第1話 覚えのない契約
声が聞こえる。
「脳波は?」
「正常です」
「そうか……耐えたか」
少し間があった。
「あとは実際に乗せてみてじゃな」
「そうですね。ですが、まずは経過観察を――」
「おい。起きるんじゃ!」
「博士、そんな強引に!」
声が近い。
スタンリーはゆっくりと目を開いた。
白い天井。
ぼんやりとした視界が、少しずつ形を取り戻していく。
顔を横へ向けると、白衣を着た二人の男が立っていた。一人は、こちらを覗き込んでいる。
「お! 目を覚ましたな!」
身体を起こそうとして、やめた。まだ、うまく力が入らない。
「……ここは?」
「ん?」
男が首を傾げる。
「ここは、わしの研究所の中じゃが」
「研究所……?」
「そうじゃ」
スタンリーは周囲を見る。
知らない場所だった。見覚えがない。
それどころか。
「博士」
もう一人の男が、表情を変えた。
「もしかして……これは、実験の後遺症が出ているのでは?」
「なに?」
「記憶障害です」
「そんな馬鹿な。脳を弄ったわけでも――」
「脳を弄る?」
スタンリーが二人を見る。
「何のことだ?」
男が博士を見る。
「やっぱり後遺症出てるじゃないですか!」
「うるさい!」
「うるさいではありません!」
「生きておるからよいんじゃ!」
「よくありません!」
「問題はここからじゃし……」
「今の時点で問題が出ています!」
スタンリーは二人のやり取りを眺めた。
まったく話が見えない。
「あの」
「なんじゃ?」
「実験って、一体何ですか?」
「おお」
博士は思い出したように頷いた。
「そうじゃな。そこからか」
「……」
「おぬしには、対慣性力――いや、分かりやすく言えば、対G能力を中心とした人体強化実験に協力してもらった」
「……人体強化?」
「うむ」
「人体実験……」
「そうとも言う」
「人体実験!?」
スタンリーは思わず身体を起こした。
「おい、待て! 急に起きるでない!」
「なんで俺が人体実験されてるんだ!」
「なんでと言われてものう」
博士は眉を寄せた。
「覚えとらんのか?」
「覚えてたら聞いてない!」
「ちゃんと契約も交わしたぞ?」
「契約?」
「おぬしは自分から志願して、この実験へ参加したんじゃ」
「……俺が?」
「そうじゃ」
「人体実験に?」
「そうじゃ」
「自分から?」
「何度言わせるんじゃ」
「博士」
隣の男が口を挟んだ。
「今の彼にそれだけ言っても信じられないでしょう」
「では記録を見せればよかろう」
「ありますけど……」
「あるのか?」
スタンリーが尋ねる。
「もちろんじゃ」
博士は当然のように答えた。
「契約書もある。危険性を説明した際の記録も、同意を確認した記録も、署名時の映像も残しておる」
「……見せてくれ」
「よかろう」
博士が端末へ手を伸ばす。
だが、途中で止めた。
「……いや、待て」
「何だ?」
「おぬし、それを見て信じられるのか?」
「……?」
「映像の中で、おぬし自身が説明を受けておる。質問もしておる。最後には自分で契約書へ署名しておる」
「だったら――」
「それを見たところで、今のおぬしにはその記憶がないんじゃろ?」
「……」
「なら次は、『この映像は本物なのか』と言い出さんか?」
スタンリーは黙った。
博士が目を細める。
「お?」
「……何だよ」
「言い出しそうじゃな」
「……否定はできない」
「じゃろう?」
「博士、嬉しそうに言うことではありません」
隣の男が呆れた。
博士は椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「映像はある。契約書もある。立会人もおる。必要なら全部見せてやる」
「……」
「じゃが、それを信じるかどうかまで、わしには決められん」
「じゃあ、どうしろっていうんだ」
「別にどうもせん」
「は?」
「今、確実なのは一つじゃ」
博士がスタンリーを見る。
「おぬしと研究所の間に、正式な契約が存在しておる」
「……」
「研究所は契約に基づいて実験を行った。そして今後も契約に定められた義務を果たす。おぬしにも契約内容を確認する権利がある」
「……契約は、いつまでなんだ?」
「わしが満足するまでじゃ」
「おい」
「博士」
二人から同時に声が飛んだ。
「……正確には」
博士が咳払いする。
「研究計画に必要な、十分なデータが得られるまでじゃ」
「全然違うじゃないか!」
「最終的に判断するのはわしじゃから、似たようなものじゃろ」
「似てない!」
「まあまあ」
「さっきからあんたも止めろ!」
スタンリーは頭を抱えた。
知らない研究所。知らない二人。覚えのない契約。
そして、自分は人体実験へ志願したらしい。
差し出された端末の契約書へ目を通してみても、何かを思い出せそうにはなかった。
「……それで」
スタンリーは顔を上げた。
「何のために、そんな強化をしたんだ?」
「おお」
博士の顔が変わった。
先ほどまでとは明らかに違う。嬉しそうだった。
「それじゃ」
「……?」
「おぬしに乗ってもらうものがある」
「乗る?」
「うむ」
博士は笑った。
「そのために、おぬしを強化したんじゃからな」
スタンリーは博士を見た。
「何に乗るんだ?」
「それは見てからのお楽しみじゃ」
「いや、先に説明してくれ」
「見た方が早い」
「何がだよ」




