第五話 父の故郷へ
高速道路を降りるころには、空は夕暮れ色に染まり始めていた。
オレンジ色の光がフロントガラスいっぱいに広がり、ボンネットを柔らかく照らしている。
「もう宮城なんだな。」
健二が窓の外を眺めながら言う。
標識には見慣れない地名が並んでいた。
俺にとっては、父の故郷。
だけど、自分の故郷という感覚はなかった。
子どものころ、一度だけ来た記憶がある。
港。
猫。
潮の匂い。
朝早く鳴るサイレン。
それくらいしか覚えていない。
「腹減ったな。」
「何食べる?」
「せっかくだから牛タン!」
「いや、それ仙台じゃないか?」
「じゃあラーメン。」
「急に現実的だな。」
結局、小さな食堂へ入った。
テレビでは野球中継が流れている。
作業着姿のおじさんたちが静かに夕食を食べていた。
俺たちも定食を頼む。
「こういう店、落ち着くな。」
「旅館より好きかも。」
特別おいしいわけじゃない。
豪華でもない。
でも、知らない土地で食べる普通の定食は、家で食べる定食より少しだけ特別だった。
食事を終え、コンビニで飲み物を買う。
健二が『るるぶ東北』を広げた。
「明日は墓参りして……。」
「それから石巻。」
「船で田代島。」
「叔母さんに挨拶。」
「そのあと島で一泊。」
二人とも付箋だらけのページを開きながら確認する。
旅は行き当たりばったりのようでいて、意外と真面目だった。
見たい場所。
寄りたい場所。
食べたいもの。
全部、本に印を付けてきた。
まるで遠足前の小学生みたいに。
「奥入瀬も絶対行こう。」
「十和田湖も。」
「大間崎は外せない。」
「当たり前だろ。」
二人で地図を囲んでいるだけで楽しかった。
その夜は、仙台まで行けるところまで走り、小さなビジネスホテルへ泊まることにした。
決して新しいホテルではない。
廊下には少し古いじゅうたんが敷かれ、自動販売機が一台だけ置いてある。
「今日だけで結構走ったな。」
「首都高が疲れた。」
「だな。」
部屋へ入ると、二人ともベッドへ倒れ込んだ。
静かだった。
窓の外では、ときどき車が走る音が聞こえる。
それだけだ。
しばらく、テレビの話や芸能界の話。
ヤクルトと阪神の話などをしてから。
部屋の電気を消す。
真っ暗な天井を見つめる。
明日は父の実家へ向かう。
父が子どものころ走り回っていた島。
俺のルーツ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。
その夜。
夢を見た。
海だった。
月明かりだけが照らす静かな海。
波の音だけが聞こえる。
遠くで、誰かが笑っている。
男とも女ともつかない笑い声。
楽しそうだった。
焚き火の火が揺れている。
何人も集まっているように見える。
でも、顔だけは見えない。
見えそうになるたび、波が光を揺らしてしまう。
誰かがこちらへ手を振った気がした。
その瞬間、目が覚めた。
午前三時。
部屋は静まり返っている。
隣では健二が気持ちよさそうに眠っていた。
「夢か……。」
水を一口飲んで、もう一度布団へ入る。
波の音なんて、このホテルから聞こえるはずがない。
そう思いながら目を閉じた。
その夢が、数日後の出来事を知らせていたなんて、このときは夢にも思わなかった。




