と叱られたことがある。
気付けば周りには誰もおらず、屋内へと避難していた。
言われた通りに適当な家屋に入ると、数分後には幾つか溶岩が飛んできた。今日はどうにも、ドラゴン様のご機嫌が悪いようだった。
『どうしてわかったの』と問えば、『住んでりゃ分かるよ』と曖昧な返事をもらった。
だがそれも昔の話で、俺もここに住んで数年は経つ。
獣人ほどの直感はないものの、魔力の流れや風の具合でなんとなく察することが出来た。
つまるところ俺が言いたいのは、王が嘘をついているということだった。
「必要なことなのですね?」
「……」
王は黙ったまま、小さく首を縦に振る。
言えない事情があって、俺を遠くにやらざるを得ないのだ。
正直に言えば、このときの判断を今でも後悔している。もういい年だというのに、子どものようにわがままを言って無理にでも残るべきだったのだ。
俺が王に救われたと知ったのは、長期の狩りから戻ってきた時だった。
人っ子一人いない街。子供の笑い声も、それを鑑賞する親も、賑わう商店も、なにもない。
愛されていた広場に残っていたのは、無惨に積み重なる死体。
肉は動物に啄まれ、魔力で保護もされていない体は劣悪な環境によって劣化し、跡形もない。
王は俺を逃がしたのだ。ここに誰かが来ることを、そして命を奪うことを知っていた。
それは俺の得ていない、野生の勘というやつなのだろうか。
せっかく手に入れた故郷を奪われ、怒りを覚えた。だがそれ以上に、喪失感が強かった。
数日もの間、俺はぼんやりとしながら街を行く。何も考えられない。ふらふらと街を歩き、思い出と現実を重ねる。
「……――ぎ……わ……」
ある日、ふと耳にした。
まさか、生存者か。そう思った俺は、広場へ出ようとした。
しかしそこへ出なかったのは、広場に立っていた女が人間だったから。
住民からは、人間族には近付くなとよく言われた。人間は亜人を嫌悪していて、問答無用で攻撃をしてくると。
人間の方が魔法や武器で有利になる事が多いため、見つけたらそっと逃げるように言われていた。
――家族達を殺したのは、恐らく人間だろう。火山の影響でこんな死に方をするはずがない。
間違いなく知能を持った存在にされた殺され方だった。
じゃあこの女は、自分が壊した場所に戻ってきたということか!
その瞬間、俺の中にめらめらと燃え上がる憎しみ。俺はこいつを殺してやろうと思った。
だがその女は、広場の死体の前に座り込むと、まるで謝罪をするかのように祈った。
他に誰かが見ている様子もなく、女は一人で祈り続けている。
俺の怒りは、少しずつ弱まっていった。
それから気配を消して、俺は女の尾行を開始した。
女は丁寧に街を見て回り、様々な場所を観察し、まるで何が起こったのかを調べているようだった。
……この虐殺をした当人なのであれば、調べて回るのは変じゃないか?
流石に国の重要書類を漁り始めたあたりから、俺は彼女に手を出した。
残虐な人間ではなくても、強盗の類かもしれないと思ったのだ。
俺はそのへんに転がっていた小石を手にして、風魔法を付与。そのまま軽く投げれば、矢のように素早く飛んでいく。
狩りでも訓練でも百発百中だった俺の投擲を、女はひょいと避けた。そしてすぐに遮蔽物の陰へと隠れたのだ。
「手厚い歓迎ね。どなたかしら」
凛とした女の声。妙に戦闘慣れした動き。
そして何よりも――ぎらぎらと照りつける太陽のようで、揺るぎない圧倒的な魔力。人を焼き切るような威力と、終わりが見えない膨大な量。
破壊的な魔力であると同時に、俺はどうしてだか、心が揺さぶられた。
女は急に遮蔽物から出てくると、全身に魔力を纏って歩みだした。
俺ははっとして、近づく女に警戒の射撃を食らわせる。小石を数度投げたが、女は避ける気配などなく。
纏った魔力を小石で砕いても、次の瞬間にはもう修復されている。
これは完全に彼女が、自分の魔力を知り尽くして、扱いに長けている証拠だった。
近付いてくる彼女。浴びせられる魔力がより強くなる。
このままでは勝てないかもしれない。俺を飲み込んで潰さんとするその魔力に気圧されつつも、間近で見てみたいという欲。
「もし、そこの方。あっ、えっと……その……」
先程の通るような声とは裏腹に、か細く、可憐な声だった。
敵意の類は感じられない。俺は居ても立っても居られず、壁から飛び出した。
女は突然固まる。それはそうだろう。壁の奥から現れたのが、オークなのだから。
女がオークを知っているかは不明だが、平均的なオークの体躯よりも小さいとは言え、二メートル前後ある。その身長差に驚いてしまうだろう。
女はもごもごと口籠り、はっきりと喋らない。『俺がオークだからか』などと何度か問い詰めれば、口から飛び出たのは驚きの言葉だった。
――まさか、この一瞬で。しかも魔力だけで惚れる女がいるか?
……俺も人のことは言えないか。
「ウルリク。ウルリク・ハグバリだ」
「ウルリク様。どうかよろしくお願いします」
金色の鋭い瞳が、まるで蜂蜜の飴玉のような輝きを帯びる。
ぎらつく太陽のように思えた魔力は、俺を包み込むように揺らいだ。
表情からも、瞳からも、態度からも――魔力からも。俺に対して愛おしいと言っている。
全身から発せられるその甘ったるい愛情は、俺を狂わせていくには十分だった。




