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花の名前の逃亡者

 監獄の厩から黒馬を一頭引き出すと飛び乗った。

 普段、俺は馬を乗ることを許されてはいない。ガキだった頃、ここを逃げ出したことがあるからだ。だが今は、追跡の命令が出ているので止める者はいない。


 空には既に夜の帳が降りていて、通りは閑散としている。

 昼の店が戸を閉め眠りにつく傍ら、夜の店が開く。闇と光に切り取られた石畳に蹄鉄の音が響いた。


 教会へ戻ると、監獄から教会に続く通路へと降りる。

 古い地下水路を利用して作られた地下道はそれ程広くはない。人がひとり歩けるほどの歩道があり、その横に二~三人並べるくらいのスペースはあるのだが、堀が作られ未だに水が流れていた。

 教会へ通じる通りには厳つい鉄格子が嵌められており、鉄の扉にカギがかけられている。だが今は壊されており、とりあえず巻かれた鎖に、新たな錠がかけられていた。


 付き人のメグの話によると、先を歩いていた牢番が潜んでいた数人の男に刺殺され、その後ろを歩いていたマリー・アンが捕まったそうだ。メグは慌てて引き返し難を逃れた。逃げて正解だ。マリー・アンを助けようとすれば、メグも牢番と同じ運命を辿ったことだろう。


 細い通路の石畳に、おびただしい血痕が広がっていた。

 その痕から教会側へ向かって細い線が2本引かれている。小さなヒールの跡からそれが靴底によるものだと分かった。引きずられながらも、お姫様はしばらく抵抗したのかも知れない。


 教会の小僧の話では、馬車がスラムの方へ猛スピードで駆けて行ったそうだ。魔窟に潜み頃合いを見てマリー・アンを放し、こちらに始末をつけさせるつもりなのかもしれない。


 俺はスラムの入り組んだ通りを、猟犬のようにウロウロと痕跡を探し回りながら、考えても仕方ないことを頭の中から追い出そうと苦心していた。

 マリー・アンを攫った奴らを見つけたら、脱獄ではないことを立証できないだろうか? それが無理でも彼女を何処か遠くへ逃がすことは出来ないだろうか?

 しかし、それをすれば必ず俺は殺されるだろう。


 その後は?


 国王に死刑宣告された世間知らずのお姫様が、どこで生きていけるというのだろう?


 使い慣れた得物を取りに一旦屋敷へ戻る。

 荒っぽい連中のようだ。また、人数も一人や二人ではなさそうだ。多勢とやりあうなら戦斧の方がいい。

 教会の小僧の証言通りなら、奴らは馬車で移動しているようだ。王都から来たものなら何処かで借りたかもしれない。悪目立ちしない為にも盗みを働いたりはしないだろう。それに外からくる馬車は目立つから、わざわざその為に持って来るとも思えない。

 馬車を貸したところを探せば何かわかるだろう。


 厩へ馬をつなぎ重い足取りで庭を通り過ぎようとした時。モダル達に手入れをされ、徐々に咲き始めたバラの茂みが不自然に揺れた。立ち止まり、注意深く目を凝らしていると、消え入りそうなか細い声が聞こえた。


「……ゾルバさん?」


 血と泥にまみれ、かぎ裂きだらけの服を着た乱れ髪の少女がバラの茂みの影から顔を覗かせた。緊張で青ざめており、寒いのか震えている。


 不覚にも俺は神とやらに一瞬感謝した。

 が、次の瞬間口から出たのは怒りだった。


「執行人の屋敷に隠れる奴があるか!?」


 脱獄囚が最も避けなければならない場所。そこに隠れるなど、どうにかしている!


「貴方の家だとは知らなかったのです。たまたま隠れられそうだったのがここの庭で」


 溜息をつく俺に、マリー・アンはすまなそうに俯く。

 小声でのやりとりだったが、誰に聞き耳を立てられているかはわからない。俺は白っぽいドレスを着たお姫様が目立たないよう、外套に包むと姫抱きに抱え上げた。目まで覆うフードを被せられながら、マリー・アンは驚いてなにか言おうとした。


「黙ってろ。話は後で聞く」


 だが、あまり外にいるのは良くない。

 街は兵隊が巡回している。まさか俺の家に囚人が紛れ込むとは思わないだろうが。そう思えば、お姫様は以外にいい逃げ道を選択したのかもしれない。


「お帰りなさいませ。旦那さま?」


 俺が外套に包まれた何かを抱え、家に入ってきたのを見てモダルが目を丸くしている。それが若い女性だとわかると、空いた口が塞がらなくなった。


「すまないが説明は後だ。メルダに頼んでこの人を世話してやってくれ。内密に」

「分かりました」


 マリー・アンを下ろし、何事かと顔を見せたメルダに渡そうとすると、彼女は怯えたように俺の服を掴んだ。不安そうに見上げてくる。


「彼らは大丈夫だ」


 目の前で人が刺され、返り血で染まった服のまま暗闇をさまよっていたのだ。無理もない。いつまでも服をつかんだまま放そうとしないお姫様に、俺は何と言ったらいいか戸惑っていた。


