第八話 海の見える墓地
坂を登りきると、墓地は思っていたよりずっと広かった。
山の斜面に沿うように幾段にも墓石が並び、その向こうには青い海がどこまでも広がっている。
潮風が吹くたび、線香の香りと海の匂いが入り混じった。
「すごい景色だな。」
健二が思わず声を漏らす。
「墓地って、もっと暗い場所だと思ってた。」
「俺も。」
目の前にあるのは、不思議なくらい明るい墓地だった。
陽射しは強く、空は高い。
風だけが涼しく吹き抜けていく。
父から渡された紙をもう一度開く。
祖父の名前。
墓石に刻まれている家名。
叔母が送ってくれた一枚の写真。
頼りになるのは、それだけだった。
「……佐藤、多すぎるな。」
健二が苦笑する。
本当にその通りだった。
見渡す限り、「佐藤」の文字が並んでいる。
「東北って佐藤さん多いんだな。」
「うちも佐藤だからな。」
「これ、宝探しじゃん。」
「帰れなくなるぞ。」
二人で笑った。
笑いながらも、心のどこかでは少し焦っていた。
墓石の間を歩く。
人の家の墓地を横切らせてもらい、
低い石をまたぎ、
一段上へ、
また一段。
写真と見比べても同じような景色ばかりだった。
「違う。」
「これも違う。」
「こっちかな。」
「いや。」
同じような会話が何度も続く。
しばらく歩いていると、一人の女性が花を供えていた。
五十代くらいだろうか。
こちらを見ると柔らかく微笑んだ。
「何かお探しですか?」
「佐藤家のお墓なんですが……。」
父の名前と祖父の名前を伝える。
「あぁ。」
女性は少し考え、
「あっちの上だったと思いますよ。」
と指をさした。
「ありがとうございます。」
二人で頭を下げる。
言われた方へ向かう。
今度は年配の男性が墓を掃除していた。
同じように尋ねると、
「あぁ、その佐藤さんなら向こうだ。」
と教えてくれる。
「ありがとうございます。」
また歩く。
三人目。
四人目。
皆、迷うことなく教えてくれた。
誰一人、
「分かりません。」
とは言わなかった。
同じ佐藤姓が何十軒も並ぶ墓地で。
初めて来た若い二人を見て、
皆が当たり前のように道を教えてくれる。
そのことを、その時は何とも思わなかった。
「あっ!」
健二が急に声を上げた。
「これじゃないか!」
そこには写真と同じ形の墓石があった。
石の側面には祖父の名前。
父から聞いていた戒名。
間違いない。
「見つかった!」
思わず二人で声を上げる。
さっきまでの静けさが嘘のようだった。
「良かったぁ。」
「これで帰れる。」
二人で顔を見合わせて笑う。
墓石は思っていたよりきれいだった。
叔母が掃除してくれていると父が言っていた意味が分かる。
それでも海風のせいか、砂が少し積もり、花立てにも汚れが残っていた。
「やるか。」
「ああ。」
持ってきた雑巾で墓石を拭き、
花立てを洗い、
落ち葉を集める。
健二は黙々と草を抜いていた。
話し声は自然と少なくなる。
墓の前では、そういうものなのだろう。
不思議と無言が心地よかった。
掃除が終わる。
父から預かった酒を供え、
塩を少しだけ墓前に置く。
手を合わせる。
祖父の顔はほとんど覚えていない。
それでも、
「来ました。」
その一言だけは心の中で伝えた。
顔を上げると、
風が少しだけ強く吹いた。
白い花びらのようなものが墓石の間を横切る。
また綿毛だろうか。
いや、
少し違う気もした。
ふわり、
ふわり。
まるで誰かが歩いていくように、
墓地の奥へ流れていった。
「終わったな。」
健二が背中を伸ばす。
「うん。」
少し汗ばんだ額を拭く。
風が気持ちよかった。
海は相変わらず静かで、
青空には白い雲がゆっくり流れている。
帰ろうとして振り返った。
さっき道を教えてくれた人たちに、もう一度お礼を言いたかった。
けれど──
誰もいなかった。
さっきまで墓参りをしていた人も。
花を供えていた女性も。
掃除をしていた男性も。
墓地には俺たち二人だけだった。
見渡しても、人影はどこにもない。
「……あれ?」
思わず声が漏れる。
「どうした?」
「いや……。」
健二も辺りを見回した。
「さっきまで、結構人いたよな?」
「いた。」
「帰ったのかな。」
「……かな。」
お盆だ。
タイミングよく帰っただけかもしれない。
そう考えるのが一番自然だった。
でも。
あれだけ広い墓地で、
一人くらい姿が見えてもいいはずなのに。
風だけが、
静かに墓石の間を吹き抜けていく。
墓地をあとにして坂を下る。
橋が見えてきた。
さっきまで落ち葉を掃いていた老人の姿は、もうなかった。
掃き集められた落ち葉だけが、きれいに道の脇へ寄せられていた。
健二は何も言わない。
俺も何も言わない。
ただ、胸の奥に小さな違和感だけが残っていた。
あの日のことを思い返すたび、今でも思う。
あの墓地で道を教えてくれた人たちは、本当に生きている人だったのだろうか、と。




