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第2話 黒い実験機

「おお、そうじゃ」


 博士が何かを思い出したように手を叩いた。


「これも返しておこう」


 近くの台へ向かい、小さな端末を手に取る。


「なんだ、それ」


「おぬしのじゃ」


「俺の?」


「うむ。AI端末じゃ。記憶を失くした今のおぬしには、余計に役立つじゃろう」


 差し出されたのは、耳へ取り付ける小さな端末だった。


 スタンリーはしばらく眺めてから、それを受け取る。


「……これを?」


「耳につければよい」


 言われた通りに装着すると、少しして声がした。


『お帰りなさい、スタンリー』


「……!」


『記憶を失くされたとか。およよ……』


「……」


 スタンリーは黙った。


「どうした?」


「……およよ、とか言うAIだったのか、こいつ」


「いえ」


 隣の男が首を傾げる。


「違ったと思いますが」


『記録上、使用実績は確認できません』


「じゃあ今なんで言った?」


『場を和ませようかと』


「やめてくれ」


『承知しました。あとお忘れのようですので、私のことはエディとお呼びください』


 妙に素直だった。


 少なくとも、今のところは。


「まあよい」


 博士が立ち上がる。


「しばらく休め。ではルディよ」


「はい」


「頃合いを見て連れてきてくれ」


「分かりました」


 博士はスタンリーを見る。


「ああ、こやつがルディじゃ。この研究所の主任研究員をしておる」


「ルディです。改めてよろしくお願いします」


「……スタンリーです」


「知っています」


「そうだったな」


「わしはマーチンじゃ、博士でいいぞ。それではわしは先に行っておるからの」


「あ、博士!」


 呼び止める間もなく、博士は部屋から出ていった。


 スタンリーは閉まった扉を見てから、ルディへ顔を向けた。


「ルディさん」


「はい?」


「俺は一体、何に乗るんですか?」


「それは……」


 ルディは少し考えた。


「見ていただいた方が早いかと」


「博士と同じこと言うんですね」


「説明しづらいんですよ」


「……それと契約」


「はい」


「さっき市民権がどうとか書いてあったんですけど」


「その辺りも含めて、後ほど説明します」


「後ほどばっかりだな……」


「今、一度に説明しても混乱するでしょうから」


「もう十分混乱してますよ」


「でしょうね」


 ルディは苦笑した。


「お腹は空いていますか?」


「……言われてみれば」


「では食事を――」


 そこまで言って、ルディは少し考えた。


「……軽食にしておきましょう」


「軽食?」


「今日は機体に搭乗していただく予定でしたので」


「……記憶がなくても?」


「博士のあの調子ですと、予定通り乗せるでしょうね」


「そこは予定を変えろよ……」


「食べすぎると、乗った時につらいと思いますよ」


「……何に乗せる気なんですか?」


「それも、このあと見ていただきます」


 嫌な予感しかしなかった。


     *


 簡単な軽食を済ませ、少し休んだあと。


 スタンリーはルディに連れられ、研究所の奥へ向かった。


 いくつかの扉を抜け、やがて大きな扉が開いた。


「……」


 スタンリーは足を止めた。


 広い空間。格納庫のようだった。


 整備用の足場や機材が並び、何人もの研究員が行き来している。


 その中央に、黒い機体が浮いていた。


「……なんだ、あれ」


 人型。全高は六メートルほど。


 細身の身体を黒い装甲が覆い、その姿はどこか騎士を思わせる。


「おお! 来たか!」


 下から声がした。


 先に来ていた博士が、こちらへ手を振っている。


「これじゃ!」


 博士は黒い機体を見上げた。


「これが、おぬしに乗ってもらう機体じゃ!」


「……これに?」


「うむ!」


 博士が満足そうに胸を張る。


「名を《誉-ほまれー》という」


「誉……」


「重力方向推進試作一号機じゃ!」


 スタンリーはもう一度、機体を見上げた。


「……待て」


「なんじゃ?」


「これ、浮いてないか?」


「浮いておるぞ」


「ずっと?」


「その方が都合がよい」


 スタンリーは機体の下を見る。


