隠し通路とお姫さま
その後、ミゲルがマリー・アンを笑わせ続け、真面目な話ができなくなってしまった。まったく、うちは道化師を雇った覚えはないのだが。しかし、これで昼間の凄惨な出来事を彼女が忘れられるならいい。
もう遅い時間のため、マリー・アンはメルダが用意してくれた客室に通してもらった。
この後のことを思案しながら、俺が眠れずにひとり酒を飲んでいると、ドアからではないノックが響いた。それほど飲んだわけではないのだが。怪訝な顔で音のした方をうかがっていると、思いもよらない方法でマリー・アンがやって来た。暖炉脇の象嵌が開いてそこから出てきたのだ。
「こんばんは、ゾルバさん。驚かせてごめんなさい」
白い簡素なネグリジェを着た少女が入ってきた時、俺は幻覚を見たかと思った。この幽霊屋敷はこう言った隠し通路や隠し部屋が多い。ただ、使う必要がなかったので放ったらかしてある。
握っていたナイフをそっと元の位置に戻した。
さて、何から言えばいいのか。
どうやって通路の場所を知ったって事か?
それとも夜中に淑女が男の部屋を訪れるべきでない事か?
どっちもだ。だが、最初に言うべきことはこれだろう。
「何のようだ?」
「お話が途中になっていましたから」
「明日でも構わなかったんだが」
マリー・アンは項垂れて扉の前に立ち尽くしている。
ここに来た本当の理由を誤魔化すために、言い訳を探しているといった様子で。思えば色々なことがあった一日だ。彼女も眠れなかったのかもしれない。空いた椅子に座るよう促すと、ホッとした顔をしてそばへ来た。
「その通路はどうして知った?」
「……ミゲルさんが教えてくれました」
なるほど、よく蜘蛛の巣だらけで歩いていたのはこのせいか。知りたがりも大概にしろと一つ釘を指す必要が出てきたな。
たぶん彼女は俺に用などはなかったのだろう。ただ、眠れぬ夜を怯えて過ごすのが嫌だったに違いない。なら、眠れぬ者同士、話をしようじゃないか。
「そう言えば、話が途中だったな。どうやって馬車から逃げ出せた?」
「飛び降りたのです」
「なんて無茶な……」
一か八かの賭けだったのだろう。大人しそうに見えて大胆なところがあるお姫様だ。膝の上で華奢な拳を握り、真剣な顔で口を引き結んで『凄いでしょう?』と、どこか誇らしげだ。呆れたように驚く俺の反応に満足したらしい。青い瞳がきらきらと輝いた。それから、彼女が生まれて初めてしでかした冒険の続きを語り出す。
「積まれていた藁の上に飛び降りましたから、大丈夫でした。その後は無我夢中で。バラの花が咲いていた庭を見つけたのでそこに隠れることにしたのです。花を育てる家の方が乱暴者とは思えませんもの。人攫いにまた捕まりたくはありませんでしたけれど、誰も探しに来てはくれないようですし。暗くなったら監獄へ戻ってみようかと迷っていました。まさか、脱獄したと思われていたなんて……。ゾルバさんに会えたのは神様のお導きですわね」
色々と判断基準がおかしいような気もする。
その藁の山に何か紛れていたらどうなっていた? それに、バラの花を育てている庭の持ち主が、首切り役人だったという事実を、もう少し重く受け止めてほしいものだ。その上監獄に戻ろうと思ったなど……。だが、助かったのだから何も言うまい。彼女はよほど強運の持ち主なのだろう。
「そう言えば、これは本当の持ち主へ返しておいた方がいいな」
俺が隠しポケットから取り出しておいた匂い袋を、テーブルに置いて彼女の方へ押してよこした。しかし、彼女はそれを受け取ろうとはせずに、再び俺の方へ押しやった。
「私は疑われています。もし、これを持っているのが見つかればひとたまりもありません。ですから、もう少しゾルバさんが預かっていて貰えないでしょうか?」
「これを証拠に、俺がアンタを監獄へ突き出すかもしれないんだぞ?」
「貴方はそんなことはなさらないわ。そんな方なら私を家に匿ってくれたりはしないもの」
「どうだかね」
椅子に座るマリー・アンが寒そうに腕をさするので、椅子にかけてあったガウンを使うように言った。一度は辞退したが、風邪をひいても医者には見せられないと注意すると、少し恥ずかしげにしながら『ありがとうございます』と、素直に受けとる。
「お噂とはだいぶ違う人なのですね」
「大して変わらない」
「いいえ、全然ちがいます」
伏せ目がちな顔を上げ、笑みを浮かべる。暖かな視線が俺を捉えた。その信頼に満ちた真っ直ぐな視線が眩しすぎて目をそらす。
「この家の方たちとお話している時のゾルバさんが、きっと本当のゾルバさんなのです」
苦笑いを浮かべ、認めようとしない俺に、更にくすぐったくなるような言葉を並べる。
「それは、外でお見かけするゾルバさんは怖く見えますけど。お仕事だからですわ。本当は優しくて、怒ったり笑ったり出来る心をお持ちなのです」
もし仮にこの話を街の人間にでもしたら、間違いなくこのお姫様は気が触れたと思われるだろう。それ程に俺の悪名は高い。事実と噂に尾ひれがついて今やすっかり化物扱いだ。
呑まずには聞いていられそうもない言葉に耐えかね、テーブルからグラスを取ろうとする。だが、先程まであったのに無い!?