「旦那さま。怖がっている女の子には、優しくしなくっちゃダメだって死んだおふくろが言っていました」


 そうやってもたついている内に、ややこしいのが来てしまった。どこにいたのか蜘蛛の巣だらけのミゲルが、自分の肩を抱いて笑顔を見せる。


「安心してほしいなら、ギュッとハグしてあげるんですよ」

「旦那様の前で騒ぐんじゃないミゲル。何だその格好は?」


 老人に叱られちょっと顔をしかめる。その気の抜けるような彼の態度に、お姫さまも緊張が緩んだのか僅かに微笑んだ。


「わぁ~。綺麗な女の子だ! 俺ミゲル。お名前は?」

「ごきげんよう。ミゲルさん。私の名前はマ……」


 そののんびりとした様子に釣りこまれてしまったのだろう。マリー・アンは思わず口を開いた。しかし、口にしてしまってから気が付いたのだろう。必死に誤魔化して偽名に変える。


「マ……マーガレットです」

「そうか~。お花と同じ名前だね! マーガレットさん」


 その名前を聞いて心が冷えた。

 が、今更違うとも言えないだろう。


「すまないが、身支度が済んだら俺の部屋に通してくれ」


 俺はそれだけ言い、後はメルダに託してその場を去った。


 *


 幸運にも無事にマリー・アンを見つけることは出来た。

 だが、一旦出た命令に変更はない。俺が彼女の首を落とし、監獄長へ持って行くまでこの忌々しい書類は有効だ。

 あまり長引かせるとサー・デデにつけ込まれる可能性もある。


 また、同じことの繰り返しか。


 遠慮がちなノックが聞こえる。


「あの……マリーです」

「入ってくれ」


 髪を結い上げ、簡素な淡いブルーのドレスを着たマリー・アンが、恐る恐る、半開きのドアの向こうから顔を覗かせていた。少し緊張した面持ちで部屋に入りドアを閉めた。俺に促されるまま、借りてきた猫のように姿勢をただし椅子に座る。


「脱獄したアンタに死刑執行を命じられた。執行人は俺だ」


 マリー・アンは不服を顔に表わして俺を見る。


「分かっている。アンタは脱獄してはいない。王都に素性がバレたせいで暗殺を企てられたんだろう。とりあえず何があったのか話してほしい」


「今朝までは何事もなく過ごせていたのです。ところが午後になり、急にヴァンフォーゲン伯の呼び出しがあったのです。何か嫌な予感がしましたわ。だって、私がこの監獄へ来た時以来、あの方が私を呼び出すなんてことありませんでしたから。

 ですから、何があってもいい様にネックレスを預けたのです。ゾルバさんが下を通りかかって幸運でしたわ」


 そこまで話すとひとまず息を整え、また話を続けようと口を開いた時。


「旦那さま、お夜食ですよ!」


 ミゲルはドアを開けてからノックした。マリー・アンの肩が跳ね小さな悲鳴が上がる。


「ノック!」

「イヤですね。してますよ」


 俺が叱りつけるのをサラリと交わし、コンソールのうえにお盆を載せた。何度注意してもドアを開けてからノックする。それでは意味が無いのだが、直りそうもないとモダルが嘆いていた。


「マーガレットさんもお腹がすいたでしょう? 紅茶をどうぞ」


 さぁさぁと、湯気の上がるティーカップをマリー・アンへ持たせる。

 この空気を読まない庭師にかかれば、こちらの都合など二の次だ。


「悪いが気分じゃないんだ。後で頂く事にする」


 このところ、この家では何故か『皆』で食事をすることになってしまったらしい。俺が行かないと何故かミゲルが騒ぎ出すので、面倒だからそうなった。

 マリー・アンもいる事だ。今日くらいはいいだろうと思ったのだが。ミゲルは気に入らないようだ。


「俺の意地悪なクララ叔母さんが、飯は気分で食うもんじゃ無いって言ってました」

「じゃあ何だ?」


 またか!

 俺も少しイライラして、マリー・アンがいることも忘れ、つい小僧相手に声を荒らげる。

 しかし、ミゲルはその程度で黙らない。


「死なない為です! お酒ばっかりじゃ俺の親父みたいになりますよ!」


 今日こそは『少し相手の気持ちも汲め』と、言いたくなったがそうなる前にミゲルへ援軍が現れた。


「ゾルバさん。せっかくのお茶が冷めてしまいますわ」


 ミゲルとのやりとりに部屋の空気が和んだのだろう。マリー・アンから忍び笑いが漏れる。少し元気を取り戻したようだ。この風変わりな庭師には困らされてばかりだが、時に救われることもある。


「そうです、そうですよ。腹が減っているとロクな考えが浮かびませんからね。ところで、マーガレットさんは旦那さまの部屋に泊まるんで?」


 マリー・アンが噎せて、俺はカップを落としそうになる。

 何故そうなる?


「別だ!」

「だと思ったんですけどね。一応聞いてみたんですよ」


 前言を撤回する。やはりミゲルは面倒な奴だ。

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