「てか、足は?」


「ないぞ」


「ない?」


「浮くのに足なんぞいらんだろ」


「人型なのに!?」


「腕は要る。兵装を扱うからの。頭部も各種センサーをまとめておる。胴体は当然必要じゃ」


 博士は当然のように続ける。


「じゃが足は?」


「……」


「要らんじゃろ」


「理屈は分かるけど……」


「その分、腰から下を格納スペースに使っておる」


「……スカートみたいな部分?」


「そうじゃ」


「何入ってるんだ?」


「それは後じゃ!」


「後ばっかりだな!」


 博士は気にせず、《誉》を指差す。


「これに乗るために」


 スタンリーが言う。


「俺は人体強化されたんですか?」


「そうじゃ」


「……なんで?」


「よい質問じゃ!」


 博士の顔が輝いた。


 ルディが少し嫌そうな顔をする。


「まず大前提を言っておくぞ!」


「はい?」


「これは志願制じゃからな!」


「……」


「望んでおらん者を無理やり連れてきて、実験台にしたりはしておらん!」


「さっきも聞きましたけど」


「大事なことじゃ!」


「……分かりました」


「本当に理解したか?」


「分かりましたって」


「よし!」


 博士は頷いた。


「では説明しよう」


 そして、《誉》を指差した。


「以前までの結果では――」


「はい」


「トマトができた」


「博士!?」


 ルディの声が飛んだ。


 スタンリーは博士を見る。


「トマト?」


「うむ」


「……手足の生えた?」


「まあ、そうじゃな」


「博士!?」


 スタンリーは《誉》を見る。


 博士を見る。


 もう一度《誉》を見る。


「それ……」


「うむ」


「人ですよね?」


「詳細は報告書にある!」


「そういう問題じゃありません!」


「じゃからおぬしを強化したんじゃろうが!」


「説明が雑すぎる!」


 ルディが額を押さえる。


「高加速度と、急激な加速度方向の変化に通常の人体が耐えられなかった、と説明してください」


「今そう言ったじゃろ」


「トマトとしか言ってません」


「分かりやすいではないか」


「分かりたくないんですよ!」


 スタンリーは思わず声を上げた。


『私から詳細をご説明しましょうか?』


 耳元からエディの声がする。


「……頼む」


『《誉》は、機体に作用する重力方向を制御することで、任意方向への加速を可能とする実験機です』


「重力方向?」


『はい』


「つまり?」


『前後左右上下。機体姿勢に関係なく、任意方向へ加速できます』


「……それの何が、そんなに人体に危険なんだ?」


『速度そのものだけが問題ではありません』


「?」


『加速度の大きさ。そして、加速度方向の急激な変化です』


「……」


『通常の人体では、《誉》本来の機動性能を使用した際の負荷に耐えられません』


「それで俺を?」


「そういうことじゃ」


 博士が満足そうに頷く。


「機械の性能に人間がついてこられんかった」


「なら、人間の方を機械に合わせればよい、と?」


「そうじゃ!」


「その発想で人体実験まで行ったんですか?」


「おぬしが志願したからの」


「記憶がないんだよ……」


「まあ、それは困ったの」


「誰の実験の後だと思ってるんですか!」


 博士は《誉》を見上げる。


「しかしな」


「?」


「こやつの特徴は、言葉で説明しても分からんと思うぞ」


「今かなり嫌な説明を受けましたけど」


「理屈と実際の挙動は別じゃ」


 博士がスタンリーを見る。


「乗ってみろ」


「……今?」


「今じゃ」


「目を覚ましたばっかりなんですけど?」


「じゃから、まずは低出力で慣らすところからじゃ」


 博士はルディへ顔を向けた。


「食事は?」


「軽いものを少しだけ。今日の搭乗予定がありましたので」


「うむ。それならよい」


「……さっきも言ってたけど」


 スタンリーは二人を見た。


「食べてると、何かまずいのか?」


「吐く可能性があります」


 ルディが答えた。


「……なるほど。それで軽食か」


「空腹でもつらいでしょうから」


「吐くだけなら成功じゃ」


「成功の基準がおかしい!」

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