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守護者

 出来ればシュテル家のように、今のマリー・アンを保護する力のある繋がりが彼女にあったら良かったのだが仕方ない。

 それに、落胆する必要は無い。その伯父が商人なら、マリー・アンを秘密裏に国外へ連れ出すことができるかもしれないのだから。そう、船に乗って。


 不意に、潮の香りを思い出し、俺の心は暗く沈んだ。

 しかし、物思いに沈んでいる暇はない。


 問題がひとつある。それは俺が彼女の伯父を探している間マリー・アンが無事かどうかだ。彼女に消えてもらいたい王都のヤツらがこのまま諦めるとも思えない。俺を構って遊んでいるだけのヴァンフォーゲンが、そいつらに背っ突かれ本腰を入れてくれば簡単に捕まるだろう。


「ねぇ、旦那さま」

「ノック!」

「それどころじゃないですよ!」


 ミゲルが1枚のクシャクシャに丸まった紙を持って部屋に飛び込んできた。開いてテーブルに置くと両手で伸ばす。

 それはマリー・アンの手配書だった。


「これ、他人の空似なんてレベルじゃないですよね?」


 まさかこんなに速く手配書をかけられるとは思わなかった。

 影で葬ってしまいたい王族のお姫様が逃亡したのだから、もっと秘密裏に事を進めるものだと思っていたのだが。

 なるほど、書面には『投獄されていた貴族』ということになっている。本当のことを書く必要は無いということか。賞金もかなり高い、バウンティハンターの意欲をくすぐる金額だ。『生け捕りのみ』と言う条件にヴァンフォーゲンの悪意を感じる。


 かつての失敗が思い起こされ、俺は過去の痛みに顔をしかめた。


「旦那さまはマーガレットさんが好きなんだね」


 床に膝立ちになり、テーブルへ両肘をついて俺を見上げるミゲルが、嬉しそうでいてどこか寂しい笑みを向ける。


 沈黙が最も明確に真実を伝えていた。


「彼女、旦那さまのことを心から信頼してますよ」


 俺ではたいした助けになってやれない。それどころか巻き込んでしまう。

 俺にとって本当に大切なものほど、指をすり抜けていく。ならばいっそのこと、関わりを持たなければ不幸にならないのかも知れない。そう思い、自ら周りを締め出してきた。


「本当に好きなら助けてあげなくちゃ」


 助けたいと思う。だが、俺が助けになれるのか?

 あの時、もし一緒にいたのが俺でなかったら、彼女は助かっていたのではないか? そんな思いを抱え続けていた。


「旦那さま。マリー・アンはマーガレットじゃないよ」


 刹那ナイフを抜く。

 だが、俺がナイフを向けるより早く、ミゲルがこちらの喉元に短剣を這わせる。自分へ向けられようとしていたナイフを、いとも容易く俺の手から気取り上げた。


「お前は何者だ?」

「ダメダメ。旦那さまにバルハードを振り回されたら負けるけど、近距離なら俺の方が得意なんですよ」


 いつものからかうような口調のまま、信じられないような早業で急所を抑える。


「意地悪しないでくださいよ。旦那さまに悪さするつもりないんだから」

「人にナイフを突きつけておいて言える台詞か?」

「だって、こうしないと戦斧でバッサリでしょう? マリー・アン様以外には厳しいですもんね」


 ミゲルは困ったように顔を顰めて肩をすくめる。


「俺を殺るつもりが無いのなら、ナイフを引っ込めてもらえると有り難いんだが?」

「良いですよ。でも、俺をとっちめないって約束して下さい」

「分かった。手出しはしない」


 ミゲルは暫く俺の目を確かめるように見つめ、短剣を引いた。

 俺は椅子の背もたれにゆっくり背を預け、これ以上なにか仕掛けないことの意思表示として腕を組む。


「おっかないな~。そんなに睨まないで下さいよ」

「睨むなとは言われなかったんでね」

「根に持つな~。もう」


 そう感じるように仕向けているのか、それとも素なのか。ヤツからは殺気を感じない。ブツブツ文句を言いながらも、ミゲルは庭師では無い本当の職業を名乗った。


「改めて。初めまして、俺はミーガン・ドレステン。今まで通りミゲルって呼んでいいですよ。マリー・アン様の守護者です」

「誰から雇われている?」

「ん~。それは追おい教えますね。でも、味方なのは確かだよ」


 マリー・アンに資金を提供したり、身元の書類をすり替えたりしていたのはコイツだったらしい。マリー・アンが俺と接近したため、モダルに少しづつ近付いて庭師として屋敷に入り込んだそうな。


「だってさ~。独りぼっちのお姫様がようやく信頼できる人に会えたっていうのに。そいつが死刑執行人だよ! 監獄の犬だよ! あ、ごめんなさい。……調べないとまずいでしょう? 場合によっては消さなくちゃ! あ、ごめんなさい」