それもその筈で、グラスは既にお姫様の手の中にあった。
俺を精一杯褒めて恥ずかしくなったのだろう。
勢いで中身を空けている。
「それはブランデーだぞ」
時すでに遅し、グラスは空になっていた。
お姫様からすれば、喉を焼くような強い酒に目を瞑って固まっている。ようやく立ち直り返事をする。
「ご心配無く。お酒なら少し嗜んだことが……」
喋りながら顔が首まで赤く染まっていく。
俺が水差しから注いだ水を差し出すのを、申し訳なさそうに受け取りながら無理に微笑む。
「大丈夫です。でも……少し気分が。今日はこれで失礼しますわ」
見る間に目つきが怪しくなる。
どうしたものかと俺が見守るなか、席を立ち、暖炉脇の隠し扉から退散しようと向かうのだが既に足がおぼつかない。フラフラと隠し扉の前までたどり着くが、とうとう座り込んだまま動かなくなった。
「おい」
「はぁ、ボーッとしてしまって」
声をかけるが返事の要領を得ない。
「マリー・アン」
「まぁ、やっと名前を……呼んでくださいま……」
仕方なく、ぐにゃりと崩れるお姫さまを抱え上げた。
このまま客間へ抱えて行くしかないだろう。抱えられたお姫様は栗色の滝のような髪を垂らし、この世に憂いなど存在しないような穏やかな顔で寝息をたてている。とても美しいが、何より素晴らしいのは生きている温かみがあることだ。
起きていれはコロコロと表情を変え、お喋りなマリー・アンもこうして黙っていると王族のお姫様なのだと思う。かなりおてんばをしたといっていたが、傷を作らなくて何よりだ。
客間に着きベッドに下ろそうとするが、しっかりとシャツを掴まれてしまった。しばらく待つが放しそうもない。更に腕を抱え込まれ、どうしたものかとため息を漏らす。
*
朝食をとっていると、気まずそうな顔をしたマリー・アンが部屋に入ってきた。モダルが彼女の為に俺の近くに席を用意すると、恐る恐るといった様子で腰を下ろした。メルダが朝食を用意する間、言いにくそうに口を開いた。
「昨日は申し訳ありませんでした」
「気にするな」
「お忘れ物をどうしましょうか? お持ちします?」
昨夜、しっかりと腕を掴まれ、迷った俺はシャツを置き去りにする事にした。後で取りに行こうと思っていたのだが。
「そのまま置いておけ。メルダがランドリーへ回してくれる」
ひそひそと会話をするが、じっと耳を傾けていたミゲルには聞こえたようだ。
「わぁ! それってどういう状況!?」
「ミゲルッ! 黙って食べなさい!」
モダルに叱られ黙る。だが、黙っているのにこれ程うるさい奴がいるだろうか? 赤くなって頬を抑え、自己嫌悪に陥っているマリー・アンと俺を見比べ、自分の目論見が功を奏したと嬉しそうにしている。
「ミゲル。お前が考えているようなことは無いぞ。それから、お前がマリー・アン嬢に教えた類の道を使うのはよせ。いいな?」
「分かってます。分かってますよ、旦那さま!」
お姫様の名誉のためにハッキリと言ったつもりなのだが。
ちゃんと理解したかどうか。後でもう少し分かるように言うべきだろうか?
しかし、今は奴を構っている場合ではないので、俺は早々に席を立ち、昨日マリー・アンを襲った輩の手がかりを探しに街へ向かった。