 腹が立つが理解はできる。


「それで、これからどうする?」

「プランは2つあるよ。ひとつは旦那さまが協力してくれる場合。もう一つは旦那さまを殺す場合」


 淡々と、世間話でもするように微笑を湛えたまま俺の暗殺を仄めかす。こいつもまた、俺と同じように人を切ってきたのだろう。


「マリー・アン様には可愛そうだけど、障害になるなら仕方が無いよね。でも、旦那さまさえその気になれば俺は全力でサポートするつもりだよ。脱獄も恋もね!」

「からかうな」

「からかって無いよ。本気ですよ。だから今すぐ返事が欲しいんです」


 深い闇を含んた瞳がボサボサの髪の隙間から、俺を値踏みするように見据える。微笑を含んでいながら、返答によっては微塵も容赦する気はないようだ。


「安全なところまでは送ってやるさ」

「そう来なくっちゃ」


 *


「ゾルバ」


 褪せて継だらけの粗末なワンピースを着て、青い目の少女が笑う。素足で大き過ぎる木靴を履いて、海岸に打ち上げられた魚や貝を拾っていた。


「たくさん拾えたから、今日はみんなお腹いっぱい食べられるね」


 ようやく肩まで伸びた金色の美しい髪が、波間で漂う光よりも眩しくなびきながら輝いている。こんなに美しいこの髪も、腰まで伸びた頃には根元から切られて売られてしまう。みんなが食べていくために。


 遠く沖を白い帆を光らせて大型の帆船が遠ざかって行く。


「ねぇ、ゾルバ。私大きくなったら船に乗るわ。船に乗る仕事について遠い国まで行くの。そしたらアンタも一緒に着いて来てくれる?」

「女は船に乗れねぇよ」

「商船なら大丈夫よ。こんな詰まらない小さな街ではなく、見たことも無い外の国へ行きたい」


 共に教会で育った血の繋がらない妹は、目を離せば背中から翼を生やし飛んでいってしまいそうな視線を、空と海を二分する水平線へ向け、海風に煽られてスカートの裾を膨らませた。


 こういう時、俺は置いて行かれそうな寂しさを感じて、夢を諦めさせるような言葉を吐いてしまう。本当は、おとぎ話のようなことを言う、彼女のことが好きだったのに。


「いつかきっと私達大人になるわ。そうしたら自由にどこへでも行けるのよ」

「そんな年まで待てない。俺、明日出て行くよ」


 海の色を吸い込んだような瞳が翳る。


「馬鹿ね。アンタみたいな子供が街に出たって仕事なんかあるもんですか」

「分かるもんか! あんなボロの教会にいたところで、餓死か病気になって大人になる前に死んじまうよ」


 毎日空腹を抱え、粗末な服に不衛生な部屋。

 雨漏りや隙間風に悩まされ、栄養失調からくる病に毎年人数が減っていく。それなのにまた新たに孤児が増えるのだ。だから、食べ物も服もいつも足りない。


「でも、屋根があるだけまだいいわ。食べられる物があるだけまだいいのよ」

「待っていたって何も変わらない。俺は嫌だよ」

「行っちゃうの? そしたら、私はどうするの?」


 午後の陽が海に帰ろうと傾き始め、二人の影が伸びて行く。

 夕日に引き伸ばされ、大人と変わらぬ大きさへ変わる影を見て何度羨ましいと思ったことか。こんなふうに一日で大人になれたなら、直ぐにでもこの娘と港へ行って船に乗れるのに。


「もう帰らなくちゃ。抜け出したのがバレちゃう」


 差し出された手に貝殻を連ねた腕輪がみえた。


 *


 少し眠っていたようだ。

 何か騒がしい。音はしないが人の気配が多い。素早く身なりを整え戦斧を手に取る。カーテンの隙間から外を窺っていると暖炉脇の隠し扉が開く。


「旦那さま。招いてもいないお客様が山ほど来てますよ!」

「刺客か? マリー・アンは?」

「ここにおります」


 通路の奥からお姫さまの顔が覗く。

 すっかり逃げる支度はされているらしい。


「モダル達は?」

「とっくに逃がしましたよ。旦那さま、こういう時のことを考えてましたね?」


 俺に万が一のことが起きた場合に備え、モダル達には暮らしていけるだけの財を既に渡していた。ミゲルはその事を言っているのだろう。


「気付かれるのが早かったですね」

「俺は元々監獄長にマークされているからな」


 窓ガラスの割られる音が響く。


「全く、暗殺するならもっと忍べば良いのに。仕事が雑なんだよ」


 ミゲルは俺を手招きして通路に引っ込んだ。

 俺は背後を警戒し、通路へ入ると扉を閉めた。


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